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第3話 薬草畑と薬師の娘
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竜人は、基本的には同じ竜人の異性を己の番として選ぶ。
だが、元々個体数が少ない上に、どういうわけか女の数が全体数の僅か二パーセントほどしかいないという──彼らはそんな『偏った』種族でもあった。
故に、彼らは数多いる人間の中から気に入った異性を見つけて娶るのだ。種としての血を絶やさぬために。
竜人と人間との間に儲けた子は、人間が持つ『素質』が優れていればいるほどに竜人の血が濃く受け継がれ、産まれてくる。全く『素質』を持たぬ人間との間に生した子は、多少は竜人としての外見的特徴を備えているかもしれないが、基本的に純血の人間とほぼ同じ生き物になるのだという。それはもはや、世界を創生した神の末裔であるとは言えない。
竜人は、人間よりも優れた生き物であり世界の支配者であると同時に、あるひとつの使命を背負っている。これは神より直々に命じられたものであるとも、そのために神は竜人を生んだとも言い伝えられている。その使命を全うするために、彼らはより優れた子孫を残して種を繁栄させようと願うのだ。
生き物であれば優れた子孫を残したいと望むのは当たり前のこととも言えるが、竜人は、他のどの生き物よりも特に強くその願望を持っている。人間に『満十五歳になった者には選定の儀を受けさせよ』と命じ、それを掟にして義務付けさせたのは、そのためなのだ。
そのことは、ミラもよく知っている。
選定の儀で司祭から「お前には『素質』が全く備わっていない」と宣告された瞬間から、自分はこのままこの故郷の村で小さな薬屋の跡取り娘として生涯を生きるのだ、と心を決めたほどだった。
彼女にしてみれば、それで構わなかった。自分には竜人に見初められて支配者階級の椅子に座りたい、という願望もなければ、優雅で贅沢な暮らしに興味もなかったから。ただ、今は亡き母が遺してくれた形見とも呼べる家を──実家の薬屋を守ることさえできれば、毎日を生きるための僅かな収入を得て生きていければ、それで十分に幸せだと思っていたから。
だから。
あの日──思いがけぬ再会を果たした『お兄ちゃん』から求婚されて、そのまま支配者階級の一族として迎え入れられることになろうとは、まさに喫驚仰天……寝耳に水どころか寝耳にエリクシールを注ぎ込まれるくらいの大事件であると言えた。
何故なら。どうして彼が、全く『素質』を持たないどころか幼少時代にただ一度しか会ったことのない自分に求婚してきたのか、その理由が全くもって思い当たらなかったからである。
「ミラちゃーん」
ミラの生家。村外れにある、小さな薬屋。
裏庭には建物の倍以上の広さを誇る畑があり、幾許かの野菜と、様々な種類の薬草が育てられている。
薬草は森や山に赴いて採集するものというのが一般的な認識だが、人の手で育てられるものに関しては可能な範囲で自分で栽培するというのが彼女の家の拘りだった。その方が量こそ少ないものの安定して在庫を確保できるからだ。
彼女とセトが婚約して、一月。住まいはセトの家族が暮らす隣町の屋敷へと移った今でも、彼女は二日に一度、此処へと帰ってきては畑の世話や薬の調合など、実家の薬屋を営むために働いているのである。
薬草の根元に絡みつくようにして生えている雑草をちまちまと毟っている彼女の元に、一人の男が笑顔で近付いてきた。
緩い癖が付いたふわふわの白い髪に、白い瞳。白い肌。身に着けているものは支配者階級の者しか着用を許されない上等な礼服──いわゆる宮廷装束というものだが、彼は体が締め付けられるタイプの服が好みでないのか、大分派手に着崩しており胸元が大きく開いている。年齢の割に童顔で小柄な容姿も手伝ってか、そのラフな姿は少しばかり恵まれた暮らしをしている平民の若者のように見えた。
「そろそろ時間だから家に帰ろうよー」
「ナギさん」
「あ、ほっぺたに土が付いてる」
その場に立ち上がったミラの顔を見るなり、ナギは腰のポケットから真っ白なハンカチを引っ張り出して、それでミラの右頬を優しく拭った。
このハンカチ、最高級の絹糸を丹念に織って仕立てられた一級品らしいが、ナギは基本的に物の扱い方が雑というかぞんざいなふしがあるので、折角の上等な品もしわくちゃでまるでゴミ箱に捨てられた麻の端切れのようになっている。
