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初仕事
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週に五日はnaturallyでアルバイト、休日のうち一日はレッスン。それが夏樹の今のルーティンだ。目に映るものはどれも新鮮で、教わることは全て取り零したくないと思えるほどに糧になるものばかり。充実感に満ちた有意義な日々だ。それでも最初のうちは、毎日夜になる頃にはへとへとになっていたのだが。六月ともなれば常に帯びていた緊張感も解れてきて、体もずいぶんとこの生活に慣れてきた。
日常となってきていることと言えば、もうひとつある。このマンションでの三人暮らしだ。東京のどこか小さなアパートで一人暮らしをするものだと思っていた。それだってきっと、心が浮足立つ日々だったはずだ。だが今の生活を知った体では、きっと物足りなく感じることだろう。そう、だからこんなことで寂しく思うのは傲慢だ、分かっている。分かっている、のだけれど――晴人は今日も恋人のところに行くと出掛けていったし、夕飯を終えてすぐおやすみと言った柊吾は部屋ではなく、夜の街に消えていった。
広いリビングに梅雨の雨だれで閉じこめられる夜。ひとりで過ごす夏樹の心は気弱になっている。スマートフォンのメッセージアプリも開いてみたけれど、最近は地元の友人にも彼女にも連絡は出来ていなかった。仕事はどうだ? と聞かれたくないからだ。
東京での生活は充実している。ただ、モデルとしてはまだ芽が出ていないのが現状だ。オーディションを見つけては応募しているし、SNSも始めた。晴人が“うちの新人くんだよ”と夏樹の写真を投稿してくれた時には、フォロワーが一気に増えた。その際に届いたコメントには、ワンコ系イケメンだとか弟系だとか、いわゆる“可愛い”との評価が多かった。憧れているのは椎名柊吾だ、自ずと夏樹の理想も“格好いい男”で、そのギャップに少し悩んだりもした。とは言え、まずは知ってもらえたことが嬉しい。だがフォロワー数は三百人に到達して以降、伸び悩んでいる。たかだか三ヶ月で落ちこむのは早いよと晴人も前田も、柊吾だって励ましてくれるが、それもそうかと楽観は出来ないでいる。
このまま燻って終わってしまうのだろうか。結果を出せない自分が、静かな部屋が、昏いほうへと夏樹を連れてゆく。そんな胸を晴らす一報が届いたのは、引きずりこまれるようにソファにくずれた時だった。着信を知らせるスマートフォンの音に、ガバリと起き上がる。寂しいからと抱いていたふにゃくまが、ソファの下に転がり落ちる。
「前田さんだ。もしもし、南です」
新しいオーディションの知らせだろうか。電話に出ながら落ちてしまったぬいぐるみに手を伸ばす夏樹は、けれど次の瞬間には勢いよく立ち上がった。電話の内容が夢のようだったからだ。
「え! それマジっすか!?」
『大マジだよ。どうする南くん』
「やりたいです! やらせて下さい!」
前田の話はこうだ。明日の早朝から、都内で女性向けファッション雑誌の撮影がある。そこでキャスティングされていた男性モデルが急遽体調不良になってしまい、編集部は代役を探している。夏樹を指名してのものではないが、誰かいないかと早川モデルエージェンシーに連絡があったとのことだ。
前田は『南くんならそう言ってくれると思ったよ』と、夏樹の希望をどこか誇らしそうに受け取ってくれた。その心強さに、萎んでいた心が再起動する。明日の朝マンションの前まで迎えに来てくれるとの約束の後、通話を終える。
「うう、やば!」
ふにゃくまを今度こそ拾った夏樹は、そのままソファへとダイブした。雨は今も上がらないし、変わらずソファに転がっている。だが心の中は先ほどまでと丸っきり違う。体調不良になってしまったモデルには悪いが、これはチャンスだ。初めて雑誌に載ることが出来る。しばらくは静まりそうにない心臓と一歩進める感覚に、パタパタと動く足を止められない。
ただひとつ残念なことがあるとすれば、ここに夏樹以外誰もいないということだ。応援してくれているふたりにいち早く報告したくなる、きっと喜んでくれる。だが、邪魔するわけにもいかないだろう。晴人は恋人と過ごしているし、柊吾だって――
週に一、二度、どこに行くとは言わずに夜の街に消える背中を思い出す。言わないのは、出逢った日のことがあるからだろう。そうさせてしまっているのだ、夏樹が。
「……別に言ってくれてもよかとけど」
