仲の悪い女子にシャツのボタンが外れていることを指摘したら、罵倒されて引きちぎったボタンを投げつけられた件。

あおば

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いつの間にか近くに座っている件。

”御津代みつは”は、タツミに願う。

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 土下座をしたままだと、なぜだかまったく頭が回らない。

 この事実を知っている人は、あまり多くないかもしれない。
 数多くの土下座をしてきた俺だからこそ気付いたことだ。
 恥ずかしい真似をしているという羞恥心ゆえか、それとも単純に頭を下に向ける体勢の問題かわからないが、全然物事を熟考できなくなってしまう。
 もし興味があるならば、ぜひ試してみてほしいものだ。

 そんなわけで、俺は御津代みつしろに頼み込んで、正座という条件付きでパイプ椅子に座らせてもらっていた。
 これはこれで重心が高くなりバランスが悪く、思考に集中できない。
 しかし、土下座で床を舐めるよりは数倍マシであった。
 ポニーテールによって形がはっきり出ている、御津代の可愛い頭もよく見えるし。

 可愛い御津代は、俺の右斜め前の”お誕生日席”で部誌を眺めている。

 ここで、今回の”謎”について整理しておく。
 といっても、”御津代みつはがいつの間にか近くの席に移ってきていた”というだけなのだけれど。

 もう少し詳しく描写すると、いつも俺と御津代は、部室に置かれた長方形の大机の、入口側と反対の端に座る。
 俺が西日の差し込む窓を背に、御津代がその向かいで本棚を背に。
 そして、俺が作品を書くのに集中していて気付かないうちに、御津代が俺に近づくかたちで大机の短辺に席を移動していた。

「……御津代、念のために聞いておくが、俺の近くに来たかったからか?」

「はぁ? キモキモのキモ。あんた、変態だけでは飽き足らずナルシストの称号も獲得したいの? あんたの顔に惹きつけられて引き寄せられるほど、あたしは落ちぶれちゃいないわよ」

 念のためという枕詞は、御津代にとって意味のないものらしい。
 俺が控えめに投げたボールを、トゲトゲボールに魔改造して投げ返してくる。

 というか、こいつは曲がりなりにも俺のことを好きなのではなかったか?
 今日の夜、俺は枕を濡らしてしまいそうだ。

「まあ、確かに御津代は可愛いからな」

 俺と御津代がお似合いかと問われたら、簡単に頷くことはできない。
 並んで歩く、なんてことになったら緊張してどうにかなってしまうかもしれない。
 それだけ、御津代の可愛さは卓越しているのだ。
 特に、こいつはポニーテールが反則級によく似合う。

「は、はぁ? なに”謎”がわからないからって、ごまをすろうとしてんの? ホントにキモいっ」

 そんなつもりではなかったのだけれど、御津代は怒って、机に顔を伏せてしまう。
 御津代の動きに合わせて、ぴょこんと、ひとつにまとめられた艶やかな黒髪が跳ねた。

「おい、お前が伏せたら表情からヒントを読み取るのができなくなるじゃねえか」

「……うっさい、ズルすんな、死ね」

 ちょっと、御津代みつはちゃんのお母さん?
 お宅のお子さん、口が悪すぎやしませんかね?

「キモいこと言ったペナルティで、これからあんたになに聞かれても答えないから」

 伏せた御津代が、もごもごとくぐもった声で告げてくる。
 こいつが答えないと言うなら、本当に答えないのだろう。

「せめて、推理が当たっているかどうかだけは教えてくれないか?」

 そうしないと、俺は永遠に答えのわからない迷路に取り残されることになってしまう。
 しかも迷路の制作者は、ひねくれた口悪みつはちゃんだ。

 俺の頼みを聞き入れたのかどうかはわからないが、御津代は頷くように頭を揺らした。
 まあ、けっきょくのところ、考えなければ始まらないし俺の立場も回復しない。
 御津代のうなじを眺めながら、俺は思考を巡らせていった。


    ◇◆◇◆◇


「……なあ、『夏の大三角説』はどうだ?」

 原稿用紙に部室の状況、俺と御津代の位置関係などを描き込んでいたら思いついた。
 夏の大三角とは夜空に輝く”こと座のベガ”と”わし座のアルタイル”、そして”はくちょう座のデネブ”を結んでできる大きな三角形のことだ。
 ベガが織姫星でアルタイルが彦星、といえば誰もが”七夕”として知っているだろうか。

 俺の座る位置をアルタイル、正面の御津代がいた位置をデネブとする。
 そうして、夏の大三角の位置関係を考えると、御津代が移動した位置がベガになるのだ。

「ちょっとロマンチックすぎるか?」

 俺の問いかけに、御津代はなんの反応も示さない。
 しかし。

 ぷーくすくす、あんた、どんだけ頭お花畑なの?
 自分が彦星で、一年に一度しか恋人に会えない悲劇の主人公ですって?
 というか、会いたいなら天の川だろうが三途の川だろうが、泳いで渡ってきなさいよね!