綺麗になったミラの顔を見て、うん、と満足そうに頷き、ナギはハンカチを元の位置に戻しながら、今し方ミラが草むしりをしていたところに目を向けた。
「……ねぇ、ミラちゃん。畑の世話くらい、全部、とまでは言わないけどさ。誰か人を雇って手伝ってもらったら? 幾らそこまで大きい畑じゃないって言ってもさ、これをずっとミラちゃん一人で世話すんの、大変でしょ?」
「そ、それくらいは私だって分かってますけど……」
胸元で指先をもじもじと弄りながら、ミラは何処か遠慮がちに呟いた。
「庶民の私が人様を雇ってお仕事を命令する、とか、そういうのは流石に憚られるというか……そもそも、此処は私の実家だし、アヴィル家のお名前を借りて、というのも変な感じがするし」
「ははっ、ミラちゃんは相変わらず可愛いこと言うねぇ」
あっけらかんと笑って、ナギはミラの肩をくいっと抱き寄せた。
ミラは多少目を大きくしたものの、特に嫌がる様子もなく大人しく彼に抱かれている。
普通、異性の肌に気安く触れる行為──特に男が女にする場合は、子供ならともかく、成人間近になると咎められるものなのだが。ナギの場合は異性に対してというよりもむしろ兄妹に対してしているものという感覚が強いため、ミラに対して嫌悪感を抱かせるということがないのだ。無論、ミラ自身が異性に体に触れられることに対してまるで抵抗感を持っていない性分であることも、理由のひとつであると言えるのだが。
「でもさぁ、ミラちゃんはもう俺たちアヴィル家の一員、家族なんだから。他所のどいつがどんな文句を言って来ようが、セトがそう公言してるんだし俺たちもみんな認めてることだし。だから、ミラちゃんはもっと我儘になって俺たちに甘えていいんだよ? ぜーんぶ一人で、なんて抱え込んでたら、いつか倒れちゃうよ? そんなことになっちゃったら、俺、悲しくて泣いちゃうんだけど」
「ご、ごめんなさい」
「んーん、いいって。ミラちゃんは優しいもんね! ミラちゃんが人を使うことに向いてない、ってのは、俺にだって分かるから。ごめんね、説教臭くなっちゃって」
肩を抱き寄せた手でわしわしとミラの後頭部を撫でながら、ナギは上半身を傾けて、寄り掛かるように自らの頬を彼女の頭にこつんと触れさせた。
竜人の中でも、ケテル種は特に長身で体格に恵まれているという特徴がある。種全体で見て下から数えた方が早いと言えるくらいに小柄なナギですら、百七十五センチはあるのだ。身の丈が百五十センチほどしかないミラにとって、竜人はまさに色々な意味で圧倒される存在なのである。
「でも、ミラちゃんが辛いって本気で思った時は、遠慮なんてしないで俺たちのことを頼って。セトだけじゃない、俺もシュイもウルもファズも、みんな君のことを大事に思ってるんだから。そのことは忘れないでね」
「は、はい」
「ん、よし! んじゃ、帰ろっかー」
ぱっ、とミラから体を離したナギは、首から下げている銀鎖のペンダントを手に取った。
メタリックな群青色の小さい筒、見た目はそんな感じに仕立てられている笛。それを口元に持っていき、空に向けて大きく吹き鳴らす。
ヒューイ、と甲高い音が山吹色に染まりかけた天へと飛翔し、消えていく。
そして、幾分もせずに。
翼を広げた大きさは二メートルほどだろうか。ペリドットのように透き通った美しい鱗を持った生き物が、何処からともなく現れて二人の目の前へと着地したのだった。
ワイバーン。翼竜、の名で呼ばれているが、竜ではなく、蛇や蜥蜴と同じ爬虫類の仲間だ。知能は基本的に人間の幼児と同程度で、それほど賢いとは言えないが、根気良くものを教えればそれを覚えて実践することができる。小さくも強靭な翼力を持つため、竜人が移動手段の一環として好んで馬の代わりに飼うことが多い生き物である。
首に銀のタグが付いた白い首輪を着けている。ナギがそこを掌で撫でると、ワイバーンは小さく喉を鳴らして伏せの姿勢を取った。
「よしよし、ちゃんと来たな、偉いぞルックル。──それじゃ、家まで宜しく!」
二人が背に跨ると、ルックルと呼ばれたワイバーンは一声鳴いて、翼を力強くはためかせて宙へと舞い上がった。
何もない辺境の村に竜人が訪れることも珍しければ、彼が人間に連れ添って笑い合って仲睦まじくワイバーンに乗って空を飛ぶ光景を目にすることも珍しい出来事ではあるが──これが、彼らの中における日常の何気ないひとこまなのである。
