上 下
8 / 9
いつの間にか近くに座っている件。

初めて舐めたけど、悪くはねえな。

しおりを挟む


 いつの間にか、御津代みつしろみつはが座る場所を移動している。

 もしかしたら、なんの意味も含まれていないのかもしれない。
 しかし、最初は正面に座っていたのにあとから移動していることと、俺に気付かれないようにこっそりと座る場所を変えていること。
 そして、夏休み前までこのような行動をしたことはなかったこと。

 いろいろな理屈を混ぜ合わせた結果、俺は御津代が故意に”謎”を創りだしていると判断した。

 ただ、まだ御津代自身に行動の理由を問いたりはしていない。
 人間というのは学習する生き物なので、今回の俺は慎重に行動している。
 なぜなら、前回は迂闊うかつにも指摘したら、ボタンを力いっぱい投げつけられたためだ。
 今でもおでこが凹んでいるような気がするし、御津代の第五ボタンを見ると強い動悸を感じるのだ。

 そんなわけで、俺はじっと息を潜めていた。
 今日、部室に来てから二時間ほどが経過した頃だろうか。

 部室にこもる熱やアブラゼミの狂騒など気にも留めずに、真剣に原稿用紙と向き合っている――フリをしながら、正面に座る御津代の様子をうかがう。

 犯人を捕まえるためには、現行犯で確保するのが一番だ。
 犯行の瞬間に取り押さえることで動機の究明も行いやすく、証拠を隠滅される心配も少なくなる。

 先ほどまで途切れることのなかった、御津代が原稿用紙に書きつける音。
 それが、いまは止んでいた。
 
 そろそろ、来るか?

 しかし、焦ってはいけない。
 ここで俺の意識が自分に向いていると御津代が気付いてしまったら、長時間の張り込みが無駄になってしまう。

 俺は、ラクレットチーズのホラーを書いているやつ。
 俺は、羊たちの逃げ惑うサスペンスを書いているやつ。
 俺は、焼け焦げてチリチリになった羊毛を書いているやつ。

 そう俺自身をも騙すように言い聞かせ続けること、幾星霜。
 ついに、犯人ホシが動いた。

 御津代の気配が、ゆっくりと正面から右の方に移っていく。
 向かいの椅子から、大机の短辺の椅子に移動したのだ。

 キィと微かな音を立てて、御津代がパイプ椅子に座った――その瞬間。

「確保っ――だぁぁああぁぁあぁあっ!」

「ぎゃぁぁぁああぁああっ!?」

 俺は、椅子ごと御津代にタックルをかましていた。
 見事としか言いようのない角度で、俺は両腕で抱きかかえるように御津代の腰に組みつく。
 
 いやぁ、ラグビーのワールドカップ、熱心に観ておいてよかったなぁ。

 御津代の悲鳴をBGMに、あのときの熱狂が想起される。

「なっ……ななななっ、なにすんのよっ! バカじゃないのバカじゃないの!?」

 頭上から御津代の罵声が降り注ぐが、そんなものを聞いている暇はない。
 暴れる御津代がひっくり返ってしまわないように、変な体勢のままバランスを取らなければならないのだ。

「御津代っ、お前は完全に包囲されている! おとなしくお縄につけっ!」

「はぁ!? マジで意味わかんない――きゃぁああっ、あんた、どこ触ってんのよっ!?」

 傍から見たら、女の子に不埒ふらちな真似を施そうとしている変態にしか見えないかもしれない。
 だが、これは事件を解決するための勇気ある行動だ。
 決してやましい気持ちなどないことを、ここに宣言しよう。

 俺は押しつけた顔で御津代の柔らかなお腹の感触を堪能しながら、刑事よろしく尋問を開始する。

「さあ、どうして座るぅぐっ……場所を、移動ぅげっ……していたのぉごっ――おいっ、喋れねえじゃねえか、止めっ、ぐはぁ……!」

 しかし、座った状態のまま御津代が振り上げる膝が俺の胸を打ち、喉から出ようとする言葉をリズミカルに詰まらせていく。
 そして、あんたの尋問には口を割らないという決意なのか、御津代は一言も発さない。

