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第36話 高原の中の少女
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使われなくなって久しいというのに、そこだけ時代の流れが止まっているかのように、風車がゆっくりと回っている。
かたん、かたんと一定のリズムを刻む音は、聞いていると心が落ち着くような、そんな穏やかさがある。
かつては、此処で小麦を挽いて粉にしていたらしい。今はもう挽く小麦はないというのに、この風車は、その役目を終えてからもずっと此処で回り続けていたのだ。
まさに異国の建物って感じがする。
俺が風車を見上げていると、リンネがこんなことを言った。
「かつて此処に住んでた人たちは、都会の便利な暮らしに憧れて、住み慣れたこの土地を離れていったんだ。人がいなくなった土地は荒れるだけ。そうして、この高原は自然だけの世界になっていったんだよ」
「誰だって暮らしは便利な方がいいに決まってる。冒険者だってそうさ」
頭の後ろで手を組みながらソルは当たり前のように言った。
俺も、彼女の言うことに賛成だ。
俺だって何もない田舎で暮らすよりは、ちょっと歩けばコンビニがあって何でもすぐに手に入る都会で暮らす方がいい。田舎暮らしもいいなとは時々は思うけど……それは都会の喧騒に触れるのに疲れて自然の中でのんびりしたいと思った時だけだ。
今はコンビニなんてない異世界という未知の世界で暮らすことを余儀なくされているけどな。
「地図を作ってて、前はあったはずの村なんかがなくなったりしてるのを見つけると、ちょっと淋しくなるね。仕方のないことなのかもしれないけど、やっぱり集落にはいつまでも人にいてもらいたいって思うよ」
そう言って笑いながら風車に目を向けるリンネは、何処か淋しそうだった。
きっと彼女は、今まで国内を渡り歩いてきて、消失してしまった村を幾つも見てきたのだろう。
俺も、これから先そういう場所を目にする機会があるかもしれない。
そういう場所に出会ったら、その時に俺が勇者として何ができるのか──それを真面目に考えてみようと思う。
自然と引き締まる表情。口元をきゅっと結んで、俺は風車から視線を逸らした。
緩やかな下り坂に伸びている、剥き出しの土が踏み固められた道が目に入る。
そして、その真ん中に、背中を丸めてしゃがんでいる小さな人影があるのを見つけた。
ぼろぼろの灰色のマフラーをフードのように頭に被っている小柄な人物だ。纏っているものは、随分と擦り切れて土に汚れた白い外套──この世界の旅人が身に着ける一般的な旅装束である。
顔は伏せているので、男か女かは分からない。旅人にしては荷物どころか武器の類すら持っていない点もちょっと気になる。
野盗に襲われて荷物を奪われてしまった旅人だろうか。
困っている人を見かけたら救いの手を差し伸べるのは、勇者の務めだ。
俺は相手に警戒心を与えないように、正面からその人物に近付いていった。
「こんな何もない場所で立ち止まってるなんて、何か困り事?」
声を掛けると、その人物は顔を上げた。
丸く大きな瞳が可愛らしい少女だった。おそらくリンネよりも若い。顔つきに、何処となくあどけなさを感じる。
土か何かで随分と汚れているが……きっと旅の途中だからだろう。旅人としては大して珍しいことでもないと、その辺りは気にしないことにした。
「……お兄さんたちは……?」
少女は長い睫毛を揺らしながら、小首を傾げて俺の顔を見上げた。
俺は彼女に笑いかけた。
「俺たちは旅の冒険者だよ。各地で困ってる人を助けながら世界を巡る旅をしてるんだ」
「……冒険者……」
少女は呟いて、尋ねてきた。
「わたし、困ってるんです。助けてくれませんか?」
一見しただけでは、さほど困っている様子には見えないが……彼女がそう言うのだから、彼女には困り事があるのだろう。
俺は頷いた。
「ああ、いいよ。何?」
