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<第三章 第2話>

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  <第三章 第2話>
 ルビー・クールは、心の中で、頭を振った。
 今の自分は、半年前とは違う。恐怖に震えるだけの少女ではない。
 これまで何度も、絶体絶命の窮地を乗り越えてきた。今回も、乗り越えることができる。必ず。
 それに、銀狼会の包囲網から脱出できたのは、この男だけではない。自分も半年前、脱出した。何度も何度も襲撃されながら。
 自分なら、できる。
 心の中で、そうつぶやくと、冷静さが戻ってきた。相手を、冷静に観察した。
 ナイフの大きさ自体は、小型だ。刃渡りは短い。この小型ナイフで、鉄血会と銀狼会のマフィアを、何名も返り討ちにした。
 スピードが、猛烈に速いのだろう。
 一秒、いや、二分の一秒の戦いになる。
 この男のナイフは、危険だ。
 だが、戦うしかない。
 いや、戦うだけではダメだ。殺さねばならない。この男は。
 なぜなら、さもないと、これからも多くの女性が殺される。この男の歪んだ快楽のために。切り刻まれて、惨殺される。
 表情が、引き締まった。心の底で、炎が燃えあがった。怒りの炎だ。
 街娼たちは、生きるために仕事をしていただけだ。それなのに、この男は、自分の快楽のために殺した。
 ルビー・クールは、右手の短剣を縦に構えた。切っ先を上に上げて。自分のひたいの高さで。左足を、少し後ろに引いた。
 狂犬ジャンゴが、さらに近づいてきた。ナイフの刃先を、揺らしながら。
 「よう、ビッチ。あんたの名は?」
 「連続殺人鬼に答える義理はないわ」
 「だったら、切り刻んだあとで、もう一度聞いてやるぜ。切り刻むと女は、泣きながら何でもするようになるんだぜ」
 その言葉で、さらに燃えあがった。怒りの炎が。
 この男は、この場で今、殺す。絶対に、逃がしはしない。
 にらみつけながら、ルビー・クールが言い放った。
 「狂犬ジャンゴ、あなたの判決は、死刑よ」
 「おもしろいじゃねえか」
 その直後、狂犬ジャンゴが、踏み込んできた。
 速い。踏み込みも。ハンドスピードも。
 ほとばしった。鮮血が。
 絶叫した。
 狂犬ジャンゴが。ナイフを落として。
 ルビー・クールが、右手の短剣を振り下ろしたのだ。ジャンゴの手首に。左足を一歩引きながら。
 次の瞬間、左足を寄せ、右足で大きく踏み込んだ。まっすぐに。
 右手の短剣が、のどに突き刺さった。両刃の刃先は、地面と水平だ。
 その直後、けい動脈を切り裂いた。短剣を水平に右へ動かして。
 大量の鮮血をまき散らしながら、ジャンゴの身体は後方に倒れた。
 周囲の男たちは凍りつき、息を飲んだ。
 数秒間、沈黙が流れた。
 包囲網の外側から、銃声が聞こえた。右側と左側だ。労農革命党の戦闘員たちが、怒鳴っている。「動くな! 動くと撃つぞ」と。そう怒鳴りながら、散発的に発砲している。
 「だせえな。狂犬ジャンゴ。あれだけデカいツラしておいて」
 長身の男が、現れた。手にしているのは、なただ。
 まずい状況だ。その男は、ルビー・クールよりも背が高い。十センチメートルほども。そのうえ、ナタの刃渡りは、短剣よりも七十センチは長い。
 リーチの差で、圧倒的に不利だ。
 周囲の男たちが、どよめいた。
 「皆殺しのブルーノだ」
 「あいつなら、勝てる」
 男たちがつぶやくのが、聞こえた。
 皆殺しのブルーノか。次から次へと、凶悪犯が登場するものだ。
 新聞報道によれば、皆殺しのブルーノは、凶悪な強盗殺人犯だ。もともと、押し込み強盗を繰り返していた。三ヶ月ほど前の真夜中、レストラン経営者の自宅に押し込み強盗に入り、一家皆殺しにした。子どもたちは、まだ九歳と六歳だった。残酷すぎる事件だったため、新聞が大きく報道していた。警察の捜査により、この男が犯人だと判明した。だが警察は、潜伏先を発見できず、逮捕できていない。その事件以降、皆殺しのブルーノと呼ばれるようになった。
 ルビー・クールは、にらみつけた。皆殺しのブルーノを。
 「なぜ、押し込み強盗の時に、子どもたちまで殺したの?」
 「決まってるだろ。楽しいからさ。泣いて懇願する親の前で、ガキどもをなぶり殺しにするのがな」
 怒りの炎が、燃えあがった。一気に。
 ブルーノが、言葉を続けた。
 「昨日の虐殺も楽しかったぜ。最初から皆殺しにする予定なのに、親たちは、子どもの命だけは助けてくれと、泣きながら懇願して……」
 そこでルビー・クールが、言葉をさえぎった。
 「皆殺しのブルーノ。あなたの判決も、死刑よ」
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