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最終章
甘い夜
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正直なところ、抱かれたいと宣言したことで、近いうちにするかもしれないと淡い期待があった。寂しさと興奮とにあんなに千歳も高揚していたから、時間を縫って会える日が一日くらいあるかも、と思ったのだ。だが千歳は拍車がかかったように、より一層勉強に励むようになった。会わないと寂しいし不安だし、もっと一緒にいたい。だけど、だからこそ尊をご褒美に頑張れる――とのことらしい。普通人を褒美にするか? と口にはしつつ、その実千歳にとっての褒美になれるのは満更でもない。決めたことはやり通す、千歳の意志の強さは並々ならぬものがある。だから尊が何度メモを捨てようと引かなかったし、絶対に諦めたくないと強い瞳で言われた。そんなところに絆されたんだよなと、尊も見守ることに徹している。
そうは言ったって、やはり寂しいものは寂しい。さすがに受験の日を終えたら会える、と思っていたのだが。大詰めも切り抜けた二月下旬、試験を終えた千歳は、それでもまだだと会おうとはしなかった。合格発表までは気が抜けないから、とのことだ。結果が分かるまで落ち着かないだろうと理解は出来ても、早く会いたいと思わずにはいられない。
だが、もう数日の辛抱だ。ここまで耐えたのだからなんてことはない。むしろ、待てば待っただけ幸福感は上がるかもしれない。そう言って見せると、最早ドMだな、と椎名には笑われてしまった。返す言葉もない。
卒業式。絶対これからも遊ぼうな! と泣きながら抱きついてきたのはケンスケとナベ。山田や真野にはすっかり仲のいい友人認定されていて、気安く肩を組まれため息を吐きつつ写真を撮った。千歳は人気者の実力をこれでもかと発揮していて、同級生のみならず下級生にもひっきりなしに囲まれ、忙しそうに過ごしていた。その人波がやっとのことで過ぎた後、屋上や例の階段下と、ふたりの思い出の場所を巡った。尊にとっての高校生活は、やはり千歳の存在が多くを占める。ありがとうと言うと千歳は泣いて、しょっぱいキスで三年間を締めくくった。
ちなみにこの日も千歳はまだ駄目だと放課後を一緒に過ごそうとせず、あまりの頑固さに尊は吹き出して笑った。
そうして迎えた合格発表の当日。尊は今日も今日とてアクセサリーショップに出勤している。発表は十四時だと聞いているが、朝からそわそわと落ち着かない。
昼の休憩を終え、店頭に立ってついに迎えた十四時。平日の昼間で、客がほぼいないのはラッキーだ。だが、ポケットに忍ばせているスマートフォンは、一向に震えはしない。まあ、まずは親に連絡するところだろう。電話で話しこんでいるのかもしれない。そんな風に自分を納得させたまま、十五時を過ぎてしまった。
「尊、彼氏から連絡来た?」
「それが……まだっす」
待ち受け画面を見られた日から、椎名にはよく話を聞いてもらうようになっていて、今日が千歳の合格発表だということも知っている。こっそりと尋ねてくれた先輩に、尊は青ざめた顔で首を振った。
信じている、千歳は絶対に合格すると信じている。それでもこの空白の時間は地獄のようだ。尊ですらこうなのだから、当の本人は今日この日までどれだけ苦しかったか。だが大丈夫だ、あんなに頑張っていたのだから。
冷静になる為、ショーケースの中の指輪を取り出し、磨きながら深呼吸をする。そんな尊の腕を、椎名が肘で突っついてきた。
「おい、尊」
「なんすか? これ終わったらちゃんとそっちもやりますよ」
「そうじゃなくて。あそこ、あれ」
「はあ。分かりました、向こうもっすね」
「違えよ。なあ尊、あれお前の彼氏じゃねえ?」
「……え?」
「あそこ。あのイケメン」
