紅き箱庭のフィロソフィア

高柳神羅

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第3話 五百年後の世界

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 その場に立ち上がった青年は、ニコルから見て何とも奇妙な出で立ちをしていた。
 二メートルを超えた身長。若草色の短髪。人間の髪色で若草色というのはまずありえない色なので、おそらく染めているのだろう。瞳の色は深い翠色をしており、睫毛が長い。顔立ちは中の上くらい……といったところか。目が覚めるほどの美形ではないが、鼻筋がしっかりと通っておりそれなりに男前と言えるだろう、そんな顔をしている。右の耳に青い雫型の飾り石を下げたピアスを、左の耳に何の装飾もない金のフープピアスを三個並べて着けている、言ってしまうと少々チャラい感じのする男だった。
 着ているものは、白と金を基調とした裾の長い法衣。前垂れを胸元から足下にまで伸ばしたような形の金糸刺繍の布飾りが前面に付いており、あちこちに金細工の装飾が施された何とも煌びやかな衣裳である。畑で土いじりをするには明らかに向いていなさそうな格好だが、青年当人はそのことを何とも思っていない様子で、全身のあちこちがうっすらと汚れている……よく見ると明らかに靴跡と思わしき形の汚れが付いていることが、ニコルは微妙に気になった。
 青年はにこにこと気さくな笑顔を浮かべながら、ある方向を指差した。例の、正面がガラス張りになっている建物だ。
「御注文でしたら、どうぞ中へ。今ならカウンターにアノンさんいると思うんで、直接交渉できるはずっスよ」
「……あ、いえ、その……僕はお客さんじゃ……」
 ニコルは慌てて首を左右に振った。
「此処に来たのは、偶然建物を見つけたからで。此処がお店だなんて、全然知らなかったんです。中に入ったのは、少々お尋ねしたいことがあったからで……」
「ふうん?」
 青年は首をことりと傾けた。
「この工房を知らない人なんて、此処にはいないと思うんスけどね。まぁ、いいっスよ。こんな場所で立ち話も何なんで、とりあえず店の方にどうぞ。訊きたいことはアノンさんに訊けばいいっスよ。大抵のことになら答えてくれると思うんで」
「アノンさんとは?」
「この工房の経営主っスよ。此処はお客さんの要望に合わせてカスタマイズした武器を作って売る、オーダーメイド専門の鍛冶工房なんスよ。まあ、鍛冶工房っていっても実際は薬でも服でも何でも作るオールマイティな工房なんスけどね」
 此処に訪れる客は主に外の土地で戦争をしている兵士たちで、彼らが戦争に使う武器や道具を作って販売している店なのだと教えてくれた。
 此処の工房を経営しているのはアノンという男で、彼が一人で客から受けた注文の品を作成しているという。
 昔ながらの町工房みたいな店なんだろうか、とニコルは独りごちた。
 などと話しているうちに、二人は建物の正面玄関に到着した。
 ガラスで構成されたその空間は、街にある若者向けのお洒落なカフェテラス、といった雰囲気のある場所だった。鉢植えの花や観葉植物が豊富に飾られており、空間の中央には木製のカウンターが設置されていて、客側と従業員側のスペースが綺麗に二分されている。従業員側のスペースには壁に沿って棚が設置されており、そこには綺麗な色をした瓶や小箱、布の包みなど、様々な小物が並べられていた。カウンターの上には骨董品のように古めかしいレジスターが置かれており、その横には小さな筒状の入れ物が置かれ、中にはペンが立てられている。
 一見すると、中に人がいるようには見えないが……
「アノンさん、お客さんっスよー」
 青年が中に呼びかけながら扉の前に立つ。
 壁と同様に一枚板のガラスで作られた扉は、青年が正面に立つと音もなくすっと横にスライドした。どうやら自動扉になっているらしい。
 青年は迷わずカウンターに向かって歩いていき、上から中を覗き込んだ。
「アノンさん、お客さんっス」
