月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

文字の大きさ
上 下
90 / 214
【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

32 魔力欠乏症

しおりを挟む

 遠く、近く、水の流れる音がしていた。
 熱くも冷たくもない、川や泉かも分からない何処か、むしろ寄せては返す、そんな波打ち際にいるかのような緩やかな流れの中、けれど“彼女”は今、身を切る程の凍てつきに震えていた。

ー出血多量もそうですが。典型的な魔力不足の症状、・・・いえ、一過性のものではないのかもしれません。慢性的な魔力欠乏症の症状ですー

 水中で音の振動を拾うかのように伝わって来る声に、“彼女”は震え続けながらも現状の一端を理解した。

 重すぎて上げる気にもならない瞼に、ひたすらに眠くて沈み込んで行く意識には抗おうと言う気すらも起きない。
 なのに、実際に意識を失う事はなく、かと言ってどれだけ意識を向けようと、自身の身体がその意思に従って動いてくれる事もなかった。
 手足の末端に感覚はなく、四肢だけでなく全身へと痙攣するかのような震えが止めようもなく走り続けていた。
 寒いと言う感覚どころか、“彼女”自身が氷像にでもなってしまったかのような感覚に、恐らくはその感覚も間違いではないのだろうと今は思っている。

 体温の低下と指先の震え。それは、限界近くまで魔法を行使する等して、体内を巡る魔力を急激に消費する事で起きる症状であり、典型的な魔力欠乏症の初期症状だった。

ー活動の機能維持に必要な魔力が足りていない、どころか、生命そのものの有り様に支障をきたしていてもおかしくないのでしょうねー

 いや、そこまでではない、筈だ。と“彼女”は寒いと言う感覚にほぼ塗り潰されてしまった意識の片隅で苦笑する。もっとも、表情筋が仕事をするような余裕すらもなかったのだが。

 魔力欠乏症が重度になって行くと、意識を失い、そして生命の維持にすら影響が出始める。
 声は“彼女”の状態をそうだと考えているらしく、けれど、こうして考える事が出来ているのだからそこまでではないとそう思いながらも、“彼女”もまた概ねその見立てに同意出来てしまっていた。

 急激な魔力の欠乏から意識を失う事は、限界以上の魔法行使から、行使者の命を守る為の防衛本能の結果なのだが、その本能すらも捩じ伏せ、無理をした場合、命を削る、或いは、魂そのものに傷が付く事すら有り得た。
 後、自分が何をしたのかは知らないが、それ程までの事だったのだろうと“彼女”はただ思う。
 納得していたと言うよりも、“彼女”は受け入れているのだ、願う事に対する結果代償を。

 “彼女”はただ、自分自身の願いとして常盤ときわの魔女の繋がりチェインたる存在の救助を願い、現状に由来する諸々の代償を享受した。それだけだった。

 寒いとその感覚だけに支配されつつある時間の経過は曖昧で、そんな中でも思い出したように聞こえて来ていた声。
 誰が誰に喋っているのか、その話し声の一部から、“彼女”は自身の状態を朦朧としている意識にも把握し続けていた。

ー回復が遅いのかと思い、食生活を調整していたのですが・・・ー

 確認した事はなかったが、やはりか、と思う。
 “彼女”は眠りから覚めた後の不調に魔力不足の自覚があった。それが、教会での生活の中で、完全ではないものの改善をみせている事に気付いていたのだ。
 そして、現状で踏み留まる事が出来ている要因もそこだろうと思えば感謝しかなかった。
 そうでなければ、今頃は、思考する余裕すらなく昏睡している、或いは生死の境に在るような状態だっただろうと把握出来てしまっていたのだ。

ー生成不良か吸収障害から来る回復不全を今は疑っていますが、今更ですねー

 伝わって来る口調からは読めない感情にも“彼女”は悪かったなと自然にそう思い、それから今までとは異なる意味合いでの身震いをする。

ーいえ?怒ってはいませんよ・・・ええ、苛立ってはいますね、はいー

 怒ってはいないの言葉に楽観しかけ、なのに、苛立ってはいるのだと聞いてしまった事で瞠目する。
 閉じたままである瞼に、やはり瞠目するもないのだが、意識的にはあちゃーと言った感じだろう。