お前の彼氏、の言葉に弾かれたように顔を上げる。椎名が指で示しているのは店の外で、そこには確かに千歳の姿があった。息を切らしてこちらを窺っている。
「っ、ちー! あ、あの椎名さん!」
「おうおう、行ってやれ。こっちは平気だから」
「あざす!」
頭を下げ、上げきる前に尊は走り出す。たった数メートルが歯がゆい。店の外に大急ぎで飛び出る。
「ちー!」
「花村! 仕事中にごめん! 連絡しようと思ったんだけど、じっとしてられなくて」
「おう……えっと、それで」
結果はどうだった? そう聞きたいのに、喉に引っかかって出てきてくれない。心臓がドコドコとうるさくなってきた。走ってきたのか苦しそうな千歳も胸を上下させていて、だが次の瞬間、その顔には笑顔が花開いた。
「受かった! 受かったよ花村!」
「……っ!」
感極まった尊は、千歳の首にしがみつく。興奮のままに髪をかき混ぜると、千歳も尊の背を強く抱きしめる。
「すげえよちー、おめでとう!」
「うん、ありがとう!」
「頑張ったもんな、すげー頑張ってた」
「っ、ありがとう~」
涙声の千歳に引きずられるように、尊も鼻を啜る。千歳を讃える為なら人目も気にならない。良かった良かった、と腕を解けずにいると、千歳がどこか絞り出すように囁き始める。
「あのさ、花村」
「ん?」
「バイト終わるの、待ってていい?」
「いいけど……今日は十八時までだからまだかかるぞ」
「うん、大丈夫。それでさ、明日は休みだよね?」
「うん」
「……えっと」
途切れた言葉に瞳を覗く。何かを言い淀む様子に、両頬を包んで促す。千歳の気持ちはいつだってちゃんと聞きたい、こんな日は特に。待っていると、こくんと喉を鳴らした千歳が意を決したように口を開いた。
「今日、から明日まで。花村の時間をオレにください」
その後の勤務時間をほぼ上の空で過ごしてしまい、尊は記憶が定かではない。ただ不思議と平日にしては売上げがよかった。帰り際、そんな顔出来んなら毎日彼氏に会え、と椎名に言われた。意味は分からなかったが、言われなくとも出来るものならそうしたい。
「ちーって行動力あるよな」
「そうかな」
「うん。マジビビった」
「……困った?」
「すげー嬉しかった」
すっかり暮れた街を走る、大勢の人々を乗せた電車。扉の側に立って、小さな声で交わす会話はどこか浮足立っている。
勤務時間を終えて店を飛び出したら、千歳は店の前に立っていた。手には買い物袋をいくつか持っていて、ふたり分の下着も買ってきたと言うから驚いた。そして今は、手を引かれ飛び乗った電車に揺られ続けているところだ。尊の勤務中、近くのカフェでお茶をしながら千歳が押さえたという宿は、隣県の海の側にあるらしい。
人当たりがよくて、クラスの人気者。笑顔で何でも引き受け首を縦に振りながら、その実本音は違うところにあったりする。それでいて大胆な行動、こうと決めたらやり通す意志の強さ。それから、自分にだけ見せてくれる怒った顔や照れた顔。色々な千歳を知っているつもりだったが、急きょ泊りがけで出掛けることになるなんて、今日は本当に驚いた。これから先も何度だって、新しい千歳に出逢いたい。
何度か乗り換えた電車は、海沿いへとふたりを運んだ。一緒に検索して見つけた、ファミリーレストランで夕食。そして千歳に連れられるまま着いたのは、こじんまりとしたペンションだった。予約した三上です、と告げた千歳に鍵が渡され、二階へと上がる。入室するとそこは、ダブルベッドがひとつの小さな部屋。思わず立ち止まると、扉が閉まった音の後、後ろからそっと抱きしめられた。
明日までの時間をくれと言われた時、外泊すると分かった時。いよいよだろうと予感はしたけれど。急に実感が湧いてきて、声が上擦る。
今日、このベッドで千歳に抱かれるのだ。
「花村」
「っ、ちー……あ、ここの代金いくらだ? 俺出す」
「いらない、オレが誘ったんだし。お年玉とか貯めるタイプだったから平気」
「いやでも」
