おれより先に死んでください

星むぎ

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知らない鼓動

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 体育館のある町を離れ、昼食をとった。入店したのは、洒落た店構えのハンバーガーショップ。バンズからはみ出るパティが見るからに美味しそうで、朝陽が嬉々とした様子でかぶりつく。

 それを眺めつつ、バスケをしている姿がかっこよかった、誰よりも輝いていたと褒め続けていると、朝陽は赤い顔をして俯いてしまった。その反応がかわいらしく、だけど口に出したら不貞腐れるだろうと少し堪えはしたが。結局かわいいと口から零れると、やはりムッとした顔をされて、それまで愛らしくて参った。

 その後は水族館へ行くことになった。恭生の誕生日に、朝陽が行く予定を立てていた水族館だ。恭生にとっては子どもの頃以来で、思いの外はしゃいでしまった。

 水槽の中を泳ぐカラフルな魚や、空中を舞うイルカ。なにかを発見すると服を引いて、引かれて。感動を共有する度に、無邪気な子どもの頃に戻ったみたいだった。

 夜、改めて朝陽の健闘を称えたくて、夕飯にはステーキを選んだ。大ぶりの肉を頬張る朝陽に、恭生自身も大満足だった。

 夕飯をとった店から駅まではよく喋ったのに、電車に乗ってアパートの最寄り駅に向かう間、なぜかお互いに口数が減ってしまった。扉付近に立って、窓の向こうを過ぎ去る夜景を見ながら、隣に立つ朝陽の呼吸を感じる。それだけで胸がきゅうと狭くなるような、切ない心地を覚える。

 これって、なんだったっけ。

 朝陽といられる時間は刻一刻と減っていくのに、言葉が出てこない。勿体ないと思うのに、一秒ごとにあたたかいなにかが積もるようでもある。朝陽も喋らないのは、同じような気持ちなのだろうか。

 結局、電車を降りてからの道のりも、ほとんど会話がないままアパートに到着してしまった。階段下で立ち止まり、朝陽のほうをゆっくりと振り返る。

 今日はとても充実していた。だからだろうか、いつも以上に名残惜しい。口を開いたら、まだ帰らないでと零れてきてしまいそうだ。朝陽は首を縦に振らない、困らせると分かっているのに。

 ふう、とひとつ深呼吸をして、恭生は腕を広げる。

「朝陽」
「ん?」
「ハグ。してよ」
「え……」

 すると朝陽はなぜか絶句して、その大きな手を口元に翳した。

「朝陽? どうした?」
「いや、びっくりして」
「びっくり? なにが?」
「だって……恭兄からしてって言われるなんて、思ってなくて」
「……今までなかったっけ」
「……仮恋人になった初日に言われたけど。それ以降はなかった」
「そ、っか」

 些細なことのように思えるが、手の向こうの頬が赤くなっているのが見える。自分相手に、なぜそんな顔をするのだろう。そう思うのに、赤が移ったように恭生の頬も火照ってくる。

 もう何度もしてきたのに、抱きしめられるのを待っている時間が、強烈に恥ずかしくなってきた。

「やっぱ今日はやめとくか」
「……やだ、やめない」
「でも朝陽、そんな顔し……あ」
「恭兄……」

 行き場をなくした腕を彷徨わせ、下げようとした時。それを許さないとでも言うかのように、朝陽に抱きしめられた。いつもの軽いものとは違う。ぎゅうっと縋るようにされ、肩に顔を埋められる。なんだか泣きそうだ。

「朝陽……」
「ねえ、恭兄」
「……ん?」
「今もさ、懐かしい?」
「え?」
「こうしてると、ちいさい時のこと思い出す?」
「…………」

 問われてみて初めて、この抱擁に子どもの頃の自分たちを重ねたり、比べたりしていないことに気づく。

 大人になった、逞しい男の朝陽に抱きしめられている。きちんとそう意識してしまっている。

「ううん、思い出さなかった」
「じゃあ、今はどんな気持ち?」
「それは……言わない」
「なんで?」

 気づいた途端、体が急激に熱くなった。朝陽に触れているところ全部が敏感になったみたいに、居た堪れなくなる。熟れた呼吸が零れそうで、慌てて朝陽を引き剥がす。

「もう、おしまい」
「……やだ」
「朝陽……なあ、言うこと聞いて」
「でもキスしてない」
「キス、は、今日は無理」
「……なんで? 俺のこと、嫌になった?」
「っ、その聞き方はずるいって……」
「嫌だったら、またさっきみたいに突っぱねて」

 朝陽はそう言って、恭生の両腕をそっと掴んだ。背を屈め、首を傾けて。くちびるがゆっくりと近づいてくる。

 さっきはつい離れてしまったが、突っぱねるなんてできるはずもない。朝陽がくれるキスを嫌だなんて思ったことは一度もない。くすぐったくて、甘くて、むしろ好きだった。

 でも今日はなにかが違う。戯れにしてくれないから、このキスに意味を見出したくなってしまう。スローな数秒が永遠みたいで、気が遠くなりそうだ。

 空を彷徨っていた手を、朝陽の腰に添える。びくっとした朝陽に離れてくれるなと示すように、そのままぎゅっと服を掴む。見上げた先で、朝陽の眉間が苦しそうに寄せられる。

 もう早くしてくれ、と先をねだるようにまぶたを閉じると、やっと頬にくちびるが当たった。

 腹の奥から甘ったるい声が出てきそうで、必死に堪える。今まででいちばん熱くて、今までていちばん長いキスだ。思わずまぶたを開いて、すぐにまた閉じる。そろそろと背に腕を回すと、大きく息を吸った朝陽が、キスをしたままきつく抱きしめてきた。

 どうして頬にしかキスしてくれないのだろう。
 ああ、本当の恋人ではないからか。

 初めて寂しく感じてしまい、涙を堪えるために恭生はまた、必死に朝陽の背を抱いた。
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