月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

64 魔王降臨?

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 アスは苛立っていたし、怒ってもいた。
 基本的に魔女とは自分本意の者が多い。
 世界の在り方を変えてしまいかねない程の願いが為に、魔女となる者が生まれるぐらいなのだから、自分本意なのも当たり前だった。
 そして、だからこそ、神の代行者たる教えを絶対のものとして、勇者の言葉が必定だと言わんばかりとすら思われるミハエル達の言い分とアスは相容れない。
 そもそも、アスは一度、勇者との約束を反故にされている。その事にミハエルは関係がないのだが、それでも、約束との言葉で、その瞬間、アスの中の何かが切れてしまった事は確かだった。

ーなれば、怒りを唱えよう 憤怒を唄おうー

 歌詞とは異なり、怒りすらも感じる事のない空虚な歌声がその場を征していた。

 ミハエル達もまた、ようやく何かを感じ始めたのか黙し、アスを見詰めている。

ー貴方の怒りに唱和するー

 その、ことばに、呼応するかの様に湖面が波紋を描き、静かに細波立つ。

ー癒し得ぬ傷にも臨むの地へとー
ー空行く翼さえ持たぬ貴方が為に 我が身を供し 水底を行こうー

 気付いたのは、カエルレウスの長たるカイヤだった。

「シャ、いえ、勇者様!」

 シャゲを呼びかけ、察し、直ぐ様に勇者を呼ぶ。
 その時にはミハエルもまた既に動いていた。
 そして、この段階になっても、それ以外の誰も行動を起こす事が出来てはいなかった。

ー潰えし願い 抱きし怒り その全てを以て貴方と共にある様に・・・ー
「クラウ・ソラス!」

 強く踏み込むミハエルの手から赤いリボンが滑り落ち、鋭く呼ぶ声に、その手には光輝く一振の剣があった。
 両手で柄を握り、踏み出す勢いのまま前へと突き出す刃は、その先にあるアスの胸の中央へ吸い込まれて行く様に。

「アスッ!」

 フェイが強く、鋭くアスを呼ぶ。
 アスは歌う最中に上げていた顔で、その声音そのものの様な空虚な瞳で、自らへと向かって来る刃の切っ先を、回避しようとするどころか防ごうとする仕種すらもなくただ見ていた。

「ごめんね?」

 怜悧な光の尖端がアスの胸を貫く、その刹那にミハエルが告げ、けれど、その声を聞いたのはミハエル自身とアス、そしてもう一人だけだった。

ーキンッキーッー

 純度の高い金属どうしが、衝撃波を感じる程に強くぶつかり合うかの様な高く澄んだ響き。そして、摩擦のままに、生じた瞬く星の如き火花は散り、その音を鮮烈に彩った。

 アスの視界に闇のとばりが降り、纏う覇気に大きく翻る。
 とばりは黒耀の閃光ひかりを携え、その一条の閃光ひかりこそが、アスを貫く筈だったミハエルの剣からアスの存在を守っていた。

 音なく降り立ち、けれど、その一瞬の衝撃に纏う漆黒の外套の裾が大きくはためく。
 それだけの衝撃があった筈なのに、が目深に被ったフードは、その目もとまでを覆ったまま、外れるどころかずれる事すらもなかった。

「魔王・・・」

 掠れた声でエレーナが呟き、その言葉に成る程とアスは目を瞬かせ、佇むその人物を見た。

 纏う漆黒の外套を大きく翻した登場の瞬間もそうだが、今現在、ミハエルの突き出した剣を、自らが片手で支えるのみの剣の鞘で受け止めた体勢で放っている、何人をもひれ伏させんとする圧倒的な雰囲気もまさしくと思わせるものがある。
 ついでに言うならは、彼自身が持つ色である髪色すらも、夜空を思わせる透明な闇の色をしていて、闇の化身とされる事のある魔王を彷彿とさせるその排他的な色合いの髪が、被ったフードの横からその一房が胸もとへと流れていた。

「劇にされるような魔王、そのものだよね」

 アスと同じ感想を抱いたらしいフェイが、この異様な雰囲気の中で、それでもおかしそうに笑っていた。

 アス達が災禍の顕主と呼ぶ存在とは厳密には異なる、人の世の絶対悪としての魔王の存在があった。
 あくまでも人々の娯楽としての面に特化され、空想混じりに分かりやすくを体現する魔王の役割。そんな存在を予定調和として討伐する正義の存在。
 それこそが勇者と呼ばれる者であり、“彼”は今、そんな勇者と相対する、架空の魔王そのものの様相で、まさしく、な登場を果たしたのだった。

「誰?君」

 不思議そうで、それ以上に少しばかり不機嫌さを滲ませた声でミハエルが問う。

ーキンッー
「は?」

 鞘に入ったままの一閃。答える言葉もなく、切り上げられた黒い剣の動きをどれだけの者が目で追う事が出来ただろうか。
 ミハエルの剣を、自らの剣で巻き込む様にして弾いたのだとアスが認識出来ていたのは、その動きをアスが知っていたからに過ぎず、アスが反射的に目で追った虚空では、回りながら空へと跳ね上げられた剣が、降り注ぐ陽光の中へと消えていく最中だった。
 
 間の抜けたミハエルの声。
 予想だにしていなかった動きで、腕ごと跳ね上げられ、握る剣を放さざるを得なかったであろうミハエルは、受けた衝撃のままの体勢その状態で。
 唖然とする、不自然な硬直に引き攣る表情からも、ミハエルの理解が追い付いていないのは明らかで、それでも勇者としての反射反応は驚異的で驚嘆さえさせるものを見せるのだった。
 
ーゴツンー

 と、肉を叩くどころか、骨すらも砕いていそうな、鈍くも凄まじい音が空気ごと耳朶を打ち据える。
 ミハエルは直前で自らの体の前へと両腕を構えていた。だが、そんな防御など全く意味がないと言わんばかりの衝撃がミハエルの身体を強襲していた。

 攻撃を仕掛けた側と仕掛けられた側、その衝突の結果として、攻撃を受けたミハエルの体重の軽さが、ある意味功を奏したと言えるのだろう。
 直撃した衝撃のままにミハエルの体が吹っ飛ばされ、後ろにいたリオの存在をも巻き込んで、そのまま背後の湖面に叩き付けられ、三度程の水面でのバウンドを得て成す術なく沈み行く。

「っ、ミーシャ!!」

 ようやくの様に追い付きつつあるのであろう理解。見せ付けられた光景に叫びにも似たエレーナの声すら、全てが終わってから発せられ、そして、叫ぶと同時に、弾かれた様に岸辺を駆け出した。

「レーナ!」

 そのまま、飛び込みかねないと判断するカッツェが慌てて後を追い縋り、何事か説得の言葉をかけているのだろう。
 アスはそんな身振り手振りの様子をただただ見送っていた。

 アス自身には追いかける気等もとからなかったが、そもそもが不可能な状態にされている現状があった。
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