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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】
46 リコリス
しおりを挟む『リコリスと申します。聖女様にお仕えしております』
『リコは私の侍従のようなことをしてくれているんですが、姉のような存在なんです』
そんな風にリコリスと言う存在を嬉しそうに紹介してくる聖女。けれど、その紹介の意味が当初は分からず、それでもアスはただそうなのかと受け入れたのだった。
滔々と喋る朴訥とした雰囲気は不快ではないが印象に残り難く、けれど、アスは対面したその瞬間には、侍従殿とこれから呼ぶ事になる“彼”の存在を油断ならないものと捉えていた。
聖女のお付きに選ばれているぐらいなのだから、あらゆる面で有能なのは間違いがなく、控え目なのにそれを物語る熟達とした雰囲気に、細身だが、均整が取れ無駄なく鍛え上げられた体躯は、しなやかな鞭の如き強靭さを思わせてアスの印象に残った。
侍従とは、人のコミュニティで位の高い者、立場ある者につく、その身の回りの世話をする文官的な者達の事だとアスは認識していた。
一応、文官だけでなく、侍従武官等と言って武官の侍従もいるのだから、リコリスと言う、ある意味、騎士殿や勇者よりも余程厄介であろう存在を侍従と紹介して来たそれは良い。
だが、“姉”の様な、と続いたその一言にアスは瞬き一回分の受け入れ時間を必要としたのだった。
『私を呼ぶ時は、リィルの侍従か侍女とでもお呼び下さいませ』
聖女が目を向ける直前に無表情の状態から一転させ、アスへと向けて浮かべられる笑みは対外的には人当たり良く、そして折り目正しく礼をする姿勢に聖女のお付きだと言う誇りを感じ、同時にその挨拶は牽制なのだと理解させられた。
聖女には自分と言う存在がついている。だから手を出させる気はないと言う表明。そして、アスにリコリスと言う名前を呼ばせる気はないと言う圧。
明確な言葉とされる事はなかったが、そこには絶対的な意思が込められていた。
そこで分かった侍従殿にとって、大切なのであろう自らの名前。そして自らの存在意義であると言わんばかりの領域を侵す事があれば、侍従殿は容赦なくアスへと刃を向ける。そう思った瞬間だった。
アスの中で侍従殿と言う存在の一端を決定付けたこのやり取りは、後程の出来事で更に補完される事になり、その時は、そばに聖女殿がいなかった事でよりあからさまで、明け透けない物言いが行動を伴ってまで投げつけられる事になったのだ。
『魔女であるとかは関係がないのよ。でもね、例えあの子が貴方を必要だと言い、その存在を望もうとね、貴方があの子の害となるのなら、ね?分かるわよね?』
聖女の侍従であるとか関係のない、恐らくは、ガウリィルと言う一人の少女の“姉”としての言葉。
けれど迂闊にも、それなりに受けてしまった衝撃から、侍従殿が伝えて来る言葉の半分程がアスの耳を素通りして行った。
それは、それでも半分はちゃんと聞いていたのだとアスが自分を褒めた瞬間でもあった。
その場の空気が、聞き返せる雰囲気では絶対にないと、普段空気を読む事をしないアスでも思う程だったのだが、それでも何も反応を返せなかった事で、侍従殿の心証が悪化したのは確かだったのだろう。
増した疑念は、聖女の誘拐と言う事態を前にした時、静かな爆発を引き起こした。
「言葉がないのはいっそ潔かったし、剣聖殿が止めてくれなかったらあの刃は届いてたな」
撫でる首筋にアスは独り言ちる。
長であるカイヤに許可を得て、アスは今、一人で霧の水辺を歩いていた。
そこは幅広な流れの川縁か、広い湖畔の一端か、アスにはその全容を見る事が出来ず、静かな流れと、思い出した様に小さな魚が跳ねる音を聞くともなしに聞いている。
歩き回れる範囲なら歩いて良いと、出掛け前に言われたカイヤの言葉の意味に、アスはしばらくしてから気付いた。
水面を緩やかに流れ、陸へと這い上がり、なおも広がり行く霧が、アスによる現状の把握を更に曖昧なものとさせているのだと。
水際を囲む様にして、芦の様な植物が生えて繁り、その植物群に沿う様にして、人が行く為の小道が続く。
この歩き回れる場所が、そのままアスへと許されている範囲なのだろう。
意識は侍従殿の存在を思う過去へと向かせながら、アスは耳を擽る流れの音を聞き、一瞬だけ、霧の間で瞬き閃かせる光を弾けさせた魚が跳ね遠くで小鳥が囀ずる声を聞いていた。
真昼の明るさはなくとも、足もとすら見えなくなる程の危うさもない道。そんな道行きは一本道のままで、代わり映えのない景色が続いている。
水面から地面へと這うように流れる霧。
霧の合間で煌めく銀鱗。
鳥の密やかな囀り。
代わり映えしないのではなく、繰り返されるばかりのその景色。
「心ここに在らずだったのは認めるが、こうも簡単に囚われて、惑わされて、揚げ句にここまで気が付かないとか、どうなんだ?」
アスは自分で自分へと苦笑し、その笑みへと自嘲を重ねた。
恐らく、カイヤ達のいる場所へと戻ろうとすれば問題なく戻れる筈だが、この先をどう望んだとしても、これ以上は集落の様子を見せるつもりがないと、そう言う事らしい。
幻惑か、意識自体への制限か、気付かないまま受けていた認識への制限に、アスは楽し気にも溜め息を吐いた。
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