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29. 六日目夜⑥
しおりを挟む「もう、ほんとひどいんですよ。うちはなにもしてないのに」
「それは人災だな。人間の国家機密なんて、俺たち、興味無いのにな」
シウの言葉に、魔族はウンウンと頷く。
「ゼンさんは、とっても素敵な方でして、出会いはですね⸺」
「へえ、運命感じちゃうな」
シウの言葉に、魔族はウンウンと頷く。
「でも振られちゃったんですよー……しくしく」
「えー、つれない男なのか」
この穏やかな雰囲気の魔族は、実によく話を聞いてくれた。アクムリアへの亡命手配が終わったシウは、事情を聞かれたついでに、魔獣の森の中で、魔族相手に愚痴りながらのろけていた。
ゼンがいかに素敵かについて、シウが熱く語り始めてしばらく経ったころ。
ぴくりと魔族が顔をあげた。きょろきょろしたあとにシウを見て、にっと笑う。唇の隙間から、牙が覗いた。
「来たぞ。お前の運命が」
言うなり魔族はシウを抱えて、その場を飛び退いた。そのまま翼を広げてふわりと浮びあがる。同時に、今まで魔族が座っていた地面に鋭い斬撃痕がつく。
残像を伴うほどのスピードで、木の枝を利用し、浮いている魔族に迫る影があった。その手が魔族の足に届く寸前、地面から生えた無数の黒い触手に絡みとられる。
触手の中でもがく姿に、シウは胸が熱くなった。ゼンが助けに来てくれたのだ。身勝手に魔獣の森に入ったのはシウなのに。
「お願い、彼を離して! ひどいことしないで!」
「落ち着け。むしろ、あいつが俺にひどいことする気満々だ」
シウがバンバン魔族の胸を叩いても、黒い触手はゼンに絡まることをやめない。腕を封じられる寸前、ゼンは手にしていた刀を魔族目掛けてぶん投げた。
魔族がさっと片手を横に引く。一直線に空を裂いていた剣は、途端に力を失い地に落ちる。赤に染まっていた刀身が、色を失い灰色と化す。
「へえ、やるなぁ。って、こいつ、人間じゃないのか」
ぽつりと呟いた魔族の言葉に、シウは目を見張る。
地に伏して、ぎらぎら剣呑な光を浮かべるゼンと、魔族を交互に眺めた。
そんなシウを、魔族はちらりと見て安心させるように背中をトントン叩く。
「人間の部分もある。魂は人間よりだが、身体は俺たちに近い。大昔にどっかの魔族と交配した人間がいたんだろう。血は薄まっているから、……だいたい人間だと思って大丈夫だぞ」
身動きできないゼンの前に、魔族は身軽に降り立った。駆け寄ろうとするシウを押しとどめてゼンに近づくと、前髪をぐいっとかきあげて金の瞳を覗き込む。目を細めて、眉をひそめた。
「人の悪性に存分に晒されたのか。魂の損傷が激しいな。本来なら身体に傷跡など残らないはずだが、これは魂の傷の影響か」
「シウから離れろ!」
ゼンの言葉に、魔族はぴくりと片眉をあげる。ちょっと楽しそうな顔をして、あえてシウの頭にぽんと手を乗せた。
それを見て、ゼンはもがいて、さらに魔族を睨みつける。
「シウに触るな!」
にやにやと、魔族はシウの頭を撫でながら、琥珀色の瞳をのぞき込む。
「振られた、とは?」
「愛情は感じるんですけど、好意を受け取ってくれないんです」
「めんどくさい男って感じか」
「そこがまたいいんですけど」
頬に手をあて、のろけモードに入りそうなシウに、ゼンが怪訝な目を向けた。ゼンにとっても、魔族は人類の敵という認識だ。それが仲良くシウと話している。
「ゼンさん。この魔族さんは、悪い方ではないので大丈夫ですよ。むしろ私を助けてくれたんです。本当ですよ」
一気にゼンの殺気がひっこむ。シウの言葉を無条件に信じたようだ。もがくことはせず、大人しい熊のように静かに座り込んだ。
そんなゼンを魔族は引き続き、目を細めて観察する。
「ここまで魂がボロボロだと、他者と歩む気にはならんのだろう。そもそも自分の意思を言葉にする必要性をこいつは感じてないしな」
しばらくふむふむしていた魔族は、気が済んだのかゼンの髪から手を離す。
黒い触手がするするとゼンから離れるのを合図にシウがゼンの元に駆け寄り、その腕の中に、迷わずとびこんだ。
ぎゅうっとシウを抱きしめる腕が小さく震えている。シウの存在を確かめるように、髪を、背中を、何度も撫でた。
「心配させて、ごめんなさい」
なんだか胸の奥がきゅっと掴まれたように、シウの鼻がツンと痛くなる。震えるゼンの頭を抱え肩を撫でた。
ひとしきりの抱擁の後、シウが振り返ると、魔族は興味深そうに首を傾け、二人を見つめていた。
照れくささを感じつつ、シウは彼に礼を言う。最初は恐ろしかったが、今では彼に親しみすら感じていた。
魔族はゼンの傷だらけの頬に手を当て、顔の真ん中を横断する傷を撫でた。ゼンは抵抗することなく受け入れる。
「人の地で地獄を味わうお前に、何もしてやれなくてすまなかった」
静かな声音には、憐憫も同情もなく、ただ誠実さが滲む。
にょろりと魔族の影から、一本黒い触手が出てきて、ゆっくりと弧を描いて宙を舞う。とぷりと、ゼンの影に入り、見えなくなった。
ゼンはただ、静かに目を伏せる。
「せめてもの償いに、その魂を癒す手助けをしてやろう。また、此度の、我が帝国への無断の立ち入り及び、俺に刃を向けた件、不問とする」
力強く威厳ある声が静寂に響く。
ひどく穏やかな抑揚なのに、進んで頭を垂れたくなる、そんな重みが滲む声だった。
無事に二人で魔獣の森から出られる予感に、シウが胸をなでおろしたその時。常に柔和な魔族の顔が、一瞬強張った。すぐ近くの茂みがガサガサと揺れる。それとともに、甲高い神経質そうな声がひびく。
「⸺様、どちらですか!」
「やっばい、うるさいのが来た! 早く行け……って、間に合わないな!?」
魔族が焦りながら、口に人差し指をあてる。
「一時的に俺の虚に匿う。すぐに出す。下手に暴れるなよ」
引っ込んでいた黒い触手が、またにょろりとでてきて、シウとゼンに絡みつき、ずぶずぶと二人の足が黒い泥に沈む。
シウが何か言う前に、触手は二人を闇の沼に引きずり込んだ。とぷんと一滴闇が跳ねたのを最後に、沼が消える。あとには、何事もなかったように草の生えた大地が広がるばかりだった。
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