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「あ、おはようございますっす! アニキ!」
「おはよう、ノリくん。あれ、なんかいい事でもあった?」
「えー? へへ、アニキには何も隠し事できないっすね! 実はー、今日は仕事終わったらデートなんすよねぇ」
職場の後輩、ノリは怜の数少ない心を許せる相手だ。二十二歳の彼とは三歳しか違わないが、このレコーディングスタジオに入ってきた時から怜に懐き、今ではアニキなんて呼ばれている。慕ってくれるのは素直に嬉しい。
ノリと彼の恋人の加奈は、怜が酷く落ち込んでいた時に親身に気にかけてくれた存在でもある。
「そうなんだ。加奈ちゃんによろしくね」
「っす。アニキにもまたそろそろ会いたいって言ってたんで、今度鍋でもしましょ。ところでー、アニキもなんか嬉しそうな顔してるっすね?」
「んー? うん、ちょっとね」
はぐらかしてはみたけれど、ノリの勘は当たっている。そう見えるのは、相山梓の新作に昨夜浸ることが出来たからに違いない。ふわふわと体が浮くような幸福感は、今も続いているくらいだ。
休日に遊ぶ時にでも、またノリに相山梓の話を聞いてもらおうと思いながら、怜は今日の予約の確認を始める。
受付から清掃、何でもこなすことが求められる中で、利用者の顔を覚えるのも重要なことのひとつだ。見知った名前が連なった予定表を頭に入れていると、さっそく本日の最初の利用者が訪れる。同時に気づいたノリに自分が出ると答え怜は受付へと顔を出した。
「おはようございます」
「おはようございます、アズサさん。お久しぶりですね」
「はい、お久しぶりです」
「お元気でしたか? えっと……今日はカペラレコードさんはBスタジオですね」
「元気ですよ、鳴海さんも元気そうですね。Bは二階でしたっけ」
「二階の突き当りです。お元気そうでよかったです。はは、僕もアズサさんの仰る通りに」
すらりとした体型に長身、常にマスクをしている年下であろうアズサは、このスタジオに訪れるようになってから一年。まだ二~三度ほどだろうか。
少し癖のあるダークブラウンの髪に穏やかな雰囲気。涼しげな瞳と声の柔らかさも相まって、落ち着いた印象を与える彼と接する時間は、怜にとって不思議と肩の力が抜ける瞬間でもあった。
多くの他の客のように怜を食事などに誘ったりすることはない、というのも大きい。線が細く柔和な雰囲気を持った怜は、男女問わず毎日のように声をかけられてしまうのだ。
そういった付き合いはしないと決めているが、客なのだから角を立てないように断らねばならず、怜にとっては苦痛でしかなかった。
「お、アズサくん! 今日も早いね!」
「園田さん。おはようございます」
「おはようございます」
「じゃあ鳴海さん、俺はこれで」
顔なじみのカペラレコードのスタッフが訪れ、アズサは怜にちいさく手を振りながら園田と連れ立ってエレベーターへと向かう。ほほ笑んで見送り、怜はふうと細く息を吐く。
人と接するのが苦手になった決定打は、年月が経ったところで怜の胸に大きくしこりを残している。誰しもが元恋人のように他人を陥れるわけじゃない、分かっている。
けれど、この人はそうじゃないと判断する材料は、上辺の関係ではひとつもないに等しいのだ。
アズサより長年の付き合いである園田相手にすら身構えた体から力を抜き、気合を入れ直す。今日も業務がたくさんある。
「よし、仕事仕事」
それにしても、本当にアズサ相手には力まずに話が出来ているのだなとふと思う。気さくでありながら適した距離感、理由は果たしてそれだけか。ああ、もしや好いている声優とたまたま同じ“アズサ”という名だからだろうか。
まさかそんな事で、と自分で見出した仮定に苦笑しながら、怜は事務所内へと引き返す。
相山梓の新作に自分は余程浮かれているようだ。CDの声を思い返しながら、怜は帰宅時にも聴こうと心に決めた。