なあ? と話しかけても、ふにゃくまは答えてなどくれない。静かな部屋で響いた声が自身の胸に戻ってきてしまえば、夏樹はそれに「うん」と頷くことが出来ない。柊吾が誰かと肌を重ねる様を想像しかけて、慌てて首を振ってそれを散らす。椎名柊吾という男を知れば知るほど、一緒に時を過ごすほど。セフレという淫靡なワードは、柊吾を表すものとしてやはりアンバランスだった。
「あ~終わり終わり! お風呂入ろ!」
再び心が沈んでいってしまいそうで、夏樹はそれを振り払うように立ち上がった。明日は普段より早く起きなければならない、それに何より一歩前進するのだ。こうしてはいられないと、風呂場へと向かう。だがふと思い直し、すぐにリビングへ引き返す。
明日はnaturallyでのバイトが入っている。モデルの仕事を応援してもらっているからこそ、きちんと連絡をするべきだ。真っ先に柊吾の顔が浮かんだが、今は送れないのだったとページを戻る。ここはいつも仕事を教えてくれる先輩がいいだろう。シフト表で明日の出勤を確認し、<モデルの仕事が入ったので明日は休ませてください>と尊にメッセージを送った。
朝六時前。柊吾も晴人もいつも朝には帰ってくるが、さすがにまだいなかった。マンションから出て、前田の運転する車に乗りこむ。スタジオに向かいながら、前田が改めて今日の説明をしてくれる。まずは屋内で撮影、それを終えたらロケにも出るとのことだ。
「おはようございます! 早川モデルエージェンシーの南夏樹です!」
現場につくとすぐに、夏樹は大きな声で挨拶し頭を下げた。大勢の人が慌ただしく準備をしながら、数人が応えてくれた。心臓はバクバクと忙しく鳴り続けている。
着替えを済ませ、プロの手でヘアメイクを施され。スタジオに戻った時には、すでに女性モデルの姿があった。前田に促され、強張った背中で近づく。
「あ、あの! 初めまして! 今日は宜しくお願いします! 南夏樹です!」
「初めまして、白瀬美奈です。よろしくね。えっと、新人さん?」
「は、はい! 実は今日がその、初仕事で!」
「そうなんだ。じゃあ緊張するよね。でも大丈夫だよ、一緒に頑張ろうね!」
「っ、はい!」
人気急上昇中のモデル、白瀬美奈。今日撮影するページが掲載される号で表紙も務めると聞いている。飛ぶ鳥を落とす勢いとはまさに彼女のことだね、と前田が感心していた。その人気はこの人柄の良さからも出ているのだろうと、少し挨拶をしただけでも感じられる。初めて会ったばかりの、新人中の新人の自分にまでこんなに柔らかな笑顔を向けてくれるのだから。
美奈のおかげでリラックス出来た状態の中、撮影は始まった。八月に発売されるファッション雑誌の、一週間の着回し特集。夏樹は恋人としての登場で、もちろん主役は美奈だ。勉強になるからと見漁っている雑誌で、そういう特集を見た覚えが夏樹にもある。ストーリー仕立てになっていて、あくまでも女性へ向けたコーディネートの提案だから、男性モデルにはピントが合っていないこともままある。よく言えば引き立て役、あくまでもモブのような立ち位置だ。とは言え、手を抜く気はさらさらない。知識や気合だけでカバーしきれない部分は、カメラマンの一の指示を百にも千にも出来るようにと気を張った。
撮影は順調に進み、昼休憩を挟み外での撮影に臨んだ。梅雨真っ最中の東京だが、今日は天も味方してくれている。駅での待ち合わせシーンやカフェ、最後は夕陽の映える海沿いへと出た。たった数ページの特集でもこんなにたくさんの時間をかけ、膨大な枚数の写真を撮り、そのために大勢のスタッフが動いている。その中で自分は求められるだけの、いやそれ以上の何かを残せただろうか。自信を持つことはまだ難しいが、美奈のワンショットの撮影の後、これで終了だと拍手が起こり胸をなで下ろす。
「夏樹くん、お疲れ様」
「白瀬さん! お疲れ様です! 今日はお世話になりました!」
「ふふ、美奈でいいよ」
カメラマンや編集部の人々、近くを通るスタッフたちに頭を下げていると、夏樹の元に美奈がやって来た。さすがと言ったところか、疲れた様子は一切見えない。
「ねえねえ夏樹くん、よかったら連絡先交換しない?」
「へ……え、オレとですか!?」
「方言だ、かわいい。どこの出身なの?」
「熊本です!」
「そうなんだ。ね、連絡先。いいでしょ?」
まさかの展開に夏樹はたじろぐ。思わず後ずさってしまうが、下がった分だけ美奈は詰めてくる。そんな簡単に連絡先なんて教えてしまっていいのだろうか、こんな出逢ったばかりの、おこぼれでようやく初仕事にありつけた自分なんかに。だが美奈からの申し出だ、断るほうが無礼かもしれない。しばらく考えこんだ後、夏樹は首を縦に振った。
「えーっと、はい、お願いします!」
「やった、ありがとう」
連絡先の交換を終えた後、手を振って去ってゆく美奈に夏樹も遠慮がちに振り返す。無事終えられた撮影はもちろん、人気モデルとの出来事にも、夢の道を一歩前進出来たような心地になった。
初めてづくしのことでくたくたになった体は、車に乗るなり眠りへと落ちた。仕事への興奮に昨夜はなかなか寝つけなかったし、朝は早かったから無理もない。
マンションの前に到着し、起こしてくれた前田に今日一日の感謝を改めて伝えて。エレベーターに乗りこんだ夏樹は、十階で扉が開き出ようとした瞬間、思わず大きな声を上げ後ろへ跳ねてしまった。目の前に人が――柊吾が立っていたからだ。
「びっ、くりしたー……椎名さんお出かけっすか?」
「夏樹……」
「……はい?」
険しい眉間とは裏腹にしゅんと下がった眉尻が、柊吾が何を考えているか分からないのに夏樹の胸を切なくさせる。何か辛いことでもあったのだろうか。尋ねようと口を開きかけた瞬間、今度はバタバタと駆ける足音が近づいてくる。
「ちょっと柊吾! 先に行くとかずるいんだけど!」
「あ、晴人さん」
「夏樹! 前田さん連絡ありがと、もう切るね」
「ただいまっす」
「おかえり~! って、そうじゃなくて!」
「…………?」
「晴人、とりあえず部屋に戻るぞ」
「あ、うん。そうだね」
遮る柊吾の声がいつもより少しだけ低くて、心臓に小さな針が刺さったような心地を覚える。苦しそうな顔やそんな声を出させることを、自分はしでかしてしまったのだろうか。
晴人に手を引かれるまま三人で暮らす部屋へと帰り、リビングへ直行する。すると、振り返った晴人に抱きしめられてしまった。
「へっ!? 晴人さん!? どうし……」
「夏樹! 今日仕事だったんだって!? モデルの!」
「あ……はい、へへ、実はそうなんです」
帰宅したら、いの一番にふたりに伝えたいと思っていた。先に言われてしまったなと笑うと、抱擁の腕は解かれガシリと肩を掴まれる。それから晴人は腰を屈め、夏樹の瞳を覗きこんだ。
「夏樹おめでとう! マジで! でも何で教えてくんなかったの!? 柊吾から連絡くるまで知らなくてすげービックリしたんだけど!」
「俺は出勤してから尊に聞いた。てか朝いなかったから連絡したんだけど、返事ないし」
「あ……ご、ごめんなさい」
言われてみればメッセージを確認する余裕はなかったし、帰りの車でもすぐに眠ってしまった。柊吾と晴人の悲しそうな顔に夏樹も苦しくなる。こんなことになるとは思ってもみなかった。申し訳なさに苛まれた夏樹の声は、尻すぼみになっていく。
「昨日の夜、前田さんから電話で今日の仕事の連絡が来て。すぐに晴人さんたちに言いたくなったんですけど……彼女とか、そういう時間って大事じゃないっすか。だけんオレ、邪魔したくなくて。連絡、出来んくて……ごめんなさい」
「あー、マジか……夏樹~、ごめんな。大事な時にいなくて気も使わせて」
「いやいや! なんで謝っとですか!? 謝らんでください、オレがしたくてしたことやし……でもあの、知りたかったって思ってもらえたとは、へへ、嬉しかです……」
そう言うと、晴人は再び夏樹を抱きしめてきた。おまけに今度は頭を撫でられる。
「こんな可愛いことってある? 夏樹は俺の孫かもしんない」
「あはは、なんすかそれ。じいちゃんになるのは早すぎるっすよ」
晴人に身を任せていると、ふと柊吾と目が合った。泣きだしそうな顔でくちびるを噛んでいる。柊吾も晴人と同じように思っていたのだろうか。連絡がなかったと憂いて、昨夜の不在を悔やんでいるだろうか。出掛けていく柊吾を本当は今も快く送り出せないくせに、自分のためにそんな顔をさせてしまうのは夏樹の本意ではなかった。
「椎名さん」
「……ん?」
「オレ、初めてモデルの仕事が出来ました!」
「ああ、そうだな」
「急遽行けなくなった人の代理っすけど、このチャンス、絶対逃したくなくて。モデルのほうを優先しろって言ってもらえてたから、すぐにやりますって言えました。へへ、椎名さんのおかげです、ありがとうございます!」
「夏樹……ん、おめでとうな」
柊吾も応援してくれているこの道を、柊吾のおかげで迷いなく進んでいられる。胸にある感謝を余すことなく伝えたい。必死に言葉にすれば、柊吾も頭を撫でてくれた。あたたかい手に、ほっと安堵の息をつく。
今度からは何も気にしないで連絡すること! との晴人の言葉に強く頷く夏樹を、柊吾が「飯にするぞ」とダイニングへ促す。そこには初めてここに来た日のような、いやそれ以上に豪勢な食事が並んでいた。夏樹の好物のオムライス、寿司やローストビーフに、名前も知らないお洒落でカラフルな料理たち。