「花村」
甘い声で遮って、うなじにそっと歯を立てられる。それだけでもう、崩れ落ちそうになったのに。千歳はどうやら手加減する気はないようだ。
「今日、したい」
「っ、あ」
「いい?」
「ちー、なあ待て」
「やだ、もうたくさん待った」
「……っ!」
それは俺の台詞だ! そう叫びたいのに、確かにそのはずなのに。千歳も待ち望んでいたという事実を改めて差し出されれば堪らなかった。振り返って齧りつくようにキスをして、ふたりでベッドへなだれこむ。見上げた先の瞳は潤んでいる。
「ふ、泣き虫」
「だって……」
「うん。俺も泣きそう」
「花村……好き、大好き」
「ちー……」
「いっぱい触りたい」
「ん、俺も」
何度もキスをしながら、服を脱がせ合う。初めて見る肌も、千歳の言葉ひとつひとつすらも刺激的で、頭がくらくらする。
絡める舌に息が上がり、すっかり勃ち上がったそこがぶつかる。このまま何度か擦りつけ合えば、すぐに果ててしまいそうだ。だが欲しいのはそれじゃない。
「ちー、こっち」
「っ、うん……」
手を取って後ろに導くと、千歳の喉がごくりと鳴った。用意してきたらしいローションを出して、ゆっくりと指を一本埋められる。
「痛くない?」
「んっ、平気」
「本当に?」
「うん」
遠慮がちな指が、探りながら侵入してくる。呼吸を落ち着け千歳の髪に手を滑らせる。ある一点に指が当たると、尊の体は跳ね上がった。
「んっ! ……あ? なに……あ、なんで」
「……花村?」
「自分では全然、気持ちよくなかった、のにっ!」
「っ、なにそれ……自分で後ろ触ってたの?」
「あっ、でも、こんなんじゃ、んあ」
千歳に抱かれたいのだと気づいてから、何度か自分で触れたことがある。ここ最近はきっともうすぐだと期待して、スムーズにいくようにと丹念に解してみたりした。それでも快感を得たことは一度もなかったのに。指の動きに合わせて跳ねる腰が止められない。
「ちーっ、は、あ」
「気持ちいいの?」
「んっ! そこ、やばい」
「ここ? 花村かわいい」
「ひっ、ちー、もういい、早く、なあ」
「痛くしたくないからまだだよ」
「でも……あっ、前はだめだ、そんなんすぐイく、から!」
「いいよ」
「あ……っ!」
駄目だと言ったのに、扱くのを止めてもらえずあっけなく果ててしまった。くちびるを塞がれ、うわ言のように尊を呼んでいる。力が抜けて重たい腕で、千歳を引き寄せる。
「馬鹿ちー……」
「ん、花村……好き」
今までは仕掛けてもはぐらかされるばかりだったから、積極的な千歳は新鮮で翻弄される。キスをして再び中を解しながらも、もう片手は体中を這っていて、尊の声が少しでも上擦ればそこを熱心に愛されてしまう。耳の中、首筋、腰、胸元で小さく主張している赤いところ。優しい男の内側には、欲望に忠実な一面が隠れていた。こんな千歳は自分しか知らないのだ。もっと差し出したい、もっと欲しい。
「ちー、なあ、早く挿れろよ」
「っ、でも」
「もういいから、早く」
「……っ、もう!」
律義にゴムをつけて、硬い熱が宛がわれる。それだけで尊の体は期待に震えた。跳ね返そうとしてしまう肌に、それでもつぷつぷと押しこまれる圧迫感。だらしなく濡れた声がお互いの喉からこぼれる。
「ほんとはもっと、優しくしたかったのに」
「うん」
「っ、花村のこと、いっぱい気持ちよくしてから、って思ってたのに」
「うん、もうすげーきもちいい」
「花村あ、だめ、なのに、止まんないっ」
「は、あ、ちー、だめじゃない、ほしかったから、うれしい、ちー、あっ」
「……っ」
くちびるをぎりぎりと噛んで、千歳は汗を振り乱す。埋められてゆく体内がただでさえ気持ちいいのに、その表情が尊の性感を一気に引き上げる。堪らず足を絡ませて奥をねだると、眉をぐっと寄せながら強く突かれた。感じたことのない幸福感に、こめかみへと涙がこぼれ落ちる。
「ちー、やばい、も、きもちいい」
「うん、うん、オレも、オレも気持ちいいよ」
抱きしめあって、汗をかいた体がお互いにぴったりと貼りつく。まだ躊躇いが残る様子で、それでも我慢が利かないという風に揺すられるのがひどく良い。千歳の頭を抱きこんで、涙まじりの千歳の声を絶え間なく聞いて、千歳の律動で跳ねる甘ったるい自分の声。欲しかったものが、千歳の気持ちが一心に注がれている。
「あっ、ちー、もうイく、ちー、ちーっ」
「オレももう……花村、一緒がいい」
「はあっ、ちー! んん――……っ!」
「く――……っ!」
一緒をねだる千歳は、タイミングを合わせるためにと、きつく張りつめた先に手のひらを当てて責め立てた。電流が走るような快感に反らした背を、ぎゅうっと強く抱きしめられる。乱れた呼吸を整えることも出来ないまま、くったりと倒れこんできた千歳を抱き止める。
「花村……」
「ん……」
「大好き、だいすき」
「俺も……すげー好き」
啄むようなキスをして、千歳はゆったりと起き上がろうとした。気怠い足を引っかけてそれを食い止める。
「花村……?」
離れるなんて許すものか。やっと抱いてもらえて、やっとこの腹の中で千歳を愛せたというのに。
「そんなすぐ抜くなよ」
「っ、無理だよ」
「なんで」
「またしたくなっちゃうじゃん」
「うん」
「……花村あ、反則だって」
観念したようにぼすんと落ちてくる愛しい体を受け止める。つい今まで瞳の奥に欲を宿す男だったのに、首にすり寄ってくる仕草は甘えたな猫のようだ。
耳の下にキスをされ、首筋に齧りついて返す。くすくすと笑いながら、繋いだ手の中では指輪が音を立てる。この夜のすべてが、とろけそうに甘美だ。
「ちー」
「んー?」
「ご褒美になったか?」
「ご褒美……うん、すごく」
「じゃあもっとやる」
「っ、だから反則だよ」
「でももう元気になってきたじゃん。なあ」
くんと腰を揺らすと、千歳のくちびるが悔しそうに尖ったので舐めてみる。途端に眇められた熱っぽい目が、尊を映す。
「……花村に一個お願いがある」
「んー?」
「……尊」
「っ、あ……?」
「ん、中ぎゅってなった」
「お、まえ……ちーこそ反則」
「うん。でもずっと呼びたかった。ねえ尊、もっかいしよ」
「ん……いっぱいほしい」
むせかえるような甘い空気にこっそりと涙を啜る。手放したくない夜、仰々しく誓わなくとも光り続ける希望が見える。ずっと夢中でいられる恋が、体を熱く巡っている。
そうは言ったって、やはり寂しいものは寂しい。さすがに受験の日を終えたら会える、と思っていたのだが。大詰めも切り抜けた二月下旬、試験を終えた千歳は、それでもまだだと会おうとはしなかった。合格発表までは気が抜けないから、とのことだ。結果が分かるまで落ち着かないだろうと理解は出来ても、早く会いたいと思わずにはいられない。
だが、もう数日の辛抱だ。ここまで耐えたのだからなんてことはない。むしろ、待てば待っただけ幸福感は上がるかもしれない。そう言って見せると、最早ドMだな、と椎名には笑われてしまった。返す言葉もない。
卒業式。絶対これからも遊ぼうな! と泣きながら抱きついてきたのはケンスケとナベ。山田や真野にはすっかり仲のいい友人認定されていて、気安く肩を組まれため息を吐きつつ写真を撮った。千歳は人気者の実力をこれでもかと発揮していて、同級生のみならず下級生にもひっきりなしに囲まれ、忙しそうに過ごしていた。その人波がやっとのことで過ぎた後、屋上や例の階段下と、ふたりの思い出の場所を巡った。尊にとっての高校生活は、やはり千歳の存在が多くを占める。ありがとうと言うと千歳は泣いて、しょっぱいキスで三年間を締めくくった。
ちなみにこの日も千歳はまだ駄目だと放課後を一緒に過ごそうとせず、あまりの頑固さに尊は吹き出して笑った。
そうして迎えた合格発表の当日。尊は今日も今日とてアクセサリーショップに出勤している。発表は十四時だと聞いているが、朝からそわそわと落ち着かない。
