傷口に甘い声 〜推し声優と同じ名前の客と仲良くなる話〜

星むぎ

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 土曜日の夕刻、駅から歩いて来た怜の目には賑やかに浮わつく街が映る。
 会場の周辺は、至る所で女の子たちの煌めく笑顔と声が広がっている。
 まともに眠れなかった夜を引きずり、梓が灯した熱っぽい頭と体の自分には、似つかわしくないほどまぶしいなと怜はぼんやり思う。

「はぁ……」

 何度も反芻した昨夜の梓の姿や言葉、注がれた視線をまた思い返す。思いもよらなかったものばかりで、何にいちばん驚いて、何に心を震わせて、何を想ってここに立っていればいいのか今もよく分からない。
 けれど不思議な事に、来ないという選択肢だけはなかった。梓の秘密、このチケットが示すもの、それが何だとしたって受け止めたい、ただそれだけだった。

 ところで梓はどこだろう。
 来てほしい、と言ったのだから梓も一緒に観るのだと思っていたが、アパートを出る時に送ったメッセージを読んだ様子はない。どれだけ見渡しても、姿を見つけることも叶わない。
 まさか、と昨夜浮かんですぐに打ち消した可能性が、また怜の胸を掠める。
 客席ではなく、ステージの上に梓はいるのかもしれない――なんて。

「はは、まさか」

 そんなわけがないだろうと小さく自分を笑い飛ばし、怜はオレンジが滲み始めた空を仰ぐ。
 大きく息を吸って、しばらく留めて細く吐き出す。
 何があっても受け止めるつもりでいても、足が竦むのもまた事実だった。 


「あ、アニキ見っけ」
「へ……え、ノリくん!? え、どうしたの?」

 目を瞑っていた怜に、聞き慣れた声が届く。慌ててそちらを振り返ると、ノリの姿があった。たまたま近くを通って自分に気づいたのだろうか。

「アニキとおなじです、ここに来ました。ほら」
「あ……」

 けれどノリはそう言って、怜が梓から受け取ったものと同じ封筒を取り出した。ひらひらと振ってみせ、歯を見せながら肩を上げ、少年のように笑う。

「アニキ、もしかしたら来ないかもと思ってたんですけど早かったですね。いなかったら迎えにいこうと思って早めに来たんすけど、俺の方が遅かったみたいっす」
「え、っと? もしかしてノリくんも梓くんから?」
「っす」
「そうなんだ。梓くんはまだみたいだよ」

 きょろきょろと辺りを見渡しながら怜がそう言うと、ノリが手招き背を屈める。潜められた声が静かに、また怜にあり得るはずのないと打ち消した予感を運んでくる。

「梓くんはここには来ないっすよ」
「……そう、なの?」
「っす。でもちゃんと来ます」
「なに言ってるか分かんないよ」
「はは、そうっすよね。でも大丈夫っすよ、梓くんはアニキのことちゃんと考えてるから。俺がここに来たのも、アニキがひとりじゃ心細いかもしれないからって頼まれたっす」
「……ノリくんはなにか知ってるの?」
「んー、そうかも知んないっすね」
「…………」

 不安を覚え、シャツの胸元を怜は握りこむ。
 ノリと二人で立ち尽くしていると、いつの間にか開演一時間前になったようで、開場を始めるとのスタッフの声が届く。

「並びましょっか」
「……ん」
「アニキ~緊張してる?」
「そりゃ、するよ」

 強張った体を見抜いたのか、ノリがおどけた口調で怜の顔を覗く。どこか子ども扱いのようで釈然としないのに、確かに心がほどける感覚もする。

「にひ、そりゃそっすよね。ちなみに~、どっちに?」
「どっち? って?」
「見ないようにしてた相山梓を、ついに見ちゃうこと? それとも、梓くんのこと?」

 ノリが柔らかな笑顔でする問いかけに、怜はついきょとんと間抜けな顔をしてしまった。
 あぁ、そうだ。ノリの言う通り、今の怜にとって揺らぐ心はひとつではない。けれど――

「相山さんの事もドキドキしてるよ。ずっと好きだったし、わざと声以外の情報は断ってたから。でも……今は正直、梓くんのことで頭がいっぱい」

 昨夜だってそうだった。
 相山梓が登壇するのだと梓に言われ面食らったが、それでも怜の頭の中は久しぶりに顔を合わせた梓の事ばかりだった。
 怜が好きだと言った梓の、くしゃりと寄った眉と濡れた声色。張り裂けそうなくらいに今も怜を占めている。

「あは、そっか。じゃあ行こうアニキ。これは梓くんの覚悟っすよ」
「覚悟?」
「そうっす、ほらほら!」
「わ、分かったから!」

 覚悟という言葉の意味を理解できないまま、早くと急かしノリが腕を引く。

 仕事の合間もずっと塞ぎ込んでばかりだった、ここ数ヶ月の自分を怜は思い出す。ノリにはきっと、たくさん心配をさせてしまった。
 年上なのに助けられてばかりで情けない。けれどごめんねなんて言ったら、優しいノリはむくれてしまうだろうから。
 最後列に並んでひと息つき、怜はノリを振り返る。

「いつもありがとう、ノリくん」
「ん? 俺は何にも。でもアニキがどうしてもお礼がしたいって言うんなら、また鍋しましょ!」
「うん、いいね」
「今度は梓くんも入れて四人で、が希望っす」
「……ん、僕もそうだといいな」


 そんな未来が、出来ればすぐそこにあるといい。この強張った心がどう動くか、それが分からなくて恐ろしいけれど。
 梓が見せるものを受け取る自分に、大きな覚悟が持てるよう。少しずつ進む列に心音を押し上げられながら、怜はそっと息を飲む。
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