月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第三晶~理に背きし者等の彷徨~】

48 囚われ

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 ーシャラー

 繊細な響きが耳朶を跳ねる。
 深い水底から掬い上げられるかのように、緩やかに浮上する感覚だろうか。
 眠りの飛沫を纏い付かせたままの茫洋とした意識がそれを音と捉え、ネックレスの様な細い金属製の鎖がぶつかり合う様な音だとかと想像が追い付く。

「······」

 促される様にしてうつつを臨もうとする意識と、惹かれるままに眠りを貪り続け様としている無意識。

 抵抗と享受。受け入れる事と抗い続ける事、どちらが自分にとっての“楽”なのかを想像する。そんな狭間を揺蕩うままに身体を僅かに身じろがせれば、シャラリと繊細だが確かな重量のある音が再びアスの意識の琴線へと触れて来た。

 アスの意識を浮上させた金属と思われる素材の奏でる響き。
 耳に聞こえる限りにそれ以外には何の音もなく、誰の存在も感じられないどころか、アス自身の呼吸の音すらも意識しなければ分からない程だった。
 酷く静かな場所にいるらしいと、それだけをアスは思う。

「······」

 時に目覚めからの現状把握能力は生死を分ける。
 魔王を目指す旅路は、終わりに近付けば近付く程にそう言い夜を超える事が増えて行った。

 いつかを思いながらも、本当は何かを思い、考える事すらも億劫で、今のアスは声を出すどころか目を開く事も嫌厭していた。
 それなのに、なのだ、一度浮上を始めた意識は否が応でも情報を拾って行くのだ。

 熱くもなく寒くもない温度調整の何処か、風の通りや空気の動きもない事から、やはり周囲に自分以外の生き物の存在はなく、そして洞窟等よりもなお気密性の高い室内の様なところで、けれど閉塞感は感じない為に、それなりの広さはあるのだろうと予想する。

 そこで意識を向ける、自身の身を包むコットンのゆったりとした柔らかさと、仰向けの体勢の背中や、どうやら素足らしい皮膚に感じている滑らかさ。

「······っ」

 少しだけ強く吐き出した呼気は、アスの脆弱な気合のそれでもと言った発露だった。
 その気合の全てを注入して打った寝返りで、どうにか言う様にアスは自身の体勢を俯せの体勢へと動かす。
 
 ーシャラシャラシャラー

「ーーー、······」

 自分を労う様に長く吐く息。
 そして、開く事への拒否を訴える目蓋への心からの同調をどうにか断ち切り、アスは視覚情報の取得を始めるのだった。
 と言っても俯せになってしまった事でアスの視界に入るものは、より制限されてしまっている。
 自分が寝かされている場所の素材そのままの姿と、散らばる無秩序ながらも、一定の流れを描き広がっている青みを帯びた白銀色。
 滑らかでさらさらとした感触の艶消しされた布地の白色のシーツと、乱れたアス自身の髪の毛、それが全てだった。

 焦点の合っていないぼんやりとした目で、ただ眺め視界へと入るのままに。

 おもむろに背中を丸め行き、両の腕と膝を身体の中心へと引き寄せる様に、そうして酷く緩慢な動作でアスは上体を起こす。

 ーシャラリー

 顔へとかかる髪は、頭を持ち上げた事でレースのカーテンか簾の様に視界を制限している。
 真上を見る様にして背後へと深く首を反らし、その動作だけで不規則に落ちていた髪の毛を背中側へと流す。

「······っ」

 動き自体はそれ程でもなかった筈が、頭を動かすその動作だけで軽い目眩を覚えた。
 反らした時の倍以上の時間をかけて首を元に戻し行く。
 息を詰め、そのまま深く俯く様にしたアスは、ひたすらに目眩をやり過ごしていた。

 首を戻すまでの短い時間で捉えていた天井の結霜模様。
 蒼穹を思わせる青地に霜が描く華の様な繊細で精緻な図案。
 そうしてその結霜模様が、花ではなく蔦の様に広がる四方の光景にアスは気付いた。

 天井とは違い、白一色のそれは天蓋なのだろう。
 アスが寢かされていたのはアスが五人寝ても余裕のあるシーツの海。
 その場所を覆いながらも、外からの光を柔らかく透過させる麗糸レースの天蓋。
 程よく沈む身体に、さらさらと滑らかなのにしっとりと肌へ吸い付く様なシーツ。
 精緻な彫刻レリーフの天井と、繊細な天蓋。つまり自分はとても高価で上質なベッドに寝かされているのだとアスは理解した。

 ーシャラリ、シャラー
「············」

 繊細な金属の音は、自分の身動きに伴い生じている事にアスは気が付いていた。
 そして、素足である左足の足首と急所である首に、気にならない程の、それでも確かにあると分かる感触がある事にも。

(······魔力に対する干渉の一切が断たれている訳か)

 鈍い思考の中でも伸ばす手でまず触れたのは足首にあるそれ。
 痛みはなく、けれど、皮膚との間に髪の毛一本が入る程の隙間もなく、それはそこにある。

 陶器の様な滑らかさの表面に金属にも似た鈍い光沢が宿る。意識してみれば冷たくないどころか、ほんのりと温かみを感じた。
 アンクレットの様に考えられなくもない代物のそれ自体に彫りの様な装飾はないが、濡れて揺らめいている様にも見える不思議な淡い青緑色は綺麗だった。
 どうやって取り付けられたものなのか、その装飾とアスの左足の皮膚との間にはやはり大した隙間がないのに、その装飾自体にも継ぎ目が見当たらない。
 そしてなにより······

ーシャラ、シャラー

 シーツを掻く様に動かしてみる足の動きに呼応してアスの左足の装飾とベッドの天蓋を支える四隅の柱の一本とを繋ぐ鎖が鳴っている。
 白金を紡ぎ、一本の糸へと縒り合わせて、そうして更に鎖を編み上げる様に。

 そう“鎖”だった。
 小指一本分程の太さもない、けれど、紛れもない鎖がアスの左足に装着されたリングとベッドの柱を繋いでいるのだ。

 何処にもいかない様にとの意図にかアスを繋いだ鎖。
 それ以上にとアスは首のへと触れていた。
 金属とも陶器とも違う、恐らくは足につけられていたものと同じものだろう感触。

 自分が状態である事とその原因。
 自分の中だけで廻っているアス自身のマナパーティクル魔素粒子の流れは分かる。けれど、それだけでしかないと言う現状。

 廻ってはいるが自分の意志でそれを動かす事は出来ず、それ以上に自分以外を感じる事の出来ない現状。

(魔法も魔術も無理だな······)

 自覚し、現状への認識と理解が及んだ時、不意にアスの顔から笑みが溢れた。

 口角が僅かに上がるだけの微か過ぎる反応だったが、誰よりもアス自身がそうだと知っている。

(繋がれた足と、制限された魔力、なら、しょうがないだろう)

 事実だが、する言い訳はほぼ全て自分自身の為に。

(逃げられないし、動けない、だからしょうがない、うん)

 一つ頷き、そうしてアスはおもむろに再び横たえた身体に目を閉じるのだった。

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