上 下
29 / 50

29. 六日目夜⑥

しおりを挟む

「もう、ほんとひどいんですよ。うちはなにもしてないのに」
「それは人災だな。人間の国家機密なんて、俺たち、興味無いのにな」

 シウの言葉に、魔族はウンウンと頷く。
 
「ゼンさんは、とっても素敵な方でして、出会いはですね⸺」
「へえ、運命感じちゃうな」

 シウの言葉に、魔族はウンウンと頷く。

「でも振られちゃったんですよー……しくしく」
「えー、つれない男なのか」

 この穏やかな雰囲気の魔族は、実によく話を聞いてくれた。アクムリアへの亡命手配が終わったシウは、事情を聞かれたついでに、魔獣の森の中で、魔族相手に愚痴りながらのろけていた。

 ゼンがいかに素敵かについて、シウが熱く語り始めてしばらく経ったころ。
 ぴくりと魔族が顔をあげた。きょろきょろしたあとにシウを見て、にっと笑う。唇の隙間から、牙が覗いた。

「来たぞ。お前の運命が」

 言うなり魔族はシウを抱えて、その場を飛び退いた。そのまま翼を広げてふわりと浮びあがる。同時に、今まで魔族が座っていた地面に鋭い斬撃痕がつく。
 
 残像を伴うほどのスピードで、木の枝を利用し、浮いている魔族に迫る影があった。その手が魔族の足に届く寸前、地面から生えた無数の黒い触手に絡みとられる。
 触手の中でもがく姿に、シウは胸が熱くなった。ゼンが助けに来てくれたのだ。身勝手に魔獣の森に入ったのはシウなのに。

「お願い、彼を離して! ひどいことしないで!」
「落ち着け。むしろ、あいつが俺にひどいことする気満々だ」

 シウがバンバン魔族の胸を叩いても、黒い触手はゼンに絡まることをやめない。腕を封じられる寸前、ゼンは手にしていた刀を魔族目掛けてぶん投げた。
 魔族がさっと片手を横に引く。一直線に空を裂いていた剣は、途端に力を失い地に落ちる。赤に染まっていた刀身が、色を失い灰色と化す。

「へえ、やるなぁ。って、こいつ、人間じゃないのか」

 ぽつりと呟いた魔族の言葉に、シウは目を見張る。
 地に伏して、ぎらぎら剣呑な光を浮かべるゼンと、魔族を交互に眺めた。
 そんなシウを、魔族はちらりと見て安心させるように背中をトントン叩く。

「人間の部分もある。魂は人間よりだが、身体は俺たち魔族に近い。大昔にどっかの魔族と交配した人間がいたんだろう。血は薄まっているから、……だいたい人間だと思って大丈夫だぞ」

 身動きできないゼンの前に、魔族は身軽に降り立った。駆け寄ろうとするシウを押しとどめてゼンに近づくと、前髪をぐいっとかきあげて金の瞳を覗き込む。目を細めて、眉をひそめた。

「人の悪性に存分に晒されたのか。魂の損傷が激しいな。本来なら身体に傷跡など残らないはずだが、これは魂の傷の影響か」
「シウから離れろ!」

 ゼンの言葉に、魔族はぴくりと片眉をあげる。ちょっと楽しそうな顔をして、あえてシウの頭にぽんと手を乗せた。
 それを見て、ゼンはもがいて、さらに魔族を睨みつける。

「シウに触るな!」

 にやにやと、魔族はシウの頭を撫でながら、琥珀色の瞳をのぞき込む。

「振られた、とは?」
「愛情は感じるんですけど、好意を受け取ってくれないんです」
「めんどくさい男って感じか」
「そこがまたいいんですけど」

 頬に手をあて、のろけモードに入りそうなシウに、ゼンが怪訝な目を向けた。ゼンにとっても、魔族は人類の敵という認識だ。それが仲良くシウと話している。

「ゼンさん。この魔族さんは、悪い方ではないので大丈夫ですよ。むしろ私を助けてくれたんです。本当ですよ」

 一気にゼンの殺気がひっこむ。シウの言葉を無条件に信じたようだ。もがくことはせず、大人しい熊のように静かに座り込んだ。
 そんなゼンを魔族は引き続き、目を細めて観察する。
 
「ここまで魂がボロボロだと、他者と歩む気にはならんのだろう。そもそも自分の意思を言葉にする必要性をこいつは感じてないしな」

 しばらくふむふむしていた魔族は、気が済んだのかゼンの髪から手を離す。
 
 黒い触手がするするとゼンから離れるのを合図にシウがゼンの元に駆け寄り、その腕の中に、迷わずとびこんだ。
 ぎゅうっとシウを抱きしめる腕が小さく震えている。シウの存在を確かめるように、髪を、背中を、何度も撫でた。

「心配させて、ごめんなさい」

 なんだか胸の奥がきゅっと掴まれたように、シウの鼻がツンと痛くなる。震えるゼンの頭を抱え肩を撫でた。

 ひとしきりの抱擁の後、シウが振り返ると、魔族は興味深そうに首を傾け、二人を見つめていた。
 照れくささを感じつつ、シウは彼に礼を言う。最初は恐ろしかったが、今では彼に親しみすら感じていた。
  
 魔族はゼンの傷だらけの頬に手を当て、顔の真ん中を横断する傷を撫でた。ゼンは抵抗することなく受け入れる。

「人の地で地獄を味わうお前に、何もしてやれなくてすまなかった」

 静かな声音には、憐憫も同情もなく、ただ誠実さが滲む。
 
 にょろりと魔族の影から、一本黒い触手が出てきて、ゆっくりと弧を描いて宙を舞う。とぷりと、ゼンの影に入り、見えなくなった。
 ゼンはただ、静かに目を伏せる。

「せめてもの償いに、その魂を癒す手助けをしてやろう。また、此度こたびの、我が帝国への無断の立ち入り及び、俺に刃を向けた件、不問とする」

 力強く威厳ある声が静寂に響く。
 ひどく穏やかな抑揚なのに、進んで頭を垂れたくなる、そんな重みが滲む声だった。
  
 無事に二人で魔獣の森から出られる予感に、シウが胸をなでおろしたその時。常に柔和な魔族の顔が、一瞬強張った。すぐ近くの茂みがガサガサと揺れる。それとともに、甲高い神経質そうな声がひびく。

「⸺様、どちらですか!」
「やっばい、うるさいのが来た! 早く行け……って、間に合わないな!?」

 魔族が焦りながら、口に人差し指をあてる。

「一時的に俺のうろに匿う。すぐに出す。下手に暴れるなよ」

 引っ込んでいた黒い触手が、またにょろりとでてきて、シウとゼンに絡みつき、ずぶずぶと二人の足が黒い泥に沈む。
 シウが何か言う前に、触手は二人を闇の沼に引きずり込んだ。とぷんと一滴闇が跳ねたのを最後に、沼が消える。あとには、何事もなかったように草の生えた大地が広がるばかりだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛

冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!

処理中です...