3 / 6
3 白花草と教会
しおりを挟む
「リオン。教会に寄って行きましょう?」
男爵家からの帰り道、家の手前で馬車を降りて、川沿いの道を歩く。水辺に降りようとする私に、リオンは手を貸してくれようとするけれど、私はその手を取らずに、草の生えた崖を滑るように降りる。
「見つけた」
小さい白い花が、水際でひっそりと咲いている。
白花草だ。一年を通して花をつけることから、庶民はこれを墓前に供える。貴族は、温室で育ている白薔薇や白百合を使うのだろうけど。
花びらを傷つけないように、そっと摘む。手伝おうとするリオンを止める。これは私の仕事だから。
満足いく大きさの花束を作ると、教会へと歩く。
王都のはずれにある教会は、7歳のあの日から毎日のように通っている。運が良ければ出会えるかもしれない。今日は水の曜日だから、もしかしたら、きっと……。
今にも崩れそうな古い建物に入ると、シスターたちが私を歓迎してくれた。彼が来ていると教えてくれる。
今日は多めに摘んできてよかった。
教えてくれたお礼だと、シスターたちに一輪ずつ白花草を渡す。彼女たちは嬉しそうに笑った。
「殿下!」
教会から帰ろうとしている後ろ姿を追いかける。
主を呼び止める無礼な娘に、側近が目を吊り上げてふり向いた。その隣の王太子様は10年前と同じ、優しい微笑みを見せてくれる。
「やあ、また会えたね。ソフィア」
「あの、これ、どうぞ!」
私は白花草の花束を王太子様に渡した。
「はぁ?! 死者に手向ける雑草を殿下に贈るとは、なんて失礼な娘なんだ!」
側近が私の前に立ち、怒鳴りつけるのを王太子様が止めた。
「やめろ。彼女にかまうな」
「しかし! こんな無礼者は」
「いいんだ。……ソフィア、いつもありがとう」
王太子様は花束を受け取ってから、いたわるように私の手を取った。
「また、荒れているね。良く効くハンドクリームを贈ろう」
「……ありがとう、ございます」
ちらっと見あげると、王太子様の肩に、女の人があごを乗せている。私と目が合うと、パチパチとまばたきをした。
ふわふわしたピンク色の髪に水色の瞳は10年前と同じだ。変わったのは、鼻と口から黒い血を流していないこと。すっかり健康な見た目になって、キラキラした眼差しで、王太子様の横顔を愛おしそうに見つめている。白花草の花束を王太子様が持ち上げると、女の人は、大きく口を開けて、ぱくりと白い花びらを食べた。
「婚約が整ったんだって?」
王太子様は何でも知っている。今日会ったばかりの婚約者のことも、私よりも詳しく知っているだろう。
「はい、ジョージ・クローダン男爵です」
私が相手の名前を言うと、側近の男が顔をゆがめた。
「はっ、成り上がり男爵か。女を使って敵の情報を得た卑怯者が婚約者になるのか。うそつき令嬢にはピッタリだな」
バカにしたように笑う側近の男に、私の騎士のリオンが剣を抜く。
「サイラスやめろ。私の側近がすまない。許してくれ」
王太子様は、リオンに向けて謝罪した。それを受けて、彼はしぶしぶ剣をしまった。
「わたし、しばらくここには来れないかもしれません」
10年間通った教会には、当分来ることはできないだろう。明日から、婚約者の家で住み込みで行儀見習いをすることになっている。三か月後の結婚式まで待てないらしい。父は厄介者の私を早く追い出したいのだ。
「そうか。では、時間ができたら、君の婚約者に挨拶に行こう」
「!」
「この花のお礼だ。いいね」
紫色のまっすぐなまなざしに、こくりとうなずく。
「うそつき令嬢なんかのために、成り上がり男爵家に行くなど、殿下、気は確かですか?」
「サイラス。彼女は僕の大切な人だ。婚約相手に挨拶ぐらい構わないだろう?」
「王妃様に言いつけますよ」
「それは、やめてほしいな」
