月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

29 誰だ?

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 視界の全てを覆った業火の唸りに、その瞳の色合いを垣間見たのは本当に一瞬の事だった。
 ただの見間違い、或いは突如として発生した焔の色を映しただけ。普通に考えるならその可能性が高く、だが、今なお自身の瞳に残光として残り続ける赤い色。そのあまりの鮮烈さに、ルキフェルは自身が考えた可能性の全てを否定していた。

「っ、大丈夫そうですし、守りを解きます。ですが、もし大丈夫でなかったら、対処の方、お願いしますね」

 息を詰まらせたかのようなフェイの喋り出しから、告げられる言葉にルキフェルは、その時になってようやく気付いた。

「すまない」

 謝罪と感謝の意味を込めたその一言。
 自分が今の今までフェイに守られていたとルキフェルは気付き、後はどうにかするとの意味合いを込めた言葉でもあり、その意志を示すように構える長剣を握る手に僅かばかりの力を込め直した。

「いえ、ついででしたし、それに、この炎に関しては必要がなかったようです。おそらく、意味もなかったでしょうがね」

 後半の苦笑じみていて呟く様な言葉もルキフェルにはちゃんと聞こえていた。
 見張る目の反応だけで驚きを露とし、けれど今は告げられたそれらの言葉に言及している場合ではないと、働く自制に口を開く事はなかった。

 ふっと、ルキフェルは自分を守るように周囲を巡っていた風の渦の存在が薄くなって行くのを意識した。
 必要ないと、ルキフェルがフェイの言葉の意味をちゃんと理解出来たのはその時で、自身を取り巻く業火の激しさを見ていながら、ただ暖かいとそれだけを感じていた。
 荒々しく燃え盛り、余りの熱に大気を焼き、光を歪めながらも、炎は髪の一房どころか露出している部分の肌すらも一切焼く事がなかったのだ。

「・・・・・・」

 不思議な体験にルキフェルはそれ以上の言葉を発する事もなくただ眺め見るまま。炎は辺り一帯、その場にいるものの視界の及ぶ限りをほんの一舐めだけすると次の瞬間には、何事もなかったかのような光景が戻って来ていた。
 けれど、全く影響がなかった訳ではないと、ルキフェルは気付いていた。

 熱せられた大気が上げる唸るような音の中、おおぉぉと嘆くような、怯えるような声とも振動ともつかない響きが聞こえていた。そして、炎に纏わりつかれた何体もの黒い人形が、まるで朝日を浴びた朝靄の様にすぅっと消えて行ったのだ。

 そうして、燃え滓の残滓すらも残さず消えた炎に代わり、正午の光に照らされた明るい森の光景が広がっていた。

「意味がない?」

 気が付いた時には、ルキフェルは自制して抑え込んだ筈の言葉を呟いていた。

「貴方自身に勝算がないのなら、手を出すべきではありません。例え、あの子がどうなっていたとしてもね」
「っ、!」
「やり合いたいって言うなら応じてやりてぇところだが、アタシも制約に触れるワケにはいかない。弁えているさ」

 詰まらなそうに肩を竦めて見せる仕種が、妙に様になっていた。
 
 必要がないのは、出現した炎が自分達を傷付けるものではないと気付いていたから。
 けれど、意味がないと続いた言葉。そして、手を出すべきではないとの警告に、ルキフェルはフェイが意図しようとしているものを理解しつつあった。
 理解しつつあり、それでも、フェイが意識して声音を落としたであろう言葉の後半、明言しなかったが間違いなく触れられたアスの存在に、ルキフェルは一瞬にして全てがどうでも良くなっていた。

「誰だ、お前」
翼風イーフェン状況は?」

 問うルキフェルとアスの声が重なった。
 ルキフェルはアスへと、アスはフェイへとそれぞれに質問をぶつけ、フェイは弾かれたようにアスを見返したが、アスはルキフェルの問いなど聞こえていなかったかの様に反応を示す事はなかった。

翼風イーフェン?」

 弾かれたようにアスを見ながらフェイは唇を引き結び、眇る双眸にただ見据えるまま。そんなフェイへとアスは怪訝そうにもう一度誰かの名を呼んだ。

「貴方は誰、・・・いえ、ですか?」
「ああ、ふ、はは、あははは」

 得心したような『ああ』から、突如として弾かれた様にアスであった筈の誰かは笑い出した。
 お腹を抱える様な豪快な笑い方に、けれど、面食らうルキフェルとは違い、フェイにはそんな余裕もない様だった。
 無表情だが、何処か張り詰めたような空気を纏い、フェイは笑うアスを見詰め続けていた。

「ふは、“誰”ですらなく“何”か、そっか、そっか、よおーく分かった。それを聞くってコトはお前、・・・ああ、まぁイイか、で?」

 途中までは酷く愉しげに、なのに、答える事を促す酷く冷淡な声音と、ふっと消した笑みに右手が落ちたままだった前髪を掻き上げたその時には、その表情からは一切の感情が抜け落ち、硬質的な情動に欠けた光を湛えた赤い瞳が、ただカイの存在を映していた。

「・・・・・・」
「ニーズヘッグの眷属?に寄生されている、と予測した。でも、確実じゃない」

 沈黙したままのフェイ代わり、ルキフェルがそう答えた。

 アスがアスではないのだと、ルキフェル達が認識し始めたその辺りから、カイは一切の反応を失っていた。
 佇むままに硬直したまま、直前までの激情の余韻すらも窺わせる事なく、カイはあの炎の奔流の中ですらも濁ったままの瞳に、今は作り物であるかの様に微塵も動く事がなかった。

「あー、ニーズヘッグな、ってコトは毒がだいぶ回ってんのか」
「毒?」
「宿主の魔力を活性化させる為に、悪夢を見せる。それも、本人の記憶に紐付けばっちしなヤツだからな、相当胸クソだぞ?」
「たぶんそう、と言う段階です」

 ようやく口を開いたフェイが未だ確実ではないと念を押す。

「ん?ニーズヘッグは確実だろ?見えてるし」
「見え、?」

 立てた親指で示されたカイの存在。
 今更何をと思い、けれど、気付いたルキフェルは見開く双眸から驚愕に声を詰まらせた。

「あれが、眷属」

 同じく気付いたらしいフェイも潜める眉根に呟いていた。
 
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