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ボタンを投げつけられた件。

マジかよ、第五ボタンは『他人』を表すらしい。

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 御津代みつしろが、部室に来なくなった。

 いや、ボタン投げつけ事件から、まだ2日しか経っていないのだけれど。
 ただ、高校入学から数か月とはいえ、ほとんど日課となっていたことをやらなくなる。
 そこには、なにかしらの理由があると考えるのが自然だろう。

 ちなみに、隣のクラスで御津代が授業を受けているのは確認している。
 体調不良で学校を休んでいるのではなく、部室にだけ来ていないということだ。

「お前は、なんのために派遣されたんだろうな……」

 放課後の部室で、俺は一人寂しく、あのとき御津代が引きちぎって投げつけたボタンを掲げて眺めていた。
 こうやって文章にすると、改めてそのヒステリック具合に戦慄するだろう。
 なにかを引きちぎって投げつけてくる、そんな女性にお近づきになりたいと考える男などいるのだろうか。

 先に言っておくが、俺はどうしてボタンを外していたのかが気になるだけで、御津代とお近づきになりたいわけではない。
 それに、御津代が部室に来ないのが俺のせいだとしたら、少しばかり夢見も悪くなるだろうし。
 いや、そもそも何故にあいつは俺にばかり牙を剥いてくる?
 俺は小学校のときの通信簿で、人当たりの良さを褒められたこともある人間なんだぞ?
 保存料や合成着色料は無添加だし、座右の銘は”人畜無害”だ。

 話が逸れたな、戻そう。

 ちょっとだけ、情報と状況を整理してみることにする。

 まず、御津代は自分の意思でボタンを外していたと考えられる。
 学校指定のワイシャツはボタンの穴がゆるいわけでもないし、座ったり立ったりの動作で外れるなんてことが起きる可能性は低い。
 俺が指摘したときの御津代の焦りようも、この考えを支持するものだろう。

 そして、御津代が投げてきたボタン自体には、なんの細工もされていない。
 『好きです』とか書いてあれば、こんなに悩むこともなかったのだけれど。

 あと、一番上から数えて五番目のボタンだということも確かだ。
 男子用も女子用もボタンは七つあって、お腹の位置にくるのは五番目のものだった。
 隣の席の女子に訝しげな視線を向けられながら得た情報だから、間違いない。

 ついでにその子に、なにかボタンに関係するおまじないとか流行ってるか聞いてみたが、特に心当たりはないそうだ。

「あれ? おまじない……?」

 思い当たる節がポンと浮かんだので、スマホを取り出して調べることにする。

 関係ないが、おまじないを漢字で書くと『おまじない』らしい。
 御津代が俺にのろいをかけるために、大きな鍋でグツグツとボタンを煮え立たせている情景が頭をぎる。
 しかし、あいつはそんな回りくどいことはしないか。
 直接、煮え立った鍋の中身をぶちまけてくる方が容易に想像できる。

 閑話休題それはさておき

 卒業式で好きな人から制服の第二ボタンをもらう、という風習を聞いたことがあるのではないだろうか。
 これは、第二ボタンが心臓に近く、一番大切な人を表すと考えられるのが由来らしい。
 
 もしかしたら第五ボタンにも同じように意味がある、と思ったのだが。

「第五ボタンは、他人を表します……?」

 検索して出てきたサイトでは、第一ボタンが自分、第二ボタンが大切な人、第三ボタンが友人、第四ボタンが家族。
 そして、第五ボタンは他人、と表示されていた。
 他にも第二ボタンの予備とする説もあるらしいが、どちらにしろ、関心の外を表していることに違いはない。

「お前なんか他人だ、身の程をわきまえろよって伝えたかったのか?」

 ふむ……もし、そうだったとしたら。
 俺はうなだれて、机の上で頭を抱えた。
 いや、御津代に嫌われていたことが確定してショックとかそういうわけではないが。

 そのとき、部室のドアがガチャリと音を鳴らすのが聞こえた。

「っ!」

 俺は慌てて、伏せていた顔を上げた。
 前に言ったとおり、文芸部において出現率のツートップは俺と御津代だ。
 当たり前だが、部室の中に俺がいる状況では御津代の新規出現率が上昇し、その割合は梅雨の降水確率を上回る。

