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いつの間にか近くに座っている件。
御津代ウサギは、近づいてくる。
しおりを挟む正午を大きく回ったぐらいの時間に、俺は学校に着いた。
八月も五日を過ぎると、アブラゼミどもが生きるか死ぬかのデッドヒートを繰り広げていて、非常に暑苦しい。
学校への道中どころか、校舎の中にまでジリジリジリが響き、油で揚げられているかのような心持ちにさせてくるのだ。
「おつかれー」
二階の廊下を進んで、一番端に文芸部の部室がある。
ドアを開けて中にいる人物に声をかけると、そいつはふいっと俺に視線を向けた。
ただ、視線を向けただけでなにも言わずに、ふんっと視線を戻すのだけれど。
部室の中には、いつも通りに御津代だけがいた。
ここで、これ見よがしに部室の中を描写しておこう。
普通の教室の半分ぐらいの広さで、入り口のドアから見て縦長の構造だ。
長方形の大机が入り口から垂直に置かれており、その左側の長辺の奥に御津代がパイプ椅子に座っている。
御津代の背後の壁には本棚があって、過去の部誌や文芸部所有の書籍などが並ぶ。
俺がドアの前からなかなか動かないためか、御津代はそわそわし始める。
そわそわしている御津代ちゃんの左手の壁にはホワイトボードがあり、すみっこに『文化祭文芸部部誌〆切り9月10日』と書いてある。
マーカーで書かれたわりに綺麗な字は、おそらく部長のものだ。
そして、御津代の向かい、いつも俺が座っているところの後ろには窓がある。
けっこう大きめの窓で、夕方になると西日が差し込むためブラインドが設置されている。
「……なに突っ立ってんの? 座れば?」
こちらを見ないまま、御津代が不満そうな声をあげた。
ちょうど描写も終わったし、わざわざ御津代様を怒らせることもないだろう。
俺はおずおずと歩いて、大机の右側の奥に座った。
暑さ対策で窓を開けているからか、外から夏の香りが漂ってくる。
あと、夏の響きも窓のガラスを割らんばかりだ。
「御津代、外のセミ、すげーうるさいな? まったく、熱々のドーナツの気分だよ。まあ、今日の気温の33℃じゃあ目玉焼きも作れないけどな、あっはっは」
せっかく同じ部の仲間が集まったのだから、友好的なお喋りをしよう。
そう思って話しかけたのに、御津代はキッと睨みつけてきた。
真っ正面から見据えられると、いろいろなドキドキで心拍数が上がってしまうのだが。
「あんたの言葉で、さっきまで気にならなかったセミの声が気になるようになったし、今日が真夏日だっていう事実も思い出したんだけど」
口をとがらせる御津代の前には、原稿用紙と筆記用具が広げられている。
いつもと同じように、作品を書いていたようだ。
確かに、せっかく集中していたのを邪魔されたら、多少なりともイラつくか。
「ふむ……耳、押さえといてやろうか?」
せめてうるさいセミの鳴き声だけでも遮断してあげられるなら、そう思って発言したのだが。
「はぁ? キモいんですけど」
御津代様はお気に召さなかったようで、にべもなく斬り捨てられる。
少しだけ頬も赤く、どうやら怒らせてしまったようだ。
「それに、あんたが耳押さえてたら暑いじゃない。キモいプラス暑い、最悪ね」
両手をそれぞれ自分の耳に当てながら、御津代は苦虫を噛みつぶしたような顔で舌をべぇと出す。
最近、以前よりも御津代の表情が豊かな気がする……気のせいかもしれないけど。
「俺は心が温かいから、手が冷たいはずなんだけどな」
「あのね、百億歩譲ってあんたの心が温かいとしても、それで手が冷たいなんて迷信でしょ?」
そんなに譲ってくれるなんて、御津代は優しいなぁ。
仕方ない、良い子にはとっておきのものをあげようじゃないか。
「ほら、これで許してくれ」
スクールバッグから雪塩レモン飴を取り出して、2つばかり御津代の前に転がした。
個包装のフィルムにも笑顔のレモンちゃんが描いてあるし渡した個数も2個だから、これで御津代はニコニコだろう。
「……くれるの?」
あれ? ちょっとした冗談のつもりだったのだが、意外にも食いつきが良かった。
さすがにニコニコ笑顔ではないけれど、特に、いつもは高飛車に吊り上がる目なんかのカドが取れて丸くなっている。
「ああ――いや、別に大したもんじゃないぞ? 来る途中に涼もうと思ってコンビニ入って、たまたま買ったやつだし」
普段と違う御津代の表情になぜか焦ってしまい、しどろもどろに答えた。
くそぅ、冷静沈着でダンディな男を目指しているのに、また御津代にからかわれてしまう。
「えへへ、ありがと」
しかし、俺がキョドる様子を「キモい」と断ずることもせず、御津代は嬉しそうに2つのレモン飴を手に取った。
そして、そのうちの1つを、女子がよく持っている小さなハサミで丁寧に開ける。
中身の飴を口に運ぼうとした御津代の、ふと俺の方に向けた視線が、俺が御津代に向ける視線とバチッとぶつかった。
「……なによ?」
しまった、せっかくのご機嫌を損ねるわけにはいかない。
真夏に白いユキウサギを見かけるぐらい珍しいことなのだから。
「いえ、なんでもございません……俺も1つ食べよー」
御津代様をなるべく刺激しないように、俺は視線を逸らしながらレモン飴をぱくつく。
夏にぴったりの、涼しげな味わいだった。
◇◆◇◆◇
ラクレットチーズヒーターの操作を誤り、亡くなった女性。
彼女の霊がヒーターを手に、羊たちに復讐をしていく。
「――あんた、ホントにその話を提出するの?」
書くのに夢中になっていた俺の耳に、御津代の鈴が鳴るような声が響いた。
原稿用紙から顔を上げると、目の前に御津代はいなくて。
ん? ああ、また”お誕生日席”に移動しているのか。
俺が顔を右に向けると、可愛い顔が近くに現れる。
しかし、その可愛い顔は怒っているのか悲しんでいるのか、不思議な表情を浮かべていた。
「ダメか? 文化祭の時期はまだ暑いだろうから、涼しくなれるホラーがいいかと思ったんだが」
「それ、ホラーだったのね……」
御津代が、驚いたような呆れたような声をあげる。
作者の俺としては、その反応が心外だな。
「いや、完全にホラーだろ。この女、ラストは両手にヒーターを持って羊たちを焼殺していくんだ。生きながら燃やされていく羊の気持ちを考えると、背筋が凍らないか?」
「よくわかんないけど、お腹は空くかもしれないわね」
ふむ、価値観の相違だな。
それよりも、座る場所を変えている理由が気になるのだけれど。
俺が書いているものを読みやすくするため?
それとも、やっぱり単純に近づきたいだけ?
うーむ……しかし、なんだか御津代様のご機嫌がよろしいままのようなので、これ以上の言い争いも近くの席に移ってきた意味の言及もしないことにする。
わざわざ”藪をつついて蛇を出す”必要はないのだ。
出てくるのが”毒蛇”とわかっているのなら、なおさら。
「……ちょっと待って、嫌な予感がする。その話、タイトルは?」
額に手を当てながら、御津代が聞いてくる。
おお、そこに気付くとは、さすがは御津代だな。
なぜ嫌な予感がするのかについては、首を傾げざるを得ないが。
俺が、ホラーとして傑作になるであろうタイトルを告げると、御津代はうなだれるように机に突っ伏すのだった。
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