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【第三晶~理に背きし者等の彷徨~】
5 妥協
しおりを挟む「正気ですかと聞かれれば、そうですとだけ」
「では、貴方はこの子を廃人にでもしたいのですか?」
淡々と尋ねるカイヤの視線は、怜悧さを帯びひたりとフェイへと固定されている。
けれど応じるフェイは事もなさげに肯定を伝えるのみだった。
気が気ではないとそう反応をしかけたのは寧ろルキフェルであり、それでも見遣るフェイの方に何も言う事がなかったのは、話の腰を折るべきではないと考え、まだ自制がきいているからと言えるのだろう。
そして、やり取りに口を挟む、つまりは空気を変える事がなかったが為に、聞くことになる。
「出来る限りの手は講じておきたい」
「それは・・・」
呟く様な言葉だったが、聞こえない程ではなく、その意味をどう取ったのか、カイヤは薄く開く唇へと何かを言いかけるも、続く言葉を発する事はなかった。
そしてルキフェルもまたこの時、漠然としてあった一抹の不安が明確な存在として形を得ようとしているのを感じていた。
フェイがどう言った人物か未だちゃんと分かっているとは言い難いルキフェルだったが、それでも、これまでのやり取りから、その性格が周到であり、そして先の先を考え、数多の可能性を考慮し続けている、所謂、思考を止める事がないタイプなのだと窺い知る事が出来ていた。
そのフェイが出来る限りの手をと言うのだ。
普段からそうしているフェイは、周りが気付いていないだけで、実際に色々な根回しをして各所に手を回していたりと、行動に余念がない。けれど、それはとても然り気無い、些細と言っても良い様な動きでしかない事の方が多く、だからこそ、ここで自らの動きを名言し様とした事にカイヤは困惑し、同時に警戒心を抱いた。
そこまでの事を知らないルキフェルにもまた感じられる、“何か”、その何かを理解出来ていない現状にこそルキフェルは不安を感じて戸惑っていたのだ。
それはかつての旅路による経験がもたらしているものだと、今の欠けているルキフェルには理解できずとも、それでも、そんな自らの感覚をルキフェルは正しく受け入れる。
それが出来るのもまたルキフェルが、今までに見たり聞いたりして来たものが故とも言えるのだった。
鋭敏な感性がありながらも、凪いだ意識で自身の行動を考えて制御出来る。
動くべき時に、致命的に間違う事がないようにと、ルキフェルは自分の知る見過ごしてはいけない不安を意識しながらも、口を開く事なくただフェイとカイヤのやり取りを見守っていた。
「杞憂ならそれで良い、そう思っています」
「貴方が言うなら、心配のし過ぎと言うのは違いますね・・・貴方はそれ程の事態だと考えているのですね?」
「これ以上調律者を失う訳にはいかない」
僅かに見張る双眸。フェイから伝え聞いた言葉に、碧と藍色が混ざって見える瞳の色合いが揺れる。
確認するかの様にカイヤの見下ろすアスの存在。
見詰める冷静な眼差しとは異なり、その表情は酷く悩まし気だった。
「助力をと、形振りかまわず頭を下げるべきなのは分かっていますが、藍晶の魔女が応じられる状態ではないのも理解しています」
「・・・本当に、ままならない」
溜め息を吐くその間の僅かばかりの沈黙。
そうして呟く言葉に、カイヤは目を伏せ目がちにして緩く首を振った。
「第一層にすら触れられなかったのでは?」
そうして見遣るフェイの双方に、カイヤは自身の意識を切り替える為にか問いかける。
「眠る意識の表層辺りですかね、弾かれました」
「でしょうね」
然もありなんと言う反応だった。
「第一層まで、それで捕捉出来ないなら諦めて下さい」
「・・・善処します」
どう言う理由でか、答える迄に僅かばかりの間があり、けれど見るフェイの顔には隙のない微笑みだけが存在していて、その笑みを確認したカイヤの表情にも微笑みがあって、なのに額に浮かぶ青筋をルキフェルは見てしまっていた。
そして、すっと逸らす視線にルキフェルはその全てを見なかった事にした。
その流れでルキフェルが見るアスの様子。
見詰めて、歪んでしまう表情を意識する。泣きたいのか怒りたいのか、自分自身でも判断のつけられない感情に、それでも翻弄される事なくただ堪える。
確かに自分のそばにいて、ちゃんと触れられもする。なのにこう言う事ではないのだと、そう叫びたくなる言葉を無意識に握り締めてしまう拳に今はまだ押さえ付けていた。
「“兆し”には触れたのですね?」
問うカイヤの言葉へとルキフェルは会話へと意識を戻す。
「そもそも、潜る為の道筋を探る為でしたので」
「そう、外的な呼び掛けに応じない、または応じられない状態のこの方の目覚めを促したいのなら、もう、こちらから出向くしかありません」
「分かっています。降りられはすると思いますが、その間の私は完全な無防備になります」
「入り江への立ち入りの許可を出します。貴方とこの方、それと彼もですか?」
「彼には先にお使いを頼みますが、それでお願いします」
「分かりました」
急に纏まり行く話しにフェイは立ち上がり、カイヤも続く。
「シャゲ、この子を青の洞へ、入り江を開きます。アズリテとラズリテにも通達をお願いします」
ふっと自然に、けれど、突如として室内へと生まれた気配にルキフェルは一瞬身を強張らせ、アスを守ろうとその身体は動く。
「そう警戒していただかなくても大丈夫ですわ」
部屋のドアが開かれた気配は一切なく、にも関わらず、艶めく微笑みを浮かべて告げて来る老女は、確かにアスの眠るベッドの傍らで佇んでいた。
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