 こうしている場合ではないと、混濁する意識にも重い瞼を、“彼女”は意志の力を総動員させて開こうと試みる。
 そうして、気が付けば、色味のない水面越しの光景には白黒の、明度の差だけで成る世界があった。
 視界の動きのない酷く限られた情景。その世界には誰の姿もなく、何かが明確な形を成している様でもない。
 濃淡に揺れる不鮮明な輪郭だけが在り続けていた。そもそもが、しっかりと結ばれる事のない焦点から、視界がちゃんとした仕事をこなせていないのだと意識の片隅では理解していた。
 “彼女”は誰かの姿を求めでもしていたかのように定まる事のない視線を不安定にさ迷わせ、けれどその“彼女”の視界が不意に赤く染まった。
 ごぼりと、口の端から吐き出された空気の塊に、だが、それは空気等ではなかったのかもしれない。

ーご自分の、かなり危険な状態を理解出来ていますか?ー

 問われているらしい言葉にああ、と口の形だけで“彼女”は答える。

ー眠っていて下さい。危ういどころか九分九厘死にかけですー

 瀕死と言う事だろう。そこに気遣う響きは一切なく、ただ事実のみを宣告する。そんな様子を“彼女”は思い、やはり動く事のない表情筋で苦笑していた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

隠された第四皇女

山田ランチ
ファンタジー
 ギルベアト帝国。  帝国では忌み嫌われる魔女達が集う娼館で働くウィノラは、魔女の中でも稀有な癒やしの力を持っていた。ある時、皇宮から内密に呼び出しがかかり、赴いた先に居たのは三度目の出産で今にも命尽きそうな第二側妃のリナだった。しかし癒やしの力を使って助けたリナからは何故か拒絶されてしまう。逃げるように皇宮を出る途中、ライナーという貴族男性に助けてもらう。それから3年後、とある命令を受けてウィノラは再び皇宮に赴く事になる。  皇帝の命令で魔女を捕らえる動きが活発になっていく中、エミル王国との戦争が勃発。そしてウィノラが娼館に隠された秘密が明らかとなっていく。 ヒュー娼館の人々 ウィノラ(娼館で育った第四皇女) アデリータ(女将、ウィノラの育ての親) マイノ(アデリータの弟で護衛長) ディアンヌ、ロラ(娼婦) デルマ、イリーゼ(高級娼婦) 皇宮の人々 ライナー・フックス(公爵家嫡男) バラード・クラウゼ(伯爵、ライナーの友人、デルマの恋人) ルシャード・ツーファール(ギルベアト皇帝) ガリオン・ツーファール(第一皇子、アイテル軍団の第一師団団長) リーヴィス・ツーファール(第三皇子、騎士団所属) オーティス・ツーファール(第四皇子、幻の皇女の弟) エデル・ツーファール(第五皇子、幻の皇女の弟) セリア・エミル(第二皇女、現エミル王国王妃) ローデリカ・ツーファール(第三皇女、ガリオンの妹、死亡) 幻の皇女(第四皇女、死産?) アナイス・ツーファール(第五皇女、ライナーの婚約者候補) ロタリオ(ライナーの従者) ウィリアム(伯爵家三男、アイテル軍団の第一師団副団長) レナード・ハーン(子爵令息) リナ(第二側妃、幻の皇女の母。魔女) ローザ(リナの侍女、魔女) ※フェッチ   力ある魔女の力が具現化したもの。その形は様々で魔女の性格や能力によって変化する。生き物のように視えていても力が形を成したもの。魔女が死亡、もしくは能力を失った時点で消滅する。  ある程度の力がある者達にしかフェッチは視えず、それ以外では気配や感覚でのみ感じる者もいる。

とある元令嬢の選択

こうじ
ファンタジー
アメリアは1年前まで公爵令嬢であり王太子の婚約者だった。しかし、ある日を境に一変した。今の彼女は小さな村で暮らすただの平民だ。そして、それは彼女が自ら下した選択であり結果だった。彼女は言う『今が1番幸せ』だ、と。何故貴族としての幸せよりも平民としての暮らしを決断したのか。そこには彼女しかわからない悩みがあった……。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

このやってられない世界で

みなせ
ファンタジー
筋肉馬鹿にビンタをくらって、前世を思い出した。 悪役令嬢・キーラになったらしいけど、 そのフラグは初っ端に折れてしまった。 主人公のヒロインをそっちのけの、 よく分からなくなった乙女ゲームの世界で、 王子様に捕まってしまったキーラは 楽しく生き残ることができるのか。

処理中です...