【完結】一瞬にかけた流れ星、或いはロードスター 〜たった一度だけ雑誌で見た憧れの人とシェアハウスすることになる話〜

星むぎ

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手は届かない-1

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 十月には秋のイメージがあるのに、まだまだ暑い日が続いている。それでも確実に移ろっていく季節と共に、夏樹にも変化が起きている。

 晴人のバーターで、メンズファッション雑誌の撮影に初めて参加出来た。本当にささやかではあったが、スタッフに知ってもらえることが大切なのだと晴人も前田も言っていた。そうでなくとも全力で挑むつもりだったが、より一層集中することが出来た。

 順調とはなかなか言い難いが、一歩を着実に進めたと思っている。

 ただひとつ問題があるとすれば、柊吾のことだ。関係は良好だが、夏樹の心の中は大嵐が吹き荒れているのだ。『気まずくなりたくない』と言ってくれた通り、柊吾は変わらず何かと気にかけてくれている。それを喜ぶべきだと思うのに、柊吾の変わらない笑顔に確かに安心するのに――自分とあんなことをしたところで意にも介さないのだと思うと、虚しさに叫び出したくなる。

 気づいてしまった、冷蔵庫の前でそっと拭った涙の意味を。あの日は名前をつけられずにいた感情が、恋だったということを。知ってしまった柊吾の熱を、キスの味を忘れるなんて出来ない。ただの同居人、世話係、憧れの人――その関係にはもう戻れない。

 自分の気持ちを理解してからというもの、柊吾との出逢いは改めて煌めいた。だが今は、寂しさや苦しさがそれを凌駕している。憧れだけでいられた時のほうがよっぽど、まっすぐに好いていられた気がする。

 
「ありがとうございました」

 アクセサリーを購入してくれた客を見送り、naturallyの店内へ戻る。平日の十五時過ぎ、客の姿はなく尊とふたりになった店内で、夏樹は小さくため息をついた。

「夏樹、なんかあった? 最近元気ない」
「あ……ごめんなさい、オレ暗かった? さっきのお客さん、嫌な思いしたかな」
「それは平気。嬉しそうに帰ってったじゃん。真っ先にそういうの気にするとこ、夏樹らしいな」

 いくつかの指輪をショーケースの中に戻しながら、尊はそっと微笑んでくれた。口数が多いほうではないながら、いつだって夏樹に寄り添ってくれる。その優しさについ甘えたくなる。

「尊くん、オレ……好きな人、がいて」
「うん」
「……なんか色々、苦しくて」

 綾乃と別れたことは、尊にも話してある。もう次の恋か、と思われても仕方がないと思ったが、すんなり頷いてくれたことに泣いてしまいそうだ。それでもどうにか絞り出したのは、何の相談にもなっていないものだった。詳しく言えるわけがないのだ、その相手が尊もよく知る柊吾で、最近またセフレのところに行ってしまうのが辛いです――なんて。

 夏の間、柊吾が夜に出掛けることはなくなっていたが、あの日――夏樹と触れ合って以降、また家を空ける日が出てきた。どこに行くのかなんて聞く気にはなれない。十中八九、セフレと会っているのだろうから。柊吾がセフレなんて似合わないな、とモヤモヤしていた以前までとは訳が違う。好いた相手なのだ、行かないでと腕を掴んでしまいたい。だがそんな権利などあるはずない。恋心で夏樹の心境が変わったところで、そんなもの柊吾には関係ないのだ。

「恋ってさ、しんどいよな」
「え?」
「俺も色々悩んだし」
「尊くんも?」
「うん。でもそれも好きだからこそっつうか。苦しいのもセットって感じ?」
「苦しいのもセット……苦しいのもひっくるめて恋、ってこと?」
「だな」

 尊には付き合って二年と少しになる彼氏がいること、その彼と一緒に暮らしたくて奮闘していること。来客が途絶えた店内で、尊はこっそり教えてくれた。見せてくれたロック画面には猫と一緒に彼氏が映っていて、それを眺める尊は今まで見たこともないような、柔らかな顔をしていた。

「夏樹も叶うといいな」
「うう、ありがとう……でも無理だよ」
「んー……俺はそうは思わないけど」
「へ……それってどういう」

 尊の言っている意味が分からず問い返そうとした時、店の電話が鳴り始めた。尊が応対する間、ショーケースを磨いていようかと夏樹は思ったのだが。尊の口から柊吾の名前が出てきたことで、手はピタリと止まってしまう。