困ったように微笑む王太子様の肩の上から、ピンク髪の女性がにらみつけると、サイラスの茶色い髪がぶわっと揺れた。彼は、寒くてたまらないというようにぶるっと身震いする。
「殿下、もう帰りましょう。ここは寒いです。風邪をひかれたら、王妃様からおしかりを受けますよ」
「そうだね。それじゃあ、ソフィア。また、ね」
「はい。エドワード殿下」
私はお辞儀をして、王太子様を見送った。
パチパチとまばたきをして私をじっと見つめてから、ピンク髪の女の人も王太子様の背中にくっついて帰っていく。
この10年間、捧げ続けた白花草のおかげで、彼女はとても力のある存在になった。王太子様の望みが叶う日も近いだろう。
王太子様は、王妃の実の息子ではない。それは誰もが知っているけれど、決して口には出せない真実。17年前、ドレス姿でパーティに出席した王妃は、昨夜自分が産んだのだと言って、赤子を見せびらかしたそうだ。建国王と同じ銀色の髪と紫の瞳をした赤子だった。ごく稀に王族の血をひく者に誕生する奇跡の紫の瞳。国王は自分の息子だと認めた。
その数ヶ月前に、妊娠した国王の愛人が行方不明になっていた。彼女は、ピンク色の髪に水色の瞳をしていたそうだ。
無力な国王は、宰相の傀儡だ。宰相と彼の娘の王妃に逆らえる者はこの国にはいない。 子ができなかった王妃は、国王の愛人を誘拐して監禁し、産まれた赤子を奪ったのだ。そして、自分が産んだことにした。パーティで赤子が披露された翌日、愛人の遺体が見つかった。
王妃は、美しく育った王太子にひどく執着している。甥のサイラスに王太子を監視させ、彼の行動を制限した。もっとも、サイラスは、出来が良くない不真面目な側近で、仕事をさぼってばかりだけど。
「私達も帰りましょう、リオン」
ブラザーとシスターたちに見送られて、私とリオンも教会を後にした。
若いシスターは、私の護衛騎士にうっとりと見とれている。
黒い髪に青い瞳をした長身のリオンは、婚約者の男爵と少しだけ似ている。でも、私の大切な騎士の方が、ずっとかっこいい。
彼が微笑みを見せるのは、私だけなのよ。
ちょっとだけ優越感を感じながら、大切な騎士と並んで歩いた。
男爵家からの帰り道、家の手前で馬車を降りて、川沿いの道を歩く。水辺に降りようとする私に、リオンは手を貸してくれようとするけれど、私はその手を取らずに、草の生えた崖を滑るように降りる。
「見つけた」
小さい白い花が、水際でひっそりと咲いている。
白花草だ。一年を通して花をつけることから、庶民はこれを墓前に供える。貴族は、温室で育ている白薔薇や白百合を使うのだろうけど。
花びらを傷つけないように、そっと摘む。手伝おうとするリオンを止める。これは私の仕事だから。
満足いく大きさの花束を作ると、教会へと歩く。
王都のはずれにある教会は、7歳のあの日から毎日のように通っている。運が良ければ出会えるかもしれない。今日は水の曜日だから、もしかしたら、きっと……。
今にも崩れそうな古い建物に入ると、シスターたちが私を歓迎してくれた。彼が来ていると教えてくれる。
今日は多めに摘んできてよかった。
教えてくれたお礼だと、シスターたちに一輪ずつ白花草を渡す。彼女たちは嬉しそうに笑った。
「殿下!」
教会から帰ろうとしている後ろ姿を追いかける。
主を呼び止める無礼な娘に、側近が目を吊り上げてふり向いた。その隣の王太子様は10年前と同じ、優しい微笑みを見せてくれる。
「やあ、また会えたね。ソフィア」
「あの、これ、どうぞ!」
私は白花草の花束を王太子様に渡した。
「はぁ?! 死者に手向ける雑草を殿下に贈るとは、なんて失礼な娘なんだ!」
側近が私の前に立ち、怒鳴りつけるのを王太子様が止めた。
「やめろ。彼女にかまうな」
「しかし! こんな無礼者は」
「いいんだ。……ソフィア、いつもありがとう」