昼の休憩を終え、店頭に立ってついに迎えた十四時。平日の昼間で、客がほぼいないのはラッキーだ。だが、ポケットに忍ばせているスマートフォンは、一向に震えはしない。まあ、まずは親に連絡するところだろう。電話で話しこんでいるのかもしれない。そんな風に自分を納得させたまま、十五時を過ぎてしまった。
「尊、彼氏から連絡来た?」
「それが……まだっす」
待ち受け画面を見られた日から、椎名にはよく話を聞いてもらうようになっていて、今日が千歳の合格発表だということも知っている。こっそりと尋ねてくれた先輩に、尊は青ざめた顔で首を振った。
信じている、千歳は絶対に合格すると信じている。それでもこの空白の時間は地獄のようだ。尊ですらこうなのだから、当の本人は今日この日までどれだけ苦しかったか。だが大丈夫だ、あんなに頑張っていたのだから。
冷静になる為、ショーケースの中の指輪を取り出し、磨きながら深呼吸をする。そんな尊の腕を、椎名が肘で突っついてきた。
「おい、尊」
「なんすか? これ終わったらちゃんとそっちもやりますよ」
「そうじゃなくて。あそこ、あれ」
「はあ。分かりました、向こうもっすね」
「違えよ。なあ尊、あれお前の彼氏じゃねえ?」
「……え?」
「あそこ。あのイケメン」
お前の彼氏、の言葉に弾かれたように顔を上げる。椎名が指で示しているのは店の外で、そこには確かに千歳の姿があった。息を切らしてこちらを窺っている。
「っ、ちー! あ、あの椎名さん!」
「おうおう、行ってやれ。こっちは平気だから」
「あざす!」
頭を下げ、上げきる前に尊は走り出す。たった数メートルが歯がゆい。店の外に大急ぎで飛び出る。
「ちー!」
「花村! 仕事中にごめん! 連絡しようと思ったんだけど、じっとしてられなくて」
「おう……えっと、それで」
結果はどうだった? そう聞きたいのに、喉に引っかかって出てきてくれない。心臓がドコドコとうるさくなってきた。走ってきたのか苦しそうな千歳も胸を上下させていて、だが次の瞬間、その顔には笑顔が花開いた。
「受かった! 受かったよ花村!」
「……っ!」
感極まった尊は、千歳の首にしがみつく。興奮のままに髪をかき混ぜると、千歳も尊の背を強く抱きしめる。
「すげえよちー、おめでとう!」
「うん、ありがとう!」
「頑張ったもんな、すげー頑張ってた」
「っ、ありがとう~」
涙声の千歳に引きずられるように、尊も鼻を啜る。千歳を讃える為なら人目も気にならない。良かった良かった、と腕を解けずにいると、千歳がどこか絞り出すように囁き始める。
「あのさ、花村」
「ん?」
「バイト終わるの、待ってていい?」
「いいけど……今日は十八時までだからまだかかるぞ」
「うん、大丈夫。それでさ、明日は休みだよね?」
「うん」
「……えっと」
途切れた言葉に瞳を覗く。何かを言い淀む様子に、両頬を包んで促す。千歳の気持ちはいつだってちゃんと聞きたい、こんな日は特に。待っていると、こくんと喉を鳴らした千歳が意を決したように口を開いた。
「今日、から明日まで。花村の時間をオレにください」
その後の勤務時間をほぼ上の空で過ごしてしまい、尊は記憶が定かではない。ただ不思議と平日にしては売上げがよかった。帰り際、そんな顔出来んなら毎日彼氏に会え、と椎名に言われた。意味は分からなかったが、言われなくとも出来るものならそうしたい。
「ちーって行動力あるよな」
「そうかな」
「うん。マジビビった」
「……困った?」
「すげー嬉しかった」
すっかり暮れた街を走る、大勢の人々を乗せた電車。扉の側に立って、小さな声で交わす会話はどこか浮足立っている。
勤務時間を終えて店を飛び出したら、千歳は店の前に立っていた。手には買い物袋をいくつか持っていて、ふたり分の下着も買ってきたと言うから驚いた。そして今は、手を引かれ飛び乗った電車に揺られ続けているところだ。尊の勤務中、近くのカフェでお茶をしながら千歳が押さえたという宿は、隣県の海の側にあるらしい。
人当たりがよくて、クラスの人気者。笑顔で何でも引き受け首を縦に振りながら、その実本音は違うところにあったりする。それでいて大胆な行動、こうと決めたらやり通す意志の強さ。それから、自分にだけ見せてくれる怒った顔や照れた顔。色々な千歳を知っているつもりだったが、急きょ泊りがけで出掛けることになるなんて、今日は本当に驚いた。これから先も何度だって、新しい千歳に出逢いたい。
何度か乗り換えた電車は、海沿いへとふたりを運んだ。一緒に検索して見つけた、ファミリーレストランで夕食。そして千歳に連れられるまま着いたのは、こじんまりとしたペンションだった。予約した三上です、と告げた千歳に鍵が渡され、二階へと上がる。入室するとそこは、ダブルベッドがひとつの小さな部屋。思わず立ち止まると、扉が閉まった音の後、後ろからそっと抱きしめられた。
明日までの時間をくれと言われた時、外泊すると分かった時。いよいよだろうと予感はしたけれど。急に実感が湧いてきて、声が上擦る。
今日、このベッドで千歳に抱かれるのだ。
「花村」
「っ、ちー……あ、ここの代金いくらだ? 俺出す」
「いらない、オレが誘ったんだし。お年玉とか貯めるタイプだったから平気」
「いやでも」
「花村」
甘い声で遮って、うなじにそっと歯を立てられる。それだけでもう、崩れ落ちそうになったのに。千歳はどうやら手加減する気はないようだ。
「今日、したい」
「っ、あ」
「いい?」
「ちー、なあ待て」
「やだ、もうたくさん待った」
「……っ!」
それは俺の台詞だ! そう叫びたいのに、確かにそのはずなのに。千歳も待ち望んでいたという事実を改めて差し出されれば堪らなかった。振り返って齧りつくようにキスをして、ふたりでベッドへなだれこむ。見上げた先の瞳は潤んでいる。
「ふ、泣き虫」
「だって……」
「うん。俺も泣きそう」
「花村……好き、大好き」
「ちー……」
「いっぱい触りたい」
「ん、俺も」
何度もキスをしながら、服を脱がせ合う。初めて見る肌も、千歳の言葉ひとつひとつすらも刺激的で、頭がくらくらする。
絡める舌に息が上がり、すっかり勃ち上がったそこがぶつかる。このまま何度か擦りつけ合えば、すぐに果ててしまいそうだ。だが欲しいのはそれじゃない。
「ちー、こっち」
「っ、うん……」
手を取って後ろに導くと、千歳の喉がごくりと鳴った。用意してきたらしいローションを出して、ゆっくりと指を一本埋められる。
「痛くない?」
「んっ、平気」
「本当に?」
「うん」
遠慮がちな指が、探りながら侵入してくる。呼吸を落ち着け千歳の髪に手を滑らせる。ある一点に指が当たると、尊の体は跳ね上がった。
「んっ! ……あ? なに……あ、なんで」
「……花村?」
「自分では全然、気持ちよくなかった、のにっ!」
「っ、なにそれ……自分で後ろ触ってたの?」
「あっ、でも、こんなんじゃ、んあ」
千歳に抱かれたいのだと気づいてから、何度か自分で触れたことがある。ここ最近はきっともうすぐだと期待して、スムーズにいくようにと丹念に解してみたりした。それでも快感を得たことは一度もなかったのに。指の動きに合わせて跳ねる腰が止められない。
「ちーっ、は、あ」
「気持ちいいの?」
「んっ! そこ、やばい」
「ここ? 花村かわいい」
「ひっ、ちー、もういい、早く、なあ」
「痛くしたくないからまだだよ」
「でも……あっ、前はだめだ、そんなんすぐイく、から!」
「いいよ」
「あ……っ!」
駄目だと言ったのに、扱くのを止めてもらえずあっけなく果ててしまった。くちびるを塞がれ、うわ言のように尊を呼んでいる。力が抜けて重たい腕で、千歳を引き寄せる。
「馬鹿ちー……」
「ん、花村……好き」