「椎名さんだった、今日は直帰するらしい」
「そうなんだ。出張だよね」
「うん。来年のカタログの打ち合わせって話だけど、追加で行くところが出来たらしい」
「へえ……カタログって椎名さんが担当してるんだっけ」
「いつもデザインは専門の業者に依頼してるけど、今回のは椎名さんが考えてるっぽい」
「椎名さんすげー」

 カタログのデザインまで出来るなんて、と夏樹は感心する。それだけのセンスが柊吾にあって、naturallyのデザイナーや店長などからも信頼が厚いということだろう。憧れも恋の熱も増すばかりで、腫れぼったいため息が出る。

 退勤まで顔を見られないのは寂しいが、家に帰れば会えるのだから平気だ。だが今夜だって、夕飯の後にいなくなってしまう可能性はある。そう思うと胸が詰まり、先ほどの尊の言葉を噛みしめる。

 苦しいのも恋をしているから――尊のように笑える日は、自分には来ないだろうけれど。


「めっちゃ美味しかった! 尊くん、ご馳走様です!」
「どういたしまして」

 ショップが閉店を迎えた後、尊と外で夕食をとった。そろそろ退勤だ、という頃に<今日は夕飯を食べて帰ることになった>と柊吾、それから晴人からも連絡があったのだ。それを知った尊が誘ってくれて、ハンバーガーショップへと向かった。チェーン店のものではないハンバーガーは、夏樹にとって目新しい。つい瞳を輝かせると、尊はいつかみたいに「犬みたいだな」と笑った。

 食事はもちろん、尊との時間も楽しかった。ふにゃくまのキーホルダーに尊が目を留めたのでひとしきり語れば、俺は興味ないなんて言われたけれど。「なるほどこれは夏樹のお気に入りだったんだな」と指先でトンと撫でてくれたりもした。

 名残惜しさを覚えつつ、店を出たところで解散することになった。

「本当にひとりで帰れるか?」
「帰れるよ、もうこっち出てきて半年は経ったし!」
「それもそうか。でもま、気をつけてな」
「うん。尊くんも」
「おう。じゃあな」

 手を振って別れた後、尊はすぐに電話をかけ始めた。今夜は恋人の彼と会う予定らしい。そんな日に誘ってもらったことを申し訳なく思ったのだが、それぞれ夕飯後の約束だったから助かった、と言われてしまった。スマートな先輩に頭が上がらない。

 さあ帰ろうか。駅に向かって歩き出した夏樹を、けれどスマートフォンの通知が足止めさせる。ポケットから取り出し、ロック画面を確認した夏樹の眉がきゅっと上がる。

「え、美奈さん?」

 メッセージの送り主は、六月に撮影で一緒になった美奈からだった。連絡先の交換こそしたが、実際に送られてきたのは初めてだ。社交辞令だったのかもと思ったんだよな、と既に懐かしく思いながらトーク画面を開くと、そこにあった文面に夏樹はそっと目を見開く。

<夏樹くん久しぶり! よかったら今から遊ばない?>

 送信先を間違えたのかと一瞬思ったが、しっかり“夏樹くん”と明記されている。思えば上京してからこっち、誰かと遊んだことはなかった。家には柊吾と晴人がいるし、naturallyに出勤すれば尊と話せる。それを寂しいと思ったこともない。

 さてどうしたものか。美奈といえば思い出すのはまず、撮影時の目を見張るような仕事への取り組む姿勢。人気があるモデルはカメラが回っていないところでもプロとしての意識が高いのだと、感心させられたのをよく覚えている。それからもうひとつ、晴人の忠告だ。男漁りが激しいタイプ、ぱくっと食われちゃうかもよ――晴人のことを疑うわけではないが、夏樹の記憶の中の美奈はやはりそんな風には見えなかった。仮にそうなのだとしても、自分がその対象になり得る気がしない。それに何より、第一線で活躍する美奈から吸収出来るものが絶対にある。未だ燻っている状態の夏樹にとって、これは魅力的な誘いだった。

<美奈さんお久しぶりです! ぜひ!>

 少しの緊張感を覚えながらそう返信すると、すぐに既読のマークがついた。そしてテンポよく返って来たのは、とある場所のホームページのURLだった。夏樹が今いる場所から五駅ほど先にあるようだ。