王太子様は花束を受け取ってから、いたわるように私の手を取った。
「また、荒れているね。良く効くハンドクリームを贈ろう」
「……ありがとう、ございます」
ちらっと見あげると、王太子様の肩に、女の人があごを乗せている。私と目が合うと、パチパチとまばたきをした。
ふわふわしたピンク色の髪に水色の瞳は10年前と同じだ。変わったのは、鼻と口から黒い血を流していないこと。すっかり健康な見た目になって、キラキラした眼差しで、王太子様の横顔を愛おしそうに見つめている。白花草の花束を王太子様が持ち上げると、女の人は、大きく口を開けて、ぱくりと白い花びらを食べた。
「婚約が整ったんだって?」
王太子様は何でも知っている。今日会ったばかりの婚約者のことも、私よりも詳しく知っているだろう。
「はい、ジョージ・クローダン男爵です」
私が相手の名前を言うと、側近の男が顔をゆがめた。
「はっ、成り上がり男爵か。女を使って敵の情報を得た卑怯者が婚約者になるのか。うそつき令嬢にはピッタリだな」
バカにしたように笑う側近の男に、私の騎士のリオンが剣を抜く。
「サイラスやめろ。私の側近がすまない。許してくれ」
王太子様は、リオンに向けて謝罪した。それを受けて、彼はしぶしぶ剣をしまった。
「わたし、しばらくここには来れないかもしれません」
10年間通った教会には、当分来ることはできないだろう。明日から、婚約者の家で住み込みで行儀見習いをすることになっている。三か月後の結婚式まで待てないらしい。父は厄介者の私を早く追い出したいのだ。
「そうか。では、時間ができたら、君の婚約者に挨拶に行こう」
「!」
「この花のお礼だ。いいね」
紫色のまっすぐなまなざしに、こくりとうなずく。
「うそつき令嬢なんかのために、成り上がり男爵家に行くなど、殿下、気は確かですか?」
「サイラス。彼女は僕の大切な人だ。婚約相手に挨拶ぐらい構わないだろう?」
「王妃様に言いつけますよ」
「それは、やめてほしいな」
困ったように微笑む王太子様の肩の上から、ピンク髪の女性がにらみつけると、サイラスの茶色い髪がぶわっと揺れた。彼は、寒くてたまらないというようにぶるっと身震いする。
「殿下、もう帰りましょう。ここは寒いです。風邪をひかれたら、王妃様からおしかりを受けますよ」
「そうだね。それじゃあ、ソフィア。また、ね」
「はい。エドワード殿下」
私はお辞儀をして、王太子様を見送った。
パチパチとまばたきをして私をじっと見つめてから、ピンク髪の女の人も王太子様の背中にくっついて帰っていく。
この10年間、捧げ続けた白花草のおかげで、彼女はとても力のある存在になった。王太子様の望みが叶う日も近いだろう。
王太子様は、王妃の実の息子ではない。それは誰もが知っているけれど、決して口には出せない真実。17年前、ドレス姿でパーティに出席した王妃は、昨夜自分が産んだのだと言って、赤子を見せびらかしたそうだ。建国王と同じ銀色の髪と紫の瞳をした赤子だった。ごく稀に王族の血をひく者に誕生する奇跡の紫の瞳。国王は自分の息子だと認めた。
その数ヶ月前に、妊娠した国王の愛人が行方不明になっていた。彼女は、ピンク色の髪に水色の瞳をしていたそうだ。
無力な国王は、宰相の傀儡だ。宰相と彼の娘の王妃に逆らえる者はこの国にはいない。 子ができなかった王妃は、国王の愛人を誘拐して監禁し、産まれた赤子を奪ったのだ。そして、自分が産んだことにした。パーティで赤子が披露された翌日、愛人の遺体が見つかった。
王妃は、美しく育った王太子にひどく執着している。甥のサイラスに王太子を監視させ、彼の行動を制限した。もっとも、サイラスは、出来が良くない不真面目な側近で、仕事をさぼってばかりだけど。
「私達も帰りましょう、リオン」
