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閑話

九日目

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 英雄の軌跡。
 シルクスタの伝統。
 魔獣狩りの歴史。
 剣闘士年鑑。
 奇跡の偉業。
 コロッセオの光と影。

 机の横にうず高く積み上がった本の山の頂上に、さらに一冊追加し、シウは柔らかく息を吐いた。

「確かに、奇跡なのかも」

 天井を仰いだシウの肩から、パサリとフードが落ちるのを、慌てて被り直す。ウィッグはかなり蒸れることがわかったので、今日はフードを目深に被っている。

 もう一冊、”虹の翼”という名の本を手に取ろうとして思い直す。
 そろそろ、ゼンが待ちくたびれている頃だ。これは明日にしよう。



 ゼンはしかめっつらで、座って本と向き合っていた。周りにはちびっこが駆け回っていたり、本を読んだりしている。
 たまにちびっこがおそるおそるゼンのところに来ては、目が合うとぴゃっとどこかに走っていく。遠くで子供を叱る母親の声がした。

 明るい色調の部屋は、色とりどりの子供用の椅子や机が置かれており、その中にいるゼンはさながら巨人と思えるほど場違いだった。小さな椅子には流石に座れないので、窓際のベンチに座っている。
 ここは、シルクスタ議会資料館に隣接する子供向けの図書館である。議会資料館は、それなりの身分あるものしか入れないが、こちらの図書館は広く開放されていた。

(これぐらいなら、なんとか……でも、よくわからない単語あるな)

 ゆるい頭痛に、眉間を揉む。内容は、どこかの王子が魔物を倒してお姫様を助け出し、結婚してめでたしめでたしというものだ。挿絵が多いのでわかりやすい。

(もうちょっと、難しいのにチャレンジしてみようか)

 今まで本に向き合ったことなどなかったが、偽とはいえシウの婚約者ということが、ゼンを勤勉にさせていた。

「可愛いの読んでますね。私もそのお話好きです」

 読み終わった本をパタリと閉じたゼンの目の前に、影が射す。見あげれば、嬉しそうに微笑むシウがいた。
 なんだかバツが悪くなって、ゼンはシウから目を逸らす。シウに文字が読めないことは伝えていなかった気がした。
 そんなゼンの髪をそっと撫でて、シウは近くの本棚から別の本をとってくる。

「よければ今夜、一緒にこの本読みませんか? その本より少し難しいんですけど、私の好きなお話なんです」

 小さく頷くゼンを、またシウは優しくひとなでした。



 寝る前に、あぐらをかいた膝にシウを乗せて、一緒に本を読む。普通、この体勢ならゼンの方が本を読みそうだが、読み上げているのはシウだった。

 この本も、王子様が魔物からお姫様を助けるという内容だった。ただ、昼間ゼンが読んでいた本と違うのは、魔物がお姫様を好きだったという点だ。最後に、魔物はお姫様を守るために命を落とす。お姫様は魔物に感謝しながらも、王子様と結婚して幸せになるのだ。めでたしめでたし。

 読み終わって、ゼンはちょっと眉間を揉んだ。

「少し悲しいけど、こっちの話の方が、魔物の理由がよくわかって、私は納得できるんですよ。そう思いませんか」

 ゼンは何も答えずただ、シウを後ろから抱きしめる。頬ずりしてくるゼンを、シウは優しく抱き寄せた。つんつんとシウがゼンの頬を突いてくる。
 
「難しかったですか? 気分を変えて、ちょっとしたゲームしましょうか」

 ゼンの手を持ち上げると、手のひらに文字を書き出した。

「なんて書いてあるか、あててください」

 一度ではわからず、何度か書いてもらってようやくわかった。最初は簡単な文字を順番に書いていってるようだ。
 しばらくするとコツを覚えて、シウが何を書いているのかすぐ分かるようになった。

「次は文章行きますよ。最後に、なんて書いてあったか聞きますね」

 さらさらとシウが文字を書く。

(ゼン? 俺の名か)

 続く言葉に、ゼンの顔はみるみる真っ赤になった。思わず口に手を当てる。今、書かれた内容を頭の中で思い返す。

”ゼンさんは私の大好きな王子さま”

「ふふ、その顔なら何書いたかわかったみたいですね。合格です」

 くすくす笑いながら、シウが手のひらを出してきた。ほらほらとばかりに、ゼンに手の平を向ける。

「今度はゼンさんの番ですよ。書く練習もしましょう」

 顔の熱さをいまだ感じながら、ゼンは指でシウの手のひらをつついてみる。試しに書いてみたが、シウの手のひらが小さすぎて、ゼンの指では何を書いても潰れて意味不明なものになる。

「もっと広いところに書きましょうか。そうですね」

 ちょっと考えてから、おもむろにボタンを外しはじめるシウ。服の隙間から覗く肌を、昨日も散々見たはずなのに、いまだに慣れずにそっと目を逸らした。

「ここなら広いでしょ」

 ゼンの目の前にあったのは、手のひらではなく、陶器のように滑らかな背中だった。前の方は服で隠しているけれど、やや潰れた胸の膨らみが背中越しに少し見えてゼンは戸惑う。
 どうしたの?と、きょとんと急かしてくるシウの清廉な雰囲気とのギャップに、身体の奥の熱がもたげるのを必死でおさえこんだ。
 力を入れすぎないよう、気をつけながら背中に文字を書いていく。考えながら書くから、ゆっくりだが、わかりやすいよう丁寧に書いた。
 最後に、真っ赤に色づくうなじに唇を押しつける。そこはすっかりすべすべで綺麗になっており、以前、ゼンがつけた噛み跡は微塵も残っていない。

「あっ……ゼンさん、ほんと? 嬉しい」

 答える代わりに抱きしめ、熱を持つシウの耳にも口づける。何度も耳の裏にキスしたあと、むき出しの肩や背中にも、急くように唇を押し当てた。

(シウ、好き。好き)

 湧き上がる想いのままに、シウの服の上から身体を弄る。

「んっ……、昨日みたいに、いっぱいしたいです」

 見つめてくる潤んだ瞳に、ゼンはくらくらしながら唇を重ねた。



 明け方近くに、ふとシウは目を覚ます。
 身体にまわされた太い腕の安定感に、小さく息を吐く。素肌にあたる温もりが心地よい。

 少し顔をあげれば、穏やかなゼンの寝顔が見えた。まるで、人生になんの憂いもない子供みたいな顔だなと、シウは思った。

 さきほど、ゼンが背中に書いた文字を思い出す。

 ”ずっと好き”

 多くを語らないゼンが、初めてシウへの気持ちを明確に示してくれたのだった。
 
「私もずっと気になってましたよ。本当にあなたが生きててくれてよかった」

 小さくシウが呟くも、それを聞く者はいない。
 大きな背中を抱きしめなおして、シウは目の前の傷だらけの肌に頬ずりする。
 無意識なのだろう、ゼンが身じろぎして、シウを抱きしめる腕に力を込めた。
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