「え、すげー!」
「初仕事のお祝いだってさ。仕事から帰って鬼みたいな顔で作ってたよ、なあ柊吾」
「ケーキも買ってあるから。いっぱい食えよ」
「う、嬉しかぁ……椎名さん、ありがとうございます! あ! 晴人さんまだ食べんで! オレ写真撮りたい!」
柊吾と晴人はビール、夏樹はサイダーで乾杯をする。ふたりが並んで座りその前の席が夏樹の定位置だが、今日は何故か隣に座った柊吾が次々に皿によそってくれている。いつだってその美しい顔を見られるのは眼福だったが、すぐそばにいてくれるのは胸が夢みたいにあたたかい。
「そんでそんで? 今日の仕事はどんな感じだった?」
「それはですね~!」
晴人の質問に、待ってましたと言わんばかりに夏樹は姿勢を正す。望んでくれたように、本来は真っ先に知ってほしかったふたりだ。昨夜の前田からの電話で始まったことを再度伝え、今日の出来事を意気揚々と話す。
「女子向けのファッション雑誌によくあるじゃないすか、一週間のコーデ特集みたいなやつ」
「うんうん、あるね」
「あれのページの、オレは彼氏役でした!」
「なるほどね~。どう? 上手くできた?」
「表情作るのとかポーズとかやっぱ難しくて……たまに指示もらいながらなんとか!」
「ちゃんと聞く姿勢が取れて偉い偉い。ちなみに相手は誰だった?」
「白瀬美奈さんっす!」
「美奈ちゃんかー」
「すげー綺麗な人っすよね! プロ! って感じで勉強になったし、新人のオレにもめっちゃ優しくて、連絡先も交換してー……」
「ちょっと待った夏樹、それマジ? 連絡先交換したの?」
「へ……マジ、っす」
先ほどまでうんうんと頷いてくれていたのに、晴人は急に目を丸くしてしまった。一体どうしたのだろうか。不思議に思い隣を見ると、柊吾もどこか神妙な顔をしている。白瀬美奈……と確かめるように呟いたのを、夏樹は聞き逃さなかった。
「え、もしかしてマズかったっすか!? なんでオレなんかに聞くとやろとは思って、でもそういうもんなんだろうなって……人気モデルですもんね、失礼でしたかね!?」
「うーん……」
初っ端の現場で失態を犯してしまった。取り返しのつかないほどのことだったらどうしよう。おろおろと怯える夏樹に、だが晴人はそうじゃないんだよねとため息をつく。
「美奈ちゃん、俺も一緒に撮ったことあるけど良い子だよ。マジでモデルやってるって伝わってくるし、それは間違いない。ただねー、男関係がちょっと……」
「男関係?」
「うん。悪い言い方になるけど、男漁り激しいタイプ」
「ええ……全然そやん風に見えんかった……」
「夏樹も気をつけなよ、ぱくっと食われちゃうかもよ?」
「オレが? いやいやないっすよ、それにオレ彼女いますし!」
「向こうからしたらそんなの関係ないよ、一晩だけとか言われるかもだし。自分が可愛いこと分かってるから強い。気をつけるに越したことはないよ。なあ柊吾」
「……ん? ああ、そうだな」
晴人に話を振られ、何やら考えこんでいた柊吾がハッと顔を上げて頷いた。夏樹の頭をポンと撫で、切り替えるようにいたずらに笑んでみせる。
「スキャンダルになったら困るしな。晴れてデビューしたんだし」
「ええ、椎名さんまで……でも大丈夫っすよ! 美奈さんオレにはそんなつもりじゃないと思うし。てかスキャンダルとかオレは無名やし……いや、美奈さんのためにってことか! 気をつけます!」
「ちーがーう、俺は夏樹の心配してんの」
「うっ、椎名さんの微笑み眩しか……」
「出たファンモード」
柊吾手製の美味しいごはん、三人で笑って更ける夜。初仕事を無事に迎えられた夏樹にとって、名づけるならば最高の夜だ。今日はいいよと柊吾は言ってくれたが、オレの大事な役目なんでと皿洗いの仕事は譲らなかった。
柊吾が風呂へ向かい、晴人はソファで寝落ちてしまっている。また雨が降り出しているが、今日のこの部屋は寂しくなんかない。窓辺に立った夏樹は、ふと思い立ってポケットからスマートフォンを取り出す。
美奈の話の中で彼女がいるからと豪語した時、夏樹は後ろめたさを感じていた。最近連絡をしていないくせに、綾乃を盾に使ったみたいだからだ。トーク画面を開いてみれば、今はもう六月だというのに四月下旬を最後にメッセージは終わってしまっている。夏樹から送ることはなかったし、綾乃からも来なくなった。だが今日は胸を張って連絡が出来る。プライドが満たされているからだ。
<綾乃ちゃん久しぶり。元気? 今日は雑誌の撮影だったよ!>