だが、元々個体数が少ない上に、どういうわけか女の数が全体数の僅か二パーセントほどしかいないという──彼らはそんな『偏った』種族でもあった。
故に、彼らは数多いる人間の中から気に入った異性を見つけて娶るのだ。種としての血を絶やさぬために。
竜人と人間との間に儲けた子は、人間が持つ『素質』が優れていればいるほどに竜人の血が濃く受け継がれ、産まれてくる。全く『素質』を持たぬ人間との間に生した子は、多少は竜人としての外見的特徴を備えているかもしれないが、基本的に純血の人間とほぼ同じ生き物になるのだという。それはもはや、世界を創生した神の末裔であるとは言えない。
竜人は、人間よりも優れた生き物であり世界の支配者であると同時に、あるひとつの使命を背負っている。これは神より直々に命じられたものであるとも、そのために神は竜人を生んだとも言い伝えられている。その使命を全うするために、彼らはより優れた子孫を残して種を繁栄させようと願うのだ。
生き物であれば優れた子孫を残したいと望むのは当たり前のこととも言えるが、竜人は、他のどの生き物よりも特に強くその願望を持っている。人間に『満十五歳になった者には選定の儀を受けさせよ』と命じ、それを掟にして義務付けさせたのは、そのためなのだ。
そのことは、ミラもよく知っている。
選定の儀で司祭から「お前には『素質』が全く備わっていない」と宣告された瞬間から、自分はこのままこの故郷の村で小さな薬屋の跡取り娘として生涯を生きるのだ、と心を決めたほどだった。
彼女にしてみれば、それで構わなかった。自分には竜人に見初められて支配者階級の椅子に座りたい、という願望もなければ、優雅で贅沢な暮らしに興味もなかったから。ただ、今は亡き母が遺してくれた形見とも呼べる家を──実家の薬屋を守ることさえできれば、毎日を生きるための僅かな収入を得て生きていければ、それで十分に幸せだと思っていたから。
だから。
あの日──思いがけぬ再会を果たした『お兄ちゃん』から求婚されて、そのまま支配者階級の一族として迎え入れられることになろうとは、まさに喫驚仰天……寝耳に水どころか寝耳にエリクシールを注ぎ込まれるくらいの大事件であると言えた。
何故なら。どうして彼が、全く『素質』を持たないどころか幼少時代にただ一度しか会ったことのない自分に求婚してきたのか、その理由が全くもって思い当たらなかったからである。
「ミラちゃーん」
ミラの生家。村外れにある、小さな薬屋。
裏庭には建物の倍以上の広さを誇る畑があり、幾許かの野菜と、様々な種類の薬草が育てられている。
薬草は森や山に赴いて採集するものというのが一般的な認識だが、人の手で育てられるものに関しては可能な範囲で自分で栽培するというのが彼女の家の拘りだった。その方が量こそ少ないものの安定して在庫を確保できるからだ。
彼女とセトが婚約して、一月。住まいはセトの家族が暮らす隣町の屋敷へと移った今でも、彼女は二日に一度、此処へと帰ってきては畑の世話や薬の調合など、実家の薬屋を営むために働いているのである。
薬草の根元に絡みつくようにして生えている雑草をちまちまと毟っている彼女の元に、一人の男が笑顔で近付いてきた。
緩い癖が付いたふわふわの白い髪に、白い瞳。白い肌。身に着けているものは支配者階級の者しか着用を許されない上等な礼服──いわゆる宮廷装束というものだが、彼は体が締め付けられるタイプの服が好みでないのか、大分派手に着崩しており胸元が大きく開いている。年齢の割に童顔で小柄な容姿も手伝ってか、そのラフな姿は少しばかり恵まれた暮らしをしている平民の若者のように見えた。
「そろそろ時間だから家に帰ろうよー」
「ナギさん」
「あ、ほっぺたに土が付いてる」
その場に立ち上がったミラの顔を見るなり、ナギは腰のポケットから真っ白なハンカチを引っ張り出して、それでミラの右頬を優しく拭った。
このハンカチ、最高級の絹糸を丹念に織って仕立てられた一級品らしいが、ナギは基本的に物の扱い方が雑というかぞんざいなふしがあるので、折角の上等な品もしわくちゃでまるでゴミ箱に捨てられた麻の端切れのようになっている。
綺麗になったミラの顔を見て、うん、と満足そうに頷き、ナギはハンカチを元の位置に戻しながら、今し方ミラが草むしりをしていたところに目を向けた。
