月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

78 それでも結ぶ

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「監視・・・?」

 戸惑うルキフェルの声をアスは聞いたが、その予想外と言った、どうしたら良いか分からないと言うそんな反応に構う猶予はなかった。

ーユウ、シャ?黒ノー
「・・・っ、そ、な、ちがう」

 ルキフェルの動揺する声に重なる、声とも言い難い細やかな鳴動に揺れる空気。
 認識すらもし辛く、それでもアスにはそれが確かな意味を持って耳に入って来ていた。

ー~ッッァー

 揺らめく輪郭に頭部をもたげ、退化しているかの様に目のない顔が、それでも見詰める先に、確かにていた。
 刹那、この広大な空へと挑み、或いは何かを知らしめんとするかの様に、声なき咆哮が響き渡る。

 体躯から吹き出す黒い霧が、頭上からの日の光すらも瞬く間に奪い去る。
 陰った視界の中で体表に纏う澱みは蠢動し、その強大な体躯からぼたぼたと剥がれ落ちる、それぞれが一抱え程もある闇の塊。
 粘性のあるゲル状のそれは、ぼちゃん、ばちゃんと飛沫を上げ、水面を覆う澱みと混ざりあい、各々が勢力圏を広げ、互いに絡み合い貪り合う。
 そんな構図の悍ましさに息を呑んだのは誰だったのか。

「ルキフェル、剣を」

 このあまりの光景へと、厳しく眇めた双眸にも絶句していたルキフェルへ、アスは変わらぬ声音で短くもはっきりとそう告げた。

「剣・・・」

 虚を突かれたかの様に、けれど意味を何処かで理解しているのか、落とす視線にルキフェルは自らの手にする長剣を見た。

「互いが望みの為に願われし約束のことば
「アス?」
「騎士は己が剣に誓いを立てる。お前は騎士ではないが、聖女へと誓約を立て、結びは為されている筈だ」

 説明している暇などない。けれど、それが必要な手順だと言うのなら、アスは言葉を重ねる。
 幸いにも時間稼ぎを担ってくれる存在がいた。
 目を向ける事はないが、荒ぶる風と熱を奪い凍み入る空気の動きを、周囲で感じ続けているのだから。

「勇者の剣は誓約の鍵であり象徴。聖女による祭祀は仲立であって、勇者足り得る者の意志でことわりへと誓約を結ぶ、・・・世界ことわりとの契約なんだ」

 恐らくはアスの言葉の殆どをルキフェルは理解していない。アスの言葉はそれだけ抽象的で、端的だとアス自身にも分かっていた。

 けれど、ルキフェルはこれではないのだと直感する。
 見る自分が今手にしている長剣を、それが自身が持つべき剣ではないのだと、その感覚を新たにした様子で鞘へと納める。
 本当はずっと感じて来ていたのだろう、今の今まで戦いの場を共にして来ていたが、そもそもが、あの長剣はアスが使えば良いと渡したもので、その時にアスもまた、これはルキフェルの為の剣ではないと告げていたのだ。

 持ち変えるのは腰のソードベルトへと佩いた黒い鞘の長剣。
 ルキフェルの時を超える様な眠りの間もそこに在り続けた、今は鞘から抜く事の出来ない剣。
 けれど、アスをミハエルの凶刃から守ったあの時、そんな咄嗟の判断でルキフェルが手にしていたのは間違いなくこちらだった。

ー光を紬いだ糸を手に 砕けし約束の欠片を繋ぐー

 抑揚を欠いたアスの声音が詠う様に節をつけて響きを綴る。

 伏せ目がちに見詰め、アスは持ち変えたルキフェルの手にする黒鋼色の鞘へと、右手の指先だけで触れた。

ー儚き願いが潰えぬように 在るべき象形かたちほどいて結ぶー
ー織り上げ 広げた闇の布地に刺すは 悠焉のことば

 触れるか触れないかの触り方で指先を滑らせる様に動かして行く。
 金属の光沢を持ちながら、磨き上げた獣骨や牙といった素材の様に滑らかで、鞣した皮の暖かみを感じる不思議な素材の感触を心地好く思い、アスは僅かに表情を弛めた。
 
 凪いだ自身の精神の状態をアスは感じていた。
 ルキフェルとの二度目の再開から、何処か心内はざわめき、それは魔法の行使にも影響していたのだと今なら分かった。
 ルキフェルの意図はどうであれ、そばにいると紡がれた約束と、それを受け入れた自身に、今のアスは酷く身体が軽くなっているのを感じていた。
 身体はとうに限界を迎えていて、なのに大丈夫なのだと分かる。

(本当に、どうしようもないな、私は)

 喜んでいるのだと、自らの持つその感情の動きを理解して、単純だがあまりにも強いその想いに、伏せ目がちのままにも、アスの瞳は強く輝いていた。
 その喜色の色に気付かれたのか、見張る双方にルキフェルがアスを凝視する。

「俺が、手を貸すから、アスはなにも諦めなくて良い・・・だから、選んで」

 目が合い、いっそ火傷しそうな程に熱を孕んだ深い青色の瞳がアスを絡め取る。
 眺める様に、凪いだ夕暮れ時へと向かう薄紫の瞳で見返して、そうしてアスは自身への敗北を認めた。
 鞘から、その長剣の柄を握るルキフェルの右手、そして心の臓がある胸を指し示す。

ー私はる 欠片に懐かれし想いの丈をー

(願え)

 詠を綴る口の形。投げ掛ける視線に心の中で言葉を向ける。

「アスがそばにいて、俺を必要だって言ってくれる限り、俺はそばにいる・・・いさせて、俺を、貴方のそばに」
こいねがう 貴方への想いとともにー

 ルキフェルの願いと共に、アスは詠を結ぶ。

「“アイン”を冠するお前、お前と共に歩む者が、お前の目覚めを待っている・・・いい加減、不貞腐れてないで起きてやれ」

 下ろす手で、アスはトンと軽く鞘を叩いた。

「アイン?」
「そう、補助はしてやる、け」

 叩いた鞘と同じ様にルキフェルの胸を押してやり、衝撃があった訳でもないだろうに、それでも半歩程を退いた足に、ルキフェルは足場を踏み外した。
 けれど、身体がそのまま傾ぐ事はなく、軽く蹴る足場の氷に、ルキフェルは次の足場へと向けて跳ぶ。

 跳んで跳んで、そうして跳ねる様に移動を繰り返したルキフェルは、三回目の跳躍の最中に、鞘を払い、刀身を抜き放った。
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