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【第三晶~理に背きし者等の彷徨~】
50 滔々と(意味深な事を言っているがただの愚痴)
しおりを挟む結局問い掛けに対する答えは貰えなかった。
聞いておいて何なのかと思い、けれどそこでああ、と思い直した。
答えは貰っているのかと。
「眠って」
アスのそんな思考の流れが相手にも伝わっていたかの様なタイミングで、思い至った答えと共に、命じる為の声が降って来た。
そもそも寝ていたところを起こし、眠いと訴えたのに会話を続けたのはそちらだろうにと釈然としないものを思わなくもなかったが、自分の望みに添う命令なのだから否やはない。
両目を覆う様にそっと置かれた手の大きさと、その手に感じたアスよりも低い体温を意識する間ぐらいはあっただろうか。
そして、聞いた穏やかななのに情動を感じさせる事のない声に促されるまま、抵抗する気のないアスの意識はふっと落ちていった。
小さな種火を吹き掛けた息で消すかの如き呆気なさで、アスの意識は途切れる。
「······」
抗うことなく閉ざされた双方に、淡い青色がかる紫色の瞳は隠される。
繰り返されるその呼吸は、深い眠りを思わせる程に、酷く穏やかで密やかだった。
そんなアスの様子を、感情の片鱗すらも窺う事の出来ない瞳は、それでも何処か柔らかな光を湛えて見ていた。
見下ろす眼差しに、そこにあるアスの存在をただ眺め見る様にして。
その何かを見ていると言うよりも、目に映るものそのままを、まるで一つの絵画として眺め映す様子。そんな眼差しをもしフェイやルキフェルが見ていたら、きっと気付いただろう。
その全てを視ていている様で、その実何も見ていない。そう思う事すらある瞳が、時にアスが何処かへと向ける眼差しに酷く似通っている事に。
(······表情とか声は自然に取り繕える様になったぽいが、やっぱりあの感じは私といた弊害だろうな)
眠り、深く深く何処ともしれない場所へと沈んでゆく意識の片隅で、最後の意識的な思考でアスはそんな事を思うのだった。
「おかえり」
ルカ・アポストロスは再び眠りに落ちたアスへと告げる。
姉と呼んでいたが、その容姿は十代前半のまだ少女と言っても差し障りない相手。対するルカは何処か年齢不詳を思わせる雰囲気を纏っているが、二十歳はいっているであろう風貌をしている。
それでも妹でなく姉とルカは呼び、そしてアスもまた否定してはいなかった。
「魔女は理から外れた証であるかのように時を失う。流転する世界から弾かれ、孤立を纏う。けれど、貴女の“今”は、代償の所以だね」
独白に言葉を綴るルカが何を思うのか、僅かに細めた双眸は今もただアスの存在だけを見詰めていた。
「ルシア、メルクリアス、テルス、ファティマ。他の姉さん達とは違うけれど、間違いなく始まりの歌い手たる母様に望まれた乙女」
語り聞かせる様にしながらルカの手がさらさらとしたアスの髪を撫でている。繰り返し、飽きる事なく何度でも。
「そうだね、少しだけ時間があるから答え合わせ?解説?をしてあげようか。
薄情どころか情なんて持っていない貴女はもう興味なんてないと思うけど、ようは暇潰しだよ」
暇潰しに暇を潰す以外の目的なんて必要ないんだからさ、とルカは一人、誰にでもない弁明をしている。
「災禍との戦いで、貴女は魔女としての理にすら背いた。
その代償は貴方だけでなく、その場にいた者全てがその代償に組み込まれる程の何か、そして貴女はその代償にすら干渉し更に理を歪めた」
合ってますよね?と確認する様に眠るアスへと首を傾げて見せるが、当然アスからの反応はない。
「いったい何をやらかしたのか、貴女の愚かさには何時の時も畏敬の念を抱かざるを得ない。脱帽だ、本当に」
独白でしかないのに、寧ろ独白だからこそか、その声には苛立ち、そして嘲笑の響きが僅かに込められていた。
「······このままだでは貴女は役目を果たせない。だから“世界”は“水”の願いに便乗するかたちで貴方を青の地に導いた。
そのまま緑の地へ招かれていれば、再び“最果て”を目指す事も出来ただろうね」
く、と喉を鳴らし、喜悦に歪める唇の形。
実際にルカは、緑の長等と共に青の集落へ赴いていた。
既にその流れは用意されていたのだろう。
「私が次代足り得た“水”の子等を唆したんだ。先代の願いに叛く形で願いを歪めた。
ともに在りたいなら、生まれずに時を止めてしまえば良んだって。
そうすれば“水”はそこに在るけれど、世界には無いって虚偽のカタチが成立する」
結局は“夢”や初代の長まで絡んで来て、万全とは言い難いし、ままならなかったけどと、酷く詰まらなそうにルカは独り語りを続けていた。
「あ、リヴァイアサンが堕ちた事には関与してないから。
もう駄目だろうなって言うのには気付いていたけれど放置したのはそう。
あそこを維持しようと頑張るのはそれこそ長の役目、守護の代わりを“魔女”に求めるとか、あの混ざりモノは面白いヒトだったよ」
つまり先代の“水”であるガウリィルの願いを、今代となる予定のエルミスの魔女足り得る資質で歪めた。
ままならないと言うのなら、ルカの意図と完全には重ならなかったとも取れるが、その興味に欠けた語り口調や表情から、この結果をどう思っているのか推し計る事は酷く難かしいのではないだろうか。
集落と言う場所を護る為にカイヤは駄目になる守護獣リヴァイアサンの代わりを求めた。その結果はエルミスでなくても良かったんだ。と、可笑しそうに。
「混ざり行く事で純粋さを失って、変わった事で得た自由と汎用性。色彩の変化は世界の推移。
魔女と言う軛、堕ちた守護の獣、勇者になれなかった者と未だ届かない者。
これだけ条件を揃えて混ぜ込んで、ようやく貴女に届いた」
一変させた笑みの性質で淡く笑う様にルカの綻ばせた口もと。
一房、アスの青みを帯びた白銀の髪をその手の取り、そしてぐしゃりと握り込む。
思わずといった仕種に込められた、恐らくは激情とも言うべきものは一体何なのだろうか。
「私達は誰かの願いを介さなければ見える事すらも叶わない。
それが制約。そして、私達の約束でもある」
そう、約束なんだと繰り返し、そうして握り込んでいた指から力を抜けば、何事もなかったかの様に、ルカの手の中から握り込んでいた白銀の髪が溢れ落ちていった。
「約束、だから」
噛み締めるように、呟く。
見詰めた手の平には既に髪の毛は一筋も残されてはおらず、そしてそれきり口を噤んでしまうのだった。
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