130 / 214
【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】
72 澱みが為す象
しおりを挟む「・・・けほっ・・・」
咳き込み、吐き出してしまう事で、苦しいながらも呼吸を確保しようとする。
誤魔化しきれない、致命的な不具合の結果がそこにはあった。
「アス!?」
「いい、前」
端的に告げる、その刺激だけでアスは湿った咳を繰り返す。
右足一本を軸に、全身を使って捻り、回転し大きく横凪にする動作、良くあの体勢からこちらへのフォローに繋げられるなと感心する。
「アス大丈夫ですか?」
「銀礫の魔女、貴女身体が・・・」
珍しく焦燥に駆られたフェイの声に、カイヤの苦虫を噛み潰したかのような反応。距離はあったが、あちらにも気付かれたらしかった。
「問題ない訳じゃないが、ちゃんと戦える」
聞こえるかは分からないがアスは向ける視線に唇を動かした。
「冗談じゃない!あとはこっちでやる、アスは休んで!」
こちらは確実に聞こえていたらしいルキフェルが、繰り返す斬撃の中、アスへと強く言い放った。
「冗談は、そちらだろう・・・お前も、もう、限界だ」
一言一言を区切る様にしてアスは言い返す。
気付かれないとでも思っていたのか、ルキフェルの見張る双眸に、その顔が悔しげに歪んだ。
目に見えて呼吸が上がっていたり、明確な一撃を貰う訳ではない。それでも、明らかに鈍くなりつつある反応と、切り捨てて動いている小さな影響に、確実に動けなくなっているのだとアスには分かった。
ルキフェルは勇者としての矜持か、本当に駄目になるその瞬間まで、仲間にすら不調を悟らせない戦い方をする事がある。
確かに集団戦の中で、戦いの要となる勇者が疲れを見せたり、ダメージを窺わせる動きをすれば、一気に動揺は広がり、士気は落ちる。
けれど、仲間内だけの戦いでもそれをやられたなら、色々と問題があった。
思い出す、大きな怪我から来る高熱に意識を失った勇者とそれを介抱する聖女の必死な形相。剣聖殿が握りしめた拳からは血が滴り、余計な傷で手間を増やさないで下さいと、冷静そうに指摘した侍従殿も、その表情には苦いものがあった。
その戦いは、小さな街一つを守って凶暴化した魔獣の集団を迎え撃つと言うものだった。
発見が遅れ、国からの援軍は間に合わず、住民の結界内への避難すらも終わるかどうか、分が悪いと逃げ出す駐在の戦力に、勇者パーティだけで挑む事になったのだ。
戦いの最後は誰もが満身創痍と言った有り様だったが、結果として街の防衛には成功し、その後の復興作業に入る前段階の片付けすらも勇者は手伝っていた。
そしてその最中に勇者が倒れたのだ。
ーちょっと、もう無理かもー
パーティだけになった、防衛戦から一昼夜が経ったその日の夜の事だった。そんな軽い物言いで言うものだから、直ぐに意味を理解出来たものはおらず、そして、理解されないままに傍らにいた剣聖殿の肩へと凭れ掛かるとずるずると身体は傾いで行く。
咄嗟に剣聖殿が勇者を支えていたが、既に自分で自分を支えていられない状態なのは明らかだった。
皆が皆、満身創痍の中で、勇者だけが無事等有り得なかったのだ。そう思い知る瞬間だった。
あの戦いで勇者は一度パーティ内での信頼を失墜させた訳なのだが、回復した後も必要最低限しか口を聞いてくれない聖女と、侍従殿の蔑みの視線、極めつけは剣聖殿の復帰確認と言う名の、降参も逃走も許されない死闘だった。
因みにアスは基本的に傍観へと徹し、治癒後の勇者への対応としては、長いものには巻かれろを実践すると、知らぬ存ぜぬを貫いた。
ー・・・、ー
恥も外聞も捨てて謝り倒す勇者の姿を幻視しながらも、アスは勇者ではないルキフェルの周囲を焼き払う。
「アス!」
「・・・はは」
口の端を滴る不快な感触を乱暴な仕種で拭う。
手の甲へと付着した赤い色彩が、霞み明滅する視界の中でも鮮烈な色合いを見せ、拭っても、あまり意味はなかったなと、溢れた笑いに口の中には新たな血の味が広がっていた。
速い鼓動、暑いと言うよりも熱い。そう感じているのに酷く冷たい指先。
それでもアスは笑う。何の問題もないと言う様に。
「大丈夫だ、これくらい後でどうにでも治せる。だから、私が戦うんだ」
「何を言ってるっ!」
「お前がこれ以上、戦う必要はない」
これ以上、ここで自分に付き合う必要はないのだと、アスは言外に告げる。
動きがあった。
広がるだけ広がった筈の闇が、今度は逆に水面を這い、一点に寄り集まる様にして蠢いている。
染まった水の冥い色合いはそのまま、その一点へと向けて、急速に色合いをより深く、より暗く、澱みを増して、何らかの姿を形作ろうとしている様に見えた。
「そんなに傷付いて苦しんでるのに、アス!」
呼ばれた名前に何故分からない、と責められている様な気がして、アスは不思議そうに首を傾げた。
「・・・っ」
堪えきれなかった咳に、溢れる血塊。
(駄目だ)
思い、霞む視界に遠退きかける意識を、どうにか繋ぎ止める。
気を抜けば意識を失う。分かっているだけにルキフェルの発言から強引に思考を逸らした。
(意味を考えている場合じゃない。今はこれをどうにかする事だけを考えないと)
「俺が戦うから!退いて!」
(やはり、こうなったか)
滞留する澱み。流れは細波立ち、重力を無視して空へと向けて引き伸ばされる。
その胴回りは太く、大人が三人程水平に手を伸ばし繋ぎあって、ようやく回りを囲めるかどうかと言ったぐらいか。
水面を覆う闇と半ば同化する様にして、生えた胴には小さな翼とも鰭ともつかないものが広げられ、見上げる様にして仰ぎ見た場所には、鰐にも蛇にも見える頭が、大きく口を開いてそこにあった。
「アイツの姿を真似たか」
上から押し潰さんとするばかりに、開かれた口は呟くアスへと肉薄する。
(核となる形を取ったなら、後はこれを砕いて、焼き払えば)
目のない頭部、間近に迫る顎。
その口腔内には無数の牙が連なり、そしてその更に奥には、虚無と言う言葉を想起させる闇があった。
「アス!」
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。