「おはよう、ノリくん。あれ、なんかいい事でもあった?」
「えー? へへ、アニキには何も隠し事できないっすね! 実はー、今日は仕事終わったらデートなんすよねぇ」
職場の後輩、ノリは怜の数少ない心を許せる相手だ。二十二歳の彼とは三歳しか違わないが、このレコーディングスタジオに入ってきた時から怜に懐き、今ではアニキなんて呼ばれている。慕ってくれるのは素直に嬉しい。
ノリと彼の恋人の加奈は、怜が酷く落ち込んでいた時に親身に気にかけてくれた存在でもある。
「そうなんだ。加奈ちゃんによろしくね」
「っす。アニキにもまたそろそろ会いたいって言ってたんで、今度鍋でもしましょ。ところでー、アニキもなんか嬉しそうな顔してるっすね?」
「んー? うん、ちょっとね」
はぐらかしてはみたけれど、ノリの勘は当たっている。そう見えるのは、相山梓の新作に昨夜浸ることが出来たからに違いない。ふわふわと体が浮くような幸福感は、今も続いているくらいだ。
休日に遊ぶ時にでも、またノリに相山梓の話を聞いてもらおうと思いながら、怜は今日の予約の確認を始める。
受付から清掃、何でもこなすことが求められる中で、利用者の顔を覚えるのも重要なことのひとつだ。見知った名前が連なった予定表を頭に入れていると、さっそく本日の最初の利用者が訪れる。同時に気づいたノリに自分が出ると答え怜は受付へと顔を出した。
「おはようございます」
「おはようございます、アズサさん。お久しぶりですね」
「はい、お久しぶりです」
「お元気でしたか? えっと……今日はカペラレコードさんはBスタジオですね」
「元気ですよ、鳴海さんも元気そうですね。Bは二階でしたっけ」
「二階の突き当りです。お元気そうでよかったです。はは、僕もアズサさんの仰る通りに」
すらりとした体型に長身、常にマスクをしている年下であろうアズサは、このスタジオに訪れるようになってから一年。まだ二~三度ほどだろうか。
少し癖のあるダークブラウンの髪に穏やかな雰囲気。涼しげな瞳と声の柔らかさも相まって、落ち着いた印象を与える彼と接する時間は、怜にとって不思議と肩の力が抜ける瞬間でもあった。
多くの他の客のように怜を食事などに誘ったりすることはない、というのも大きい。線が細く柔和な雰囲気を持った怜は、男女問わず毎日のように声をかけられてしまうのだ。
そういった付き合いはしないと決めているが、客なのだから角を立てないように断らねばならず、怜にとっては苦痛でしかなかった。
「お、アズサくん! 今日も早いね!」
「園田さん。おはようございます」
「おはようございます」
「じゃあ鳴海さん、俺はこれで」
顔なじみのカペラレコードのスタッフが訪れ、アズサは怜にちいさく手を振りながら園田と連れ立ってエレベーターへと向かう。ほほ笑んで見送り、怜はふうと細く息を吐く。
人と接するのが苦手になった決定打は、年月が経ったところで怜の胸に大きくしこりを残している。誰しもが元恋人のように他人を陥れるわけじゃない、分かっている。
けれど、この人はそうじゃないと判断する材料は、上辺の関係ではひとつもないに等しいのだ。
アズサより長年の付き合いである園田相手にすら身構えた体から力を抜き、気合を入れ直す。今日も業務がたくさんある。
「よし、仕事仕事」
それにしても、本当にアズサ相手には力まずに話が出来ているのだなとふと思う。気さくでありながら適した距離感、理由は果たしてそれだけか。ああ、もしや好いている声優とたまたま同じ“アズサ”という名だからだろうか。
まさかそんな事で、と自分で見出した仮定に苦笑しながら、怜は事務所内へと引き返す。
相山梓の新作に自分は余程浮かれているようだ。CDの声を思い返しながら、怜は帰宅時にも聴こうと心に決めた。
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