美容師マリコのスピリチュアルな日常

三島永子

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エピソード2

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 一週間後、ヤエはミサコを説得し美容室マリコを訪れた。

 元来、心根の優しいミサコである。切羽詰まったヤエの訴えを無視するころができなかったのだろう。死後離婚したとはいえ、元夫が幽霊となって他人様に迷惑をかけているとなればなおのこと。

『こんな時間にごめんなさいね。おまけにカラーカットまで頼んじゃってずうずうしかったわよね』

 白く伸びた根元にカラーを施してもらいながら、ミサコがすまなそうにする。家出し身内に捜索されている身であるミサコに配慮して、閉店後に面会を行うことにした。ミサコの元嫁ぎ先と美容室マリコは目と鼻の先にあるのだ。

『いいえ、いいんです。売り上げに貢献して頂いて感謝しています』

『そうよぉ。この店はいっつも閑古鳥鳴いてんだから』

 ヤエが横から口をはさんだ。

『そんなことありませんよ』

 むっとしたマリコが反論すると、

『本当にヤエちゃんて口が悪いわよぇ』

 ミサコがやんわりフォローする。その横で、女3人のやり取りをにこにこしながら見つめる初老の男性こそミサコの恋人であり初恋の人トシオだ。ふくよかなみさこより小柄で、真っ黒に日に焼けているが、ミサコを見つめる眼差しはひどく優しい。ミサコの死んだ夫とは正反対のタイプだ。マリコの記憶では、ミサコの元夫は大柄で見た目も悪くないが不愛想で、挨拶も返さないような人だった。

『ごめんなさいね、トシちゃん』

『いいんだよ。ミサちゃん』

 トシちゃんミサちゃんと呼び合う二人は、まるで付き合いたての恋人同士のように甘ったるい雰囲気を醸し出している。その様子を見たヤエが、あついあついとパタパタ手で扇ぐ。

 それにしても、たった1ヶ月会わなかっただけで、ミサコがぐっと綺麗になっているのには驚いた。肌は艶を増し、頬はピンク色。何より、以前はどこか不幸そうなオーラをまとっていたのに、今は一目で幸せだとわかるほど明るい。服装だって、よれたシャツや毛玉だらけのトレーナーばかりだったのに、今日は花柄のブラウスなんか着ている。もちろん新品だろう。

『マリちゃん、本当にあの人に会えるの?』

 不安げにミサコが訊ねる。

『それは、わかりません。でも、強く願うことが大切です』

 願えと言われてもねぇ、と、ミサコがため息をつく。

『正直、会いたいなんて微塵も思わない。あの人との結婚生活は我慢の連続だった。死んだときも、涙なんかでなかった。愛人の家で夫が死んだことに対して周りは同情するけど、むしろ、私はほっとしたの。最後を看取る手間が省けたってね。酷いでしょう?』

 通常、面会を望むのは、良くも悪くも相手に会いたい理由が明確にある人だ。ミサコのように乗り気ではない上に顔も見たくない相手と面会させるのは、マリコにとっても初めての経験である。

『それに、やっぱり怖いわ』

 これこそがミサコの本音だろう。愛してもいない、恨んですらいる死んだ夫に会うのだから当然だ。


『大丈夫だよ、ミサちゃん。俺がついてる。なぁに、相手は死人だ。怖がることなんか何にもないんだ。これまで言えなかったこと、ぶちまけてこいよ』

 トシオがミサコの隣に来て、手をぎゅっと握っている。

『そうよ。とにかく会っておいでよ。そして今ものすごく幸せだって、宣言してくるといいさ』

『わかった…』

 ヤエも応戦したがミサコの不安はまだ拭えていないようだ。ミサコだけではない。マリコだって不安だ。こんな状況でいい結果に終わるわけがないことは安易に想像がつく。本当に、ミサコと夫を面会させていいものかまだ悩んでいた。

『ただなぁ、マリコさん、俺は一つだけ心配なことがあるんだ。』


『なんでしょう?』

 カラーを終えたマリコがミサコの頭にサランラップを撒き、タイマーをセットする。タイマーが鳴ればいよいよ施術に入るのだ。

『まさか、死んだ旦那が、ミサちゃんを連れて行っちまうなんてことないよな?』

 トシオの一言に、場の空気が凍り付いた。

『それは、ありません』

 多分…。

『それならいいんだ』

 ほっといたようにトシオが笑うと、ヤエも、

『そうだよ。なんたって、この子はこう見えて、あの拝み屋だったばあさんの血を引いてるんだ。そのばあさんは除霊も鎮魂もお茶の子さいさいの強者だったんだから。いざとなったら、あのバカ旦那なんて、一瞬で地獄送りにしてやるさ。ね?』

 と、根拠のないことを言い出す始末。

『それなら安心だ。な、ミサちゃん。なぁに、俺がずっと手、握っててやるから、離婚届突き付けてきてやんな』

『うん。そうだよね。マリちゃんがいるもんね』

『そうだよ。マリコに任せとけば間違いないさ』

 なんて無責任な!

 マリコが口をパクパクさせていると、ヤエが片目を瞑った。どうやら、「余計なことは言うな」ということらしい。

 そうですか、そうですか。何が起きても知りませんからね。

 盛り上がる3人を尻目に、私にはばあちゃんのような力はありませんとは今さら言えないマリコは、そそくそと高香炉の用意を始めた。

 もう、どうにでもなれ。



 タイマーが鳴り、いよいよ施術に入る。緊張した面持ちのミサコに白いガーゼがかけられる。

『ミサちゃん、がんばれ』

 トシオがミサコの手をぎゅっと握りながら励ます。まるでこれから手術室へ向かう病人のようだ。ミサコが線香に火を灯すと、甘い花の香りがミサコの鼻先をくすぐったようだ。

『いい香り…』

ミサコが呟く。

『それじゃあミサコさん、リラックスして、元旦那さんのことを思い浮かべて下さい』

『なんだか、とっても眠いわ』

 ミサコのふくよかな胸が大きく上下するタイミングで、マリコは尋ねる。

『ミサコさん、何か言う事はありませんか?』

『ひらけ、ごま』

『それではいってらっしゃい』

マリコのいってらっしゃいを聞く前に、ミサコの魂はすでに異世界へと向かっていた。

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