隠された第四皇女
山田ランチ
ファンタジー
ギルベアト帝国。
帝国では忌み嫌われる魔女達が集う娼館で働くウィノラは、魔女の中でも稀有な癒やしの力を持っていた。ある時、皇宮から内密に呼び出しがかかり、赴いた先に居たのは三度目の出産で今にも命尽きそうな第二側妃のリナだった。しかし癒やしの力を使って助けたリナからは何故か拒絶されてしまう。逃げるように皇宮を出る途中、ライナーという貴族男性に助けてもらう。それから3年後、とある命令を受けてウィノラは再び皇宮に赴く事になる。
皇帝の命令で魔女を捕らえる動きが活発になっていく中、エミル王国との戦争が勃発。そしてウィノラが娼館に隠された秘密が明らかとなっていく。
ヒュー娼館の人々
ウィノラ(娼館で育った第四皇女)
アデリータ(女将、ウィノラの育ての親)
マイノ(アデリータの弟で護衛長)
ディアンヌ、ロラ(娼婦)
デルマ、イリーゼ(高級娼婦)
皇宮の人々
ライナー・フックス(公爵家嫡男)
バラード・クラウゼ(伯爵、ライナーの友人、デルマの恋人)
ルシャード・ツーファール(ギルベアト皇帝)
ガリオン・ツーファール(第一皇子、アイテル軍団の第一師団団長)
リーヴィス・ツーファール(第三皇子、騎士団所属)
オーティス・ツーファール(第四皇子、幻の皇女の弟)
エデル・ツーファール(第五皇子、幻の皇女の弟)
セリア・エミル(第二皇女、現エミル王国王妃)
ローデリカ・ツーファール(第三皇女、ガリオンの妹、死亡)
幻の皇女(第四皇女、死産?)
アナイス・ツーファール(第五皇女、ライナーの婚約者候補)
ロタリオ(ライナーの従者)
ウィリアム(伯爵家三男、アイテル軍団の第一師団副団長)
レナード・ハーン(子爵令息)
リナ(第二側妃、幻の皇女の母。魔女)
ローザ(リナの侍女、魔女)
※フェッチ
力ある魔女の力が具現化したもの。その形は様々で魔女の性格や能力によって変化する。生き物のように視えていても力が形を成したもの。魔女が死亡、もしくは能力を失った時点で消滅する。
ある程度の力がある者達にしかフェッチは視えず、それ以外では気配や感覚でのみ感じる者もいる。

とある元令嬢の選択
こうじ
ファンタジー
アメリアは1年前まで公爵令嬢であり王太子の婚約者だった。しかし、ある日を境に一変した。今の彼女は小さな村で暮らすただの平民だ。そして、それは彼女が自ら下した選択であり結果だった。彼女は言う『今が1番幸せ』だ、と。何故貴族としての幸せよりも平民としての暮らしを決断したのか。そこには彼女しかわからない悩みがあった……。

このやってられない世界で
みなせ
ファンタジー
筋肉馬鹿にビンタをくらって、前世を思い出した。
悪役令嬢・キーラになったらしいけど、
そのフラグは初っ端に折れてしまった。
主人公のヒロインをそっちのけの、
よく分からなくなった乙女ゲームの世界で、
王子様に捕まってしまったキーラは
楽しく生き残ることができるのか。
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる