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【序章】
序晶 最後の戦い
しおりを挟む業火が渦巻き、空間を皹割るかの如き様相で走る紫電が轟音とともに降り注ぐ。
正真正銘、私の全力の一撃は、相手の躯を覆う無数の鱗数枚に皹を走らせ、皮膚をほんの少しばかり焦がす。それだけだった。
重くも鋭く振られる尾の一挙動で炎は一瞬にして掻き消され、その遠心力の余波だけで、無数の礫と呼ぶ事すら生易しい岩の塊が跳ね飛ばされて来る。
私には、それが自分の方へと飛んでこない事を、ただ願う事しか出来なかった。
岩そのものでなくても、叩きつけられるかの様に襲い来る砂の粒は、身を包むローブの上からでもかなりの痛みをともない、痣は覚悟しなければならない、寧ろ痣だけで済めば良いとそう思った。
私はその場で出来る限り身を低くし、片手で押さえ込んだフードの下で、薄目を開けて現状を確認する。
砂塵の向こうに、見下ろして来る双眼を見た気がして、もともと動く事等出来なかったが、それでも、私はどうしようもない程に射竦められ、身体を強張らせてしまう。
鰐の顔を更に凶悪にし、鼻筋に添って生えた二本の大小の角。その両側で輝く金赤の双眼は、瞳孔が縦に裂けていて、ただ虚無を映しその場を睥睨していた。
目だけで見上げているその顔に、先程からのダメージによる変化は見られず、苛立ちや煩わしさすらも感じていないかのようで、私は一人納得する。
理不尽とは思わない。寧ろ当然だとすら思う。そもそもあれは私如きが対峙出来る相手ではないのだから。
成り行きでここまで来てしまい、改めて思い知ったが、まぁ今更だった。
私にはアレをどうにかするなど不可能なのだから、私にはどうしようもないのだ。
そんな自分自身の内心に、現状を悲観し諦めた訳ではないのは、ここには既に、アレをどうにか出来る存在がいるからだった。
ーピシッー
薄く張った氷を靴底で踏み砕く、そんな音に酷似した微かな音を私の耳は拾った。
細めた双眸で私の見据える光景。不意に、暗灰色の砂礫の地面に真っ白な花が咲きつつある事に気が付いた。
蕾の先端を綻ばせ、その場その場で咲こうとしている花は一つだけではなく、私の対峙する相手、軽く広げた蝙蝠の翼を威圧的に揺らす竜の体躯を中心にして咲き誇ろうとしているようで、少しずつその花弁を広げつつあった。
ーピシリ、ピシリー
空気が伝える微細な音を私は聞く。
恐怖ではない理由で震える体。そして、吐き出す呼気が白くなっていた。
砂礫の中で咲く花は、絶対零度すらも生温い氷の花。
その花弁は広がり続け、花びら等とは言えない程に、今や地面だけでなく、竜の大木の幹程もある四肢すらも霜で白く覆いつつあった。
先程の業火と雷はこの状態へ持って行く為だけの下準備であり、目眩ましを兼ねた布石の一つ。
殺傷力の高い火と雷。厳密に言えば風や水系統の制御やらの諸々。そして、それで仕留められなかった時の為の確実な足止め。それが私の行使した魔法の効果だった。
そう全ては“足止め”なのだ。
足元から這い上がって来る霜に、見上げる程に強大な体躯の竜は、今や翼と首迄をも覆われてその動きを止めていた。
本来ならこの魔法は、対象を凍り付かせて氷柱の中に留め置き、捕らえた存在をこの世の果てまで眠りにつかせる永久氷牢となる。
けれど、相手が相手であり、そもそもの絶対的な能力の差で、本来の効果は成立しない。
霜に覆われ、その中から青く澄んだ氷が成長を始めていた。
直後ビシリと結晶が砕け散る音ともに霜の一部が剥がれ、ドコドコと氷塊が落ちた。
剥がれ落ちた霜の下で膨らむ喉の様子が露となり、ブレスが来るのだと確信する。
分かっていた。私にはアレをどうにかするなど不可能だと。だから私は、声にならない声で叫ぶようにして、ただ“彼”を呼んだ。
ー勇者・・・!!ー
その存在は光の御子、魔を滅するもの、世界の守護者。そんな幾つもの名で呼ばれ、人々の尊敬と期待を一身に集め希望と成す者。
そうして戦い続けて来た少年が、凍り付いている地面をものともせず駆けていた。
佇む竜の大き過ぎる体躯。その数メートル手前で勇者である少年が強く地面を蹴ればバキリと小さなクレーターが出来、その小柄な身体は、瞬き程の間で頭上にあった竜の喉もとへと迫っていた。
両手で柄を握り、掲げ持たれた長剣。跳躍の勢いすらも乗せ、込めた力に、勇者は膨らんだ喉へとその刃を突き出した。
ーパキリー
あまりにも軽い音だった。水溜まりに張った薄い氷を踏み砕く、そんな音を想起させられ、けれど、それは、世界そのものに皹を入れてしまったかの如き結果をもたらした。
ーグォォォォッー
轟音は咆哮だった。突き刺した刃を起点に灯った光は、小さいながらも太陽の光すら凌駕するかのように。目を焼き、そして、竜の咆哮すら掻き消す轟音が衝撃となって全てを吹き飛ばした。
文不相応な威力の魔法の連続行使。その代償で、私は実のところ既にほぼ身動き一つ満足に出来ない状態になっていた。
私の身体は成す術なく襲い来る衝撃に呑まれ、立っていた筈の地面の感覚を失った。
滞空する、高速で移り変わる、その一瞬刹那の視界に黒金の髪色が映り込み、見遣る私へと何事かを告げる勇者の姿を見た気がして・・・・・・
衝撃が来る度に視界が白飛びする。硬い地面へと叩き付けられ、二度三度と跳ねる様にして滑り、何処が痛いのかすらも分からなくなって来た頃、一際強い衝撃が背中に入り息が詰まった。
口内に広がる血の味。口の中を切ったと言うのもそうだが、吐き気のように競り上がってくるその感覚に咳き込む事すら難しく、そうして私は、酷く明度の落ちた視界に、景色とも呼べない夜闇の色合いを映したのを最後に意識を手放していた。
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