俺の言葉を聞いた少女は、立ち上がって俺に抱き付いてきた。
少女を上から覗き込む格好になっていた俺の首に両腕を回して、ぎゅっと抱き締める。
甘えてるのかな……俺がそう思った、その時。
首筋に、ちくりとした痛みを感じた。
注射器を刺されたような、冷たいものが体の中に潜り込んでくる痛みだ。
反射的に俺は痛みを感じた箇所を掌で押さえた。
「!?」
「うっふふふふふ」
突如として笑い始める少女。
彼女は俺の首に回していた腕を離して、俺から一歩身を引いた。
その右手には──いつの間にか、長さ二十センチほどの針金のようなものが握られている。
「子供だと思えば甘い顔をして油断する。人間ってちょろいわね」
唇をぺろりと舐めて、針金をその辺に無造作に放り投げる。
あんた、一体……
俺は口を開きかけて、
唐突に意識を攫うほどの強烈な睡魔に襲われて、たまらずその場に崩れ落ちてしまった。
「レイ!?」
驚愕して俺を見るソルとリンネ。
少女はソルを見てすんと鼻を鳴らすと、つまらなさそうに肩を竦めた。
「貴女……格好は男だけど、女ね。匂いがするもの。女には用はないわ。見逃してあげる」
「あぁ、何を言いやがって……」
ソルが片眉を跳ね上げる。
少女はそれには取り合わず、蹲った俺をひょいっと片腕で担ぎ上げた。
身体強化魔法を使っている様子はない──素の腕力が、常識を遥かに超えているのだ。
俺は、抵抗できなかった。今にも閉じそうな瞼を懸命に開きながら、大人しく少女に担がれるばかりだった。
少女は駆け出した。
俺という荷物を抱えているにも拘らず、その速度は獣のように速い。呆気に取られているソルたちとの距離があっという間に開き、すぐに見えなくなってしまった。
俺は、少女に誘拐されたのだ。
一体何処に連れて行かれるのか──せめてそれだけでも突き止めようと必死に目を開いて流れていく景色を見るが、襲いかかる睡魔は容赦なく俺の意識を食い潰していく。
「久しぶりの男の獲物……楽しみだわ」
少女がそんなことを言っているのが聞こえる。
一体どういう意味なんだ。
疑問を抱いたのを最後に、俺の意識は闇の中に落ちた。
かたん、かたんと一定のリズムを刻む音は、聞いていると心が落ち着くような、そんな穏やかさがある。
かつては、此処で小麦を挽いて粉にしていたらしい。今はもう挽く小麦はないというのに、この風車は、その役目を終えてからもずっと此処で回り続けていたのだ。
まさに異国の建物って感じがする。
俺が風車を見上げていると、リンネがこんなことを言った。
「かつて此処に住んでた人たちは、都会の便利な暮らしに憧れて、住み慣れたこの土地を離れていったんだ。人がいなくなった土地は荒れるだけ。そうして、この高原は自然だけの世界になっていったんだよ」
「誰だって暮らしは便利な方がいいに決まってる。冒険者だってそうさ」
頭の後ろで手を組みながらソルは当たり前のように言った。
俺も、彼女の言うことに賛成だ。
俺だって何もない田舎で暮らすよりは、ちょっと歩けばコンビニがあって何でもすぐに手に入る都会で暮らす方がいい。田舎暮らしもいいなとは時々は思うけど……それは都会の喧騒に触れるのに疲れて自然の中でのんびりしたいと思った時だけだ。
今はコンビニなんてない異世界という未知の世界で暮らすことを余儀なくされているけどな。
「地図を作ってて、前はあったはずの村なんかがなくなったりしてるのを見つけると、ちょっと淋しくなるね。仕方のないことなのかもしれないけど、やっぱり集落にはいつまでも人にいてもらいたいって思うよ」
そう言って笑いながら風車に目を向けるリンネは、何処か淋しそうだった。
きっと彼女は、今まで国内を渡り歩いてきて、消失してしまった村を幾つも見てきたのだろう。
俺も、これから先そういう場所を目にする機会があるかもしれない。
そういう場所に出会ったら、その時に俺が勇者として何ができるのか──それを真面目に考えてみようと思う。
自然と引き締まる表情。口元をきゅっと結んで、俺は風車から視線を逸らした。
緩やかな下り坂に伸びている、剥き出しの土が踏み固められた道が目に入る。
そして、その真ん中に、背中を丸めてしゃがんでいる小さな人影があるのを見つけた。
ぼろぼろの灰色のマフラーをフードのように頭に被っている小柄な人物だ。纏っているものは、随分と擦り切れて土に汚れた白い外套──この世界の旅人が身に着ける一般的な旅装束である。
顔は伏せているので、男か女かは分からない。旅人にしては荷物どころか武器の類すら持っていない点もちょっと気になる。
野盗に襲われて荷物を奪われてしまった旅人だろうか。
困っている人を見かけたら救いの手を差し伸べるのは、勇者の務めだ。
俺は相手に警戒心を与えないように、正面からその人物に近付いていった。
「こんな何もない場所で立ち止まってるなんて、何か困り事?」
声を掛けると、その人物は顔を上げた。
丸く大きな瞳が可愛らしい少女だった。おそらくリンネよりも若い。顔つきに、何処となくあどけなさを感じる。
土か何かで随分と汚れているが……きっと旅の途中だからだろう。旅人としては大して珍しいことでもないと、その辺りは気にしないことにした。
「……お兄さんたちは……?」
少女は長い睫毛を揺らしながら、小首を傾げて俺の顔を見上げた。
俺は彼女に笑いかけた。
「俺たちは旅の冒険者だよ。各地で困ってる人を助けながら世界を巡る旅をしてるんだ」
「……冒険者……」
少女は呟いて、尋ねてきた。
「わたし、困ってるんです。助けてくれませんか?」
一見しただけでは、さほど困っている様子には見えないが……彼女がそう言うのだから、彼女には困り事があるのだろう。
俺は頷いた。
「ああ、いいよ。何?」
俺の言葉を聞いた少女は、立ち上がって俺に抱き付いてきた。
少女を上から覗き込む格好になっていた俺の首に両腕を回して、ぎゅっと抱き締める。
甘えてるのかな……俺がそう思った、その時。
首筋に、ちくりとした痛みを感じた。
注射器を刺されたような、冷たいものが体の中に潜り込んでくる痛みだ。
反射的に俺は痛みを感じた箇所を掌で押さえた。
「!?」
「うっふふふふふ」
突如として笑い始める少女。
彼女は俺の首に回していた腕を離して、俺から一歩身を引いた。
その右手には──いつの間にか、長さ二十センチほどの針金のようなものが握られている。
「子供だと思えば甘い顔をして油断する。人間ってちょろいわね」
唇をぺろりと舐めて、針金をその辺に無造作に放り投げる。
あんた、一体……
俺は口を開きかけて、
唐突に意識を攫うほどの強烈な睡魔に襲われて、たまらずその場に崩れ落ちてしまった。
「レイ!?」
驚愕して俺を見るソルとリンネ。
少女はソルを見てすんと鼻を鳴らすと、つまらなさそうに肩を竦めた。
「貴女……格好は男だけど、女ね。匂いがするもの。女には用はないわ。見逃してあげる」
「あぁ、何を言いやがって……」
ソルが片眉を跳ね上げる。
少女はそれには取り合わず、蹲った俺をひょいっと片腕で担ぎ上げた。
身体強化魔法を使っている様子はない──素の腕力が、常識を遥かに超えているのだ。
俺は、抵抗できなかった。今にも閉じそうな瞼を懸命に開きながら、大人しく少女に担がれるばかりだった。
少女は駆け出した。
俺という荷物を抱えているにも拘らず、その速度は獣のように速い。呆気に取られているソルたちとの距離があっという間に開き、すぐに見えなくなってしまった。
俺は、少女に誘拐されたのだ。
一体何処に連れて行かれるのか──せめてそれだけでも突き止めようと必死に目を開いて流れていく景色を見るが、襲いかかる睡魔は容赦なく俺の意識を食い潰していく。
「久しぶりの男の獲物……楽しみだわ」
少女がそんなことを言っているのが聞こえる。
一体どういう意味なんだ。
疑問を抱いたのを最後に、俺の意識は闇の中に落ちた。
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