 御津代はなにも答えなかったが、なんとなく罵られたような気がする。
 どうやら間違っていたようだ。

「まあ、確かに、三角形の向きとか”こじつけ”過ぎたかもな」

 合わせる向きを変えたら、俺が織姫になったり白鳥の尾になったりするからな。
 そもそも、星座は時間によって位置を変えてしまう……じゃあ、方角はどうだろうか。

 俺から見ると後ろの窓が西向きだから、御津代は東から南の方に移動したことになる。

「東から南……”east”から”south”、南東……だとしても”southeast”か」

 うーん……あんまり意味があるようには思えない。
 しかし、隣で机に伏している御津代が目に見えてそわそわし始めたため、方向性は正しいことが証明された。
 こいつ、可愛いな。

「どうした、御津代?」

 俺の言葉に御津代は返事をしなかったが、その代わりに伏せる力をぎゅっと増した。
 あたしはなにも喋らないわよ、という意思表示だと思う。

「まあいいか。でも、方角って言っても曖昧だよなぁ……なあ、御津代、お前の位置は南か、それとも南東――おっ、南東か、ありがとう!」

 南東のときに身体をビクッとさせたから、いま御津代の座る位置は”南東”だと考えていいみたいだ。
 御津代は非難の意味を込めてか、俺の足を蹴ろうとしてきた。
 だが、俺はパイプ椅子の上で正座をしているため、座った状態のままの御津代が伸ばす足は届かない。
 悔しそうに、小さな声でうめく御津代。可愛い。

「南東ってことは……十二方位じゃなくて八方位かな」

 十二方位は十二支によって、北からうしとら、東がたつ、南がうまひつじさる、西がとりいぬで一周だ。

 八方位では、北東の丑と寅が合わさってうしとら、南東がたつみ、南西がひつじさる、北西がいぬい……だったと思う、確か。

「えっと、御津代は東から南東、””から”たつみ”に移動していた……んー、なんか意味があるか……?」

 漢字に意味があるのか? それとも、ひらがなにして”ずらす”のか?

 いろいろと思考を巡らせていくうちに、パッとひらめくものがあった。
 しかし、これが答えだとすると、俺は正座なんかしていなくていいし、あまつさえ土下座して床を舐める必要もなかった……いや、とりあえず聞いてみよう。
 なんだか俺の願望が含まれた思考になっているような気がしないでもないし。

「おい、御津代。もしかして……」

 俺が声をかけると、ずっと顔を伏せていた御津代がゆっくりと顔を上げた。
 その顔は、西日によるものかわからないが、ほんのりと紅く色付いている。
 なぜか瞳が少し潤んでいて、じとっと睨まれた俺は、次の言葉に詰まった。

「……なによ? 言いたいことがあるなら、早く言えばいいじゃない」

 御津代の瞳は俺を黙らせてきて、言葉は促してきた。
 その矛盾にとらわれかけたが、答えを知りたいという欲に救い出される。

「”たつみ”って、”touch me”……なのか?」

 まさかダジャレのようなものが答えになる”ミステリー”があっていいのか、と思われるかもしれない。
 だが、御津代は恥ずかしい赤らみを隠すように両手で顔を覆った。
 どうやら、これが答えで合っていたようだ。

「……ちなみに、””には”you”の意味があるけど、なんか文句ある? あんた、いますぐ死んでくれない?」

 もごもごと、顔を覆った手のすき間から御津代の声が漏れ出てくる。
 座る場所を移動していたのは、””から”たつみ”で”you”から”touch me”か、なるほどね。

 じゃあ、俺が御津代にタックル――いや、過剰ではあったかもしれないが――したことは、なんらとがめられる必要はなかったということじゃないか?
 まあ、これ以上怒れる御津代に油を注ぐ勇気もないから、突き詰めたりはしないけれど。

「なあ、ちょっとだけ気になるから聞くんだけど、”touch me”ってスケベ的な意味か?」

 俺だって普通の男子高校生なのだから、”あたしに触って”なんて言われて平静でいられるはずがないのは理解してほしい。
 そうは言っても、このスケベ発言は完全な失言だった。
 御津代は顔を覆っていた手を下ろして、感情の抜け落ちた漆黒の視線を向けてくるし。
 俺が正座しているパイプ椅子を蹴って、ひっくり返そうとしてくるし。

「……あんた、あたしがあんたのこと好きで良かったわね。いまの言葉、キモすぎて通報されてもおかしくないと思うわ」

 無事に床に転がった俺を見下しながら、御津代みつはは仁王立ちで威風堂々と宣告する。
 俺は学習する生き物なので、「パンツ見えるぞ」という言葉をぐっと飲み込んだ。
 いや、見えたらラッキーとか思っていたわけではない。
 もし御津代に見ていることを気付かれたら、それこそ通報からの投獄まっしぐらだ。

「御津代」

 俺は、御津代の顔を見上げて、その名前を呼ぶ。
 部室の照明が眩しいのか、窓から差し込む西日が眩しいのか、それとも。

「……手でも繋いで帰るか?」

 眩しさに細めた視界の中で、御津代が微笑んだような気がしたのだった。


    ◇◆◇◆◇


 ちなみに、御津代の小さな手はめちゃくちゃ熱かった。
 恒常的に体温が高いのか、それとも俺といっしょにいることによってなのかはわからないが。

 夕方でも暑さの和らがない真夏の帰路。
 それでも、御津代の熱い手を引いて歩くのは……まあ、悪くはなかった。

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