「……ねぇ、ミラちゃん。畑の世話くらい、全部、とまでは言わないけどさ。誰か人を雇って手伝ってもらったら? 幾らそこまで大きい畑じゃないって言ってもさ、これをずっとミラちゃん一人で世話すんの、大変でしょ?」
「そ、それくらいは私だって分かってますけど……」
胸元で指先をもじもじと弄りながら、ミラは何処か遠慮がちに呟いた。
「庶民の私が人様を雇ってお仕事を命令する、とか、そういうのは流石に憚られるというか……そもそも、此処は私の実家だし、アヴィル家のお名前を借りて、というのも変な感じがするし」
「ははっ、ミラちゃんは相変わらず可愛いこと言うねぇ」
あっけらかんと笑って、ナギはミラの肩をくいっと抱き寄せた。
ミラは多少目を大きくしたものの、特に嫌がる様子もなく大人しく彼に抱かれている。
普通、異性の肌に気安く触れる行為──特に男が女にする場合は、子供ならともかく、成人間近になると咎められるものなのだが。ナギの場合は異性に対してというよりもむしろ兄妹に対してしているものという感覚が強いため、ミラに対して嫌悪感を抱かせるということがないのだ。無論、ミラ自身が異性に体に触れられることに対してまるで抵抗感を持っていない性分であることも、理由のひとつであると言えるのだが。
「でもさぁ、ミラちゃんはもう俺たちアヴィル家の一員、家族なんだから。他所のどいつがどんな文句を言って来ようが、セトがそう公言してるんだし俺たちもみんな認めてることだし。だから、ミラちゃんはもっと我儘になって俺たちに甘えていいんだよ? ぜーんぶ一人で、なんて抱え込んでたら、いつか倒れちゃうよ? そんなことになっちゃったら、俺、悲しくて泣いちゃうんだけど」
「ご、ごめんなさい」
「んーん、いいって。ミラちゃんは優しいもんね! ミラちゃんが人を使うことに向いてない、ってのは、俺にだって分かるから。ごめんね、説教臭くなっちゃって」
肩を抱き寄せた手でわしわしとミラの後頭部を撫でながら、ナギは上半身を傾けて、寄り掛かるように自らの頬を彼女の頭にこつんと触れさせた。
竜人の中でも、ケテル種は特に長身で体格に恵まれているという特徴がある。種全体で見て下から数えた方が早いと言えるくらいに小柄なナギですら、百七十五センチはあるのだ。身の丈が百五十センチほどしかないミラにとって、竜人はまさに色々な意味で圧倒される存在なのである。
「でも、ミラちゃんが辛いって本気で思った時は、遠慮なんてしないで俺たちのことを頼って。セトだけじゃない、俺もシュイもウルもファズも、みんな君のことを大事に思ってるんだから。そのことは忘れないでね」
「は、はい」
「ん、よし! んじゃ、帰ろっかー」
ぱっ、とミラから体を離したナギは、首から下げている銀鎖のペンダントを手に取った。
メタリックな群青色の小さい筒、見た目はそんな感じに仕立てられている笛。それを口元に持っていき、空に向けて大きく吹き鳴らす。
ヒューイ、と甲高い音が山吹色に染まりかけた天へと飛翔し、消えていく。
そして、幾分もせずに。
翼を広げた大きさは二メートルほどだろうか。ペリドットのように透き通った美しい鱗を持った生き物が、何処からともなく現れて二人の目の前へと着地したのだった。
ワイバーン。翼竜、の名で呼ばれているが、竜ではなく、蛇や蜥蜴と同じ爬虫類の仲間だ。知能は基本的に人間の幼児と同程度で、それほど賢いとは言えないが、根気良くものを教えればそれを覚えて実践することができる。小さくも強靭な翼力を持つため、竜人が移動手段の一環として好んで馬の代わりに飼うことが多い生き物である。
首に銀のタグが付いた白い首輪を着けている。ナギがそこを掌で撫でると、ワイバーンは小さく喉を鳴らして伏せの姿勢を取った。
「よしよし、ちゃんと来たな、偉いぞルックル。──それじゃ、家まで宜しく!」
二人が背に跨ると、ルックルと呼ばれたワイバーンは一声鳴いて、翼を力強くはためかせて宙へと舞い上がった。
何もない辺境の村に竜人が訪れることも珍しければ、彼が人間に連れ添って笑い合って仲睦まじくワイバーンに乗って空を飛ぶ光景を目にすることも珍しい出来事ではあるが──これが、彼らの中における日常の何気ないひとこまなのである。
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