月白色の叙情詩~銀礫の魔女が綴るもの~

羽月明香

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【第二晶 ~選びし者と選ばれし者~】

28 カイの・・・

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 痛みは熱であり、焦熱が躯を、意識を焼く。
 左の前足の付け根から胸の辺りにかけて、生命の根幹を司るに程近いその場所へと走った痛み。命を脅かすと知らせる危険信号に、けれど、カイはすべき行動を取る事が出来なかった。

 威嚇ではなく、怒号でもなく、敢えて言うならば悲鳴、もしくは慟哭。
 瞳孔すらも開き、カイの口から迸ったその咆哮に、カイはそれを自分自身が発しているのだと認識する事が出来なかった。
 身体を、精神を侵されながらも、どうにか保っていたもの。気が付いた時には完全に手遅れで、希薄になりつつある自我に、カイは地面に倒れ行く、をただ見開く双眸で見詰めていた。


 視界に咲いた緋沙羅は有り得ない程に飛散した、自らの愛し子の鮮血の色。
 きらきらと、場違いな程に美しく場を彩る白金色の繊毛は、散り散りに千切れて舞う愛し子の髪であり、受けた日の光に青白いシラーを閃かせ煌めいていた。

 そんな光景に、常盤ときわの魔女に代わって、この地を司っていたカイはただ叫ぶ。喉を引き裂かんばかりの叫びに、木々が、大地が、空気すらもが呼応しざわめき始めていた。

ー・・・何故、この子が傷付かねばならなかったのかー

 声なき声。声帯を使う事なく意思を直接的に伝播させるその響きには、深い怒り、そしてそれ以上の憎悪があった。

ー深く、深く傷付いていた。失敗したのだと己を責め苛む聲を聞いていたー

 光が蝕まれて行く。
 まだ正午前の、日が高くなりつつある時間帯だと言うのに、黒い靄か霧のようなものが、頭上から照らす光を遮りつつあった。

ー・・・一体誰がこの子を傷つけたのか、誰の所為でこの子は倒れ伏しているのか、逃げ込んだ安寧の眠りの中にすら安らぎはなく、僅かばかりの休息すらも破られたー

 満ち行く黒い靄が、その濃淡で象っては崩す不定型な人にも似た形。
 高く低く、嗚咽の様な、喘鳴の様な、笛の音にも似た響きかそこかしこからし出し、聞く者の鼓膜だけでなく肌をも震わせる。

ー泣けない、幼い心ままの心で耐え続ける愛し子・・・償わせよう、例え許されようのない事であったとしてもー

 カイの暗く重い聲が告げ行く宣告に、その心情を表しているかような黒い靄達が、一瞬だけ張り詰める空気と共に流動する動きを止めた。

ー罰を、その無にも等しき価値の命へと・・・ー

 光を見なくなった常緑の眸は、薬草を煮詰めた鍋の中の様に、どろりと粘性を帯びた色合いを湛えていた。

ー贖えー

 そうして告げられる執行の宣下に、漂う影等から無数の視線が一斉に注がれる。
 生き物の持つ熱を感じさせる事のない無機質な眼差し。
 けれど、それらは紛れもなく、ルキフェルとフェイの二人を捉え、見ていた。

 動けない二人は、ただ裁かれる時を待つ罪人の様に、そして・・・・・・

「誰のせいか?この怪我の感じだと、どう考えてもお前だろ?」

 呆れを含むそんな口調に、それは誰の声だったのか。
 ただ、その緊張感に欠けた声が発せられた瞬間、執行の刃と化していた影等が、まるで幻であったかのように形を失い、暗い靄へと再び転じていた。

「慢心か油断か知らないが、お前のせいだよ、月代つきしろの」

 声を発していたのは倒れていたアスだった。
 その事に、その場にいた誰もが直ぐに反応出来なかったのは、声音に込められた苛立ちと抑える気のない怒りの感情、そして、その口調の粗暴ともとられ兼ねない乱雑さが、あまりにもアスと言う存在と結び付かないものだったからだろう。

 反動を付ける様子もなく、腹筋の力だけで、アスは仰向けに倒れた状態から、上半身だけを起こす。
 顔に落ちた前髪は、アスの表情を窺わせる事はなく、けれど、動いた事で全身へと及ぶ傷が開くのだろう滴る鮮血の様子に、嫌そうに口もとを歪めていた。

「状況が分からないまま起こされて、何となく窺っていたワケだが、シスコンを拗らせて闇堕ちしかけてるとか、冗談も大概にしろよ」
「シスコン・・・」
「シスコン・・・」

 異口同音の呟きに、ルキフェルとフェイはカイを見詰め、僅かに仰ぐようにして顔を上へと向けるアスもまた、前髪の奥からカイを見ているようだった。

「言い得て妙な感じはありますが、成る程」

 妙と違和感を口にしていながら、その次には納得をフェイは告げていた。

「ったく、闇の精霊シェードをこんなに喚び寄せやがって、辛気臭いったらないな。消すぞ」

 消すと、その言葉の意味を誰かが深く考える前に、アスは行動を起こしていた。
 パチンと、小気味良い音がその場にいる者の耳朶へと届く。
 刹那、ごうっと空気が唸る音を聞き、全てが真紅に染まったのだ。
 赤く、朱く、緋い色の乱舞。時に、白や黄色みを強めた橙色の揺らぎを見せ、その瞬間、辺り一帯を巻き込み瞬間的な熱風が渦巻いた。    
 その熱風になぶられながらも、カイは、そしてフェイやルキフェルもまた見ていた。
 
 婉然と、悠然と、或いは豪然と浮かべられる笑みへと弧を描く口もと。
 渦巻く業火の中でも青みあるひかりを湛え続ける繊細な白銀の髪。その髪ははためくローブコートの裾や袖口と同じ様に熱波へと靡き、そして今、前髪の奥へと潜められていた瞳のを晒していたのだ。
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