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5 真実の愛が見えたなら

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「お、おっ、王太子殿下がっ! お見えになりましたっ!」

 突然訪問した王族に、執事は大慌てで食堂に駆け込んできた。

 私の前には、赤髪の女によってグチャグチャに混ぜられた食事が並んでいる。
 たまには一緒に食事をしようと婚約者に言われて食堂に来てみれば、このざまだ。赤髪の愛人は、男爵と仲良く食事をする姿を私に見せつけたかったらしい。
 でもそれは、突然の訪問者に中断された。

「急にすまないね。ああ、食事時だったか。悪いね、続けてくれ」

 全然悪いとは思っていない態度で、食堂に入って来た銀色の髪の王太子様は、私とリオンに目配せをした。王太子様の後ろから側近のサイラスとブラザーとシスターたちがぞろぞろとついてきている。誰にも咎められずに部屋に入り込んだ彼らは、私とリオンに深々とお辞儀をして、壁際に静かに立った。

 高貴な客人の乱入に驚いた男爵は立ち上がる。その膝から滑り降りた赤髪の愛人は、逃げるように扉の方に行った。
 でも、この部屋からは出ることは許さないというように、ドアの前にはサイラスが立って、出口をふさいでいる。

「な、なぜ、王太子殿下が?」

「やあ、爵位を与えて以来だね。約束通り、貴族の婚約者を迎えたようだが、元気にしているかい? ソフィア」

 あたふたと礼をとる男爵に、王太子様は鷹揚にうなずいてから私に紫の瞳を向ける。

「エドワード殿下におかれましては、お変わりないようで」

「うん。最近とても調子がいいんだ。全て順調でね」

 王太子様は腕にくっついているピンク髪の女性を嬉しそうに見た。女性はパチパチとまばたきをして、うっとり微笑み返す。

「あ、あのぉ。本日はどういったご用件で?」

 貴族の世界に慣れていない平民上がりの男爵は、無礼にも王太子様から用件を聞き出そうとした。

「ああ、これだよ」

 その態度が気に障ったのか、王太子様は刀をいきなり抜いた。刀身がギラギラと光っている。

「な! 何をなさるのです?」

「珍しい刀を手に入れてね。見せびらかしたくなったんだ。氷の剣と呼ばれる男爵なら、この刀の価値を分かってくれるんじゃないかってね。突然訪ねて悪かったね」

「は? え? 刀?」

 訳が分からないと言う風に、口を開けて男爵は王太子様を見る。

「そうだよ。ほら、切れ味はどうかな?」

 ビュン ビュン

 音を立てながら、王太子様は、刀を振り回して、部屋を歩きまわる。

「ひっ」

「きゃあ」

 召使いたちは王太子様の刀から、あわてて逃げまどう。
 赤髪の女と目があった王太子様は、迷わず彼女の方へ足を向けた。

「きゃ、いやぁ!」

 自分に刀が向けられている。
 そう悟った女は、赤い髪を振り乱して逃げようとして、何かに足をとられて転んだ。

「ひっ、いやぁ!!」

 ザンッ

 銀色に光る刀身が彼女の胸から腰を斜めに切り裂いた。
 女の赤い口から、かすれた声と血が零れ落ちる。

「あ、ジョー たすけ……」

「アンナ!!」

 男爵が恋人に走り寄る。そして、あふれる血を止めようと胸に手をあてて、絶望した顔で王太子様を見上げる。

「なぜこんなことを!! なんでアンナを!」

「なんのことかな? ああ、虫でも切った? 汚れてるね」

 床にたまっていく赤い血を気にも留めずに、王太子様はシュッと刀を一振りして、血を飛ばす。

「そこに誰かいるのかい? 僕には何も見えないんだけど。ねえ、サイラスには見える?」

 にっこりと笑った王太子様は、無表情で扉を守るサイラスに問いかけた。

「いいえ、私にも何も見えません」

「そうだよね」

 私は、恋人を抱く男爵をぼんやりと見ていた。血の匂いがする。彼女の長い赤い髪が、赤い血で染まっていく。

「ああ、アンナ死なないでくれ。アンナ!」

 男爵の悲鳴が響く中、赤髪の女の体から魂が抜けていくのが見えた。生まれたばかりの赤髪の女の幽霊は、宙に浮かび、困惑したように男爵に触れようとする。でも、その手は男爵の体をすり抜けてしまう。

 ――ジョージ。私はここよ、ジョージ。

 必死で訴えているけれど、その声は彼には聞こえない。

 彼には、彼女が見えないのだ。

 ここにいる使用人たちも、誰も彼女を見ることはできない。赤髪の女は、本者の「見えない」存在になったのだ。

「なぜ、こんなことを、よくも!」

 恋人を殺された男は、ゆらりと立ち上がって、王太子様の方へふらふらと歩く。壁に立てかけられていた剣を手に取って。

「王族だからって、罪もない女を、俺のアンナを!」

 氷の剣と呼ばれた男は、戦場で鍛えた剣を振るう。通常であれば王太子様には防ぐことは不可能だっただろう。

 でも、側近のサイラスが、いつの間にか王太子様の前に立って、その剣を受け止めていた。

 キンッ カキン

 鋭い音が何度かした後、サイラスの剣が男爵の胸に突き刺さっていた。

 ゴボッ

 口から血を吐きながら、男爵は床に転がった。

「きゃぁ!」「いやぁ!」「助けてくれ!」

 召使いたちが出口へ走る。でも、それを一人も見逃さずにサイラスが切りつける。
 部屋中に赤い血が飛び散った。

 生まれたばかりの幽霊たちが、ふらふらと不安そうに部屋の中に漂っている。

 ふと、男爵の幽霊と目があった。赤髪の女を守るように腕に抱いた男は、私の隣に立つ彼に、やっと気がついてくれた。私を守るように剣を構えるリオンを見て、青い瞳が驚愕に見開かれる。

 ああ、彼らも、やっと見ることができたのね。
 いつもあなたたちの愛を見せつけられるばかりで、つまらなかったのよ。私だって、最愛の人を自慢したかったわ。

 彼女たちに、私の真実の愛を見せてあげたかったの。

 私達の方がずっと大きな愛で結びついているのよ、ってね。私のリオンの方が、ずっとかっこいいわって。

 ふらふらと向かってくる幽霊たちを、リオンは素早く真っ二つに切り裂いた。

 幽霊にも死はあるのだ。
 私のリオンにはそれができる。
 彼に切られた幽霊は、二度と生まれ変わることもできずに消滅するのだ。

 さらさらと砂のように光りながら、男爵と赤髪の女の幽霊は消滅していく。きっと、何が起きたのか彼らには分からないだろう。
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