三十路の魔法使い

高柳神羅

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第92話 事が動き始める時

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 ラウルウーヘンが急に俺を食事に招待したいと言い出した意図は一体何なのだろう。
 彼はシキから俺たちが彼に森の木の伐採をやめさせようとしていることを聞いているはず。それで何も思わなかったとは流石に思えない。
 何らかの下心がある招待だということだけは分かるが、それをあれこれ勘ぐって此処で俺が一人で考え込んでいても話が進展しないことは事実である。
 幸い食事の席には仲間たちも一緒に招待してくれると言っているし、シキもいる。
 俺は、ラウルウーヘンの招待を受けることにした。

 屋敷へと招かれた俺たちは、前回リュウガと訪問した時同様に客間に通された。
 ダージリン似のお茶と果物の蜂蜜漬けを出され、その部屋で待たされること三十分ほど。食事の用意ができたと呼びに来た家政婦に連れられて、別の部屋へと案内される。
 その部屋は、これぞ貴族の屋敷にある大部屋って感じの広さがあった。先程の客間を二つ並べて壁をぶち抜いたくらいの空間があり、壁際には葉を茂らせた観葉植物が幾つも並べられている。こんなに数が多いと世話するのが大変そうだ。多分家政婦たちがやっているのだろうが。
 部屋の中央には、長いテーブル。真っ白なテーブルクロスが掛けられて、その上に人数分の料理が並べられている。テーブルの中央に薔薇の花が飾られている様が、如何にも貴族らしいって感じがする。そういえば海外の映画とかドラマに出てくる貴族とか王族の食事の席って大抵薔薇の花を飾っているけど、あれって何か意味でもあるんだろうかね? 未だに疑問なんだが。
 肝心の料理は、流石貴族が食べているものだ。店で出される庶民向けの食事とは雲泥の差だった。
 何かの白身魚をソテーしたもの。湯通しされた温野菜。よく火が通された牛肉と思わしき肉のステーキ。新鮮なレタスとトマトのサラダ。輪切りにされたゆで卵がトッピングされている。種類豊富な野菜を使ったスープ。真っ白なパン。酒が入っていると思わしきガラスのボトルも置かれている。この世界の料理は基本的に調味料の種類に乏しいから日本の料理レベルの味は期待できないが、見た目はそれなりに美味そうだ。
 ラウルウーヘンは、上座の席に座っていた。始終微笑みながら家政婦に席へと案内される俺たちを見つめており、全員が席に座ると、そこで初めて口を開いたのだった。
「私からの招待を受けてくれてありがとう。遠慮なく食べてくれたまえ」
 彼の合図で動き出した家政婦たちが、俺たちの前に置かれているボトルの栓を抜いて中身をグラスに注いでくれた。
 琥珀色の綺麗な液体で、甘い果物の香りがする。この世界で一般的に流通している酒はエールというビールによく似た酒か果実酒と呼ばれる果物を発酵させて作る酒らしいが、おそらくこれは果実酒の方だろう。
 早速一口含むと、桃の香りと甘味が口の中に広がった。これは桃から作られた果実酒か。なかなか口当たりが良い。
「こっちの世界の酒も、そんなに悪くはねぇな。チューハイの方が美味ぇけど」
 リュウガは微妙な顔をしながらも、酒を口にできること自体が嬉しいのか、早々に一杯を飲み干しておかわりを注いでいた。少しは料理の方にも興味を示せよ。
 フォルテは小さく切り分けたステーキを一生懸命に頬張っていた。肉の脂が唇に付いて口紅を塗ったみたいになってるぞ。ちょっと色っぽく見えてどきっとした。
 アヴネラは黙々と野菜を中心に食べていた。肉や魚には一切手を付けず、目を向けもしない。ひょっとして森に住むエルフは肉や魚を食べる習慣というものがないのだろうかという疑問が一瞬頭をよぎったが、でも野宿の時に俺が作ってた肉料理とかは普通に食べてたよな……ということは、これは単に味付けが好みじゃなかっただけか。貴族が食べてる料理が口に合わないなんて、彼女は一体どういう食生活を送ってきたのだろう。
 食事は、ヴァイスの分もちゃんとある。流石に俺たちと同じようなフルコースではないが、ちょっと高級そうな肉の塊を焼いたものが大きな器に盛られて出されていた。なかなか豪快だ。
 俺たちと同席しているシキは、隅の席に座って黙々とパンを野菜スープに浸して食べている。美味いという顔も不味いという顔もしていない。時折俺の方に視線を投げかけては、意味深な表情をして目を逸らす。その繰り返しだ。
 俺は白身魚を一口サイズに切り分けて頬張った。
 鼻の中を抜けていくオリーブオイルの香りと、胡椒だろうか、ぴりっとしたスパイスの風味がする。魚自体は淡白で味は殆どないが、丁寧に下処理されているのか魚特有の生臭さは全く感じなかった。
 日本の料理と比較するとやはり物足りなさは感じるが、今までに食べてきたこの世界の料理の中では一番美味いと思う。流石は貴族、いいもの食べてるじゃないか。
「……そこにいるシキから、話を聞いたのだがね。ハルさん」
 果実酒の入ったグラスを傾けながら、ラウルウーヘンが俺に話しかけてくる。
「魔の森が滅びると、エルフ族も絶滅するという話。あれは本当のことなのかね?」
 この世界の人間が、アルヴァンデュースの森がエルフ領であることを知らないはずはないのだが……
 俺は手にしたフォークとナイフをテーブルの上に戻して、真面目な顔で彼の問いかけに答えた。
「本当です。あの森はエルフたちにとって、命を繋ぐための大切なもの……森が失われてしまったら、彼女たちは生きていくことができません。彼女たちという種を守るために、どうか、これ以上森から木を採るのはやめて頂きたいのです」
「君たちが、魔帝討伐のための旅をしているという話も聞いたよ。そのためにはエルフ族の協力が必要不可欠だということもね。……魔帝を討つことは世界中の人々にとっての悲願だ、できることなら私も君たちのために力を貸してあげたいとは思っているのだが」
 グラスを持った手を下ろして、ふう、と悩ましげに溜め息をつく。
「知っているだろうが、この街にとって魔の森から得られる木は、既に欠かすことができない貴重な資源となっているのだ。私の命令で伐採を禁じることは容易いが、今木を採ることを禁じたら、木を扱う商売で生計を立てている商人たちが黙っていないだろう。領主として民の暮らしを支える義務のある私としては、民たちを疎かにするわけにはいかない。難しい問題だ」
「自分たちの暮らしを豊かにするためなら、ひとつの種族が犠牲になっても構わないって言うの? だったら、エルフが生きるために君たち人間を根絶やしにしても文句はないってことだよね? それならお望み通りにそうしてあげるけど」
 がたんと席を立つアヴネラ。
 俺はそれを宥めて、何とか彼女を元通り席へと座り直させた。
「……仕事は、ひとつだけではありません。世の中には探せば色々な仕事があります。家は木じゃなくたって造れますし、木造じゃなきゃ嫌だって拘りがあるのなら、他所の街から材木を仕入れることだってできるはずです。俺たち人間にとって家の材料は幾らでも代わりが利くものですが、エルフたちにとって森の代わりになるものは存在しないんですから。どうかそれを理解してあげて下さい」
「……そうだな」
 俺の言葉を納得した様子で聞いているラウルウーヘン。
 彼は温野菜の人参を口へと運んで、味わってから飲み込んで、一息つく。
「私は魔の森の存在が街の住民たちの暮らしを脅かしているからこそ、早く森を滅ぼすべきだと思っていた。しかしその森がエルフ族にとっては命に等しい存在であり、森の滅亡に伴って絶滅してしまうと知った以上は、迂闊に森に手を出すわけにもいかなくなってしまったな」
 真摯な顔をして、こくりと頷いて。言った。
「君の言うことは、分かった。今すぐにというわけにはいかないが、早急に民たちに新しい仕事を斡旋するなどして、手を回そう。今後は一切魔の森へは手を出さないと、約束しようじゃないか」
「本当ですか?」
「その代わり……森の方からも、私たちの街へは一切干渉しないでほしいと君の口からエルフ族へと伝えてほしい。森から流れてきた化け物たちを前に私たちが何もできないというのは流石に公平じゃないからな」
「……できるか? アヴネラ」
 俺の質問に、アヴネラは少しばかり沈黙を挟んだ後、答えた。
「……森に手を出すのをやめるのなら、トレントたちも此処には来ないよ。来る必要がないもの。あの子たちが動くのは、森に危険が迫った時だけだからね」
「そうか」
 ……最初に彼と会って話を聞いた時はどうなることかと思ったが、何とか、平和的にこの街と森との争いを止めることができたようだ。
 これで俺たちも、エルフの国に行くことができる。
 この男が意外と話の分かる奴で助かった。
「この件については、夜にでも手紙を書いて街中に通達しよう。……ああ、話をしていたら料理がすっかり冷めてしまった。どうぞ食べてくれ」
 さあ、と食事を促され、俺は止めていた食事の手を再び動かし始めた。
 これ以上は、俺たちの方から言えることは何もない。
 明日旅に必要な物資を店で調達して、この街を出発することにしよう。
 争いが終息したばかりだから、森に近付いたらトレントたちの熱烈な歓迎を受けるかもしれないが……その時はその時だ。アヴネラに頼んで連中を説得してもらって、森が手出しされることはなくなったことを伝えることにする。俺たち人間の言葉には聞く耳を持っていなくても、アヴネラの言葉ならば通じるはずだ。
 明日から忙しくなるな。
 今日は早めに体を休めよう、と独りごちて、俺はステーキにかぶりついたのだった。