五分ほど悩んでそう送ってみた。既読はすぐについて、それから十分ほど。返って来た返事は<よかったね>とのひと言だった。そっけない気もするが、褒めてもらえたことに安堵する。
仕事もプライベートも今日は絶好調。そう思える夜が、雨垂れる窓に映っている。
日常となってきていることと言えば、もうひとつある。このマンションでの三人暮らしだ。東京のどこか小さなアパートで一人暮らしをするものだと思っていた。それだってきっと、心が浮足立つ日々だったはずだ。だが今の生活を知った体では、きっと物足りなく感じることだろう。そう、だからこんなことで寂しく思うのは傲慢だ、分かっている。分かっている、のだけれど――晴人は今日も恋人のところに行くと出掛けていったし、夕飯を終えてすぐおやすみと言った柊吾は部屋ではなく、夜の街に消えていった。
広いリビングに梅雨の雨だれで閉じこめられる夜。ひとりで過ごす夏樹の心は気弱になっている。スマートフォンのメッセージアプリも開いてみたけれど、最近は地元の友人にも彼女にも連絡は出来ていなかった。仕事はどうだ? と聞かれたくないからだ。
東京での生活は充実している。ただ、モデルとしてはまだ芽が出ていないのが現状だ。オーディションを見つけては応募しているし、SNSも始めた。晴人が“うちの新人くんだよ”と夏樹の写真を投稿してくれた時には、フォロワーが一気に増えた。その際に届いたコメントには、ワンコ系イケメンだとか弟系だとか、いわゆる“可愛い”との評価が多かった。憧れているのは椎名柊吾だ、自ずと夏樹の理想も“格好いい男”で、そのギャップに少し悩んだりもした。とは言え、まずは知ってもらえたことが嬉しい。だがフォロワー数は三百人に到達して以降、伸び悩んでいる。たかだか三ヶ月で落ちこむのは早いよと晴人も前田も、柊吾だって励ましてくれるが、それもそうかと楽観は出来ないでいる。
このまま燻って終わってしまうのだろうか。結果を出せない自分が、静かな部屋が、昏いほうへと夏樹を連れてゆく。そんな胸を晴らす一報が届いたのは、引きずりこまれるようにソファにくずれた時だった。着信を知らせるスマートフォンの音に、ガバリと起き上がる。寂しいからと抱いていたふにゃくまが、ソファの下に転がり落ちる。
「前田さんだ。もしもし、南です」
新しいオーディションの知らせだろうか。電話に出ながら落ちてしまったぬいぐるみに手を伸ばす夏樹は、けれど次の瞬間には勢いよく立ち上がった。電話の内容が夢のようだったからだ。
「え! それマジっすか!?」
『大マジだよ。どうする南くん』
「やりたいです! やらせて下さい!」
前田の話はこうだ。明日の早朝から、都内で女性向けファッション雑誌の撮影がある。そこでキャスティングされていた男性モデルが急遽体調不良になってしまい、編集部は代役を探している。夏樹を指名してのものではないが、誰かいないかと早川モデルエージェンシーに連絡があったとのことだ。
前田は『南くんならそう言ってくれると思ったよ』と、夏樹の希望をどこか誇らしそうに受け取ってくれた。その心強さに、萎んでいた心が再起動する。明日の朝マンションの前まで迎えに来てくれるとの約束の後、通話を終える。
「うう、やば!」
ふにゃくまを今度こそ拾った夏樹は、そのままソファへとダイブした。雨は今も上がらないし、変わらずソファに転がっている。だが心の中は先ほどまでと丸っきり違う。体調不良になってしまったモデルには悪いが、これはチャンスだ。初めて雑誌に載ることが出来る。しばらくは静まりそうにない心臓と一歩進める感覚に、パタパタと動く足を止められない。
ただひとつ残念なことがあるとすれば、ここに夏樹以外誰もいないということだ。応援してくれているふたりにいち早く報告したくなる、きっと喜んでくれる。だが、邪魔するわけにもいかないだろう。晴人は恋人と過ごしているし、柊吾だって――
週に一、二度、どこに行くとは言わずに夜の街に消える背中を思い出す。言わないのは、出逢った日のことがあるからだろう。そうさせてしまっているのだ、夏樹が。
「……別に言ってくれてもよかとけど」
なあ? と話しかけても、ふにゃくまは答えてなどくれない。静かな部屋で響いた声が自身の胸に戻ってきてしまえば、夏樹はそれに「うん」と頷くことが出来ない。柊吾が誰かと肌を重ねる様を想像しかけて、慌てて首を振ってそれを散らす。椎名柊吾という男を知れば知るほど、一緒に時を過ごすほど。セフレという淫靡なワードは、柊吾を表すものとしてやはりアンバランスだった。
「あ~終わり終わり! お風呂入ろ!」
