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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】
50 隠世の狭間にある庵
しおりを挟む「青き石に祈り仰ぐ秘されし霊薬の水瓶」
口ずさみ、詠う様にその“名”を囁くと、アスはすうっと閉じていた目を開いた。
深い水の底に在る、耳に圧迫感を覚える静謐の空気。
俯く様にして佇んでいたアスが、まず視界へと入れた場所には、地面足り得る確かなものはなく、そこにはただ先程までと同じ様に霧が深く満ち満ちていた。
首尾よく招かれたのだろうと、アスは自然と理解し、辺りの様子を窺うべく、ゆっくりと顔を上げて視線を巡らせて行く。
そうして、向き合った先にある小さな庵の様な建物と、その庵へと向けて敷かれた飛び石の道筋を眺め見た。
「幽の庵・・・静けさを好んだあの人らしくはあるが、リィルには寂しいと感じさせたんじゃないか?」
『あの子のことはちゃんと考えて下さっているのですね?・・・それに、今になって名前を呼ぶのですか?』
幻聴ではない。最初に思った事はそうで、けれど鼓膜への振動を伴う事のない、聴覚への働きで聞く訳ではない声なき“聲”に、アスは一瞬だけ酷く曖昧な表情を浮かべ、そうして瞬かせる目に背後へと振り返った。
その先に見詰めるアスの背後には、敷地への入り口を示すかの様に小さく若葉を芽吹かせた細い木が、まるで門戸の様にして、心許なくも左右に一本ずつ聳えている。
アスは、その入り口とも言える場所を越えた所にいたのだ。
敷地であり領域。その内側に佇んでいる現状こそが 招かれた証なのだろうと、アスはそう察してはいて、そして“聲”はその領域の外から聞こえて来ていた。
「・・・なら、違うのだろうな」
溜めた水を縦に切り取ったかの様だと、アスは自身の声に小さく細波立つ水の壁面を見ていた。
口を閉ざし、ただ佇めば、二本の木々によって作られた門戸の境界の向こう側が晒す、見通す事の難しい霧の世界と対峙する。
深く立ち込めている様には見えないのに、どれだけ目を凝らそうとも、流れ行く霧の先が見通せる様になる事は決してない。
「ここは初代の“水”が一人になりたいと思った時に引き込もっていた場所だから。静謐の空気を好んだ人だったらしいしな」
姿のない相手へと向けての言葉を紡ぎながら、アスは飛び石の道を庵へと向けて渡って行く。
敷石の一つ一つへとアスが足を乗せる度に、足の裏の皮膚と石材が接触する。そんな衝撃とも言えない影響で空気が揺らぐ様を、そのまま視認出来る様にでもしたかのように、辺りの景色が僅かに揺らめいて見えた。
その現象を不思議だと思いながらも、それ以上頓着する事なくアスは歩みを進め、そうして庵の正面へと辿り着いた。
「では、先代であるガウリィル様は貴方の目にはどの様に映っていたのでしょうか?」
庵の入り口である引き戸を背にして立つアズリテが、表情なく、抑揚すらも欠いた声音で対峙するアスへと問いかけて来た。
「うん?リィルは勇者や剣聖殿の後ろに隠れて控え目ではあったが、実のところなかなか好奇心が旺盛で、正式な聖女であっただけあって、かなり忍耐強くて、頑固なところもある。それから、花や小動物を愛でている時なんかは普通の女の子って感じを満喫していて、可愛かったな」
「人見知り、好奇心旺盛。我慢強いけど頑固・・・可愛い」
アスがアスの見て来たガウリィルと言う少女の事を一息に語れば、アズリテは傾げる首に情動の欠けた目を眇めた。
「対外的にはあくまでも“聖女様”だったが、侍従殿だけでなく、勇者や剣聖殿にとっても“妹”だったと思うぞ」
告げてから、妹以上の存在でもあったのだったかと、アスは少しだけかつてのパーティへと思いを向けた。
「迷わなかったようですね」
「ん?」
綺麗と言うよりも可愛い。守られる存在と言った少女の外見と、実際には守られるだけではない芯の強さを思う。そして強かさの部分を補い支え続けていた侍従殿と、共に立ち寄り添う者の存在。
勇者のパーティは勇者のパーティとして相応しい有り様だったとアスは思っている。
そう馳せていた思いの最中にかけられた声に、ふっと我へと返り、けれど察しきれない部分で正直に、何の話だったかとアスはまじまじとアズリテの顔を見てしまった。
「いえ、ここでは、様々なものが視えて聲を聞くらしいのです」
「ああ」
招かれた最初に何か聞いたなと、アスは思った。
「抱える様々な思いへと囚われる者程、敷石を踏み、真っ直ぐとこの庵まで歩む事が出来る者は酷く稀なのです」
「一応は他の魔女による領域か。踏み入れば、その場所の理に添う様にするのは当然だな」
「従うのを余儀なくされるのではなく、添う事を当然とする・・・やはり“魔女”。理を抱く存在と言う事ですね」
常盤の魔女の森がそうであった様に、定住を選んだ魔女は、自身の在る場所に領域を定める。
自分自身による自分の為の場所を構築し、自分を守る為に、己の魔女としての力を遺憾無く発揮する。
そうして魔女の領域とされた場所は、その魔女の意向が常に作用している場所となり、領域を定めた魔女の理が適用されるのだ。
ここは藍晶の魔女が自らの領域として定めた場所の、恐らくはその核心部。
魔女の領域では、定められた理は絶対であり抵触しすれば何が起こるか予想もつけられない。
だからこそアスは、分からないなりにも、そのルールに添う様にと心掛けていた。
そして、アズリテはそんな魔女の領域に在る事を許されている存在。
招かれたアスとの異なる立場を考えみて、ならばと、アスは、アズリテの深い青色の双方を見詰めた。
そんなアスを見返す双眸は無感動で、感情を映さない。広い湖の水面に厚くはった氷の様に凍てついた瞳をアスは思った。
「・・・迷っているのは、何故か?」
アスの問いかける言葉は水面へと向けた小石の一投よりも、強くアズリテの瞳を揺らす。
先程、氷に様だと思った瞳が呆気なく揺らぐのは、予想だにしない事を突然問われたからではなく、覚悟していたものへと遂に触れられてしまったと、そんな諦念をアスはアズリテの引き結ばれた口もとに見た様な気がした。
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