「クラブ? って行ったことなかけど……まあいっか」

 電車に乗り、クラブの最寄り駅で降りる。マップとにらめっこしながら辿り着いたそこには、地下へと続く階段があった。本当にここで合ってるよな、と数回看板を確認して下りる。意気ごんで来たはいいが、初めての場所にやはり緊張感は否めない。ごくりと息を飲んで扉を開く。するとその瞬間、爆音の音楽が夏樹の耳を劈いた。あまりの音量にびくりと体が跳ねてしまう。こういう派手な場に慣れていない、田舎者だと語っているようで恥ずかしくなる。周りに人がいなかったのは助かった。

 大きく息を吐いて気を取り直し中へと進むと、エントランスがあり入場料として二千円が必要とのことだ。払えないほどではないが、突然のことに少々懐は痛む。それでも何か得られるのならば安いものだろう。支払いが済んだところで美奈に着いたと連絡を入れ、中へと進む。爆音の次に夏樹を刺激するのは、煌びやかな照明だ。加えて、ごった返す若者たち。踊る人たちがそこかしこに溢れていて、テレビでしか見たことのない世界に呆然とする。頭に浮かぶ文字は、場違い。ただそれだけだ。

 許されるものならば、今すぐに帰りたい。二千円は無駄になるが、お腹が痛くなったとでも言ってそうしてしまおうか。そう思ったのだが、引き返すより先に美奈に見つかってしまった。

「夏樹くん!」
「あ、こんばんは!」
「ふふ、来てくれて嬉しい」

 夏樹の腕に美奈の腕が絡まって、声が聞こえるようにと体をぐっと寄せられる。途端に感じるのは香水の甘い香りと、アルコールの匂いだ。もう酔っているのだろうか。こんな場所では、モデルとしての教訓だとか、そう言った真剣な話が出来る気もしない。完全に見誤った。とは言え、そそくさと逃げ帰るわけにもいかないだろう。美奈に腕を引かれるまま、夏樹は身を任せることしか出来ない。

「夏樹くん、何飲む?」
「えっと、じゃあ何かジュースを」
「え~? お酒飲まないの?」
「いやだってオレ、まだハタチになってないですし」
「ふふ、ちゃんとしてるんだね。偉いなあ。じゃあ……すみませーん、オレンジジュースひとつ」

 バーカウンターのようなところに立ち寄り、お洒落なグラスに注がれたジュースを受け取る。オレンジジュースは柊吾と過ごした苦い朝を思い出してしまうのに。断るわけにもいかずそれを受け取ると、また美奈は夏樹の腕を引く。

「あの、美奈さんは踊ったりするんですか?」
「ううんー、私はそっちは見る専門。それよりお酒飲んだりするのが好きだよ。ねえ、こっち」
「あっ」

 ぐいぐいと引っ張られ続け、奥まった場所にソファが見えた。そこで座って飲むのだろうか。もしかするとあそこでなら、話が出来るだろうか。やっぱり来て正解だったのかもしれない、と気分が持ち直してきた、その時だった。人にぶつからないようにと上に掲げるように持っていたオレンジジュースが、手首ごと何者かに捉えられる。何事だと振り返った夏樹は、驚きのあまり息が止まってしまった。何故ここに柊吾がいるのだろう。

「夏樹」
「え……え、椎名さん!? なんでこんなとこに」
「それは俺のセリフ。はあ、ずっと嫌な予感はしてたんだけどな」
「…………? えっと?」

 柊吾が何を言っているのか分からず首を傾げると、もう片手に巻きついていた美奈がまるで抱きつくように夏樹の胸元に顔を寄せてきた。

「夏樹くん、この人は?」
「あー、その」

 斜め上からの角度でも、美奈が柊吾に見惚れているのがよく分かる。そりゃそうだろう、椎名柊吾という男はとびきり格好いいのだから。鼻高々に感じながら、だがそれ以上に急激な嫉妬を覚える。柊吾のことを知られたくないという、身勝手な独占欲だ。

 どう答えたものかと思っている内に、右手のオレンジジュースが柊吾に奪われてしまった。そしてそのグラスを柊吾は美奈に押しつけてしまう。

「これ、君が飲んで」
「え? なん……」
「夏樹、出るぞ」
「えっ、椎名さん!? ちょ……あ、美奈さんすみません! じゃあまた!」

 柊吾に腕を引かれるままに、夏樹はかろうじて美奈にそう告げた。呆気に取られている美奈の顔が、踊り続ける若者たちの波間に消える。せっかく誘ってくれたのに申し訳なく思う、思いはするが、夏樹の頭の中は既に柊吾でいっぱいだった。

