月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

65 余裕がないらしい

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「・・・おい」

 こうとした溜め息を、アスにしては低めの声に変えて、そう吐き出す。
 動く必要もないので構わないと思いもしたが、鬱陶しいのはそうで、やはり暑苦しく感じて来たのだ。

「・・・・・・」
「・・・・・ー」
「・・・・・・」

 沈黙だけしか返されない現状。
 一応は加減されているのだろうが、腹部へと回された腕は拘束の様だった。そして、そろそろ邪魔にも思えて来た事でアスは力ずくを考え始める。
 そんな時だった。

「アス、・・・見つけた。ここにいる」

 震える吐息の密やかさすらも伝わって来る、それ程の近い距離で、そんな小さな声がアスの背中へと向けて溢されたのだ。

「・・・・・・」

 その言葉にアスは、抵抗を考えていた自分の身体から力を抜いてしまう。
 その変化をどう捉えたのか、アスの腰へと回されている腕の拘束から、僅かばかり込められる力が増す。
 抵抗を止めたのだから、捕まえておこうとする力も弱まるものではないかと疑問を感じたが、少しだけ身動いでみても、力は振りほどく事が面倒と思う程度には込められているままで、なのに暑苦しいとの感覚は何時の間にかなくなっているのだから、アスはいっそ感心すらしてしまっていた。

 苦しくないならまあ良いかと結論付けた瞬間、すりっと右の肩甲骨辺りで何かが触れるか触れないかの微妙な距離感で撫でて行く感触にアスは目を瞬かせる。

「おい」

 不快ではなかったが、意味が分からない。
 手で触れられたのとは異なる今の感触に、現状の体勢から、恐らくは頬擦りか、鼻先で撫でられたのだと後れ馳せながら気付き、アスはその行動に眉根を寄せて行った。

「アス、放さない」

 背中側からアスの腰回りへと回されている両の腕は、がっちりと、と言う程でもないがそれなりの力が込められアスの行動を阻害し続けている。
 放さない、と、聞いた言葉に、この腕は自分を留め置く為のものかと、アスはただ納得を得ていたが、その理由にまでは思い至る事が出来ないままだった。

 身長差から、アスの腰に抱き付く体勢を取る為に地面へと左膝を着き、そうして、背後からお腹側へと回した腕を自らへと引き寄せる様にして、その人物は今、アスの肩口へと自らの額を埋めていた。

 睥睨するかのような眼差しで、首だけを動かすアスの視界へと入った夜色の髪。
 何時の間にか落とされていたフードに、完全に露とされたその固めの髪が、アスの首筋を刺激して、擽ったさを感じさせている。

「おい、・・・・・・」
「・・・・・ー」
「ルキ」

 会話を放棄している相手へと、アスは遂にその名前を呼んだ。

 何時そうだと気付いたのか、アス自身にもはっきりとそう認識できる瞬間はなかった。
 その登場からして、目深に被られたフードで顔の確認は出来ておらず、現在の体勢にしても、アスの背後から抱き付き、その肩口に俯けた顔を埋めていると言った状態のままなのだ。
 唯一、喋る声で、そうかなとは思えるのかもしれないが、発せられた言葉は会話と言うものの省みられる事のない断片的なもので、おまけに妙な熱を孕み、聞く者の耳朶へと掠れて届く、アスの記憶にはない響きを帯びていた。

 その存在を、今代の勇者の登場に思い出しはしても、今何をしているか等、深く考えては来なかった相手。
 常盤ときわの魔女の領域で別れたままとなっていたルキフェルだと、それでもアスにはそうだと認識した瞬間に受け入れてしまっていた。
 だからこそ、埒が明かないと、そう思った時にはその名前はあまりにも自然にアスの口から出ていたのだ。

「うん、アス、見つけた」

 呼ばれ、笑む様な声音の響きに、纏う空気すらも軟化する。
 けれどアスは、アスが呼んだ瞬間、びくりとその身体へと走った僅かな震えを感じ取っていた。
 それは呼ばれた驚きと言うよりも、何かを恐れているかの様な反応を思わせていて、なのに、ルキフェルのその口もとは、花綻ぶと言った笑みを形作り、アスの瞳を見詰めて弛めた双方へと喜色の輝きを灯したのだった。

 アスが名前を呼んだ事で、ようやく答えらしきものは返って来た。
 見付けたのだと、独白の様に伝えられる言葉と、回された腕から伝えられて来る狂おしい程の何かが、行動を起こそうとアスに考える事すらも出来なくさせる。
 アスの存在がここにあると言う事を実感していたいのだと、ルキフェルの様子から何となくだが理解したからだった。

「・・・・・・」

 どうするべきか、どうしたいのか、アスは動く事が出来ないならばと、そもそものところを思案する。
 どうせ現状、だれもアスの状態に構う余裕等ないのだから、アスはただただ茫洋たる眼差しに自身の心内へと思考を散乱させて行った。

 どれだけの間そうしていられたのか、のっそりと殊更緩やかな動きで上げられた顔にもアスは取り立てて反応を示す事はなかった。
 それでも、そこにある、穏やかだが思いの外真剣な眼差しと間近で見詰め合った事で、自然と意識の焦点を結んで行った。

 不安と安堵。アスは覗き込む青色に、相反する感情のない交ぜになった瞳の最奥へと行き当たり、そこに在る、焦炎の熱を持ちながらも静謐を湛える感情の一欠片を垣間見る。

「どうした?ルキ」

 穏やかさはなく、けれど硬い訳でもない。
    ただ問い掛ける、そんなアスの声音に、ルキフェルは口を開いたり、目を逸らしたりとする事のないまま、そろそろと右手を動かして、そっと指先だけをアスの頬へとあてた。
 まるで繊細な細工ものへと触れるかの様な手付きで、指先から指全体、そして指の付け根から手の平と少しずつ少しずつ、と触れる場所を増やし動かして行く。

「アス」
「うん?」
「アスティエラ」
「ん?」
「選んで?」
「・・・・・・」
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