14 / 26
-3-
13
しおりを挟む
仕事を終えた怜は、大きく伸びをしながらついくたびれた声を漏らす。
今日は一段と利用客が多かった。目まぐるしい業務の中で休憩もろくに取れないまま、一日が終わった。
「アニキ~お疲れ様っす~……」
「ノリくんお疲れ様。くたくただね」
「う~もはやグロッキーすよぉ……激務すぎ。でも充実感もぱねぇっす」
「うん、分かる」
音楽が生まれる場所に身を置いて、紡ぎ出す人々の力に少しでもなれる事がノリも、そして怜もやはり好きなのだ。
自身のロッカーを閉じ、二十時を指す時計を見て怜はバッグを手に取る。珍しく二日連続で梓と会う約束があった。
昨日はあの後、CDを買った日は食事はどうしているのかと梓が訊いてくれた。簡単にコンビニの軽食で済ますのだと答えると、じゃあ今日もそうしようと楽しそうにねだられてしまった。折角なのにと申し訳なくも思ったけれど、怜のアパートでおにぎりやおつまみ、チューハイを二人で囲む夕飯はあたたかい時間だった。
今日は梓が久しぶりのオフで、是非来てほしいと誘われて、初めて梓の自宅にお邪魔することになっている。
「あ、そうだアニキ。俺、昨日見ちゃいましたよ。水くさいじゃないっすか~」
「ん? なにが?」
そろそろ帰ろうとした時だった。疲労した体をロッカーに預けていたノリが、水を得た魚のように突然怜を振り返った。キラキラとした瞳で口角を上げ、顎に添えられた二本の指が探偵をきどっている。
「昨日加奈と渋谷に行ったんすけど、アニキと梓くんのこと見かけて」
「あ、そうだったの? 声かけてくれたら良かったのに」
「いえ、俺は野暮な事はしない出来る男なんで」
「野暮? なにが?」
ノリの言っている意味がちっとも分からず首を傾げると、それを追いかけるようにノリもきょとんとした顔で首を傾げる。
探偵の顔はすっかり鳴りを潜め、その頭上にクエスチョンマークが浮かび始めた。
「え? 付き合ってるんすよね?」
「誰と誰が?」
「アニキと梓くんが」
「……まさか」
「え……え! だって手繋いでたじゃないっすか!?」
「あー……」
ギクリと肩を跳ねさせ、怜は先ほどのノリを真似るようにロッカーに体を預ける。
それを指摘されてしまえば、怜も何と説明すればいいのか分からないのだった。
梓とは手を繋ぐどころか、何なら抱きしめられることだってある。けれどそれは励ましてもらったり、昨日のように梓を励ます時に限ってだ。
梓の優しさを履き違う事の様で、意識する事自体がどこか憚られた。
「やっぱり変、かな? 普通しないよね。いや、昨日繋いでたのはたまたまだったんだけど……」
「変、って言うか……うーん……俺は繋ぐのは加奈とだけっすね」
「恋人がする事?」
「友達でもなくはないのかも知れないっすけど、俺はそうっす。アニキはどうなんすか?」
「梓くんとそういう関係じゃないけど、僕もそう思う」
「……アニキは梓くん以外とも手、繋げます?」
「梓くん以外……はは、想像もできないかも」
自分がそうだとしたって、もしかすると梓は誰にだってスキンシップが多いタイプなのかもしれない。
ただ怜はと言えば、触れられる度に心は正直に喜んで、胸は甘く痛んでしまうのだ。
違う、恋じゃない。
浮かぶ仮説を怜は何度も首を振って散らしてきたけれど、今日この場でノリがそれを拾ってしまう。
「俺はそのアニキの気持ち、意味があると思うなぁ」
「意味?」
「アニキが、もう恋はこりごりって思ってるのも十分承知してるけど。梓くんが特別なのは、間違いないんじゃないっすか?」
「特別……こわいな」
ノリが言う通り、梓が他の人とは違う、特別な存在だという事はもう否定できない。
けれどこの気持ちに恋と名付けてしまうのは、やはり怖い。
駄目だと頭が理性を振りかざすのに、勝手に早鐘を打つ心臓が怜を置いてけぼりにする。
そもそも認めたところで叶う事はない、男の怜を相手に梓はそんな想いを抱かないだろう。
慕ってくれているのは、きっとノリと同じように兄へのそれと同じ感覚だ。
「アニキの気持ちはアニキにしか分からないっすけど、素直になっていいと思いますよ、俺は」
「素直……」
「っす。どう転んでも、俺はいつでもアニキの味方っすから」
「ん、ありがとう、ノリくん」
素直になるのなら、きっとこのままでいい。今のこの心地いい関係が続けばそれがいい。
自分に言い聞かせるように怜は頷き、そろそろ帰ろうかと二人一緒に外へ出る。
「雨降りそうっすね」
「うん、急いだほうがよさそうだね」
厚い雲に覆われた夜空が見せる予感に、怜とノリは夜道を急ぐ。
雨の匂いに気を取られ、近づき始める本当の嵐の予感に怜は気づけない。
今日は一段と利用客が多かった。目まぐるしい業務の中で休憩もろくに取れないまま、一日が終わった。
「アニキ~お疲れ様っす~……」
「ノリくんお疲れ様。くたくただね」
「う~もはやグロッキーすよぉ……激務すぎ。でも充実感もぱねぇっす」
「うん、分かる」