ブラザーとシスターたちに見送られて、私とリオンも教会を後にした。
若いシスターは、私の護衛騎士にうっとりと見とれている。
黒い髪に青い瞳をした長身のリオンは、婚約者の男爵と少しだけ似ている。でも、私の大切な騎士の方が、ずっとかっこいい。
彼が微笑みを見せるのは、私だけなのよ。
ちょっとだけ優越感を感じながら、大切な騎士と並んで歩いた。
194
お気に入りに追加
172
あなたにおすすめの小説
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

お前を愛することはないと言われたので、愛人を作りましょうか
碧桜 汐香
恋愛
結婚初夜に“お前を愛することはない”と言われたシャーリー。
いや、おたくの子爵家の負債事業を買い取る契約に基づく結婚なのですが、と言うこともなく、結婚生活についての契約条項を詰めていく。
どんな契約よりも強いという誓約魔法を使って、全てを取り決めた5年後……。

この国では魔力を譲渡できる
ととせ
恋愛
「シエラお姉様、わたしに魔力をくださいな」
無邪気な笑顔でそうおねだりするのは、腹違いの妹シャーリだ。
五歳で母を亡くしたシエラ・グラッド公爵令嬢は、義理の妹であるシャーリにねだられ魔力を譲渡してしまう。魔力を失ったシエラは周囲から「シエラの方が庶子では?」と疑いの目を向けられ、学園だけでなく社交会からも遠ざけられていた。婚約者のロルフ第二王子からも蔑まれる日々だが、公爵令嬢らしく堂々と生きていた。

思い出してしまったのです
月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。
妹のルルだけが特別なのはどうして?
婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの?
でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。
愛されないのは当然です。
だって私は…。
神託の聖女様~偽義妹を置き去りにすることにしました
青の雀
恋愛
半年前に両親を亡くした公爵令嬢のバレンシアは、相続権を王位から認められ、晴れて公爵位を叙勲されることになった。
それから半年後、突如現れた義妹と称する女に王太子殿下との婚約まで奪われることになったため、怒りに任せて家出をするはずが、公爵家の使用人もろとも家を出ることに……。

婚約者に「愛することはない」と言われたその日にたまたま出会った隣国の皇帝から溺愛されることになります。~捨てる王あれば拾う王ありですわ。
松ノ木るな
恋愛
純真無垢な心の侯爵令嬢レヴィーナは、国の次期王であるフィリベールと固い絆で結ばれる未来を夢みていた。しかし王太子はそのような意思を持つ彼女を生意気と見なして疎み、気まぐれに婚約破棄を言い渡す。
伴侶と寄り添う心穏やかな人生を諦めた彼女は悲観し、井戸に身を投げたのだった。
あの世だと思って辿りついた先は、小さな貴族の家の、こじんまりとした食堂。そこには呑めもしないのに酒を舐め、身分社会に恨み節を唱える美しい青年がいた。
どこの家の出の、どの立場とも知らぬふたりが、一目で恋に落ちたなら。
たまたま出会って離れていてもその存在を支えとする、そんなふたりが再会して結ばれる初恋ストーリーです。

【完結】婚約破棄されたから静かに過ごしたかったけど無理でした
かんな
恋愛
カトリーヌ・エルノーはレオナルド・オルコットと婚約者だ。
二人の間には愛などなく、婚約者なのに挨拶もなく、冷え切った生活を送る日々。そんなある日、殿下に婚約破棄を言い渡され――?

【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる