月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

文字の大きさ
上 下
123 / 214
【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

65 余裕がないらしい

しおりを挟む

「・・・おい」

 こうとした溜め息を、アスにしては低めの声に変えて、そう吐き出す。
 動く必要もないので構わないと思いもしたが、鬱陶しいのはそうで、やはり暑苦しく感じて来たのだ。

「・・・・・・」
「・・・・・ー」
「・・・・・・」

 沈黙だけしか返されない現状。
 一応は加減されているのだろうが、腹部へと回された腕は拘束の様だった。そして、そろそろ邪魔にも思えて来た事でアスは力ずくを考え始める。
 そんな時だった。

「アス、・・・見つけた。ここにいる」

 震える吐息の密やかさすらも伝わって来る、それ程の近い距離で、そんな小さな声がアスの背中へと向けて溢されたのだ。

「・・・・・・」

 その言葉にアスは、抵抗を考えていた自分の身体から力を抜いてしまう。
 その変化をどう捉えたのか、アスの腰へと回されている腕の拘束から、僅かばかり込められる力が増す。
 抵抗を止めたのだから、捕まえておこうとする力も弱まるものではないかと疑問を感じたが、少しだけ身動いでみても、力は振りほどく事が面倒と思う程度には込められているままで、なのに暑苦しいとの感覚は何時の間にかなくなっているのだから、アスはいっそ感心すらしてしまっていた。

 苦しくないならまあ良いかと結論付けた瞬間、すりっと右の肩甲骨辺りで何かが触れるか触れないかの微妙な距離感で撫でて行く感触にアスは目を瞬かせる。

「おい」

 不快ではなかったが、意味が分からない。
 手で触れられたのとは異なる今の感触に、現状の体勢から、恐らくは頬擦りか、鼻先で撫でられたのだと後れ馳せながら気付き、アスはその行動に眉根を寄せて行った。

「アス、放さない」

 背中側からアスの腰回りへと回されている両の腕は、がっちりと、と言う程でもないがそれなりの力が込められアスの行動を阻害し続けている。
 放さない、と、聞いた言葉に、この腕は自分を留め置く為のものかと、アスはただ納得を得ていたが、その理由にまでは思い至る事が出来ないままだった。

 身長差から、アスの腰に抱き付く体勢を取る為に地面へと左膝を着き、そうして、背後からお腹側へと回した腕を自らへと引き寄せる様にして、その人物は今、アスの肩口へと自らの額を埋めていた。

 睥睨するかのような眼差しで、首だけを動かすアスの視界へと入った夜色の髪。
 何時の間にか落とされていたフードに、完全に露とされたその固めの髪が、アスの首筋を刺激して、擽ったさを感じさせている。

「おい、・・・・・・」
「・・・・・ー」
「ルキ」

 会話を放棄している相手へと、アスは遂にその名前を呼んだ。

 何時そうだと気付いたのか、アス自身にもはっきりとそう認識できる瞬間はなかった。
 その登場からして、目深に被られたフードで顔の確認は出来ておらず、現在の体勢にしても、アスの背後から抱き付き、その肩口に俯けた顔を埋めていると言った状態のままなのだ。
 唯一、喋る声で、そうかなとは思えるのかもしれないが、発せられた言葉は会話と言うものの省みられる事のない断片的なもので、おまけに妙な熱を孕み、聞く者の耳朶へと掠れて届く、アスの記憶にはない響きを帯びていた。

 その存在を、今代の勇者の登場に思い出しはしても、今何をしているか等、深く考えては来なかった相手。
 常盤ときわの魔女の領域で別れたままとなっていたルキフェルだと、それでもアスにはそうだと認識した瞬間に受け入れてしまっていた。
 だからこそ、埒が明かないと、そう思った時にはその名前はあまりにも自然にアスの口から出ていたのだ。

「うん、アス、見つけた」

 呼ばれ、笑む様な声音の響きに、纏う空気すらも軟化する。
 けれどアスは、アスが呼んだ瞬間、びくりとその身体へと走った僅かな震えを感じ取っていた。
 それは呼ばれた驚きと言うよりも、何かを恐れているかの様な反応を思わせていて、なのに、ルキフェルのその口もとは、花綻ぶと言った笑みを形作り、アスの瞳を見詰めて弛めた双方へと喜色の輝きを灯したのだった。

 アスが名前を呼んだ事で、ようやく答えらしきものは返って来た。
 見付けたのだと、独白の様に伝えられる言葉と、回された腕から伝えられて来る狂おしい程の何かが、行動を起こそうとアスに考える事すらも出来なくさせる。
 アスの存在がここにあると言う事を実感していたいのだと、ルキフェルの様子から何となくだが理解したからだった。

「・・・・・・」

 どうするべきか、どうしたいのか、アスは動く事が出来ないならばと、そもそものところを思案する。
 どうせ現状、だれもアスの状態に構う余裕等ないのだから、アスはただただ茫洋たる眼差しに自身の心内へと思考を散乱させて行った。

 どれだけの間そうしていられたのか、のっそりと殊更緩やかな動きで上げられた顔にもアスは取り立てて反応を示す事はなかった。
 それでも、そこにある、穏やかだが思いの外真剣な眼差しと間近で見詰め合った事で、自然と意識の焦点を結んで行った。

 不安と安堵。アスは覗き込む青色に、相反する感情のない交ぜになった瞳の最奥へと行き当たり、そこに在る、焦炎の熱を持ちながらも静謐を湛える感情の一欠片を垣間見る。

「どうした?ルキ」

 穏やかさはなく、けれど硬い訳でもない。
    ただ問い掛ける、そんなアスの声音に、ルキフェルは口を開いたり、目を逸らしたりとする事のないまま、そろそろと右手を動かして、そっと指先だけをアスの頬へとあてた。
 まるで繊細な細工ものへと触れるかの様な手付きで、指先から指全体、そして指の付け根から手の平と少しずつ少しずつ、と触れる場所を増やし動かして行く。

「アス」
「うん?」
「アスティエラ」
「ん?」
「選んで?」
「・・・・・・」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

婚約破棄?一体何のお話ですか?

リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。 エルバルド学園卒業記念パーティー。 それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる… ※エブリスタさんでも投稿しています

隠された第四皇女

山田ランチ
ファンタジー
 ギルベアト帝国。  帝国では忌み嫌われる魔女達が集う娼館で働くウィノラは、魔女の中でも稀有な癒やしの力を持っていた。ある時、皇宮から内密に呼び出しがかかり、赴いた先に居たのは三度目の出産で今にも命尽きそうな第二側妃のリナだった。しかし癒やしの力を使って助けたリナからは何故か拒絶されてしまう。逃げるように皇宮を出る途中、ライナーという貴族男性に助けてもらう。それから3年後、とある命令を受けてウィノラは再び皇宮に赴く事になる。  皇帝の命令で魔女を捕らえる動きが活発になっていく中、エミル王国との戦争が勃発。そしてウィノラが娼館に隠された秘密が明らかとなっていく。 ヒュー娼館の人々 ウィノラ(娼館で育った第四皇女) アデリータ(女将、ウィノラの育ての親) マイノ(アデリータの弟で護衛長) ディアンヌ、ロラ(娼婦) デルマ、イリーゼ(高級娼婦) 皇宮の人々 ライナー・フックス(公爵家嫡男) バラード・クラウゼ(伯爵、ライナーの友人、デルマの恋人) ルシャード・ツーファール(ギルベアト皇帝) ガリオン・ツーファール(第一皇子、アイテル軍団の第一師団団長) リーヴィス・ツーファール(第三皇子、騎士団所属) オーティス・ツーファール(第四皇子、幻の皇女の弟) エデル・ツーファール(第五皇子、幻の皇女の弟) セリア・エミル(第二皇女、現エミル王国王妃) ローデリカ・ツーファール(第三皇女、ガリオンの妹、死亡) 幻の皇女(第四皇女、死産?) アナイス・ツーファール(第五皇女、ライナーの婚約者候補) ロタリオ(ライナーの従者) ウィリアム(伯爵家三男、アイテル軍団の第一師団副団長) レナード・ハーン(子爵令息) リナ(第二側妃、幻の皇女の母。魔女) ローザ(リナの侍女、魔女) ※フェッチ   力ある魔女の力が具現化したもの。その形は様々で魔女の性格や能力によって変化する。生き物のように視えていても力が形を成したもの。魔女が死亡、もしくは能力を失った時点で消滅する。  ある程度の力がある者達にしかフェッチは視えず、それ以外では気配や感覚でのみ感じる者もいる。

とある元令嬢の選択

こうじ
ファンタジー
アメリアは1年前まで公爵令嬢であり王太子の婚約者だった。しかし、ある日を境に一変した。今の彼女は小さな村で暮らすただの平民だ。そして、それは彼女が自ら下した選択であり結果だった。彼女は言う『今が1番幸せ』だ、と。何故貴族としての幸せよりも平民としての暮らしを決断したのか。そこには彼女しかわからない悩みがあった……。

悪役令嬢は永眠しました

詩海猫
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」 長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。 だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。 ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」 *思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m

処理中です...