音楽が生まれる場所に身を置いて、紡ぎ出す人々の力に少しでもなれる事がノリも、そして怜もやはり好きなのだ。
自身のロッカーを閉じ、二十時を指す時計を見て怜はバッグを手に取る。珍しく二日連続で梓と会う約束があった。
昨日はあの後、CDを買った日は食事はどうしているのかと梓が訊いてくれた。簡単にコンビニの軽食で済ますのだと答えると、じゃあ今日もそうしようと楽しそうにねだられてしまった。折角なのにと申し訳なくも思ったけれど、怜のアパートでおにぎりやおつまみ、チューハイを二人で囲む夕飯はあたたかい時間だった。
今日は梓が久しぶりのオフで、是非来てほしいと誘われて、初めて梓の自宅にお邪魔することになっている。
「あ、そうだアニキ。俺、昨日見ちゃいましたよ。水くさいじゃないっすか~」
「ん? なにが?」
そろそろ帰ろうとした時だった。疲労した体をロッカーに預けていたノリが、水を得た魚のように突然怜を振り返った。キラキラとした瞳で口角を上げ、顎に添えられた二本の指が探偵をきどっている。
「昨日加奈と渋谷に行ったんすけど、アニキと梓くんのこと見かけて」
「あ、そうだったの? 声かけてくれたら良かったのに」
「いえ、俺は野暮な事はしない出来る男なんで」
「野暮? なにが?」
ノリの言っている意味がちっとも分からず首を傾げると、それを追いかけるようにノリもきょとんとした顔で首を傾げる。
探偵の顔はすっかり鳴りを潜め、その頭上にクエスチョンマークが浮かび始めた。
「え? 付き合ってるんすよね?」
「誰と誰が?」
「アニキと梓くんが」
「……まさか」
「え……え! だって手繋いでたじゃないっすか!?」
「あー……」
ギクリと肩を跳ねさせ、怜は先ほどのノリを真似るようにロッカーに体を預ける。
それを指摘されてしまえば、怜も何と説明すればいいのか分からないのだった。
梓とは手を繋ぐどころか、何なら抱きしめられることだってある。けれどそれは励ましてもらったり、昨日のように梓を励ます時に限ってだ。
梓の優しさを履き違う事の様で、意識する事自体がどこか憚られた。
「やっぱり変、かな? 普通しないよね。いや、昨日繋いでたのはたまたまだったんだけど……」
「変、って言うか……うーん……俺は繋ぐのは加奈とだけっすね」
「恋人がする事?」
「友達でもなくはないのかも知れないっすけど、俺はそうっす。アニキはどうなんすか?」
「梓くんとそういう関係じゃないけど、僕もそう思う」
「……アニキは梓くん以外とも手、繋げます?」
「梓くん以外……はは、想像もできないかも」
自分がそうだとしたって、もしかすると梓は誰にだってスキンシップが多いタイプなのかもしれない。
ただ怜はと言えば、触れられる度に心は正直に喜んで、胸は甘く痛んでしまうのだ。
違う、恋じゃない。
浮かぶ仮説を怜は何度も首を振って散らしてきたけれど、今日この場でノリがそれを拾ってしまう。
「俺はそのアニキの気持ち、意味があると思うなぁ」
「意味?」
「アニキが、もう恋はこりごりって思ってるのも十分承知してるけど。梓くんが特別なのは、間違いないんじゃないっすか?」
「特別……こわいな」
ノリが言う通り、梓が他の人とは違う、特別な存在だという事はもう否定できない。
けれどこの気持ちに恋と名付けてしまうのは、やはり怖い。
駄目だと頭が理性を振りかざすのに、勝手に早鐘を打つ心臓が怜を置いてけぼりにする。
そもそも認めたところで叶う事はない、男の怜を相手に梓はそんな想いを抱かないだろう。
慕ってくれているのは、きっとノリと同じように兄へのそれと同じ感覚だ。
「アニキの気持ちはアニキにしか分からないっすけど、素直になっていいと思いますよ、俺は」
「素直……」
「っす。どう転んでも、俺はいつでもアニキの味方っすから」
「ん、ありがとう、ノリくん」
素直になるのなら、きっとこのままでいい。今のこの心地いい関係が続けばそれがいい。
自分に言い聞かせるように怜は頷き、そろそろ帰ろうかと二人一緒に外へ出る。
「雨降りそうっすね」
「うん、急いだほうがよさそうだね」
厚い雲に覆われた夜空が見せる予感に、怜とノリは夜道を急ぐ。
雨の匂いに気を取られ、近づき始める本当の嵐の予感に怜は気づけない。
0
お気に入りに追加
108
あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
まったり書いていきます。
2024.05.14
閲覧ありがとうございます。
午後4時に更新します。
よろしくお願いします。
栞、お気に入り嬉しいです。
いつもありがとうございます。
2024.05.29
閲覧ありがとうございます。
m(_ _)m
明日のおまけで完結します。
反応ありがとうございます。
とても嬉しいです。
明後日より新作が始まります。
良かったら覗いてみてください。
(^O^)
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる