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22 魔法医

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 あんなことがあったけれど、翌日もメアリーを連れて王宮に向かった。アルフ様に聖水を届けるためだ。
 王妃は怖かったけれど、アルフ様に会いたい。
 アルフ様は王妃が私にやろうとしたことを知っているのだろうか?

 アルフ様の真っ青な瞳を思い出す。
 いいえ。あんなに真っ直ぐな方が、そんな違法なことを黙っているとは思えない。きっと知らされてない。
 陛下が私に守秘契約を結ばせたから、相談はできない。

 今までは大聖女が魔力を譲渡していた。彼女は王弟と結婚して、親類になったので法的には問題はない。でも、大聖女を王室が利用することは良くないので、公にはされていない。
 魔力譲渡のせいで大聖女の力が弱まっている。だから、王妃は次の魔力供給者を探している。


 物思いに浸りながら、馬車から外の景色を眺めていたら、通りの向こうにいる人と目が合った気がした。! 赤い目。あれは……。

「止まって!」

 馬車が止まるとすぐに駆け下りた。

「お待ちください!」

 後ろからメアリーが追いかけてくる。
 行きかう馬車を避けながら、その人を見つけた。

 どうしてここに?!

「やあ、具合はいかがかな。俺の患者さん」

 男は黒い髪をかき上げながら、私を見て不敵に笑った。

「元気にしてる?」

「! あなた、いったい……」

 ゼオン・イースタン。魔力核の移植手術をリリアーヌに勧めた魔法医。王都に来るなんて。

「久しぶりに会えたんだ。よかったら、そこのカフェでお茶でもどう? その後の患者の診察もかねて」

 彼に話したいことがあった。追いかけて来たメアリーには馬車で待つように告げて、ゼオンと二人でカフェに入った。
 メアリーは不満そうだったけど、ゼオンがほほ笑むと、真っ赤になってすぐに従った。


「僕にはコーヒーを。君は何がいい? 紅茶でいいかな?」

 王都にできたばかりのカフェは豪華な内装で、上流階級の人間でにぎわっている。お忍びで利用する紳士や淑女もいるため、各席が個室のように配置されている。
 私は用心深くまわりを見渡してから、ゼオンに向き直った。

「なぜ王都にいるの?」

 ゼオンはコーヒーにたっぷりのミルクを入れてから、私に顔を近づけた。

「もちろん、患者を診るためだよ」

 そのまま、私のことを赤い瞳でじろじろと観察した。

「顔色がよくないね。何か悩みでもあるのかな?」

 ゼオンの赤い瞳から視線をそらして、私も紅茶に砂糖を入れてかき混ぜた。一瞬、第一王子の魔力譲渡のことを話してしまいたい気持ちになったけれど、開きかけた口を紅茶を飲んでごまかした。砂糖を入れすぎたせいか、のどに甘さが残った。

「ねえ、せっかく自由になったのに、なんでまた、囚われてるの?」

 ゼオンの質問の意味が分からなかった。

「わたしは、自由よ。囚われてなんかいないわ」

 赤い瞳がまっすぐに私を見つめていた。

「囚われているよ。神殿に、王家に、そしてリリアーヌに」

 魔物と同じ真っ赤な瞳に見つめられて、凍り付いたように動けない。どこか退廃的で怪しい美貌の持ち主は、手を伸ばして私の頬に触れた。視界が真っ赤に染まったような気がした。
 どうしたらいいのか分からない。見開いた目が涙であふれた。

 ゼオンはすぐに手をのけて、困ったように笑った。 

「僕たちは賭けに勝った。君は楔から解放された。もう自ら鎖をかける必要はないんだよ」

 その声はどこまでも優しく聞こえた。
 でも、そんなこと聞きたくなかった。
 だって、私は、

「囚われてなんかないわ。私は、大聖女になって、王子の妃になって、みんなを見返してやるのよ!」

 首をふって答えると、あふれた涙がぽたりと落ちた。
 歪んだ視界でゼオンの赤い瞳をにらみつけた。

 私はもう、同情されるような弱い子供じゃない。私は、完璧なリリアーナになって、みんなの上に立ってやるのよ。

「それ、全然楽しくなさそう」

 ふう、とゼオンは困ったようにため息をついた。

「僕は魔法医だから、たくさんの人を手術してきたよ。でも救えない人もいた。仕方ないよね、そういうこともある。でも、そんな時に衝撃的な出会いがあったんだ」

 ゼオンは黒髪をかき上げながら、私を見つめた。

「虹色の聖水だよ。知人にねだって手に入れてもらった。値段がものすごかったけど、効果は素晴らしかった。どれだけ純度の高い聖の魔力が入っているのか。絶対無理だと思った患者があっという間に良くなった。本当に世界が変わるぐらいの衝撃だった」

 そういうと、ゼオンはうっとりと私を見て微笑んだ。

「だから、この国に来たんだ。この聖水を作った聖女がどんな女性なのか気になって、リリアーヌに会ったんだ。でも、全然違った。同じ聖の魔力だけれど、全然違った。こう、なんていうのかな、聖水から感じる戦慄さや飢餓感、絶望感を全く感じなかった。ただの、女性。それだけだった。ああ、違う、この女じゃない。絶対違うぞ、本物はどこにいる、会いたい、絶対に会うんだって……それで、君を知ったんだよ」

 まるで、美しい悪魔のような微笑みを浮かべて、ゼオンは話し続けた。

「君の看護師から話を聞いて、あの偽物の女に魔力核の移植手術を持ちかけたんだよ。愚かな女とその両親だったね。魔力核の移植の危険性など全く知りもしないしね。簡単な手術のわけないのに。本当に愚かな者たちだ。でも、そのおかげで、君を助け出せただろう?」

 うっとりした表情で話す男の話を私は震えながら聞いていた。
 姉は、なぜこの男を信じてしまったのだろう。両親もなぜ、こんな男を信用したのか。まるで、精神攻撃されているかのようにこの男の声には魔力がある。

「せっかく助けてあげたのに、なんで君はこんなにつまらない場所にいるの? ずっと、待ってたんだよ。君が自由に逃げ出すところを。なぜなのかな? なぜ、リリアーヌの世界にずっと囚われてるの?」

 そんなこと、この男に言われたくない。だって、私はリリアーヌになってしまったんだもの。リリアーヌを演じるしかないじゃない。

「あなたが、私をリリアーヌにしたんじゃない。あなたのせいで、私はリリアーヌとして生きるしかないのよ!」

 心の声を絞り出すように告げると、彼は大げさに驚いた。

「ええ? 俺のせいなの? うわ、参ったな」

「そうよ、あなたのせいよ。自由になんかなれるわけないじゃない。だって、私はリリアーヌになってしまったんだから、だから、私は姉よりも完璧なリリアーヌになるしかないのよ」

 涙がぽたぽたとテーブルに落ちた。ずっと、言いたかったことを、やっと言えた。私はリリアーヌになりたくなかった。
 あれほど、姉をうらやましいと思っていたけど、リリアーヌになっても、私は私なのだから。
 堰が切れたように泣き続ける私を、ゼオンはぶしつけにもじろじろ見ていた。

「じゃあさ、俺と一緒に行こう」

 ゼオンの手が伸びてきて、私の頬の涙をぬぐった。

「全部放り出して、一緒にこの国から出て行こうよ」

 誘われたのはこれで二度目だ。ふざけた口調にもかかわらず、顔つきはとてもまじめだった。

「一緒に外国で暮らそうよ。俺は魔法医だし、妹ちゃんはどこかで泉を見つけて聖水を作ったらいいよ。とりあえず、闇で流せば生活に困らないくらい稼げるし、ああ、楽勝だね」

 人生を変えさせるには、ものすごく軽い調子の言葉だった。

「そんなの、信用できないあなたと一緒に行けるわけないわ」

「えー? 俺は君の命の恩人だよ」

「いいえ、あなたは詐欺師だわ。信じられない」

「ふーん。それは残念」

 今度もあっさりとゼオンは引き下がった。
 帰り際に、

「まあ、どうしても俺と一緒に行きたくなったら教えて。きっと後悔させないから」

 と、手のひらに口づけを落とされた。
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