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【第三晶~理に背きし者等の彷徨~】
2 発端はどこにあったのか
しおりを挟む「どういうことですか」
掠れた硬い声音に問う声が室内に響く。
声を発したルキフェルの深い青色の目にあるのは焦りと苛立ちだったが、今その表情にあるのは縋る様な懇願にも似た必死さだった。
「先程も言いましたが身体の方の回復に問題はありません」
「ならなぜアスは目を覚まさないのですか?」
常として浮かべられている、ここ青の集落の長であるカイヤの淡い微笑みにも、告げたその声には何処か精彩さに欠けていて、その答えに問いを重ねるルキフェルは歪める表情に、溢れそうになるものをどうにか堪えていると言った様子だった。
「ただ眠っているだけとしか・・・」
それはここ数日、ルキフェルが既に何度も聞いた言葉でしかなかった。
ルキフェルの現状の余裕のなさ、そしてカイヤの笑みを陰らせている原因。
その理由が、締め括られるカイヤの、やはり変わる事のない言葉に集約される。
「現状ですと、私の方ではこれ以上はどうにもできません」
告げられる言葉を覚悟していて、けれどそのやるせなさに、ルキフェルは強く目を閉じ、一つ置く呼吸にどうにか溢れそうになる全てを押さえ込む。
「フェイさん」
部屋にいる最後の一人をルキフェルは呼ぶ。それもまたここ数日繰り返されている流れの一つだった。
ベッドに寝かされたアスの閉ざされた瞼。
酷く弱いまま落ち着いている呼吸に、よくよく見れば白い薄手のブランケットをかけられた胸もとがごくごく僅かに上下している事が確認出来る。
ルキフェルに呼ばれたフェイは、アスの眠るベッドの左側、窓を背にした状態でそこにある椅子に座り、ブランケットの下から引き出したアスの手を両手で包み込む様にして握ったまま、半分ほど伏せた目蓋の状態に、何処とも知れない場所を見詰める眼差しでアスの顔を見詰めていた。
フェイはアスから移す視線にルキフェルの姿を認め、そうして首を左右に振る。その流れをもう何日繰り返した事だろう。
あの日、ここ青の集落で、今代の勇者パーティを迎え、退け、そうして澱みの龍との戦いになった。
ここ青の集落は、そもそもが、澱みを集めやすい地形の上に在る。
風が種を運ぶ様に、水が土を輸する様に、新たな地で土は土台となり、運ばれた種は芽吹く。そうして命は育まれ、栄えて、何時か潰える。
潰えると言っても、それは終わりの一つでしかなく、それはまた何かの始まりだったり、礎となっていたりもする。
世界は巡っている。あらゆるものは繋がっていて、故に廻り、還る。
けれど、時にその循環から外れてしまうものがある。
廻りに戻る事も出来ず、何にもなれず何処にも行けなくなってしまったもの。
そういったものは、そのまま滞り、澱み、濁りとなって、世界そのものを侵食して行く。
蝕まれた世界の欠片、澱みに侵された事象の結果、その一端こそが、今回出現した澱みの龍だった。
形を得た澱みは、ただ滞るままそこに在り続けるだけでなく、世界を喰らう様になる。
それを止める為の戦いの結果、澱みは形を成せない程に砕かれ、そして、アスは目覚めなくなった。
戦いの最後に澱みへと沈んだルキフェルですら、戦いの二日後には目を覚ましていた。
それから更に、十日が経っている。
負っていた怪我の治療や、魔法の限界を越えた使用による心身への負担。それも、一週間にも及ぶ青の集落の長、直々の集中的な治療によって、アスは何時目を覚ましてもおかしくないと言う段階にまで回復させられていた。
何時目を覚ましてもおかしくない。そう聞かされてから、目覚める事のないままののアスの状態は五日目に入っている。
誰が呼び掛けようとも答える事のない、どうにも出来ないと言う事を確認するだけになりつつある現状の時間。
今日も首を横に振ると言うフェイの仕種からルキフェルは失望感に捕らわれかけ、けれど、首を横に振る、その仕種の途中で不意にフェイの動きが静止した事で、ルキフェルは怪訝そうにフェイを見ていた。
まるで、首を傾げているかの様にフェイはその動きを止め、そうして・・・
「・・・浅い眠り、“ ”の領域・・・・・・っ」
息を呑み、呼吸を詰まらせる。
呟きは譫言の様に、半眼で何事かと口を動かしていたフェイが、見開く双眸に呻いた。
ーバチンッー
生じた凄まじい静電気に空気が爆ぜたかの様な錯覚。
弾かれたフェイの手に、勢い余ったフェイの長身が椅子ごと後ろへと倒れかけるのを、ルキフェルは咄嗟にベッドの反対側から伸ばし掴む手に引き留める事に成功する。
その最中に、支えるもののなかった椅子が、一際大きな音を立てて倒れるが、ルキフェルの手は間違いなく、細く長いしなやかな手の指を握っていた。
(鳥?)
触れた瞬間に、ルキフェルの見ていた光景に白い翼が重なって見え、ルキフェルは内心でそんな事を呟いていた。
「大丈夫ですか?」
「・・・・・・」
回り込み、倒れた椅子を戻しながら、カイヤは確認の言葉をフェイへと投げ掛ける。
そうして、ルキフェルの手から自然な動作で、フェイの手を回収して行き、カイヤはそのまま戻した椅子へとフェイを促し座らせていた。
「無茶をしたようですね。そもそも貴方には夢へと渡る力などなかった筈ですが?」
「・・・・・・」
顔にあるのは微笑みで、なのに、そう告げるカイヤの声音には、どんな誤魔化しをも許さないとそう感じさせる、そんな硬質的な響きがあった。
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