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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】
70 消耗戦
しおりを挟む「戦ってくる、だから、ここにいて」
状況の判断が出来てしまえば、切り替えが一瞬なルキフェルらしい言葉だった。
アスからすっと離す身体に、ルキフェルは立ち上がると、その指先だけを名残惜さ気に、或いはアスをその場へと留める事を願う様にその肩へと一瞬だけ触れさせて、離れて行く。
何を感じるのか、引き締められる表情に、ルキフェルの真剣な眼差しが濁る水面を見据えている。
ごぽりこぽりと水底から沸き立ち来る泡を弾けさせ、濁りは暗くその範囲を広げ続けていた。
真剣な表情程には気負いない静かな所作で動き、アスの右横から一歩を踏み出した位置で足を止める。そのルキフェルの手には、何時の間にか以前アスが渡した深緑色の鞘に収められた片手剣が握られていた。
「・・・無理だな」
「アス!」
「温存なんて余裕はないよ」
簡潔に先程のルキフェルの言葉へと否を答えるアスの言葉に、ルキフェルは弾かれた様に振り返ると、口調で咎めながらも声音に懇願を滲ませてアスを呼んだ。
そんな声に、それでもアスはルキフェルを見る事なく、ただアスにとっての事実だけを述べて、必要となる段取りを整えて行く。
「カイヤ・ヴィリロス、周囲へと散らさない為に障壁の維持を頼む」
「守りの刻印法式は展開済みです」
「足りない、力を注ぎ続けて絶対に途切れさせるな」
笑みはそのまま、けれど、足りないと断定された事で僅かに見張る目は緊張感に揺らぎ、それでも、一つの集落の長である事は確かか、カイヤは瞬き一回分の所作で平静さを取り戻して必要となる行動に移していた。
アスはその一瞬の確認すらもなく、次へと意識を向ける。
「ラジアータの承継者は、」
「シャゲですわ」
遮る言葉に今度目を見張るのはアスであり、細める双眸に少しだけ口角を上げると、素直に言葉を変えた。
「シャゲはそこでカイヤを守って」
「言われるまでもありません」
婉然とした笑みの表情を想起させる優雅な答えだった。
「支援と妨害は私の方で」
「来る」
使える手は全て組み込む。余裕がないと宣言した通りアスは各々へと最低限を告げ、後は求めた分担からの個々の采配へと委ねる。
フェイがアスに言われるまでもなく自身の役割を明言した時、アスは同時に戦いの開始を告げた。
ーゴボッー
一際大きく、粘性ある闇が膨張の果てに爆ぜた。
さながら、水噴射の如く、爆ぜた闇から放たれた澱んだ水が、一直線にアス目掛けて飛来する。
「はぁッ」
間断なく放たれた気合いの一閃でルキフェルにより切り伏せられる闇が爆ぜ、飛び散る飛沫が黒い霧と化して霧散する。
「分かっていると思うが、絶対にあれへ触れるな。吸い込むのも出来るだけ避けて、それに、頭痛を感じた段階で、カイヤの守りの向こうへ入れ」
手にした細身の剣を突きの構えにし、アスはルキフェルの背後から飛び出すと、ルキフェルが散らした水塊の影へと隠れ、直ぐ向こうから飛んで来ていたジェル状の闇を貫き、払い落とす。
そんな最中に、最大にして、絶対的な警告であり指示を伝えていた。
澱みはそこに在るものを侵食し、存在を侵す。そして、霧となり濃度が薄まっているとは言え、この霧にもその効果は存在しているのだ。
取り込み過ぎれば、或いは浸かってしまえば、その影響は取り返しがつかない。
アスが目安とした頭痛は、侵されつつある身体が発する警鐘だった。
ー確たる其 されど幾年巡りし風に世界の史より薄れ 在るべきを失うが終を知る ものよ 吹き荒べ 荒べ果て行け 巡り 終わりを招く風蝕の焉ー
フェイの涼やかな声が詠じ、解き放たれた不可視の力が望まれる事象を引き起こす。
今や視界いっぱいに広がった澱みを乾いた一迅の風が撫で付ける。
一瞬だけ不自然な震えを見せた水面が、弾けさせかけた泡をそのまま消して凪ぐ寸前の様に細波立たせた。
ー光と熱の一颯ー
身体の正面へと左手だけで構えて持つ剣の刃にアスは、右手の中指と人差し指を添えると、詠ずる詞と共にその切っ先を凪いだ水面へと鋭く向ける。
刹那、迸る光と走る熱風の嵐に水面の八割程が蒸発し、立ち上る黒煙と供に、水面の冥い色合いが僅かに薄まった。
その闇に意思や思考能力があるのかは分からない。だが、アスの一撃で発生した黒煙の闇が晴れる、その間際に、怯む事のない闇は蠢き、見計らっていたかの様なタイミングで、噴き出された粘性の塊が、高速でアスへと迫った。
「させない」
アスが回避の動きを取るまでもなく、ルキフェルがその闇塊を切り伏せ叩き落とす。
ここからが、それぞれの戦いの本格的な始まりだった。
「・・・詠唱の長さは、それだけ込める魔力を費やして望む事象を定義する。結果を強く呼び込む為に、つまりはおおよその場合においては魔法の威力が上がり、より効果が明確に顕れる」
迸る光焔が、人を容易く呑み込むであろうサイズの闇塊を逆に呑み込み、稲妻の如き閃光が噴出される暗い水流を相殺する。
繰り返される光景へと呟くのは、誰に向けるでもない説明。
消え去る間際の残滓として烟る闇の影響か、視界が霞む光景をアスは仄かに刻む笑みで受け入れる。
飛来する矢が吹き出す前の闇を消し飛ばし、閃く銀閃が襲い来るアスの身体よりも大きく肥大化した闇塊を薙ぎ払う。
清流の水塊による奔流は激しくも効果が薄いと判断したか、アスの耳に入る切り替えられた詠唱は氷結を示唆するもので、凍てつき動きを止めた闇へと響く軽い刺突音が、音に似合わぬ爆砕と言う結果を引き起こしたのを視界の端へと映して、僅かに口もとを引き吊らせる。
カイヤとシャゲの会わせ技を目の当たりにして少しだけ明瞭さを取り戻す思考に、シャゲを敵に回すのは良くない。と、そんな納得で一つ頷いてみた。
「これ、きりがない」
全力でなくても良いがそれなり以上の威力は必要で、何よりも一撃で確実に対象を砕いていかなければ間違いなく捌ききれなくなると分かっているだけに、その緊張感が精神力を削る。
ルキフェルの思わずと言ったその言葉は、その場の誰もの内心を代弁していた。
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