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ボタンを投げつけられた件。
嫌われているのにも慣れてきた頃だ。
しおりを挟む文芸部の部室には、クーラーが設置されていない。
部員が10人にも満たない弱小文化部にクーラーなんて代物はやれねえな、と思われているのかは定かでない。
もしかしたら、もともと物置部屋だったことが原因かもしれない。
どちらにしろ、7月も半ばに差し掛かる時期に、窓を開けているだけの室内はなかなかに耐えられるものではなくなっていた。
夏休み明けに迫る文化祭に向けて、俺は過去の部誌を読みあさっていたが、もう限界だ。どうか勘弁してほしい。
考え事をしながら文字を追うには、この部屋は暑すぎる。
読んでいたページに栞を挟んで、火照った顔を上げた。
すると、ちょうど同じように限界を迎えたのか、向かいに座っていた女の子も顔を上げていて目が合う。
頭が茹だち思考能力が溶けていたために、俺はその女の子をじっと見つめてしまった。
御津代みつは。
俺と同じ、一年の文芸部員だ。
部長も含めた他の部員が週に一、二度しか顔を出さない中で、ほとんど部室にいる稀有な存在。
まあ、そのことを知っている俺も同様に稀有なのだけれど。
御津代は、きょとんとした顔でこちらを見ていた。
白く透き通った頬は暑さによってほのかに赤らみ、いつもよりも健康的な美少女然としている。
これで長めの黒髪をポニーテールにでもしてくれていれば、俺の好みに完璧どストライクなのに。
残念ながら、今日も御津代はいつもの通りにストレートだ。
こう書くと、俺が毎日のように部室に来ているのは御津代に対して御執心だからなどと考える人もいるだろう。
それは、まあ間違いではない。
俺が暑いとわかっていても部室にいるのは、御津代がいるからだ。
しかし、そこには色恋の甘酸っぱさとは正反対の目的がある。
「なに見てんの? キモっ……」
いまの辛辣な悪口は、御津代の花弁のような唇から発せられたものだ。
見た目は芍薬やら牡丹やらに例えられてもいい御津代だが、その実、毒舌という有害な花を育てている。
しかも、誰に対しても毒を吐き回るのではなく、どうやら俺にだけらしい。
同じ部の仲間としての、ごくごく一般的な関わりしかしてこなかったはずなのだけれど。
どうして嫌われてしまったのか、本当に心当たりがない。
もしかしたら、御津代の言葉の通りに俺がキモいからなのかもしれないが、それを認めてしまうと悲しすぎる。
なにか別の――できれば俺に起因しない――理由があると願いたい。
その理由というものを知りたいがために、俺は部室に来ている。
あと、女の子にキツく当たられたからって部室に来なくなるなんてしたら負けた気がして癪だし。
そんなわけで、俺は足繁く部室に来て、こうして悪口に晒されるのだ。
いや、別に美少女に罵られて喜ぶドMというわけではないぞ?
いまの言葉も、普通に心に刺さった。
なぜ同じ部の仲間のはずなのに、見ているだけで悪態をつかれなければならないのか。
「……マジでなんなの? なんか言いたいことあるなら言えばいいじゃない」
俺が黙ったまま見ていたことで、御津代の機嫌がさらに悪くなってしまったようだ。
口をとがらせて不満そうにしながら、上目遣いに睨みつけられる。
文芸部にいるような文学少女って、俺のイメージだと物静かでおとなしい女の子だったんだけど。
目の前の御津代には、どちらの形容もまったく当てはまらない。
「いや、暑くねえのかなって思って」
もう少し睨まれていたい気もするが、これ以上の関係悪化に陥るのも困る。
俺は、できるだけ謙虚さを醸し出して発言した。
「……ああ、最悪。あんたのせいで急に暑くなってきた。暑いときに暑いって言わないのってマナーだと思っていたわ。せめてその暑苦しい顔を向けるの止めてくれない?」
ため息交じりに、御津代は心底呆れたかのような顔で悪口のマシンガンを撃ってくる。
御津代にとっては、相手が両手をあげて投降しようがしまいが関係ないらしい。
「それに、暑いならもっと離れて座ればいいでしょ? どうしてあたしの前に座るのよ」
文芸部の部室は、物置部屋だったとはいっても決して狭いわけではない。