 ラウルウーヘンの招待は食事のみに留まらず、風呂まで用意されていた。
 広々とした浴室に、真っ白で大きな外国のホテルにありそうな雰囲気のバスタブが設置されている。何と蛇口のような水関係の設備までしっかりと整っており、付いているレバーを倒すと丁度いい温度のお湯が出た。流石にシャワーはなかったが、ここまで地球レベルに近い形式の風呂があることには驚かされた。
 体を洗うためのタオルは宿で渡される麻布のような硬い粗末な布ではなく、柔らかい布だった。液体式の石鹸もある。隣にある壺は……何だろう。何に使うものなのかは分からなかったが、花のような良い香りがする液体が入っていた。
 風呂に入れるのは有難い。この世界に来てから今までに一度も風呂なんて入ったことがなかったからな。一応毎日濡らした布で体を拭いてはいるが、その程度じゃ体の汚れは完璧には落ちないだろうし、髪だってそう頻繁には洗えない。さぞかし全身汚れが溜まっていることだろう。
 俺はバスタブから桶でお湯を汲んで全身を濡らし、石鹸を泡立てて足先から丁寧に洗っていった。
 泡立ちが悪い。なかなか泡立たない。どうやら俺が思っていた以上に、俺の体は汚れていたらしい。
 何度も懸命に石鹸を泡立てて、体中をくまなく洗う。特に汚れが溜まっているであろう箇所は特に念入りに時間をかけて洗っていく。
 全身の泡を洗い流して、湯船の中へ。少しぬるくも感じたが、やんわりとした温かさが心地良く、思わず息が漏れた。
「……はぁ」
 やっぱり、日本人には風呂がなきゃ駄目だな。体を拭くだけで済ませてそれを何とも思わないこの世界の庶民の感覚は俺には理解できんよ。
 何とかならんかな、風呂。日本でもキャンプ地でドラム缶風呂みたいな簡単な風呂が用意できるくらいなんだし、この世界でも材料を揃えればそれくらいのものは作れそうな気がしないでもないのだが。
 何処かの鍛冶工房とかに行って、ドラム缶みたいな人が入れるくらいの入れ物を作ってもらうとか。あるいは創造魔法で作れるものの中に、風呂代わりに使えそうなものがないか探してみるとか。ミライに創造魔法のレシピについて少しでも聞いておくんだったな。
 何気なく、掌でお湯を掬う。
 指の間から零れ落ちていく透明な液体を見つめながら──ふと俺は、あることを思いついた。
 マナ・アルケミーでバスタブを作ってその中にお湯を溜めたら、風呂になるんじゃないか? と。
 マナ・アルケミーは魔力をイメージした形に編む能力だ。イメージさえしっかりとできていれば、どんな形にだってすることができる。
 この能力で作り出すものが武具じゃなければいけないという決まりはない。バスタブなんて要は水が溜められるでかい箱みたいなものなんだから、構造もそこまで複雑なものじゃない。作るのにそこまで苦労はしないはずだ。
 物は試し。俺は湯船から上がって、浴室の空いているスペースに手を翳し、能力を発動させてみた。
 俺の体から発せられた魔力が、俺のイメージ通りに形を成していく。幾分もせずに、それは大人一人が入れるくらいの大きさのバスタブとなった。
 イメージの元は、アパートなんかに設置されているようなユニットバスだ。水を抜くための穴とかは付いていないが、どうせ持ち歩くわけじゃないのだからそんなものはなくてもいい。水がきちんと溜められる構造ならば十分だ。
 おお、結構いいんじゃないか、これ。
 旅の途中で使うものとして考えるなら上々だ。後はこれに水魔法で水を溜めて火魔法でお湯にすれば立派な風呂になる。石鹸やボディタオルなんかは雑貨屋で売ってるものを買ってもいいし、フォルテに頼んで召喚してもらってもいいだろう。
 どうして、こんないい方法を今まで思い付かなかったんだろうな、俺。
 早速これからの旅で活用することにしよう。
 俺は作ったバスタブを消し去って、湯船に浸かり直した。
 コンコン。
 誰かが扉をノックしている。
 訝しげに扉に視線を向けると、扉の向こうから、落ち着いた雰囲気の女性の声が聞こえてきた。
「御寛ぎのところ大変恐縮ですが、失礼致します」
「え……ああ、はい。どうぞ」
 口調からして屋敷に勤めている家政婦だろうと予想した。
 どうして客人が風呂で寛いでいるところに家政婦がやって来るのだろう。しかも入室を尋ねるのではなく入りますよって宣言してるし。
 俺は右手で股間を隠した。湯船に入っているから相手からは見えないだろうが、念のためというやつだ。
 扉が開き、一人の家政婦が音もなく浴室に入ってくる。
 その手には──針のように細く尖った刃の剣が握られていた。
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