今までは仕掛けてもはぐらかされるばかりだったから、積極的な千歳は新鮮で翻弄される。キスをして再び中を解しながらも、もう片手は体中を這っていて、尊の声が少しでも上擦ればそこを熱心に愛されてしまう。耳の中、首筋、腰、胸元で小さく主張している赤いところ。優しい男の内側には、欲望に忠実な一面が隠れていた。こんな千歳は自分しか知らないのだ。もっと差し出したい、もっと欲しい。
「ちー、なあ、早く挿れろよ」
「っ、でも」
「もういいから、早く」
「……っ、もう!」
律義にゴムをつけて、硬い熱が宛がわれる。それだけで尊の体は期待に震えた。跳ね返そうとしてしまう肌に、それでもつぷつぷと押しこまれる圧迫感。だらしなく濡れた声がお互いの喉からこぼれる。
「ほんとはもっと、優しくしたかったのに」
「うん」
「っ、花村のこと、いっぱい気持ちよくしてから、って思ってたのに」
「うん、もうすげーきもちいい」
「花村あ、だめ、なのに、止まんないっ」
「は、あ、ちー、だめじゃない、ほしかったから、うれしい、ちー、あっ」
「……っ」
くちびるをぎりぎりと噛んで、千歳は汗を振り乱す。埋められてゆく体内がただでさえ気持ちいいのに、その表情が尊の性感を一気に引き上げる。堪らず足を絡ませて奥をねだると、眉をぐっと寄せながら強く突かれた。感じたことのない幸福感に、こめかみへと涙がこぼれ落ちる。
「ちー、やばい、も、きもちいい」
「うん、うん、オレも、オレも気持ちいいよ」
抱きしめあって、汗をかいた体がお互いにぴったりと貼りつく。まだ躊躇いが残る様子で、それでも我慢が利かないという風に揺すられるのがひどく良い。千歳の頭を抱きこんで、涙まじりの千歳の声を絶え間なく聞いて、千歳の律動で跳ねる甘ったるい自分の声。欲しかったものが、千歳の気持ちが一心に注がれている。
「あっ、ちー、もうイく、ちー、ちーっ」
「オレももう……花村、一緒がいい」
「はあっ、ちー! んん――……っ!」
「く――……っ!」
一緒をねだる千歳は、タイミングを合わせるためにと、きつく張りつめた先に手のひらを当てて責め立てた。電流が走るような快感に反らした背を、ぎゅうっと強く抱きしめられる。乱れた呼吸を整えることも出来ないまま、くったりと倒れこんできた千歳を抱き止める。
「花村……」
「ん……」
「大好き、だいすき」
「俺も……すげー好き」
啄むようなキスをして、千歳はゆったりと起き上がろうとした。気怠い足を引っかけてそれを食い止める。
「花村……?」
離れるなんて許すものか。やっと抱いてもらえて、やっとこの腹の中で千歳を愛せたというのに。
「そんなすぐ抜くなよ」
「っ、無理だよ」
「なんで」
「またしたくなっちゃうじゃん」
「うん」
「……花村あ、反則だって」
観念したようにぼすんと落ちてくる愛しい体を受け止める。つい今まで瞳の奥に欲を宿す男だったのに、首にすり寄ってくる仕草は甘えたな猫のようだ。
耳の下にキスをされ、首筋に齧りついて返す。くすくすと笑いながら、繋いだ手の中では指輪が音を立てる。この夜のすべてが、とろけそうに甘美だ。
「ちー」
「んー?」
「ご褒美になったか?」
「ご褒美……うん、すごく」
「じゃあもっとやる」
「っ、だから反則だよ」
「でももう元気になってきたじゃん。なあ」
くんと腰を揺らすと、千歳のくちびるが悔しそうに尖ったので舐めてみる。途端に眇められた熱っぽい目が、尊を映す。
「……花村に一個お願いがある」
「んー?」
「……尊」
「っ、あ……?」
「ん、中ぎゅってなった」
「お、まえ……ちーこそ反則」
「うん。でもずっと呼びたかった。ねえ尊、もっかいしよ」
「ん……いっぱいほしい」
むせかえるような甘い空気にこっそりと涙を啜る。手放したくない夜、仰々しく誓わなくとも光り続ける希望が見える。ずっと夢中でいられる恋が、体を熱く巡っている。
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