普通の教室を半分にしたぐらいの広さはあるのではないだろうか。
そこに本棚や大机が配置してあって、俺と御津代は大机の長辺の端に向かい合って、それぞれパイプ椅子に座っている。
御津代様は、下々の者が目の前に座っているのが許せないようだ。
しかし、他にもスペースがあるのに、俺がここに座るのには理由がある。
「お前が、『二人しかいないときに離れて座っていたら仲悪いみたいで気まずいじゃない。それに、あんたなんか空気と変わんないんだから近くに座ってもいないのと同じよ』って言ったんじゃねえか」
初めて部室に二人っきりになったときに、浴びせられた言葉だった。
空気だったらどこに座ってもいいじゃねえかと思ったからよく覚えている。
似せるつもりもないのに、自然と御津代の口調に似てしまうぐらいだ。
「あたしの真似しないでくれない? キモいんですけど」
不愉快そうに言った御津代は、話は終わりとばかりに手元に視線を落とした。
どうやら、原稿用紙になにか作品を書いているようだ。
今どきアナログで創作活動しているなんてと思われるかもしれないが、この部ではアナログ派の方が多い。
なにを隠そう、俺も紙に書き込むことに愉悦を覚える人間だったりする。
一か月ぐらい前の文芸部内合評会の直前などは、御津代と向かい合わせで原稿用紙と格闘していた。
めちゃくちゃ嫌そうな顔をされて、デジタル派に鞍替えしてノートパソコンでも買おうかなと心が折れそうになったこともいい思い出だ。
俺も自分の作業にすぐ戻ればよかったのだが、無抵抗で撃たれるのもムカつくので、御津代の淀みなく動く手先をジッと見つめた。
ささやかな、本当に可愛らしいだけの報復だ。
御津代の頬と同じように白く、細い指たちがペンをぎゅっと握っている。
指の動きに合わせて、やはりすらっとした前腕と制服である半袖シャツに半分隠れた二の腕が動く。
御津代みたいに細くても、二の腕のお肉は揺れるものなんだな。
うむ、これは興味深い新たな発見だ。
「ああ、もうっ!」
机を両手でバンと叩いて、その勢いとともに御津代は立ち上がった。
二の腕の観察に集中していた俺は、急に大きな音が耳に飛び込んできて思考が停止する。
きっと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているだろう。
キッと音が聞こえてもおかしくないぐらいに、御津代は俺を睨みつけた。
小心者の鳩に向ける視線にしては、いささか恐すぎではないだろうか?
一頻り呪詛を込めてから、鋭い目線は伏せられる。
そして、御津代は机の上に広げていた原稿用紙と筆記用具を引っつかみ、スクールバッグにねじ込んでいった。
「キモい視線が気になって集中できないから今日は帰る! 死ねっ」
いままで御津代から「じゃあね」とか「またね」なんかの別れの挨拶をされたことがなかった。
だから、逝き先を気にしなければ、いまの「死ね」は初めてのバイバイということだ。
なんだか距離が近づいた気がして、自然と笑顔になってしまう。
「おう、また明日っ」
「……なんで嬉しそうなの? キモっ」
心底不愉快そうに顔をしかめてから、御津代は部室から出るために歩き出す。
そのとき、横を向いた御津代のお腹の辺り、シャツのボタンがひとつ外れているのが目に入った。
どうしてそんなところのボタンが外れるんだよ、お茶目か。
心の中でツッコミをしてしまったせいで、俺は御津代に声を掛けることができず。
お腹をパカッとさせた御津代は、そのまま出て行ってしまった。
いや、実は一瞬だけドキリとしたことも声を掛けそびれた原因だ。
俺だって、妄想逞しい男子高校生のひとり。
女の子のシャツのボタンが外れていたら、多少なりとも動揺するだろう。
それに、指摘したら指摘したで、なに見ているのキモいと言われるのが明々白々だ。
ボタンが外れているとはいっても胸とかじゃなくてお腹の辺りだし、インナーも着ているみたいだったし、たぶん言わなくても大丈夫だったと思う。
御津代がいなくなった部室の中で、俺は御津代のボタンについて悶々と思考を巡らすのだった。
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