111 / 214
【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】
53 襲来
しおりを挟む「・・・っ」
堪える様に噛み締めた歯に、それでも堪えきれなかったか、呻く声が漏れ聞こえて来たが、アスの意識は既にその声の持ち主からは離れてしまっていた。
割れた硝子の様な、確かな形を持つ水片が無数に降り注ぐ。
そこに射し込む光が乱反射を繰り返す、そんな幻想的とも言える光景に、歪んで散乱した光が歪なスペクトルを撒き散らし、佇むアスの存在を淡く照らしていた。
降り注ぐものから顔を守ろうと、僅かに俯いた事で、周りの明るさとは対照的に陰影の中へと沈んでしまった表情をアス自身も自覚する事なく、そうしてアスは誰にでもなく呟くのだった。
「・・・勇者」
「余波で、こんなっ!」
アスの声を聞いてか、そんな余裕もないのか、苦し気にも発せられた言葉は、そもそもそれどころではないと言う様にその先へと続けられる事なく、どうにかと言う様にアズリテは繰り返す浅い呼吸にも息を整える事に集中している様だった。
「勇者が勇者たる所以が、このあらゆる思惑を捻伏す力業だろうな」
「思惑・・・長?」
見張る目のまま呟くアズリテの様子から、現状がアズリテの予定外、或いはそもそも預かり知らぬ状態なのだろうとアスは思った。
そうしてアスの脳裏へと浮かんで来るのは青の長である存在の柔らかな微笑みであり、今もきっと変わらぬ笑顔がそこにあるのだろうと、想像出来てしまうだけに、アスはひたすらげんなりとしてしまうのだった。
「今代の勇者様も、魔女と言う存在を、お望みのようです」
「・・・・・・」
アズリテが何かを言っている。そう思うが、アスには上手く意味が把握出来なかった。
ただ、意味は分からないが、ここに来てようやく意図を捉える事は出来たのだった。
「怒りの、向け先を用意してくれたってところか。それに、“借り”の精算を求められている?・・・一石三鳥か四鳥ぐらいの」
呟き、一度目を閉じると、再び開くと同時にアスは揺らめく上方彼方を仰ぎ、そして、ここにはいない存在へと告げる。
「フェイ、必要なら喚べ」
アスが許す。
この場所にいない相手へと向けた、聞こえる筈のない声量に、届く筈のない声音。それでも、その許容は確かに届くべきへと届いていた。
ー銀礫の瞬きより嘯く者 呼び声に 風鳴りの如く疾くここへー
歌う様な節をつけた響きを、硝子片を象っていた揺れる水面が奏でる。
「適当な詠唱とは裏腹で、結構切羽詰まった感じか」
『行かせません』
アスは仰ぐ虚空へと話し掛けると、眇める双眸に彼方を見据える。
そして“聲”は耳朶を透過し脳髄を直接刺激するかの様に、意思を響かせてそんなアスへと届いた。
けれど、アスは一瞥するアズリテと、その背景に、淡く笑みを浮かべて見せるそれだけの反応を返していた。
「はは」
苦笑ではないが、友好的とも言い難い、それでも間違いなく笑みである表情に空気が停滞するその瞬間。
アズリテとそこにいる“もう一人”はその表情に間違いなく魅了されていた。
年齢も性別も問う事なく、アスの笑みとはそれ程の威力があるのだった。
「時が許すなら、後で、だがな」
『まって』
「この時を無為に過ごす事を選んだのはそちらだ、呼ばれているから私はもう行く」
何でもない様に邂逅の終わりを告げるアス。
機会はあり、十分だったかは分からないが時間もあった。その機会をここまで使い潰したのだからもう良いだろうとアスは思ったのだ。
『だめ』
「聞かない」
引き留める意思をアスは感じ取っていたが、拒否を伝える。
「フェイ」
「無理、です。ここは藍晶の魔女の・・・」
「関係がないよ」
仰ぐアスの呼び声に、強張ったアズリテの声が不可能を告げようとして、けれど、アスはその言葉を最後まで聞く事なく、端的に切り捨てた。
「翼は一対で飛び立つものだから」
告げるその声は囁きの様に、そしてアスは密やかに綴り始める。
ー導きの風、飛び立つ翼・・・ー
唇の動きだけで、節をつけて、それは音無き奏でを大気へと刻み解き放つ様に。
共鳴するままに、或いは怯えるように、シャラシャラと周囲を舞う、氷と水の飛沫が光と音色を重ね、アスの足もとから翡翠色の粒子か立ち上る。
下からのなぶる様な突風へとそっとアスは目を閉じ、開く。
そして、切り替わった視界に、アスの目の前にあった長身が振り返った。
柔らかな翠色の瞳を宿した切れ長の双眸で捉えたアスの姿にか、僅かに目を見張る様にして瞬いているそんな様子に、アスはふと首を傾げてしまう。
「フェイ、大丈夫じゃなさそうだぞ?」
「なんですか、大丈夫じゃなそうとは。確かに、全然、全く、大丈夫ではありません。疲れましたけど?物凄く」
乱れた長い髪の幾筋と、頭から被ったのであろう、纏ったポンチョの上にまで振り積る砂埃のくすみ。
切迫しながらも軽口の様で、その実、やや早口気味の口調までもが余裕を欠いている。
野営の朝でも隙のないと言って良い身支度をしていたフェイの姿を知っているだけに、アスはまじまじとそんなフェイの姿を眺め見てしまっていた 。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。