再び心が沈んでいってしまいそうで、夏樹はそれを振り払うように立ち上がった。明日は普段より早く起きなければならない、それに何より一歩前進するのだ。こうしてはいられないと、風呂場へと向かう。だがふと思い直し、すぐにリビングへ引き返す。
明日はnaturallyでのバイトが入っている。モデルの仕事を応援してもらっているからこそ、きちんと連絡をするべきだ。真っ先に柊吾の顔が浮かんだが、今は送れないのだったとページを戻る。ここはいつも仕事を教えてくれる先輩がいいだろう。シフト表で明日の出勤を確認し、<モデルの仕事が入ったので明日は休ませてください>と尊にメッセージを送った。
朝六時前。柊吾も晴人もいつも朝には帰ってくるが、さすがにまだいなかった。マンションから出て、前田の運転する車に乗りこむ。スタジオに向かいながら、前田が改めて今日の説明をしてくれる。まずは屋内で撮影、それを終えたらロケにも出るとのことだ。
「おはようございます! 早川モデルエージェンシーの南夏樹です!」
現場につくとすぐに、夏樹は大きな声で挨拶し頭を下げた。大勢の人が慌ただしく準備をしながら、数人が応えてくれた。心臓はバクバクと忙しく鳴り続けている。
着替えを済ませ、プロの手でヘアメイクを施され。スタジオに戻った時には、すでに女性モデルの姿があった。前田に促され、強張った背中で近づく。
「あ、あの! 初めまして! 今日は宜しくお願いします! 南夏樹です!」
「初めまして、白瀬美奈です。よろしくね。えっと、新人さん?」
「は、はい! 実は今日がその、初仕事で!」
「そうなんだ。じゃあ緊張するよね。でも大丈夫だよ、一緒に頑張ろうね!」
「っ、はい!」
人気急上昇中のモデル、白瀬美奈。今日撮影するページが掲載される号で表紙も務めると聞いている。飛ぶ鳥を落とす勢いとはまさに彼女のことだね、と前田が感心していた。その人気はこの人柄の良さからも出ているのだろうと、少し挨拶をしただけでも感じられる。初めて会ったばかりの、新人中の新人の自分にまでこんなに柔らかな笑顔を向けてくれるのだから。
美奈のおかげでリラックス出来た状態の中、撮影は始まった。八月に発売されるファッション雑誌の、一週間の着回し特集。夏樹は恋人としての登場で、もちろん主役は美奈だ。勉強になるからと見漁っている雑誌で、そういう特集を見た覚えが夏樹にもある。ストーリー仕立てになっていて、あくまでも女性へ向けたコーディネートの提案だから、男性モデルにはピントが合っていないこともままある。よく言えば引き立て役、あくまでもモブのような立ち位置だ。とは言え、手を抜く気はさらさらない。知識や気合だけでカバーしきれない部分は、カメラマンの一の指示を百にも千にも出来るようにと気を張った。
撮影は順調に進み、昼休憩を挟み外での撮影に臨んだ。梅雨真っ最中の東京だが、今日は天も味方してくれている。駅での待ち合わせシーンやカフェ、最後は夕陽の映える海沿いへと出た。たった数ページの特集でもこんなにたくさんの時間をかけ、膨大な枚数の写真を撮り、そのために大勢のスタッフが動いている。その中で自分は求められるだけの、いやそれ以上の何かを残せただろうか。自信を持つことはまだ難しいが、美奈のワンショットの撮影の後、これで終了だと拍手が起こり胸をなで下ろす。
「夏樹くん、お疲れ様」
「白瀬さん! お疲れ様です! 今日はお世話になりました!」
「ふふ、美奈でいいよ」
カメラマンや編集部の人々、近くを通るスタッフたちに頭を下げていると、夏樹の元に美奈がやって来た。さすがと言ったところか、疲れた様子は一切見えない。
「ねえねえ夏樹くん、よかったら連絡先交換しない?」
「へ……え、オレとですか!?」
「方言だ、かわいい。どこの出身なの?」
「熊本です!」
「そうなんだ。ね、連絡先。いいでしょ?」
まさかの展開に夏樹はたじろぐ。思わず後ずさってしまうが、下がった分だけ美奈は詰めてくる。そんな簡単に連絡先なんて教えてしまっていいのだろうか、こんな出逢ったばかりの、おこぼれでようやく初仕事にありつけた自分なんかに。だが美奈からの申し出だ、断るほうが無礼かもしれない。しばらく考えこんだ後、夏樹は首を縦に振った。
「えーっと、はい、お願いします!」
「やった、ありがとう」
連絡先の交換を終えた後、手を振って去ってゆく美奈に夏樹も遠慮がちに振り返す。無事終えられた撮影はもちろん、人気モデルとの出来事にも、夢の道を一歩前進出来たような心地になった。
初めてづくしのことでくたくたになった体は、車に乗るなり眠りへと落ちた。仕事への興奮に昨夜はなかなか寝つけなかったし、朝は早かったから無理もない。