 下りてきたばかりの階段を、柊吾と共に駆け上がる。夜の街の明かりに照らされて、柊吾の襟足の髪はこんな時でも綺麗だ。見惚れている内に、クラブから少し離れた通りに出て立ち止まる。乱れた息に肩を揺らしながら、柊吾が苦々しげに口を開いた。掴まれているままの手首にきゅっと力が込められる。

「夏樹、あんなとこ行っちゃ駄目だ」
「あんなとこ? えっと、クラブが駄目ってことですか?」
「クラブがっつうか……あそこはちょっと特殊なんだよ。ナンパが多いし、遅くなってくるとVIPルームでヤる奴らも出てくる。それに……噂だけど、クスリのやり取りもあるらしい」
「え……」
「白瀬美奈、前からよくあそこで見かけててさ。夏樹が一緒に仕事したって聞いてから注視してたんだけど……あの子は純粋に遊んでるだけだと思う。でもあのクラブに出入りしてるってもし世間にバレたら、いいことはひとつもない」
「全然知らんかった……」

 柊吾の話を聞いて、なんて危ない場所に踏みこんでしまったのだろうと肝が冷える。美奈にそのつもりはなかったとしても、知らず知らずのうちに誰かに酒でも飲まされて、危ない場所に連れこまれたら? そうでなくとも、柊吾の言う通り万が一撮られたり噂にでもなったら、本当のことを述べたとしたって信じてもらえないだろうことは想像に容易い。

「椎名さん、ありがとうございます。もし巻きこまれたりとかしてたら、オレすげー後悔してました」
「ん、何かある前でよかった」
「…………」

 柊吾に連れ出してもらえてよかった。頭を撫でてくれる優しい手に身を委ね、だが夏樹の胸は晴れはしない。柊吾は言った、あのクラブでよく美奈を見かけるのだと。それはつまり、柊吾も頻繁に行っているということだ。そんな危険な場所に? 大きな不安と、押しこめていたモヤモヤがみるみる膨らんでいく。

「椎名さんは……」
「ん?」
「椎名さんは、あそこによく行くの?」
「あー……うん」
「なんで? 危ない場所なんすよね?」
「そうだけど……知り合いがあそこでDJしてて、よく呼ばれてさ」
「……それって、でも椎名さんだって危ないっすよね?」
「まあ、俺はほら、一般人だからそういう面倒はないし。奥は行かないようにしてるから、平気」
「っ、そやんと関係なかです!」
「……夏樹?」

 柊吾にセフレがいると知った時の違和感の正体がやっと分かった。歪なのだ、周りの人たちにとことん優しいのに、自分自身のことは蔑ろにしているように見える。

「オレ、椎名さんが連れ出してくれてよかったです。でも、そんなところには椎名さんにも行ってほしくない」
「…………」
「っ、オレは熊本から出てきたばっかやけん、まだこの街のことも、店とかも詳しく知らん。だけん、そういう危ないことから椎名さんを守りたくても、オレには何も出来ん……だから、椎名さん自身がもっと椎名さんのこと大事にしてよ!」
「夏樹……」

 柊吾への歯がゆさに、甘く鼓動していた手首を振りほどく。夜が更けても賑やかな街では、大声を張り上げる夏樹に一瞬注目が集まっても、すぐに他のものへと移ろってゆく。忙しない通りに、夏樹のぐずぐずの鼻音はかき消される。それでも柊吾はハッとしたように肩を揺らした。夏樹に手を伸ばしかけ、けれど空を掴んで彷徨う。何も言葉は返ってこない。面倒だと思われたのかもしれない。だが言ったことは夏樹の胸の真実で、取り消したくはなかった。

「オレ、帰ります。椎名さんは?」
「俺は……まだ」
「っす。じゃあ、お先に失礼します。気をつけて帰ってきて下さいね」

 自分に何があれば、柊吾を連れ出せたのだろう。いつも気にかけてもらう側で、優しくしてもらってばかりで、好きで仕方ないのは自分だけで。だから届かない、何も出来ないのだと思うと悔しくて仕方なかった。

 柊吾の隣をすり抜け、人波に溶ける。いっそ消えてしまいたくなる夜、どこもかしこも煌びやかな街はなんて酷なのだろうと夏樹は思う。

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