三十路の魔法使い

高柳神羅

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閑話 酒飲み仲間の悪巧み

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「ああ、もう……」
 一滴も中身が残っていないビールの空き缶。それを無造作にその辺に放り投げて、アルカディアは溜め息をついた。
「これで最後の一本だなんて……なくなるのが早すぎよ。全く、樽にどーんと入れればいいのに、何でこんな小さい入れ物なんかに入れてるのかしら。ちまちま入れ物を取り替える方が面倒だと思うのに。異世界のお酒って本当に意味が分からないわ」
 彼女は相変わらず酒漬けの生活を送っていた。
 本音を言うと、ビールの美味さを知ってしまった以上ビール以外の酒など飲みたくなかったのだが、彼女の手元にあるのは小さな缶ビール六本のみ。それで五日間持たせなければならないため、間を繋ぐために仕方なくこの世界でありふれている果実酒やエールを口にしているのである。
 最初は果実酒やエールで気分を紛らわせ、締めにビールを一缶開けて飲んだ気持ちに浸っているといった具合だ。これは彼女が必死に知恵を巡らせて考えたひとつの自己暗示法であった。
 しかし、一度ビールを口にしてしまうとつい二本目を開けてしまいたくなるというもの。実際、その欲に勝てずつい二本目に手を出してしまうことがあった。
 そういうこともあって、次にビールを手に入れられる約束の日まで後三日あるというのに、手元にある缶ビールは残り一本にまで数を減らしてしまっていた。
 ビールがなくなってしまったら、次に手に入るまで大人しく我慢するしかない……わけなのだが、もはや中毒と言って良いくらいにビールの虜になっている彼女にとって、それは拷問にも等しい。
 かといって、一本を三日かけて楽しむ、という節約が彼女にできるはずもない。
 そんなわけで、彼女の神殿には重苦しい葬式のような空気が流れているのだった。
「五日おきじゃなくて、せめて三日おきにするんだったわ……我ながら甘い判断だったわね。でも、あまり頻繁にあのおっさん君と接触していたら、流石に大主神様にバレちゃうかもしれないし……それだけは何が何でも避けなきゃいけないし。そう考えたら、五日おきにしたのは正解だったと言えなくも……でも……うーん」
「……おい、何だいるんじゃないかよ。いるならいるって返事くらいしろよな」
 考え込んでいると、唐突に横から若い張りのある男の声が掛けられた。
 考えることを阻害されて、微妙にむっとしながら声のした方に顔を向けるアルカディア。
 そこには、一人の小柄な少年が腕を組んで立っていた。
 身長は百四十センチくらいだろう。長い金の髪を三つ編みにして垂らした褐色肌の少年だ。上半身裸で、白いサルエルのようなズボンを履いており、手首や足首にじゃらじゃらとした金の輪っかを何個も填めている。首元には太い金の鎖を編んで作った大きな首飾りを下げており、背中には翼を広げた竜のような形の黒い刺青があった。
 アルカディアはふんと鼻を鳴らして少年神から視線をそらした。
「勝手に人の神殿に入ってくるんじゃないわよ。全く、あんたには礼儀ってものがないわけ? ソルレオン」
「外から何度も呼んだぞ? お前がそれに気付かないのが悪い。文句を言われる筋合いはないね」
 ソルレオンは辺りを見回しながら、すんと鼻を鳴らした。
 大量の酒樽や空き瓶やビールの空き缶が散乱した、とても女神の住む神殿の光景とは思えない場の有様に、濃い呆れの色が混じった溜め息をつく。
「相変わらず凄い部屋だな。シュナウスの神殿だって此処まで酷くはないぞ。酒の匂い、染み付いちゃってるんじゃないか?」
 シュナウスとは、アルカディアやソルレオンとよく顔を合わせては一緒に酒を飲み交わす仲間の神の名前だ。
 ソルレオンは、見た目こそ少年のようではあるが、その実年齢はアルカディアと大差はない。神は、外見年齢と実年齢は必ずしも一致するとは限らないのである。
「……ん?」
 ソルレオンの視線が、ある一点に定まる。
 彼はアルカディアの足下に置かれている、まだ開封されていない缶ビールを拾い上げた。
「何だ? こりゃ」
「あっ、ちょっと、触らないでよ! それは私が異世界人から貰ったお酒よ! 貴方にあげる分なんてないんだからね!」