マンションの前に到着し、起こしてくれた前田に今日一日の感謝を改めて伝えて。エレベーターに乗りこんだ夏樹は、十階で扉が開き出ようとした瞬間、思わず大きな声を上げ後ろへ跳ねてしまった。目の前に人が――柊吾が立っていたからだ。
「びっ、くりしたー……椎名さんお出かけっすか?」
「夏樹……」
「……はい?」
険しい眉間とは裏腹にしゅんと下がった眉尻が、柊吾が何を考えているか分からないのに夏樹の胸を切なくさせる。何か辛いことでもあったのだろうか。尋ねようと口を開きかけた瞬間、今度はバタバタと駆ける足音が近づいてくる。
「ちょっと柊吾! 先に行くとかずるいんだけど!」
「あ、晴人さん」
「夏樹! 前田さん連絡ありがと、もう切るね」
「ただいまっす」
「おかえり~! って、そうじゃなくて!」
「…………?」
「晴人、とりあえず部屋に戻るぞ」
「あ、うん。そうだね」
遮る柊吾の声がいつもより少しだけ低くて、心臓に小さな針が刺さったような心地を覚える。苦しそうな顔やそんな声を出させることを、自分はしでかしてしまったのだろうか。
晴人に手を引かれるまま三人で暮らす部屋へと帰り、リビングへ直行する。すると、振り返った晴人に抱きしめられてしまった。
「へっ!? 晴人さん!? どうし……」
「夏樹! 今日仕事だったんだって!? モデルの!」
「あ……はい、へへ、実はそうなんです」
帰宅したら、いの一番にふたりに伝えたいと思っていた。先に言われてしまったなと笑うと、抱擁の腕は解かれガシリと肩を掴まれる。それから晴人は腰を屈め、夏樹の瞳を覗きこんだ。
「夏樹おめでとう! マジで! でも何で教えてくんなかったの!? 柊吾から連絡くるまで知らなくてすげービックリしたんだけど!」
「俺は出勤してから尊に聞いた。てか朝いなかったから連絡したんだけど、返事ないし」
「あ……ご、ごめんなさい」
言われてみればメッセージを確認する余裕はなかったし、帰りの車でもすぐに眠ってしまった。柊吾と晴人の悲しそうな顔に夏樹も苦しくなる。こんなことになるとは思ってもみなかった。申し訳なさに苛まれた夏樹の声は、尻すぼみになっていく。
「昨日の夜、前田さんから電話で今日の仕事の連絡が来て。すぐに晴人さんたちに言いたくなったんですけど……彼女とか、そういう時間って大事じゃないっすか。だけんオレ、邪魔したくなくて。連絡、出来んくて……ごめんなさい」
「あー、マジか……夏樹~、ごめんな。大事な時にいなくて気も使わせて」
「いやいや! なんで謝っとですか!? 謝らんでください、オレがしたくてしたことやし……でもあの、知りたかったって思ってもらえたとは、へへ、嬉しかです……」
そう言うと、晴人は再び夏樹を抱きしめてきた。おまけに今度は頭を撫でられる。
「こんな可愛いことってある? 夏樹は俺の孫かもしんない」
「あはは、なんすかそれ。じいちゃんになるのは早すぎるっすよ」
晴人に身を任せていると、ふと柊吾と目が合った。泣きだしそうな顔でくちびるを噛んでいる。柊吾も晴人と同じように思っていたのだろうか。連絡がなかったと憂いて、昨夜の不在を悔やんでいるだろうか。出掛けていく柊吾を本当は今も快く送り出せないくせに、自分のためにそんな顔をさせてしまうのは夏樹の本意ではなかった。
「椎名さん」
「……ん?」
「オレ、初めてモデルの仕事が出来ました!」
「ああ、そうだな」
「急遽行けなくなった人の代理っすけど、このチャンス、絶対逃したくなくて。モデルのほうを優先しろって言ってもらえてたから、すぐにやりますって言えました。へへ、椎名さんのおかげです、ありがとうございます!」
「夏樹……ん、おめでとうな」
柊吾も応援してくれているこの道を、柊吾のおかげで迷いなく進んでいられる。胸にある感謝を余すことなく伝えたい。必死に言葉にすれば、柊吾も頭を撫でてくれた。あたたかい手に、ほっと安堵の息をつく。
今度からは何も気にしないで連絡すること! との晴人の言葉に強く頷く夏樹を、柊吾が「飯にするぞ」とダイニングへ促す。そこには初めてここに来た日のような、いやそれ以上に豪勢な食事が並んでいた。夏樹の好物のオムライス、寿司やローストビーフに、名前も知らないお洒落でカラフルな料理たち。
「え、すげー!」
「初仕事のお祝いだってさ。仕事から帰って鬼みたいな顔で作ってたよ、なあ柊吾」
「ケーキも買ってあるから。いっぱい食えよ」
「う、嬉しかぁ……椎名さん、ありがとうございます! あ! 晴人さんまだ食べんで! オレ写真撮りたい!」
