おれより先に死んでください

星むぎ

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おれより先に、

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 ようやく迎えた約束の日、恭生も朝陽もそれぞれに仕事と大学の講義があった。
 朝食のテーブルの上には、バターを塗ったトーストとたまごやき。一般的には洋と和のバランスがおかしくても、これが定番の朝食になっている。朝陽が焼いた甘いたまごやきに、恭生は朝から幸福を噛みしめるのだ。

「なあ朝陽、今日の夕飯だけどさ。待ち合わせして外で食わない?」
「んー、俺は家がいいけど」
「でもさ、それだと多分……夕飯どころじゃなくなる気がする」

 恭生の潜めた声に、トーストを齧っていた朝陽の動きが止まる。

 この一週間がどれほど長くて、今日をどんな気持ちで待ちわびたか。自分のことも相手のことも、お互い手に取るように分かっている。見透かされていることまで、知っている。

 この部屋にまっすぐ帰って来たら、なにもかも放り出して体を重ねたくなるに決まっている。

「大学終わったら恭兄のほうに行く」
「うん。あ、気をつけて来いよ。もう無茶すんのはなしな」
「はは、うん。分かってる」

 恭生が働くヘアサロンの、最寄り駅で待ち合わせ。そう決めたら、そこから会話は続かなくなった。朝食を一緒に食べられる時は、いつも話したいことがたくさんで、遅刻しかけて慌てることもしばしばなのに。

 あと数時間も経てば、念願の時間がやってくる。その瞬間を焦がれるなんて、はしたないだとかいやらしいだとか。気恥ずかしさで本音を閉じこめるのはやめた。恋人に触れたい、触れられたい。こみ上げてくる感覚は過去を振り返っても初めてのことで、初恋のようにみずみずしい。

 自分の気持ちまで大事にしたくなる恋を、朝陽としている。


「じゃあ、いってきます」
「うん」
「あ……朝陽、今日はだめ」
「え、なんで」

 先に家を出る恭生を、朝陽が玄関まで見送りにくる。いつもならキスをするところだが、手のひらで朝陽の口元を覆い拒む。むくれて突き出されたのが、手のひらに当たるくちびるのかたちで分かる。

「キスしたらその、反応する自信あるから」
「……俺、今の聞いて反応しそうだけどどうしたらいい?」
「はは、あとちょっと我慢な?」

 じゃあなと指同士を絡め、ぎゅっと握ってから外へ出る。壁にもたれかかった朝陽が、恨めしそうにじとりとした目を向けてくる。

 でもその奥に、はっきりと熱い灯がともっている。それが爆ぜたら、一体どうなってしまうだろう。今夜知るのだと思うと背が震え、吐いた息が体にまとわりつく。


「朝陽!」
「恭兄。お疲れ様」
「ん、朝陽もお疲れ様」

 仕事終わりに駅へと直行したら、朝陽の姿をすぐに見つけることができた。あの事故以来の、この場所での待ち合わせだ。無事に会えたことに奇跡みたいに感動する。

 さっそく、夕飯はどうするかを話し合う。だがお互い、なにを食べるかなんて今日は心底どうでもよかった。ここから一番近いのは、チェーンのファミリーレストランだ。じゃあそこにしようと歩き始めた時。

 兎野、と呼ぶ声が聞こえ、朝陽と一緒に振り向いた。

「わ、橋本じゃん」
「はは、また会ったな」
「あー、はは、だな」

 まさか朝陽と一緒の時に、しかもこんな日に出くわすなんて。朝陽の顔を盗み見るといかにも不機嫌そうで、どうやら橋本だと認識しているようだ。じっとりとした視線が向けられていることに、橋本もすぐに気づく。

「あれ。もしかして、兎野の幼なじみの……」
「……どうも」

 気まずい空気に、恭生はついたじろぐ。睨みつけるような朝陽を受けて、橋本も応戦するように目を眇めていて。

 恭生は思わず、朝陽を背に守るようにしてふたりの間に割って入った。その直前にとった朝陽の手に、こっそり指を絡める。

「えっと、橋本は仕事終わり?」
「え? ……ああ、うん。営業先がこの近くで、直帰するところだった」
「そっか。オレたちはこれから、ごはん食いに行くとこ」
「へえ。はは、ほんと仲良いんだな」
「うん、そうだな」
「俺、幼なじみっていないから。ちょっと羨ましいわ」

 それじゃあ、と言う橋本に、恭生は手を振る。歩き出した橋本は、けれどすぐにまたこちらを振り返った。

「朝陽くん」
「……はい」
「約束、守れなかった。ごめん」
「……あんたにお願いしたことなら、俺が叶えるんで大丈夫です」
「え……?」

 ふたりの会話に、恭生は繋いだままの手に思わず力をこめた。

 ふたりが顔を合わせるのは、今日で三回目のはずだ。
 一回目は、キスを見られてしまった時。二回目は橋本が以前言っていた、キスをしてすぐの頃に、道でばったり会ったという日。

 恭兄を大事にしないと許さない、絶対に悲しませないで――朝陽が言ったらしいその言葉を、橋本は約束だと言っているのだろう。

 中学生の朝陽と、今の朝陽。橋本に向かって放たれた言葉が混ざり合う。それだけで橋本だって察しただろう、自分たちの関係を。見開かれた瞳に映される。
 けれど恭生の意識は全て、背後に立っている朝陽にしか向かない。

「あー、マジか。そういうことかあ」
「っす」
「もしかして、朝陽くんは兎野のこと、あの時から?」
「はい」
「そっか……朝陽くんかっこいいな。昔も今も。兎野が惚れるのも納得」

 してやられたといった顔、だがどこか清々しくも見える。

「兎野」
「ん?」
「また切ってもらいに行くから、その時はよろしくな。もちろん今度は指名で」
「ああ、うん」
「じゃあな」

 今度こそ去っていく橋本をぼんやりと眺める。すると繋いだままだった朝陽の手が、駅のほうへと恭生を引っ張る。

「え、朝陽、ファミレスは?」
「ごめん、今すぐ帰りたい」
「へ……」
「もう一秒も待てない」
「朝陽……」

 帰宅ラッシュの時間だ。駅は大勢の人で溢れていて、その間を朝陽とふたり縫うように進む。混んでいる電車の中で身を寄せ合う。

 朝陽はひと言も喋らず、少しくちびるを噛んでいる。橋本と会ったことで、嫌な思いをさせてしまったのは明白だった。
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