「いやっ、あのっ、ぅっ、ごめっ……ごめんなさいっ……! ぅぐっ!」

 餅つきもかくやというほどの力強さと、頭上からひしひしと感じる無言のプレッシャーによって、俺はわりとすぐに膝を突いたのだった。


    ◇◆◇◆◇


「ねえ、頭冷えたかしら?」

「……はい、床は冷とうございますゆえ」

 御津代様のご機嫌を損ねないように、俺はゆっくりと静かに言葉を紡ぐ。
 唇を動かすことで床とキスすることになるが、命には代えられない。

「そう、それは良かった。でも、床におでこを擦りつけるような汚らわしい人間の顔なんて見たくないから、私が帰るまでそのままでいてね」

 いまの時刻は、おそらく午後四時を過ぎた辺りだ。
 御津代がいつも通りに文化部の下校時刻に帰るとすると、まだ一時間以上あることになる。
 このまま――御津代の前で土下座をしたまま、そんなに長い時間を過ごさなければならないのか?

「なんか不満がありそうだけど」

「っ! いえ、滅相もないことです」

 頭上から、御津代の剣呑とした言葉が降り注ぐ。
 俺は床に顔を向けているのに、なぜか反抗心を見破られた。
 正直、御津代の姿が見えないことも相まって、めちゃくちゃ恐ろしい。

「別にいいのよ? あたしが警察に行って、あんたに性犯罪者の烙印を押しても」

 そんなことするはずがない、と言い切れないぐらいに御津代は怒っていた。

 しかし、そこまで怒るほどか?
 むしろ、俺は御津代が後ろに倒れたりしないように気をつけていたし、触ったのだって腰とか腹とか脚とかだけだし。

「あんた、ホントに反省してんの? 刑務所まっしぐらにさせるわよ? それにお腹とかだけじゃなくて、む……むむ、胸も触ってたし。頭で、ぐりぐりーって。マジで信じらんない」

「あれ? 俺、声に出してた?」

 思わず出てしまった問いかけに、「うん」と怒りを抑えるかのような静かな声音が返ってくる。
 マズいな、御津代火山が噴火する前に、対話を試みた方が良いかもしれない。
 俺は土下座したまま、言葉を紡ぐ。

「なあ、悪かったって。お前がこっそり席を移してるのが気になっただけなんだ。いやらしい気持ちとか……いや、ちょっとは、あったかもしれない。でも、胸に関しては冤罪だ。なんの感触もなかったし」

 この謝罪に対して、御津代は俺の頭をゲシゲシと2回ほど踏みつけることで応えた。痛い。

「ふぅ……それで? あたしの行動の理由はわかったの、変態さん?」

 俺が痛みにうめく姿で溜飲が下がったのか、御津代は意外に優しい声をかけてくる。
 なにかに目覚めそうだが、いまはそれに気付いている余裕はない。

 それにしても、やはりなんらかの意味が込められていたようだ。
 しかし、まだ俺は取っ掛かりすら掴んでいない。

「……もし、お前の”謎”を解くことができたら、許してくれるか?」

 俺の懇願に対して、御津代が「んー」と考えこむ小さな声が聞こえる。
 判決を待つ被告人の気分で、次の言葉が発せられるまでを過ごした。

 そして、ひねくれた口の悪い裁判官が、判決を下す。

「あたしも鬼じゃないから、解けたら許してあげてもいいかな。でも、解けなかったら死刑ね」

「し、死刑……?」

 どうやら、ここは日本ではなく、御津代様による人治国家だったようだ。
 まあ、どちらにしても、俺が助かるためには”謎”を解くしかないみたいだけどな。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

十年目の離婚

杉本凪咲
恋愛
結婚十年目。 夫は離婚を切り出しました。 愛人と、その子供と、一緒に暮らしたいからと。

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

貴方の事なんて大嫌い!

柊 月
恋愛
ティリアーナには想い人がいる。 しかし彼が彼女に向けた言葉は残酷だった。 これは不器用で素直じゃない2人の物語。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

〖完結〗もうあなたを愛する事はありません。

藍川みいな
恋愛
愛していた旦那様が、妹と口付けをしていました…。 「……旦那様、何をしているのですか?」 その光景を見ている事が出来ず、部屋の中へと入り問いかけていた。 そして妹は、 「あら、お姉様は何か勘違いをなさってますよ? 私とは口づけしかしていません。お義兄様は他の方とはもっと凄いことをなさっています。」と… 旦那様には愛人がいて、その愛人には子供が出来たようです。しかも、旦那様は愛人の子を私達2人の子として育てようとおっしゃいました。 信じていた旦那様に裏切られ、もう旦那様を信じる事が出来なくなった私は、離縁を決意し、実家に帰ります。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全8話で完結になります。

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

処理中です...