柊吾と晴人はビール、夏樹はサイダーで乾杯をする。ふたりが並んで座りその前の席が夏樹の定位置だが、今日は何故か隣に座った柊吾が次々に皿によそってくれている。いつだってその美しい顔を見られるのは眼福だったが、すぐそばにいてくれるのは胸が夢みたいにあたたかい。
「そんでそんで? 今日の仕事はどんな感じだった?」
「それはですね~!」
晴人の質問に、待ってましたと言わんばかりに夏樹は姿勢を正す。望んでくれたように、本来は真っ先に知ってほしかったふたりだ。昨夜の前田からの電話で始まったことを再度伝え、今日の出来事を意気揚々と話す。
「女子向けのファッション雑誌によくあるじゃないすか、一週間のコーデ特集みたいなやつ」
「うんうん、あるね」
「あれのページの、オレは彼氏役でした!」
「なるほどね~。どう? 上手くできた?」
「表情作るのとかポーズとかやっぱ難しくて……たまに指示もらいながらなんとか!」
「ちゃんと聞く姿勢が取れて偉い偉い。ちなみに相手は誰だった?」
「白瀬美奈さんっす!」
「美奈ちゃんかー」
「すげー綺麗な人っすよね! プロ! って感じで勉強になったし、新人のオレにもめっちゃ優しくて、連絡先も交換してー……」
「ちょっと待った夏樹、それマジ? 連絡先交換したの?」
「へ……マジ、っす」
先ほどまでうんうんと頷いてくれていたのに、晴人は急に目を丸くしてしまった。一体どうしたのだろうか。不思議に思い隣を見ると、柊吾もどこか神妙な顔をしている。白瀬美奈……と確かめるように呟いたのを、夏樹は聞き逃さなかった。
「え、もしかしてマズかったっすか!? なんでオレなんかに聞くとやろとは思って、でもそういうもんなんだろうなって……人気モデルですもんね、失礼でしたかね!?」
「うーん……」
初っ端の現場で失態を犯してしまった。取り返しのつかないほどのことだったらどうしよう。おろおろと怯える夏樹に、だが晴人はそうじゃないんだよねとため息をつく。
「美奈ちゃん、俺も一緒に撮ったことあるけど良い子だよ。マジでモデルやってるって伝わってくるし、それは間違いない。ただねー、男関係がちょっと……」
「男関係?」
「うん。悪い言い方になるけど、男漁り激しいタイプ」
「ええ……全然そやん風に見えんかった……」
「夏樹も気をつけなよ、ぱくっと食われちゃうかもよ?」
「オレが? いやいやないっすよ、それにオレ彼女いますし!」
「向こうからしたらそんなの関係ないよ、一晩だけとか言われるかもだし。自分が可愛いこと分かってるから強い。気をつけるに越したことはないよ。なあ柊吾」
「……ん? ああ、そうだな」
晴人に話を振られ、何やら考えこんでいた柊吾がハッと顔を上げて頷いた。夏樹の頭をポンと撫で、切り替えるようにいたずらに笑んでみせる。
「スキャンダルになったら困るしな。晴れてデビューしたんだし」
「ええ、椎名さんまで……でも大丈夫っすよ! 美奈さんオレにはそんなつもりじゃないと思うし。てかスキャンダルとかオレは無名やし……いや、美奈さんのためにってことか! 気をつけます!」
「ちーがーう、俺は夏樹の心配してんの」
「うっ、椎名さんの微笑み眩しか……」
「出たファンモード」
柊吾手製の美味しいごはん、三人で笑って更ける夜。初仕事を無事に迎えられた夏樹にとって、名づけるならば最高の夜だ。今日はいいよと柊吾は言ってくれたが、オレの大事な役目なんでと皿洗いの仕事は譲らなかった。
柊吾が風呂へ向かい、晴人はソファで寝落ちてしまっている。また雨が降り出しているが、今日のこの部屋は寂しくなんかない。窓辺に立った夏樹は、ふと思い立ってポケットからスマートフォンを取り出す。
美奈の話の中で彼女がいるからと豪語した時、夏樹は後ろめたさを感じていた。最近連絡をしていないくせに、綾乃を盾に使ったみたいだからだ。トーク画面を開いてみれば、今はもう六月だというのに四月下旬を最後にメッセージは終わってしまっている。夏樹から送ることはなかったし、綾乃からも来なくなった。だが今日は胸を張って連絡が出来る。プライドが満たされているからだ。
<綾乃ちゃん久しぶり。元気? 今日は雑誌の撮影だったよ!>
五分ほど悩んでそう送ってみた。既読はすぐについて、それから十分ほど。返って来た返事は<よかったね>とのひと言だった。そっけない気もするが、褒めてもらえたことに安堵する。
仕事もプライベートも今日は絶好調。そう思える夜が、雨垂れる窓に映っている。
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