「へぇ、異世界人から貰った酒ねぇ……ってことは、異世界の酒ってことだよな。美味いのか?」
 言うなり、彼は無造作にプルタブを引いて缶を開けた。
 ぷしゅっ、と缶から音が鳴り、アルカディアがかなり慌てた様子で騒ぎ出す。
「あああっ、ちょっと! 何勝手に開けてるのよ! それは私が楽しみに取っておいた最後のビール……ちょっと! ソルレオン!」
 アルカディアの制止も何処吹く風。ソルレオンは缶を口に付けて、中身を一気に飲み干した。
 ふーっと息を吐いて、うっとりとした様子で呟く。
「ああ、この爽やかな喉越し、後を引く苦味の中に残る香り……本当に、これが酒なのか? エールなんかとは比べ物にならないな……美味い」
 ソルレオンは、流石にアルカディアほどの認知度はないが神界に住む神々の間ではそれなりに酒にうるさい男神として知られている。
 神としての責務を果たす傍らにできた時間を使って酒の研究をし、この世界に現存する数多の酒を吟味して、より至高の一杯に出会うための努力を重ねているのだ。
 アルカディアのように無節操に飲みまくるわけではないのでそれほど酒飲みというイメージは持たれていないが、その本質は底を知らぬ酒豪。酒に触れさせたら下手をしたらアルカディアよりも厄介な存在なのである。
「こいつは癖になる味だ。異世界には、こんなに美味い酒があるんだな……それをお前は今まで独り占めしてたってわけか。オレという仲間を差し置いて、それは幾ら何でも薄情なんじゃないか?」
「ああ、私のビールが……最後の一本が……」
 アルカディアは中身が抜けた人形のようにくたりと上半身を折って、床に両手を付けた。
 どうやら、最後のビールを奪われたという現実は彼女に計り知れない精神的ダメージを与えたようである。
 彼女はきっと顔を上げて、かなり怒った様子で訴えた。その目にはうっすらと涙すら浮かんでいる。
「何てことしてくれたのよ! 後三日、ビールのない生活を送れって言うの? 冗談じゃないわ! そんなの耐えられるわけないじゃない! 責任取りなさいよ!」
「何だよ、たかが酒一本くらいでうるさい奴だな。三日くらい大人しく待てないのかっての。酒なんてその辺に幾らでもあるだろうが」
「ビールをその辺の果実酒やエールなんかと一緒にしないでちょうだい! あれはまさしく命の水なのよ! ビール以外のお酒なんてどうでもいいわっ! 私はビールが飲みたいのよ! ビール! ビール! ビール!」
「ああもう、うるさいからちょっと黙れ。殴るぞ。ったく……」
 ビールビールと騒ぎ始めるアルカディアを半眼で見つめながら、ソルレオンは考えた。
 アルカディアは、あのビールという酒を異世界人から貰ったと言っていた。ということは、その異世界人に要求すれば、再度その酒を手に入れることができるはず。
 ソルレオンは、アルカディアが下界の誰と繋がりを持っているのかを知らない。だから自分が独自にその人間と接触することはできないが、アルカディアに交渉させれば横から口を挟む形でその人間に接触することは十分に可能だ。
 アルカディアがこんなに騒ぐのも分かる。ビールという酒は、確かにこの世界にあるどんな酒よりも美味い。到底一杯程度で満足できるわけがない。
 是が非でも、手に入れたい。アルカディアの取り分を横取りするのではなく、自分専用の分として、確保したい。
 酒に対してはそれなりの欲があるこの男神。その結論を出すまでに、それほどの時間は要さなかった。
「……アルカディア。お前、その異世界人とやらにどうやって酒を献上させる約束をさせたんだ?」
 冷静にアルカディアに問いかけるソルレオン。
 アルカディアはビールコールを一旦やめると、自分がその異世界人にビールを献上させる見返りとして能力を授けたことを明かした。
 それを聞いたソルレオンはふうんと相槌を打って。

「それなら……オレもその異世界人に何かしらの能力を与えたら、その見返りに酒にありつけるってことだよな?」

 手にしたままのビールの空き缶に目を向けて、少年の顔から出たものとはとても思えないような邪笑を浮かべたのだった。
 本当に──神が抱く欲望というものは、ある意味人間が抱くそれよりも醜いものである。
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