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閑話 運命に引き合わせられた存在
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意識が覚醒した時。彼は、漆黒の中にいた。
いや、真っ暗なのではない。自分がいるこの建物の色が黒いのだ。
微妙に光沢のある黒い石で構成された、何処かの宮廷の内装を思わせる造りの広い部屋。ステンドグラスが填められた窓が並び、閉ざされた扉があり、その反対側の壁には絵画と勘違いしてしまいそうになるような、立派な額縁に収められた巨大な鏡がある。
そして、その前に。
ふわりと幽霊のように浮かぶ、紫の衣を纏った小柄な少年の姿があった。
魔帝ロクシュヴェルド。
その名で存在を知られ、世界を破壊しその全てを支配下に置こうと目論む人物。
ユーリルは、彼に殺されかけていた春を庇って前に出て、彼の代わりに魔法を食らい──此処に連れて来られてしまったことを理解した。
魔道士として天才的な才能を持っていた春でさえ太刀打ちできなかった相手だ。何の力も持たない自分が、あの化け物のような存在を相手に抵抗できるはずもない。
それは、死刑執行を宣告されたことと同じ。自分は此処で、あれの手にかかり殺されてしまうのだろう。
覚悟を、決めよう。
彼が胸中でそう決意した、その時。
「──君は、ぼくとよく似ているね」
魔帝は、静かな口調で、そう言った。
唐突に何を言われたのかが分からず、思わず頭に疑問符を浮かべるユーリル。
魔帝はすっと音もなく床の上を滑るようにして宙を飛び移動してくると、ユーリルの前で静止した。
困惑しているユーリルの顔を目隠しで覆った目で上目遣いに見つめて、微笑む。
「ぼくには、君の気持ちがよく分かるよ。望んでも手に入らなかった才能、それを何の苦もなく手に入れてそれを当たり前のことのように思っている人が目の前にいる。それは自分が欲しかったものなのに、どんなに努力しても手に入れられなかったのに、どうして君はそれをそんな簡単に手に入れられたの? どうして神は、自分にこそその才能を授けてくれなかったの? こんなに理不尽なことが許されてもいいものなの? ……今、君はそう考えているよね。違わないかい?」
「…………」
ユーリルはどきりとした。
まるで、自分の胸中を見透かしたかのように……今魔帝が口にした言葉は、的を射ていたからだ。
くすっと魔帝は肩を揺らす。
「どうして分かるのかって? ……それはね、ぼくも君と同じだからだよ。どんなに望んで手を伸ばしても、それを手にすることができなかった絶望というものを、ぼくは知っている。あれほど辛いものってないよね。この世界の神は全てに対して平等な存在なんかじゃない、気紛れで身勝手な存在なんだってことを、思い知らされることになったんだから」
じゃらり、と魔帝の全身を縛っていた鎖が勝手に解けて落ちる。
戒めを失った紫の衣──だと思っていた布がはらりと捲れて、中にある魔帝の肢体を晒す。手足がなく、性の象徴すらない人形の部品のような体。物理的にちぎられて失ったわけではないのか、肩口や腿の断面は綺麗な皮に覆われてつるんとしているが、その傷のなさがかえってその体を無機質な物体のように見せている。
そして、いつの間にか解けていた目隠し。その下から覗いた瞼の下には、眼球がない。まるで無理矢理抉り取られたかのように、ぽっかりとした空洞がそこにあった。
予想外のものを見せられて、ひっ、と息を飲むユーリル。
自分に対して恐怖の念を抱いている彼を空洞の目で見つめながら、魔帝は言葉を続けた。
「元々ぼくは、普通にその辺にいるような無力な人の子だったのさ。立派な魔道士になりたくて毎日必死に魔法の修行をしていたけれど、ぼくにはその才能がなかった。人からそれを宣告された時に感じた絶望は、今でも忘れられないよ。自棄になって、死にたいとすら考えるようになって……そんな時、ぼくのことを見初めた存在がぼくに声を掛けてくれたんだ。ぼくが望むような力が欲しいなら、その価値に見合うだけの対価を差し出せと言われてね……ぼくは、その通りにした」
床に落ちた布や鎖がふわりと浮かび上がり、元通りに魔帝の体にしゅるりと巻き付く。落ちていた目隠しも元通り引き締められて、魔帝は普段通りの姿に戻った。
「腕。足。目。耳。髪。性器。そして大量の血と、純潔。半分の魂。ぼくが差し出すことができる限りのものを対価として差し出して……ぼくは今の力を手に入れた。ぼくが心の底から欲しかったものは、それだけの犠牲を払わなければ手にすることすら許されないものだったんだよ」
人は、その身に魔力を宿していなければ対価なくして魔法を使うことはできない。
誰よりも優れた魔法の力を手にするために──かつての魔帝は、自分が死なない限界ぎりぎりの『生命』を捧げたのだ。
魔帝は声のトーンを落とし、ゆっくりと、語る。
「……想像してごらんよ。手足を失って、目も耳もない状態で、この体を貪られ続ける感覚。ひたすらお尻や口の中に、姿すら分からない相手の性器を突っ込まれて無理矢理精液を流し込まれて……そんな状態が何日も、何ヶ月も、続くんだ。普通の人だったらまず耐えられないよね。でも……ぼくは、それに耐えた。そうすればぼくの願いは叶えられるって、相手が約束してくれたから。それだけを心の支えにして、ぼくは相手から強要される陵辱を受け入れたんだ。……そうしてぼくの望みは叶えられて、ぼくはこうして、魔帝として今を生きている」
「…………」
ユーリルは自身に問いかけた。
もしも、自分が全く同じ状況に身を置くことになった場合。
その時、自分は、夢のためだけにこれだけの犠牲を払うことができるだろうか、と。
ユーリルの目から自分に対する恐怖心が薄れたことを察した魔帝は、彼に問いかける。
「今のぼくには、人に力を授けることができる力がある。例えば魔道士になりたいと願う人がいたとしたら、その人を一人前以上の魔道士にすることができるんだよ。……もしも君がぼくの傍にいてくれるのなら、それを誓ってくれるのなら、ぼくは君に力を与えてあげる。他の誰にも真似できない、君だけの能力を」
「…………!」
それは、誘惑。
食虫植物が甘い蜜の香りで虫を引き寄せ捕らえるように。
無害な存在に擬態した魚が、他の魚を油断させ近付いてきたところを逆に捕食するように。
その餌に食いついたら、最後。食んだ肉は毒となり、飲んだ蜜は臓腑を溶かす。
彼は、人一倍頭が回る。だからこれが獲物を捕らえるための甘言であることを、瞬時に理解する。
でも。
自分だって欲しいのだ。自分を満たしてくれる甘い蜜が。幸福が。
それを与えてくれるというのなら、例えそれが毒だと分かっていたって、手を伸ばさずにはいられない。
心の隙間に入り込み、そこから全てを汚染する麻薬のように。相手の言葉は、枯れ果て傷付いた心に染み渡っていく。
果てにあるものが破滅の結末であったとしても、構わない。この絶望から自分を救い出してくれるのなら。苦しみから解き放ってくれるのなら。
満たされたい。
ほろり、とユーリルの左の頬を一粒の涙が伝って落ちる。
魔帝は全身から闇のオーラを発すると、それで大きな翼を形作った。
その翼を広げ、静かに包み込むように、ユーリルの体を抱き締める。
「……今まで、辛かったよね。でも、もう大丈夫。ぼくが、君をその苦しみから救ってあげる。ぼくたちは同じ者同士、運命によって引き合わせられた存在なんだから。そう……ぼくたちは、家族、なんだよ」
「………… 家族」
「そう、家族。血は繋がってはいないけれど、それ以上に強い絆で、ぼくたちは結ばれているんだ。ぼくは君に望むままの力と、愛を、あげる。だから……君も、ぼくのことを愛してほしい。大切な家族を守るために……ぼくたちが本当に幸せになるために、戦って、ぼくたちのことを守っておくれよ」
「…………」
ユーリルは静かに目を閉じ、涙した。
今まで誰からも期待されたことのなかった、何の価値もない自分。
その自分に存在意義と、愛と、力を与えてくれるという。
共に、幸せになろうと──
そのために自分はこの世に生まれてきたのだと、彼は思ったのだった。
世界が自分のことをどういう目で見ようが、関係ない。
自分を愛して必要としてくれる存在がいるのなら、その者のためだけに、自分は全てを懸ける。この幸せを壊そうとする存在が現れたら、それが神であろうと自分は戦う。
それが、自分に与えられた使命なのだ──
その日、ラルガの宮廷魔道士を名乗る者に新たな顔ぶれが加わった。
彼は、人に名を問われたらこう答えた。
自分は、魔帝ロクシュヴェルドに永遠の忠誠を誓った忠実なる下僕。魔血使いのユーリルである、と──
いや、真っ暗なのではない。自分がいるこの建物の色が黒いのだ。
微妙に光沢のある黒い石で構成された、何処かの宮廷の内装を思わせる造りの広い部屋。ステンドグラスが填められた窓が並び、閉ざされた扉があり、その反対側の壁には絵画と勘違いしてしまいそうになるような、立派な額縁に収められた巨大な鏡がある。
そして、その前に。
ふわりと幽霊のように浮かぶ、紫の衣を纏った小柄な少年の姿があった。
魔帝ロクシュヴェルド。
その名で存在を知られ、世界を破壊しその全てを支配下に置こうと目論む人物。
ユーリルは、彼に殺されかけていた春を庇って前に出て、彼の代わりに魔法を食らい──此処に連れて来られてしまったことを理解した。
魔道士として天才的な才能を持っていた春でさえ太刀打ちできなかった相手だ。何の力も持たない自分が、あの化け物のような存在を相手に抵抗できるはずもない。
それは、死刑執行を宣告されたことと同じ。自分は此処で、あれの手にかかり殺されてしまうのだろう。
覚悟を、決めよう。
彼が胸中でそう決意した、その時。
「──君は、ぼくとよく似ているね」
魔帝は、静かな口調で、そう言った。
唐突に何を言われたのかが分からず、思わず頭に疑問符を浮かべるユーリル。
魔帝はすっと音もなく床の上を滑るようにして宙を飛び移動してくると、ユーリルの前で静止した。
困惑しているユーリルの顔を目隠しで覆った目で上目遣いに見つめて、微笑む。
「ぼくには、君の気持ちがよく分かるよ。望んでも手に入らなかった才能、それを何の苦もなく手に入れてそれを当たり前のことのように思っている人が目の前にいる。それは自分が欲しかったものなのに、どんなに努力しても手に入れられなかったのに、どうして君はそれをそんな簡単に手に入れられたの? どうして神は、自分にこそその才能を授けてくれなかったの? こんなに理不尽なことが許されてもいいものなの? ……今、君はそう考えているよね。違わないかい?」
「…………」
ユーリルはどきりとした。
まるで、自分の胸中を見透かしたかのように……今魔帝が口にした言葉は、的を射ていたからだ。
くすっと魔帝は肩を揺らす。
「どうして分かるのかって? ……それはね、ぼくも君と同じだからだよ。どんなに望んで手を伸ばしても、それを手にすることができなかった絶望というものを、ぼくは知っている。あれほど辛いものってないよね。この世界の神は全てに対して平等な存在なんかじゃない、気紛れで身勝手な存在なんだってことを、思い知らされることになったんだから」
じゃらり、と魔帝の全身を縛っていた鎖が勝手に解けて落ちる。
戒めを失った紫の衣──だと思っていた布がはらりと捲れて、中にある魔帝の肢体を晒す。手足がなく、性の象徴すらない人形の部品のような体。物理的にちぎられて失ったわけではないのか、肩口や腿の断面は綺麗な皮に覆われてつるんとしているが、その傷のなさがかえってその体を無機質な物体のように見せている。
そして、いつの間にか解けていた目隠し。その下から覗いた瞼の下には、眼球がない。まるで無理矢理抉り取られたかのように、ぽっかりとした空洞がそこにあった。
予想外のものを見せられて、ひっ、と息を飲むユーリル。
自分に対して恐怖の念を抱いている彼を空洞の目で見つめながら、魔帝は言葉を続けた。
「元々ぼくは、普通にその辺にいるような無力な人の子だったのさ。立派な魔道士になりたくて毎日必死に魔法の修行をしていたけれど、ぼくにはその才能がなかった。人からそれを宣告された時に感じた絶望は、今でも忘れられないよ。自棄になって、死にたいとすら考えるようになって……そんな時、ぼくのことを見初めた存在がぼくに声を掛けてくれたんだ。ぼくが望むような力が欲しいなら、その価値に見合うだけの対価を差し出せと言われてね……ぼくは、その通りにした」
床に落ちた布や鎖がふわりと浮かび上がり、元通りに魔帝の体にしゅるりと巻き付く。落ちていた目隠しも元通り引き締められて、魔帝は普段通りの姿に戻った。
「腕。足。目。耳。髪。性器。そして大量の血と、純潔。半分の魂。ぼくが差し出すことができる限りのものを対価として差し出して……ぼくは今の力を手に入れた。ぼくが心の底から欲しかったものは、それだけの犠牲を払わなければ手にすることすら許されないものだったんだよ」
人は、その身に魔力を宿していなければ対価なくして魔法を使うことはできない。
誰よりも優れた魔法の力を手にするために──かつての魔帝は、自分が死なない限界ぎりぎりの『生命』を捧げたのだ。
魔帝は声のトーンを落とし、ゆっくりと、語る。
「……想像してごらんよ。手足を失って、目も耳もない状態で、この体を貪られ続ける感覚。ひたすらお尻や口の中に、姿すら分からない相手の性器を突っ込まれて無理矢理精液を流し込まれて……そんな状態が何日も、何ヶ月も、続くんだ。普通の人だったらまず耐えられないよね。でも……ぼくは、それに耐えた。そうすればぼくの願いは叶えられるって、相手が約束してくれたから。それだけを心の支えにして、ぼくは相手から強要される陵辱を受け入れたんだ。……そうしてぼくの望みは叶えられて、ぼくはこうして、魔帝として今を生きている」
「…………」
ユーリルは自身に問いかけた。
もしも、自分が全く同じ状況に身を置くことになった場合。
その時、自分は、夢のためだけにこれだけの犠牲を払うことができるだろうか、と。
ユーリルの目から自分に対する恐怖心が薄れたことを察した魔帝は、彼に問いかける。
「今のぼくには、人に力を授けることができる力がある。例えば魔道士になりたいと願う人がいたとしたら、その人を一人前以上の魔道士にすることができるんだよ。……もしも君がぼくの傍にいてくれるのなら、それを誓ってくれるのなら、ぼくは君に力を与えてあげる。他の誰にも真似できない、君だけの能力を」
「…………!」
それは、誘惑。
食虫植物が甘い蜜の香りで虫を引き寄せ捕らえるように。
無害な存在に擬態した魚が、他の魚を油断させ近付いてきたところを逆に捕食するように。
その餌に食いついたら、最後。食んだ肉は毒となり、飲んだ蜜は臓腑を溶かす。
彼は、人一倍頭が回る。だからこれが獲物を捕らえるための甘言であることを、瞬時に理解する。
でも。
自分だって欲しいのだ。自分を満たしてくれる甘い蜜が。幸福が。
それを与えてくれるというのなら、例えそれが毒だと分かっていたって、手を伸ばさずにはいられない。
心の隙間に入り込み、そこから全てを汚染する麻薬のように。相手の言葉は、枯れ果て傷付いた心に染み渡っていく。
果てにあるものが破滅の結末であったとしても、構わない。この絶望から自分を救い出してくれるのなら。苦しみから解き放ってくれるのなら。
満たされたい。
ほろり、とユーリルの左の頬を一粒の涙が伝って落ちる。
魔帝は全身から闇のオーラを発すると、それで大きな翼を形作った。
その翼を広げ、静かに包み込むように、ユーリルの体を抱き締める。
「……今まで、辛かったよね。でも、もう大丈夫。ぼくが、君をその苦しみから救ってあげる。ぼくたちは同じ者同士、運命によって引き合わせられた存在なんだから。そう……ぼくたちは、家族、なんだよ」
「………… 家族」
「そう、家族。血は繋がってはいないけれど、それ以上に強い絆で、ぼくたちは結ばれているんだ。ぼくは君に望むままの力と、愛を、あげる。だから……君も、ぼくのことを愛してほしい。大切な家族を守るために……ぼくたちが本当に幸せになるために、戦って、ぼくたちのことを守っておくれよ」
「…………」
ユーリルは静かに目を閉じ、涙した。
今まで誰からも期待されたことのなかった、何の価値もない自分。
その自分に存在意義と、愛と、力を与えてくれるという。
共に、幸せになろうと──
そのために自分はこの世に生まれてきたのだと、彼は思ったのだった。
世界が自分のことをどういう目で見ようが、関係ない。
自分を愛して必要としてくれる存在がいるのなら、その者のためだけに、自分は全てを懸ける。この幸せを壊そうとする存在が現れたら、それが神であろうと自分は戦う。
それが、自分に与えられた使命なのだ──
その日、ラルガの宮廷魔道士を名乗る者に新たな顔ぶれが加わった。
彼は、人に名を問われたらこう答えた。
自分は、魔帝ロクシュヴェルドに永遠の忠誠を誓った忠実なる下僕。魔血使いのユーリルである、と──
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