おれより先に死んでください

星むぎ

文字の大きさ
上 下
28 / 49
春に崩れる

5

しおりを挟む
 路地に出て時計を確認すると、十八時を五分ほど過ぎていた。朝陽のことだから、もう待っているだろう。

 駅へと進みかけ、だが足を止める。店の前に立っている人物に見覚えがあったからだ。あちらも恭生に気づいたようで、手を上げて合図してくる。

「兎野」
「橋本。もしかしてカットに来たのか?」
「違うよ。来るなら兎野指名してるし」
「はは、それはどうも」

 相変わらずまっすぐな言葉を口にする男だ。天然タラシとは、橋本のようなヤツのことを言うのだろう。
 内心苦笑しつつ、橋本の向こうの女性の姿に気づく。

「今日はたまたま通りかかったんだけどさ。えっと、この子は彼女。この店いいよって話してたところなんだ。奈々ちゃん、さっき話してた、ここで働いてる兎野だよ。高校からの友だちなんだ」

 橋本に紹介され、奈々と呼ばれた彼女に会釈をする。
 柔らかな雰囲気、それでいてまっすぐ伸びた背筋からは、凛とした印象。顔を見合わせ微笑むふたりは幸せそうだ。

 安堵するのは傲慢か。
 酷い別れ方をしたと謝られてしまえば、あの頃の朝陽の真意を知ってしまえば、振り返るのも苦ではなくなった。
 だからだろうか、一瞬で終わってしまった恋の片割れに、幸福を願ってしまうのは。

「奈々ちゃん、美容室探してるみたいでさ」
「そうなんですか?」
「はい。今通ってるところも悪くはないんですけど、他にも行ってみたくて。そしたら、彼がおすすめの美容室があるよと言うので。近くに来たので、寄ってみました」
「そうだったんですね。ではもし良かったら、いつでもご連絡ください」
「ありがとうございます」

 とは言え、元恋人として気まずい思いも多少はある。彼女は自分たちの関係を知らないとしても、だ。

 名刺を渡しつつ、女性のスタッフもいることを伝える。恋人の友人だから指名しなければなんて、気を遣って欲しくはない。なんの気兼ねもなく、自分の好きなスタイルを見つけて欲しい。

 ここで立ち止まり、かれこれ五分ほど経っただろうか。ふと遠くから救急車のサイレンが聞こえ、話しこんでいたことにはたと気づく。

「ごめん、オレ待ち合わせしてるんだ。そろそろ行くわ」
「そうだったんだ。悪かったな、引き止めて」
「ううん、平気。じゃあまたな」
「おう」

 橋本に手を振り、彼女の奈々に再び会釈をして駅のほうへと駆けだす。だがすぐに、橋本に呼び止められる。

「あ。兎野!」
「ん?」
「これ、お前のか? 犬のぬいぐるみ落ちてる」
「え。うわ……」

 橋本の手にある柴犬にぎょっとする。ゲームセンターで朝陽が獲ってくれたキーホルダーだ。ポケットに入れていた自分のスマートフォンを見ると、確かにそこにあるはずの姿がない。慌てて引き返し、両手でそれを受け取った。

「マジで助かった……ありがとう。失くしたらいつまでも探すところだった」
「そんな大事なものなんだ。気づけてよかった」
「うん、宝物」

 包みこむようにきゅっと握って、深く息を吐きながら額に当てる。
 橋本のおかげで事なきを得たが、失くしていたかもしれない事実に肝が冷える。胸に残る不安を、すぐ横の道を通り過ぎる救急車の音が煽る。

「兎野? 大丈夫か?」
「ああ、うん。平気……オレ、行くわ」

 やけに心臓が騒がしいままで、まだキーホルダーを握ったままの手を今度は胸に当てる。
 こんな思いは忘れてしまいたい。
 早く、朝陽に会いたい。
 

 駅までの道を急いだが、いつも朝陽が待っている場所にその姿はなかった。バイトは十七時に終わると言っていた。橋本たちと話しこみ遅くなってしまったから、どこかの店で休んでいるのかもしれない。