「そんなに何度も呼ばなくても聞こえている」
 明らかに無人のカウンターから返ってくる、声。
 カウンターの一部が動いて、人一人が通れる程度の通路ができる。そこから、一人の男が姿を見せた。
 緋色のレンズを填めたゴーグルで目を覆った若い男だった。見た目は二十代前半くらいだろうか。微妙に色褪せた黒いタンクトップを着て、やたらとポケットが付いた黒いアーミーパンツを履き、親指だけが見える黒い手袋を填めた、中肉中背の人物である。
 髪は銀色で、肌も全く日焼けをしていない。ゴーグル以外に色らしい色のない、モノトーンを擬人化させたらこんな風になるであろうといった風貌。しかし何よりも目を引くのは、その色素のない姿よりも、彼が腰掛けているものだった。
 彼は、車椅子に乗っていた。銀色のボディの、人力で動かすタイプのものだ。彼が自分で改造したのか背凭れの裏側に鞘が付いており、そこに一本の剣が納まっている。何の飾り気もないシンプルな業物だ。護身用の品なのだろうか……銃火器が当たり前のように使われているこの土地で、刃物が護身用の武器として役立つのかどうかは疑問でしかなかったが。
 アノンと呼ばれたその男は、片手で器用に車輪を転がしながら青年の横を通り過ぎ、ニコルの前までやって来た。
 じっと掬い上げるように、緋色のレンズの裏側に隠れた双眸がニコルの顔を見つめる。
 そして、端的にこう呟いた。
「招かれざる客だな」
「……え?」
 一瞬、何を言われたのかが分からなかった。
 思わず声を漏らすニコルをその場に残して、アノンはくるりと彼に背を向けた。
 からころと車椅子を自分で転がしながら、カウンターの中へと戻っていく。ニコルの位置からは姿が見えなくなった彼は、何処かで移動をやめると、淡々とした言葉をこちらへと投げかけてきた。
「此処に、あんたの居場所はない。ニコル・ルーヴィエ。早々に此処から出て行け。アナクトでも、メルディヴィスでも……そっちになら、多少はあんたを歓迎してくれる連中がいるだろうさ」
「……!?」
 ニコルは困惑した。
 客商売をしている工房の主からいきなり追い出されそうになった事実に対してもそうだが、それ以上に、名前をフルネームで呼ばれたことが彼にとっては意外なことだったのだ。
 ニコルは確かに不老長寿の秘薬を開発して世界的に有名な科学者となったが、こんな地上の何処にある場所なのかも分からないようなこの土地でも自分の顔と名前が知られているとは思いもしなかったのである。
 だが、自分の顔と名が知られているということは、此処は異世界などではなく、紛れもない自分が生まれた世界であるという何よりの証拠でもある。
 あの無愛想な男が素直に答えてくれるとは思えなかったが、ニコルは問いかけずにはいられなかった。
「あの……教えて下さい! 此処は一体何処なんですか!? 外で殺し合いをしている、あんな人と思えない姿かたちをした人たちは何なんですか!? 戦争なんて、もう何世紀も前になくなったはずなのに……!」
「……ふざけているのか、あんたは」
 アノンが溜め息をつくのが聞こえてくる。
「あんたがこの戦争を引き起こした張本人のくせに、白々しいな。それとも、何だ。実はあんたは過去から何かの事故でタイムスリップしてきたから事情が分かりませんとでも主張する気か? とぼけるならもう少し上手くやるんだな。変異が進んで脳味噌が軽くなったメルディヴィスの連中でも、もっとマシな嘘をつくぞ」
「アノンさん、この人のこと知ってるんスか? ……そういえば、ニコル・ルーヴィエって何処かで聞いたような……」
「今日び子供でも知ってる常識だぞ、ネイティオ」
 顎に手を当てて考え始める青年を呆れた様子で嗜め、アノンは彼の疑問に答えた。

「ニコル・ルーヴィエ……五百年前に不老長寿を現実のものとして、果てに不老不死の研究にまで手を出した科学者。この『紅き箱庭』で長年続いている戦争の発端を生み出した、歴史上最悪とも呼べる人物さ」
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