「おっ? どうした?」

 しかし、部室の入り口に立っていたのは、部長だった。
 上級生らしく着崩した服装は、見慣れている御津代のものより肌面積が広くて目にまぶしい。
 いまの部長と同じように三年になったら、御津代もスカートを何回も折ったり、リボンを取って上から二番目のボタンまで外したりするのだろうか。
 その姿を見たいような、見たくないような。

「……僕が部室に顔を出すのが、そんなに珍しいのかな?」

 申し訳なさ半分とからかい半分の表情を浮かべて、部長は俺に問いかけた。
 受験生なのだから、申し訳なく思う必要はないのだけれど。
 俺は図らずも部長のことをまじまじと見つめてしまっていたらしい。図らずも。

「いえ、すいません、なんでもないっす」

 失礼にもじろじろ見られていたことを、部長はさほど気にしていないようだった。
 部室の中をてこてこと歩いて、パイプ椅子のひとつに座る。

「まあ、部長なのにあんまり来られていなくて悪いから、ちょっとぐらい視姦されていても我慢しよう」

 訂正だ、部長は俺の視線を好ましく思っていなかったようだ。
 ただ、誤解もあるようなので、ちゃんと弁明せねばなるまい。

「部長! 確かに俺は部長の身体を見ていましたが、そこに興味があったわけではありませんっ」

 いやらしい気持ちなど微塵みじんもなかったことを主張する。

「……なるほど、二度と僕に視線を向けてくれるな」

 すると、にっこりと微笑みながら、部長が俺に告げた。
 うん、部長は冗談の通じる大人物だな、御津代とは大違いだ。

「ところで、みつはちゃんがいないのは珍しいね。ケンカでもした?」

「はうっ!」

 部長のタイムリーでクリティカルな問いが俺の喉に突き刺さったために、変な声が出てしまった。恥ずかしい。
 俺の反応をどう思ったのか、部長は小さくため息をく。

「なんだ、図星か。まあ、どうせ君が失礼なことを言って怒らせたんだろう」

 部長の言葉に対して、俺は肯定も否定もできない。
 御津代の気持ちに繋がるヒントは俺の手の中にあるが、なにぶんただのボタンなのだ。

 押し黙る俺を見て、部長は、母親みたいに優しげな微笑みを浮かべた。

「心配せずとも、君たちなら大丈夫だよ。月並みだが、ケンカするほど仲が良いという言葉を伝えておこう」

「いや、俺、あいつに嫌われてるみたいっすから」

 普段だったら素直に慰められているはずだったが、俺の心は意外にもささくれ立っていたようだ。
 部長の優しさの恩に、子どもみたいなふてくされの仇を返す。

「なるほど、困ったな……」

 言葉の通りに、部長は微笑んだまま眉尻を下げた。
 すぐに謝るべきなのに、俺の口はぎゅっとつぐまれたまま動かない。

「そうだな……僕は、みつはちゃんのことをそこまで深く知っているわけではない」

 部長の落ち着いた声が、あまり広くない部室に響いて、俺の耳に届く。

「先月の初めに、合評会があったのを覚えているかな? それが終わった後、みつはちゃんが僕のところに来た。聞くに、合評会に出された作品をコピーさせてほしいそうだ。ただ、知っているだろうが、十数人の部員すべての作品をコピーするのは骨が折れる。僕は、誰の作品をコピーしたいのか聞いたよ――」

 ここで、朗々と語っていた部長の話が途切れる。
 しばらく待っても、口を閉ざしたままだ。
 俺が続きを欲する顔をしていたのだろう、部長はクスリと笑った。

「これ以上は、プライバシー保護の観点から非公開だ。どうしても知りたかったら、みつはちゃん本人に聞くといいよ」

「部長……」

 ほとんど言っているようなものだと思ったが、確かに肝心なところは言葉にしていない。
 御津代に訴えられて裁判になったとしても、部長を罪に問うのは難しいだろう。

「ありがとうございます! 俺、御津代と話してみます」

 俺の言葉に、部長は、おばあちゃんみたいにうんうんと頷いてくれた。
 なんだ、ちゃんと部長らしいこともできるんすね。
 ただのエロいボクっ娘だと思っててすいませんっした。

「君、なにか失礼なこと考えていないか?」

 おばあちゃんだった部長の目が鋭く変化して、俺を冷ややかに見据える。

 どうやら、俺は考えていることが顔に出やすいようだ。
 部長に土下座をしながら、御津代と話すときは気をつけようと心に誓うのだった。

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