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二話「赤髪の青年」

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 毎日毎日、時間をかけて古書の埃をはたいても、翌日になるとまた表紙が埃に覆われてしまう。
 それを欠かさずにやらないと、本はザラメをふりかけたように白く濁ってしまう。
 埃がザラメから綿あめになる前に取り除いてあげるのは、とても大事な仕事の一つである。
 今までその役割も自分が担っていたが、ここ一週間ほど前からは目の前でブーツを鳴らしながら本と向き合っている赤髪の彼が担当している。
 ローズグレーの半袖Tシャツとワインレッドのジーンズにうちの店のエプロンをしてもらい、店内の棚という棚にある古本たちのお手入れをしてもらっている。
 それを横目に俺は、レジカウンターで帳簿を付けていた。
 帳簿の近くに置いた湯のみを右手で持っていつもの緑茶をすすり、左手でページにガラスペンを走らせる。
 黒いインクは文字となって、白かった枠を埋めていった。

「本の掃除、終わったッス」

 はたきを片手に報告にきた青年。その顔は今日も変わらず無表情だ。

「ありがと。それじゃあ、次は店の外を掃除してきてくれるかな?」

「うっす」

 俺が微笑みながらやんわりと指示すると、彼は短く返答し外に立てかけてある箒を取りに向かった。
 うちで働きたいと言ってからあっという間に一週間が経った。
 不良のような見た目ということもあり最初は不安だったが、実際に仕事を振ってみると言われたこともきちんとこなすし、指示も忠実に聞く。
 疑問に思ったことは自分から聞きに来るし、意外と言っては失礼かもしれないが色んなところに目を配れるようで機転が利く。
 昨日も、本の頁の角が折れてしまっていることに気づいて、わざわざ持ってきてくれた。
 見た目で人を判断してはいけないと改めて思う今日この頃だ。



 律儀に持ってきてくれた履歴書に目を通す。写真の彼は目の前の彼と同じく真っ赤な髪色をしていた。

「えっと…くん」

だ。振りにそう書いてあんだろ?」

「あっ…ごめんごめん」

 愛想笑いを浮かべ慌てて履歴書に目を落とす。
 読みがあるにも関わらず、名前を間違えるのは我ながら恥ずかしすぎるし、何より相手に失礼だ。
 俺は履歴書を見ながら再度、彼の名を口にする。

下野しもつけ 陽向ひなたくんだね?」

 名前を確認し彼の顔を見ると、下野くんは頭を縦に振った。
 年齢は17歳で、今月誕生日を迎えて18になるようだ。
 京都の工業高校に通っているらしい。
 住所を見るとなんと三条本町であった。奈良市の中心駅である奈良駅がある場所だ。
 この町から車で30分ほどかかる。
 わざわざ隣の県からなぜこんな辺鄙な町にバイトをしに来たいと思ったのだろうか?
 彼の通う学校と三条本町までの道を考えると、うちが学校に近いからという答えには行き当たらない。

「住所見ると、ここから結構距離あると思うんだけど…。どうしてここでバイトしたいと思ったのかな?
学校も、ここからだとわりと遠いよ?」

「少しでもバイクを走らせたくて、ドライブついでに金稼ぎたいって思っただけだ」

 淡々と語る下野くんの目はまっすぐに俺の顔を捉えている。
 特にやましいことはなさそうに見える。
 その後いくつか質問したが、俺から視線をそらすことなく、堂々たる口ぶりで答えてくれる。
 根が正直なのか、バイクの免許もう持ってるんだねと聞くと「免許は高一の時にとったけど、運転は中学の頃からしている」と教えてくれたり「バイクでの登校は禁止だから、学校近くに住んでるダチんちに停めてから学校行ってる」と聞いてもいないのに包み隠さず教えてくれる。
 うん。信頼しても良さそうだ。

「うちあんまりお給料出ないけど、それでもよければ明日からでもお願いしたいんだけどどうかな?」

「おなしゃす」

 あっさりと承諾を得て、そのまま流れるようにシフトの日取りを決めていく。
 希望を聞くと、なんと週6で働きたい、しかも時間は何時でも空いていると言ってきて驚いた。
 学校よりもこっちを優先するつもりだとも言ってきたので、さすがにそれはお断りした。
 ただやる気に満ちている青年の心を無下にはできない。
 夏休みの間だけ週6で働くことを許可し、長期的な休みのない時は土日祝日のみ働いてもらうことにした。

「これからよろしくね」

「よろしくッス」



「またオメェーらか。掃除の邪魔だ。どいたどいた」

 風鈴の音と穂先が砂を払う音を耳にしながら、水の入った容器にペン先をつけてインクを洗い流していると下野くんの気だるげな声が聞こえてくる。
 そちらに目線をやると、二、三匹の猫に甘えられている下野くんの姿があった。
 すらっとした足の周りを撫でるようにして猫たちが擦り寄っている。
 いつもクッキーをあげている俺でさえ、あそこまで懐かれたことはない。

「ふふ、すっかり人気者だね」

「冗談じゃねーッスよ。あーくそ、毛がブーツん中に入っちまうだろうが」

 鬱陶しそうにしているが、蹴ったり箒で追っ払ったりと乱暴なことは一切しない。
 猫も下野くんの人柄を理解しているのだろう。
 微笑ましい光景に和まされながらガラスペンをケースに戻し、帳簿をカウンターの引き出しにしまってから椅子から立ち上がる。

「下野くん。休憩しよか?」

 レジカウンターの後ろの磨りガラスの引き戸は、自宅のリビングキッチンに繋がっている。
 フローリングのフロアの中央に食卓テーブルがポツンと置いてあり、台所には様々な調理器具がそろえられている。
 下野くんを招き入れ、席に座るように促すと俺は、新しく出した湯のみにティーバッグを落とす。
 ゆっくりと湯を注ぐと、ほんのりとマスカットの香りが立ち込め鼻腔をくすぐる。
 エプロンを外し席に着く下野くんの前に湯のみと羊羹ようかんを置く。
 緑茶からは甘い香りとともに揺らめくようにして湯気が立ちのぼっている。

「いい香りッスね」

 いつも無表情の彼の頬がほんのわずかに緩んだのを、俺は見逃さなかった。

「ジュースみたいな香りで驚いたでしょ?それはね…」

「知ってる。グリーンティーマスカットだろ?俺も好きなんだ」

「…あ、そうなんだ…。
はは、それならよかった。どうぞ」

 思いがけない返しに一瞬言葉が詰まった。
 そんな馴染み深いものではないと認識していたのだが、俺の見当違いだろうか?
 少なくとも、常連以外のこの町の人たちは知らない。
 俺も?という言葉も気になる。
 グリーンティーマスカットが好きと彼に言った覚えがない。
 第一その話題も今日が初めてのはずなのだが。

「いただきます」

 思考を巡らせているのをよそに下野くんは湯のみに口を付けた。
 一口すすったと思ったが、次の瞬間には熱いと小さく呟きながら苦悶の表情を浮かべていた。どうやら猫舌らしい。
 意外な一面に思わず笑いがこぼれてしまった。
 それに気づかれてしまい、不貞腐れたような顔を向けられる。

「ンだよ?」

「あ、いや。なんでもないよ。
どうぞ、召し上がれ」

 それ以上追求されることはなく、俺もおかわりの緑茶を口にする。
 テーブルの向こうの青年は、息を吹きかけながら恐る恐る緑茶をすするのであった。
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