隠された第四皇女
山田ランチ
ファンタジー
ギルベアト帝国。
帝国では忌み嫌われる魔女達が集う娼館で働くウィノラは、魔女の中でも稀有な癒やしの力を持っていた。ある時、皇宮から内密に呼び出しがかかり、赴いた先に居たのは三度目の出産で今にも命尽きそうな第二側妃のリナだった。しかし癒やしの力を使って助けたリナからは何故か拒絶されてしまう。逃げるように皇宮を出る途中、ライナーという貴族男性に助けてもらう。それから3年後、とある命令を受けてウィノラは再び皇宮に赴く事になる。
皇帝の命令で魔女を捕らえる動きが活発になっていく中、エミル王国との戦争が勃発。そしてウィノラが娼館に隠された秘密が明らかとなっていく。
ヒュー娼館の人々
ウィノラ(娼館で育った第四皇女)
アデリータ(女将、ウィノラの育ての親)
マイノ(アデリータの弟で護衛長)
ディアンヌ、ロラ(娼婦)
デルマ、イリーゼ(高級娼婦)
皇宮の人々
ライナー・フックス(公爵家嫡男)
バラード・クラウゼ(伯爵、ライナーの友人、デルマの恋人)
ルシャード・ツーファール(ギルベアト皇帝)
ガリオン・ツーファール(第一皇子、アイテル軍団の第一師団団長)
リーヴィス・ツーファール(第三皇子、騎士団所属)
オーティス・ツーファール(第四皇子、幻の皇女の弟)
エデル・ツーファール(第五皇子、幻の皇女の弟)
セリア・エミル(第二皇女、現エミル王国王妃)
ローデリカ・ツーファール(第三皇女、ガリオンの妹、死亡)
幻の皇女(第四皇女、死産?)
アナイス・ツーファール(第五皇女、ライナーの婚約者候補)
ロタリオ(ライナーの従者)
ウィリアム(伯爵家三男、アイテル軍団の第一師団副団長)
レナード・ハーン(子爵令息)
リナ(第二側妃、幻の皇女の母。魔女)
ローザ(リナの侍女、魔女)
※フェッチ
力ある魔女の力が具現化したもの。その形は様々で魔女の性格や能力によって変化する。生き物のように視えていても力が形を成したもの。魔女が死亡、もしくは能力を失った時点で消滅する。
ある程度の力がある者達にしかフェッチは視えず、それ以外では気配や感覚でのみ感じる者もいる。

とある元令嬢の選択
こうじ
ファンタジー
アメリアは1年前まで公爵令嬢であり王太子の婚約者だった。しかし、ある日を境に一変した。今の彼女は小さな村で暮らすただの平民だ。そして、それは彼女が自ら下した選択であり結果だった。彼女は言う『今が1番幸せ』だ、と。何故貴族としての幸せよりも平民としての暮らしを決断したのか。そこには彼女しかわからない悩みがあった……。

【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?

このやってられない世界で
みなせ
ファンタジー
筋肉馬鹿にビンタをくらって、前世を思い出した。
悪役令嬢・キーラになったらしいけど、
そのフラグは初っ端に折れてしまった。
主人公のヒロインをそっちのけの、
よく分からなくなった乙女ゲームの世界で、
王子様に捕まってしまったキーラは
楽しく生き残ることができるのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる