三十路の魔法使い

高柳神羅

文字の大きさ
上 下
160 / 164

第151話 大人になるということ

しおりを挟む
 バルムンクを思い切り殴った右腕が痛む。
 俺はそれに自分で回復魔法を掛けながら、地面の上で全く動かない黒騎士へと歩み寄った。
 バルムンクは、全身で息をしながら虚ろに正面を──空を、見上げていた。
 ひゅーひゅーと掠れた笛の音のような音を立てている息。口から泡を立てながら流れ出ている血が鮮やかで毒々しい。
 意識はあるようだが……俺が目の前に来て顔を覗き込んでも、何の反応も示さない。
 まるで、壊れて捨てられた人形のように……微動だにもしなかった。
「……おい」
「……完敗、だ。召喚勇者、ハル」
 枕元に膝をついて呼びかけると、掠れた声で奴は言った。
「我の剣が、通用……せぬとはな。極限まで己を強め、その力を持ってしても、お前を傷付けることは、叶わなかった。もはや、我に……お前に対抗できる力はない。全力を出し、敗れたのならば……悔いはない。所詮、我という存在はその程度のものでしかなかった……ということだ」
「……白々しい嘘をつくな。馬鹿野郎が」
 俺は眉間に皺を寄せて、奴の言葉を遮った。
「あんたは……最初から、俺を殺す気なんてなかったんだろ。その必要もないってくらい能力で自分を強化して、わざと攻撃を全部外して、自分の体をぶっ壊して……そうして、あんたは俺と本気で戦ってるふりをして、本心では俺に自分のことを殺させようとしてた。そうだろ」
「…………」

 バルムンクは何も答えない。
 その沈黙こそが、俺が今言った言葉が正しいという何よりの証拠であることを、物語っていた。

「あんたは、迷ってたんだ。本心では魔帝の傍から離れて自分に素直に生きたいって思ってて、でも立場上そう言い出せなくて、悩み抜いた末に……魔帝の下僕という絶対悪として、俺に倒される道を選んだ。自分が勇者に殺されることで自分がしてきたことを清算しようと考えたんだろ。……馬鹿か、死んで全部をなかったことにするとか、そんなのは究極の甘えなんだよ。本当に子供らしい発想だ、このくそったれが!」
 俺は怒鳴って回復魔法を唱えた。
 多めに魔力を費やして発動させた魔法は、バルムンクの全身の傷を癒していく。
 俺の技量では、粉微塵に砕けた骨は何とか形が戻る程度で、罅までは完全に消えはしないだろう。だが、くっつきさえすれば、動くことはできるようになるはずだ。
 バルムンクが驚いた顔をして俺のことを見ている。
「……何を、する気だ。我の傷を癒すだと? そのようなことを……」
「やかましい。勝った俺が負けたあんたを好きにしていいのなら、俺はそうさせてもらう。あんたの指図は受けん!」
 やがて。見た目だけではあるが、バルムンクの負傷は完全に癒えた。
 バルムンクは疲れ切った溜め息をついて、俺から視線をそらした。
「……敗者に対する、情けか……実に下らん。そのような施しを受けて、我が泣いて礼を言うとでも思ったか。情けを掛けてくれると言うのなら……我を倒した後、一思いに心臓を潰すなり何なりしてくれれば良かったものを。生き恥を晒すのは騎士の恥。お前は、本当に甘い……我を生かしたところで、今更意味など……」
「世の中を甘く見てるのはあんたの方なんだよ、いい加減に分かれ、このクソガキが!」
 俺はバルムンクの胸倉を掴んで無理矢理相手を起き上がらせて、その頬を思い切りひっぱたいた。
 ばしん、と大きな音が立つ。頬を張られたバルムンクが、呆気に取られた様子で俺の顔を見ている。
 その丸くなっている目に向かって、言ってやる。
「人生ってのはな、失敗したって生きてる限り何度だってやり直せるんだよ! 諦めさえしなけりゃ、誰にだって前に向かって進んでいくことができる! 一度道を間違えたって、それを間違えたと認めて正しい道を選び直せる権利があるんだ! 俺にだってできることが、あんたに……お前に、できないなんてことはないだろうが! その可能性を見もしないで丸ごと捨てて死ぬなんてのは究極の馬鹿がやらかすことだ! 死ねば全部が許されるってのはガキの発想なんだよ! お前はこの世界じゃもう立派な大人なんだから、駄々を捏ねて甘ったれるのは卒業しろ!」
 突き放すように胸倉から手を離すと、奴は何の抵抗もせずにそのままどさりと地面の上に転がった。
 相変わらず、奴の目は俺のことを見ようとしない。虚ろに何もないところを彷徨っている。
 俺は静かに息を吐き、言葉を続ける。
「……自分の意思で自分が本当にやりたいことを見つけて、それに向かって自分の足で歩け。お前には……それができるだけの、力があるんだから。俺たちと一緒に来いとは言わない。お前が考え抜いた末にやっぱり魔帝の傍で生きるって決めたのなら、それはそれで構わない。それがお前が決めた人生なんだから、それをどうこう言う権利なんて俺にはないからな……後は、好きにしろ。お前の、自由だ」
「…………なあ、おっさん」
 しばしの沈黙の後。奴は、若者の顔をして開口した。
「オレは……一体、何を何処で間違えちまったんだろうなぁ……どうすれば、良かったのかな。あんたには、分かるか?」
 迷える若者としての、その言葉に。
 俺は微苦笑しながら、言葉を返す。
「……そんなものは自分で考えろ。自分で考えて、自分で答えを見つけて、自分で歩け」
 そっと、埃を被ってぱさついた金の髪を、撫でてやる。
「大人になるってのは……そういうことだ」
「…………そうか」
 ふっ、と口元に笑みを浮かべるバルムンク。
 俺がひっぱたいた左の頬に手を当てて、肩を揺らす。
「……ああ、痛ぇ。今までに食らってきたどんな魔法よりも、武器で斬られた痛みよりも、比べ物にならねぇくらいに痛ぇよ。何でだ、何で、なんだよ……こんな、貧弱なおっさんの、屁でもねぇビンタ一発だってのに……」
 声が、震えを帯びていく。
 涙を筋状に零し、歯をカチカチと鳴らしながら、奴は言った。
「……何で、こんなに、心が痛ぇんだよ……畜生……!」
「当たり前だろ、そんなことは」
 俺はゆっくりと膝を伸ばして立ち上がる。
 表情をくしゃくしゃにして泣いている相手に、優しく告げる。
「親が子供を殴るのは、憎いからじゃない。本気でそいつを大事に思ってるから、愛してるから、道を踏み外した時に正しい道がある方を見ることができるように、叩くんだ。それと同じだよ。あんたは俺の子供じゃないし、付き合いもそこまで長くはなかったが……それでも、俺は今でもあんたを大事な家族同然の存在だって思ってる。前にも、言っただろうが。忘れたか? 俺なりの愛が篭もってる分、響いたんだろうさ……有難いと思って、受け取っておけ」
「……愛とか……気色悪い、こと、言うんじゃねぇよ……おっさん風情が……!」
 ぐすっと鼻をすすって、奴は真っ赤になった目で俺のことを睨んだ。
 はぁ、と息を吐き、言う。
「……行けよ。もう、オレには用なんてねぇだろ……オレはもう此処から動く気力もねぇし、あんたを追いかける気もねぇ。自由にしていいって言うんなら、好きにさせてもらうわ。此処で負け犬らしく、寝てるからよ……さっさと、オレの前から消えやがれ。目障りだ」
 けっ、と唾を吐くように毒づいて、双眸を閉ざす。
 それきり、奴が口を開いて何かを言うことは、なかった。
 俺は肩を竦めてバルムンクの傍から離れ、仲間たちが囚われている魔血の檻の傍へと向かう。
 そこに腰掛けて事の成り行きを眺めていたユーリルが、呆れたように力の抜けた笑いを零しながら地上へと飛び降りてきた。
「……やれやれ、日頃から自分のことを心なき道具呼ばわりしていた割には、結局は彼も愛情に飢えた単なる子供だったというわけですか。全く、いつの時代も子供というものは自分の言動に責任を持てなくて困ったものですね。呆れてものも言えませんよ」
「そういう言い方をするな。あいつだって……人間なんだ。ちゃんと心があるんだ。何もおかしいところなんてないだろ」
「最初に自分をそう称したのは彼自身ですよ? 私は別に……まあ、良いです。此処で私と貴方がこんなことで言い争っても不毛なだけです。無駄なことはやめましょう」
 ユーリルは右手を大きく円を描くようにすいっと振るった。
 彼の背後にあった魔血の壁が、びきっと音を立てながら砕け散る。
 囚われていたフォルテたちが、真紅の欠片を纏いながら地面の上に落ちてきた。怪我は……していないようだ。
「では……次は、この私がお相手致します。此処では何ですから、どうぞ、こちらへ。私たちが戦うに相応しい舞台へと、御案内致しましょう」
 そう言って彼は俺たちに背を向けると、魔帝の城がある崖の方へと歩いて行った。
 入口の真正面に立ち、そこに向かって右手を翳す。
 すると、目の前が白く光り輝き──レースを編んだような、網模様の光の橋が現れた。
 崖を横切るように架けられた光の橋の上を、ユーリルは歩いていく。
 迷うことなく。殺し合いの、舞台に向かって。

 もしも、俺が此処で足を止めていたら──
 あいつとは、永遠に戦い合わずに済むのだろうか。

 俺たちは魔帝を倒す。そのために此処まで来た。
 だから今更、歩みを止めることなんてありえない。目の前に誰が立ち塞がろうと、前へと進み続けなければならない。
 それは、分かっている。
 だが。
 そう考えずには──いられなかった。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

ひ弱な竜人 ~周りより弱い身体に転生して、たまに面倒くさい事にも出会うけど家族・仲間・植物に囲まれて二度目の人生を楽しんでます~

白黒 キリン
ファンタジー
前世で重度の病人だった少年が、普人と変わらないくらい貧弱な身体に生まれた竜人族の少年ヤーウェルトとして転生する。ひたすらにマイペースに前世で諦めていたささやかな幸せを噛み締め、面倒くさい奴に絡まれたら鋼の精神力と図太い神経と植物の力を借りて圧倒し、面倒事に巻き込まれたら頼れる家族や仲間と植物の力を借りて撃破して、時に周囲を振り回しながら生きていく。 タイトルロゴは美風慶伍 様作で副題無し版です。 小説家になろうでも公開しています。 https://ncode.syosetu.com/n5715cb/ カクヨムでも公開してします。 https://kakuyomu.jp/works/1177354054887026500 ●現状あれこれ ・2021/02/21 完結 ・2020/12/16 累計1000000ポイント達成 ・2020/12/15 300話達成 ・2020/10/05 お気に入り700達成 ・2020/09/02 累計ポイント900000達成 ・2020/04/26 累計ポイント800000達成 ・2019/11/16 累計ポイント700000達成 ・2019/10/12 200話達成 ・2019/08/25 お気に入り登録者数600達成 ・2019/06/08 累計ポイント600000達成 ・2019/04/20 累計ポイント550000達成 ・2019/02/14 累計ポイント500000達成 ・2019/02/04 ブックマーク500達成

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する

高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。 手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

虐げられた令嬢、ペネロペの場合

キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。 幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。 父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。 まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。 可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。 1話完結のショートショートです。 虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい…… という願望から生まれたお話です。 ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。 R15は念のため。

底辺おっさん異世界通販生活始めます!〜ついでに傾国を建て直す〜

ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
 学歴も、才能もない底辺人生を送ってきたアラフォーおっさん。  運悪く暴走車との事故に遭い、命を落とす。  憐れに思った神様から不思議な能力【通販】を授かり、異世界転生を果たす。  異世界で【通販】を用いて衰退した村を建て直す事に成功した僕は、国家の建て直しにも協力していく事になる。

貧乏冒険者で底辺配信者の生きる希望もないおっさんバズる~庭のFランク(実際はSSSランク)ダンジョンで活動すること15年、最強になりました~

喰寝丸太
ファンタジー
おっさんは経済的に、そして冒険者としても底辺だった。 庭にダンジョンができたが最初のザコがスライムということでFランクダンジョン認定された。 そして18年。 おっさんの実力が白日の下に。 FランクダンジョンはSSSランクだった。 最初のザコ敵はアイアンスライム。 特徴は大量の経験値を持っていて硬い、そして逃げる。 追い詰められると不壊と言われるダンジョンの壁すら溶かす酸を出す。 そんなダンジョンでの15年の月日はおっさんを最強にさせた。 世間から隠されていた最強の化け物がいま世に出る。

豪華地下室チートで異世界救済!〜僕の地下室がみんなの憩いの場になるまで〜

自来也
ファンタジー
カクヨム、なろうで150万PV達成! 理想の家の完成を目前に異世界に転移してしまったごく普通のサラリーマンの翔(しょう)。転移先で手にしたスキルは、なんと「地下室作成」!? 戦闘スキルでも、魔法の才能でもないただの「地下室作り」 これが翔の望んだ力だった。 スキルが成長するにつれて移動可能、豪華な浴室、ナイトプール、釣り堀、ゴーカート、ゲーセンなどなどあらゆる物の配置が可能に!? ある時は瀕死の冒険者を助け、ある時は獣人を招待し、翔の理想の地下室はいつのまにか隠れた憩いの場になっていく。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しております。

処理中です...