 スマートフォンを確認しても、連絡は入っていなかった。駅に着いた、とメッセージを送りつつ、近くのコンビニを覗いてみることにする。

 横断歩道を渡ってコンビニへ入店する直前、スマートフォンが鳴り始めた。朝陽からの着信だ。連絡がついてよかった。画面をタップして通話を繋ぎながら、先に見つけてやろうとコンビニの中を覗く。

「もしもし朝陽? 今どこ? オレは近くの……」
『あ、あの……』
「……え?」

 だが、電話の向こうから聞こえてきたのは、朝陽の声ではなかった。見知らぬ女性の、ひどく動揺した声。
 嫌な胸騒ぎが駆け足で襲ってくる。

『このスマホの、持ち主の方の、お知り合いの方でしょうか』
「……はい、そうですが」
『っ、すみません、さっき、事故が、すみません……っ、それで、救急車で、っ、ごめんなさい……』

 女性は混乱しているようで、ひどく泣きじゃくっている。言葉は支離滅裂で、聞き取ることも難しい。だが、よくない事態に朝陽が巻きこまれたことだけは分かった。

「朝陽……?」

 悪い想像ばかりが頭を巡る。地面がぐにゃりと歪んだみたいに、足から力が抜ける。思わずしゃがみこむと、大丈夫ですかと知らない誰かの声がした。だが、確かに耳に届いているのにとても遠くに聞こえる。声を発することも叶わない。

 心臓が冷えて、くちびるが震える。手に持ったままだった柴犬のぬいぐるみを縋るように握り、浅くなった呼吸を意識する。

 落ち着け、落ち着け。深く息を吸って、吐いて。

 電話の向こうの人も落ち着いてくれるように願いながら、どうにか口を開く。

「あの……オレは、どこに行けばいいですか」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

貢がせて、ハニー!

わこ
BL
隣の部屋のサラリーマンがしょっちゅう貢ぎにやって来る。 隣人のストレートな求愛活動に困惑する男子学生の話。 社会人×大学生の日常系年の差ラブコメ。 ※現時点で小説の公開対象範囲は全年齢となっております。しばらくはこのまま指定なしで更新を続ける予定ですが、アルファポリスさんのガイドラインに合わせて今後変更する場合があります。(2020.11.8) ■2024.03.09 2月2日にわざわざサイトの方へ誤変換のお知らせをくださった方、どうもありがとうございました。瀬名さんの名前が僧侶みたいになっていたのに全く気付いていなかったので助かりました! ■2024.03.09 195話/196話のタイトルを変更しました。 ■2020.10.25 25話目「帰り道」追加(差し込み)しました。話の流れに変更はありません。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

あなたの隣で初めての恋を知る

ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

思い出して欲しい二人

春色悠
BL
 喫茶店でアルバイトをしている鷹木翠(たかぎ みどり)。ある日、喫茶店に初恋の人、白河朱鳥(しらかわ あすか)が女性を伴って入ってきた。しかも朱鳥は翠の事を覚えていない様で、幼い頃の約束をずっと覚えていた翠はショックを受ける。  そして恋心を忘れようと努力するが、昔と変わったのに変わっていない朱鳥に寧ろ、どんどん惚れてしまう。  一方朱鳥は、バッチリと翠の事を覚えていた。まさか取引先との昼食を食べに行った先で、再会すると思わず、緩む頬を引き締めて翠にかっこいい所を見せようと頑張ったが、翠は朱鳥の事を覚えていない様。それでも全く愛が冷めず、今度は本当に結婚するために翠を落としにかかる。  そんな二人の、もだもだ、じれったい、さっさとくっつけ!と、言いたくなるようなラブロマンス。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

処理中です...