コーヒー1杯分のカフェイン

赤宮 里緒

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カウンターから向かって左奥の指定席

3.

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 甘い、それでいて爽快感を覚える香りに自然と口元が綻んだ。周囲をくるりと見渡せば、植木に小ぶりの黄色と橙色の狭間を身に纏った花が咲いている。金木犀だった。

「もうそんな季節か」

 呟いた声は誰にも届かず秋の空に溶ける。ノースリーブでは寒いねと横を通り過ぎた2人組の女性が笑った。頬を撫でる風は熱など忘れたかのように心地良い。
今日は休みをもらっているためカフェに向かう必要はない。勉強の為にも人気の店に寄ってみようかと考えたがコーヒーを飲みたい気分でもなかった。とはいえ、平日に休みが重なる友人もいないため1人で過ごすしかない。何かやりたいことが見つかるだろうと外に出たのは良いものの、結局当てもなく街を彷徨っている。ひとりになるのは普通のことなのに、こうも胸がざわざわと曇っているのは秋だからだろうか。妙に、隣に誰もいないことを煩わしく感じた。

 気の向くままに歩いていると、左手側にある本屋が目に止まった。近年は電子書籍の需要が高まったことで閉店が相次いでいるが、この店だけはしぶとく生き残っている。紙製の本も好きだからこのまま存続してほしいが、電子書籍で買う機会が増えているのは否めない。少しでも貢献しようかと自動ドアをくぐって店内へ入る。
広い店内には、所狭しと本が積まれている。客足も良く、立ち読みする人の後ろを通るだけで一苦労だった。目的の場所に行くまで、何度頭を下げ身体をよじっただろうか。目的地に辿り着いた頃にはぐったりしていた。

ひ、人多いな……。

 げっそりしてため息をひとつ吐き、気を取り直して顔を上げる。幸い探し求めたジャンルを眺める人は少なかった。ビジネス書籍の棚には、一冊一冊が分厚く厳かに装丁されている本が並んでいた。箔が押された本にハードカバーのものまで。今までに数冊だけ読んだがまだまだ奥が深い領域だ。学ぶことは多いだろう。適当に目に入った本を引き出して開いてみる。文章ばかりではどうしても疲れてしまうため、図解入りの物を見つけようとあれこれ開いていく。
 紙の重たさと触感は本ならではの良さだなあと内容とは関係のないことを考えながら読む本を選んだ。試し読みを数ページして、興味深そうなものはそのまま持ち合わないと思ったものは棚に戻した。教科書を見つけるのは大変だが、子どもの時に駄菓子を選んでいる時と同じワクワクした気持ちを抱けるため嫌いではない。
三冊ほど選んだ本を持って、レジへ行こうと通路側へ身体を向ける。必然的に目に入る、近くに立っている男性におや、と首を傾げる。見慣れた横顔だったからだ。

「……」

 所々に銀色が混じる黒髪、自分より頭ひとつ分は低い身長、男性にしては少し頼りない肢体の細さ。上着として羽織るベージュ色のカーディガン。

「真哉さん?」

 口から溢れた名前に、その人の身体が大きく跳ねた。持っていた本を半分閉じながら、目を大きく見開いてこちらを見る。見慣れない眼鏡をかけているが、間違いなく自分がよく知っている人だった。

「奇遇ですね! こんなところで会うなんて」

「……え、えっと、そうだね」

 俺の機嫌が急上昇していく。毎週顔を合わせている真哉さんに出会えるのは、またとない幸運だった。読書とコーヒーが好きな人というだけでも好感を持てるのに、加えて毎週来てくれる常連なのだ、好意を持たないはずがない。足取り軽く彼に近づく。

「真哉さんも本を買いに? 俺も経営学の本を見に来てたんですよ」

「そう、なんだ。勤勉なのは良いことだ」

「へへ。真哉さんに褒められると照れますね」

 暢気に頬を緩ませる俺に対して、真哉さんは居心地悪そうに視線をあちこちへ向けている。 持っている本は、手に力が入りすぎて少し紙がよれてしまっているのが見えた。

「……大丈夫ですか? 本が」

「え? あ、紙が」

 真哉さんが持っていた本を見て慌て始める。しっかり折れ目が刻まれた新品の本は、どうやっても元の形に戻すことはできないだろう。悪いことをしたと反省しながら、真哉さんの持っている本に手を伸ばす。

「すみません、俺が急に声かけたせいで……。折角なので俺が買います」

「え」

 真哉さんが俺を見上げる。目を丸くしてぽかんと口を開ける真哉さんはいつもの知的な雰囲気がどこへいったのかと疑うほど間抜けな顔をしていた。そんな顔もできるのかと少し嬉しくなる。

「僕がだめにしたんだ。自分で払うよ」

「いやいや、俺が声かけなかったらこうはならなかったでしょ。俺が買います」

「いやいやいや、元々欲しいと思っていたものだし自分で……」

 お互いに譲らないせいで、本屋ということも忘れてそれなりに大きな声で応酬する。我に返って顔を上げれば、周囲にいる客が何だ何だと興味深そうにこちらを見ていた。真哉さんと一緒に身体を縮こまらせて、口を閉ざした。

「……君のせいじゃないから、自分で払うよ」

 周りの視線が離れた頃にようよう真哉さんが言った。頬を少しだけ赤らめて気恥ずかしそうに言う彼に、そうはいかないと俺は首を横に振る。

「俺が払います」

「それは君に悪いよ」

「いいえ、いつもうちに来てくれるお礼だと思ってください」

 それなら文句ないでしょう。

 有無を言わせなかったからか、観念した真哉さんは渋々頷いた。俺は満面の笑みで真哉さんの持っていた本を受け取り、自分用の本と合わせてレジに向かった。会計を済ませて先に外へ出ていた真哉さんに、カバーを付けてもらった本を差し出す。真哉さんはありがとうと微笑んだ。

「しわがあるものですみません」

 彼は本が好きだ。カフェに持ってくる本は、どれも新品同様に状態が良くカバーも掛けてある。古本だと思しき日焼けした本さえ丁寧に扱っているのを何度も見た。紙が折れた本はなかったぐらいだ。

「自分のせいだから気にしないでくれるかい。それに、このページを見る度に今日を思い出せて楽しいから」

 励ましてくれたのか、気遣ってくれたのか。真哉さんはにこにことそう言った。急に声をかけるのではなかったと何度目か分からない反省を脳内でする。

「人付き合いが苦手な僕も悪いから、そんな顔しないで良い」

 真哉さんは目を伏せて呟いた。彼の言葉に内心で納得しながらもおくびに出さず明るく返す。

「あれは俺が悪かっただけですから。真哉さんは気にしないでください」

 俺の言葉に、彼は少しだけ俺の目を見た。黒目がちな両目はすぐに逸らされてしまった。

「ありがとう」

 ふたりの間に沈黙が下りた。気まずい空気が流れて、居心地悪そうに俯く真哉さんに助け船を出そうとわざとらしく携帯を見る。

「あ、もうこんな時間か。俺この後用事あるんで、今日は失礼します」

 人の良い笑顔で言うと、明らかにほっとした様子で真哉さんはそっかと微笑んだ。

「引き留めて悪かったね。……本、ありがとう。大事にするよ」

「どういたしまして。今度感想聞かせてくださいね!」

 じゃあ、と真哉さんに背を向ける。後ろ手に手を振ってその場を離れながら、そっとため息を吐く。俺、真哉さんにそんなに心を開いて貰えてないんだなあと、落胆する感情を込めて。

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