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【第三晶~理に背きし者等の彷徨~】
40 嘶き
しおりを挟むーヒィ、ィ、アァァーー
洞窟を抜ける風の音に酷似した、鋭くも掠れた高い響きをアスは思った。
横笛の音、或いは女性の悲鳴に聞こえなくもない。そんな響きだろうか。
そしてこの子はほぼ間違いなく、誰かの悲鳴としてその音を受け取ったのだろう。
それも悲しみと苦しみに苛まれ、錯乱した苦悶の如き声として。
気が付けば抱く者と抱かれる者が入れ替わっていた。
消えた、アスを守る様にまとわりついていた水流の柔らかさに気付き、ゆっくりと目を開く。
視界に入る、青銀の冷たい色合いとは対照的な柔らかな髪質。
アスが自身の腕の中で震える、その髪質の持ち主である少女の存在を見下ろせば、しがみ付くと言う言葉が相応しく、幼さを残す柔らかな指が、アスの来ているチュニックの胸もとを皺になる程強く握り込んでいた。
指先が白くなる程の力の込め具合に苦笑し、宥める様に縋る手の甲をとんとんと二回ほど軽くノックすれば、それだけで少女の肩が跳ねる。
続ける動きで、そのままほぼ力を込める事なく擦る様に少女の手の甲を撫でる事しばし、徐々に震えは弱まって行き、そして止まった。
「落ち着いたなら離れろ。それと、かなり幼くなっているから適当に調整した方が良いぞ」
頃合いを思いアスは声をかける。
そして少女から目を逸し、上げる顔で見る正面に広がる闇の一点に目を細めた。
烟る様に濃淡を変える闇の揺らぎ。
何時からそこにいたのか、闇から浮かび上がるかの如くその上半身の体躯をアスの視界へと露わにした生き物の存在。
「悪夢かと思ったが、そうか、私はそもそもが引き摺りこまれていた訳か、なぁ水棲馬?」
ー······水妖馬でないの?ー
「川辺りならそうだろうが湖だからな」
アスが思い浮かべるのは青の集落がある湖。
今もそこにいるかの確信はないが、まぁ些事だろうと、それ以上は触れない事にした。
恐る恐ると言う様にアス胸もとから顔を上げる、いといけない様子。
年の頃、五歳程の少女は、幼いながらもリディアルだと分かる容貌でアスが見ているものを同じ様に見詰めて首を傾げて問いかけてきている。
その目もとに光が溜まっている事に気付くアスは、何気ない様子のままで会話を続けながらも、自らの親指でリディアルの目もとに溜まった雫を拭って行った。
「かりにも最高位に等しい聖職者である聖女だった存在が、馬の嘶きに泣く程怯えるとかどうなんだ?」
「泣いてな、くない、けど、でも、馬だなんて思えなかった!」
泣いてないと言いかけていたのを、アスは光の名残が残る指先を見せる事で黙らせるが、一瞬だけ詰まらせた言葉にもリディアルの興奮状態は収まらないらしい。
「聖女でも魔女だって、怖いものは怖いの!」
ついにはそんな事を叫ぶように断言する始末である。
まぁ真理だとは思うが。
教会で教皇に並ぶ最高位の聖者。
それが聖女であり、穢を払い、闇を退け、災いの満ちる混迷の時代においては勇者と並び希望の象徴にすら成り得る存在である。
そんな聖女と言う役目を担っていようとも、その事と恐怖を感じる心と言うものは大概にして別物なのだ。
同時に、時に魔王と同等に災いを呼ぶ者として忌避される魔女と言う存在であろうと、やはり怖いものは存在している。
寧ろ魔女だからこそ、より強い具体性を以て恐れの対象は在り続ける。だからこその“執着”とも言えるのだ。
「まぁ、外面を取り繕わなければいけない様な場面でもなければ、そんな相手もいないしな」
「そう!不死者に分類される明確な魔物ならまだしも、お化けとかの、そもそも得体が知れないものは対処方法が分からないし、幽霊は、そうなる想いこそが怖いの」
淡々としているが、少しだけ早口気味の様子にアスはリディアルの必死さを見ていた。
先程聞いた、目の前に佇む黒い馬の嘶きをリディアルは自分が恐れるものの悲鳴として聞いた事を認めている。
その結果として、半泣きでアスへと縋りついているのだと。
「未知への恐怖と、知っているが故の恐れか?」
「知っているの、還らぬ死者に、憐れみよりも恐れを感じる、その心がイヤ」
嫌だと言う明確な拒絶を向けられ、たじろぐ様に、水棲馬とアスが断じた黒い馬を縁取る靄の様な輪郭が揺れる。
リディアルのキッとそんな音が聞こえそうな程の鋭い眼差しは一瞬で、幼いままの容貌が今、角持つ黒馬の光のない瞳へと向ける眼差しはただただ冷たい。
「人は分からないものを恐れるとともに、それを理解しようともする
自分の知識や経験に基づいて想像する」
アスは取り留めもなく恐怖と言う感情を考える。
未知への恐れ、未知を既知へと変えて安心を得る克服の手段。
けれどその想像力が故に、かえってより恐怖を増長させる事もある。
だがリディアルの恐怖はまたそれとはもう少し事情が異なっていると、アスは腕の中の少女の容貌へと視線を落としていた。
「器であった身体が死を迎えた魂は世界へと還る。それが理だからよ」
「でもそれは全てではないな」
「うん、強過ぎる想いは還る為の標を隠し、道行を閉ざすの。
そうして、還ることができない魂は、身体を失った不安定さが故に、同じく形をもたない想いへと影響されてしまう
あなたの嘶きは、そんな魂らの嘆きと同じ響きなの」
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