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<第十六章 第8話>
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<第十六章 第8話>
五月最初の水曜日。
朝の八時半過ぎに、新聞が届いた。グランドパレスホテルに。
地元大手紙の朝刊だ。
一面の下段に、小見出しが出ていた。
「フロスハーフェン市で本日、市長選挙の予定」
記事は、短かった。無制限選挙のことは、記されていなかった。
もっとも、改めて考えてみると、厳密には、無制限選挙とは言えないかも知れない。
なぜなら、この町で生まれ育った住民でも、低所得層は、住民税を払えないため、住民登録をしていないケースが、けっこうあるらしい。
したがって、厳密には、中所得層以上の制限選挙ということになる。
帝国史上初めての無制限選挙になると思ったのだが。残念だ。
とはいえ、女性参政権については、帝国史上初めてだ。
いや、外国でも、女性参政権は、まだ実現していない。
投票所には、朝九時前の段階で、数千人の市民が集まった。
投票所の周囲には規制線を張り、七個分隊八十数名の警官が、厳重な警備にあたっている。
投票所エリアは、入り口が南側に一カ所だけで、出口は西側に一カ所だけだ。
入り口には、選挙管理委員会の女性スタッフを、三名一組で十二組、配置している。
彼女たちは、拉致監禁被害者たちだ。
彼女たちは皆、紺色や灰色の地味な服を着ている。昨日の段階からだ。全員、露出度の低い服で、スカートは足首まであるロングスカートだ。
彼女たちの服は、この町の古着屋で調達した。資金は、市長公邸の金庫から得たカネだ。
選挙管理委員会のスタッフであることを示すために、彼女たちは、左腕に赤いリボンを結んでいる。
本当は腕章を作りたかったのだが、時間的に間に合わなかった。
彼女たちのうち、一人目は、文字の読み書きができる者だ。彼女が、住民登録証の文章などをチェックする。住民登録証の期限が切れていないか否かと、フロスハーフェン市の住民登録証か否かだ。
すでに何件も、住民税の未納で期限切れのケースや、この町の出身だが、現在は別の町に居住し、別の町の住民登録証を持参してきたケースなどが、発生している。
そうしたケースでは、投票できないことを伝えた。
三名一組の二人目は、住民登録証の白黒の顔写真と、本人の顔を確認する係だ。
三人目は、投票用紙を渡す係だ。
二人目と三人目は、文字の読み書きができない者が担当している。
午前十一時の少し前。今のところ、大きなトラブルは発生していない。
投票所の指揮権をサファイア・レインに委譲し、ルビー・クールは、鉄道の駅に向かった。
今日の地元大手紙の朝刊を見て、州知事は、秘書官を派遣してくるはずだからだ。
フロスハーフェン市の市長選挙について、情報を収集するために。
* * * * * *
駅のホームで待っていると、蒸気機関車が到着した。
十数名の客が、ホームに降り立った。
背の高い金髪の紳士を見つけた。
州知事の秘書官だ。
手を振った。
彼が、近寄って来た。
「ルビー、今日も市議会議長の指示で待っていたのかね?」
「ええ、その通りです。市長選挙の投票所をご案内いたしましょうか?」
「ああ、頼む」
駅を出て馬車に乗り込んだ。
すぐに馬車が、中央円形広場に着いた。
中央円形広場の周囲の馬車道は、グランドパレスホテルの正面付近だけ、通行止めにしてある。投票所に裏から侵入するのを、防ぐためだ。
馬車が停まったのは、投票所の出口の近くだ。
投票を終えた有権者たちは、出口付近に滞留し、熱心に語り合っていた。
誰が当選するかについてだろう。
秘書官と、ルビー・クールが馬車から降りた。
「すごい人混みだな」
「ええ。この広場は、この町の繁華街ですから。それに、もうすぐ正午ですから。この広場には、多くの屋台や出店が出ています。ホットドッグやサンドウィッチの屋台とか」
すかさず、秘書官のななめ前に立った。
群衆が、ルビー・クールに気づいた。
大きな声を、張りあげた。
「みなさん! 州知事閣下の秘書官様が、来てくださいました! 市長選挙の視察に!」
どよめいた。中央円形広場の群衆が。
「みなさん! 拍手で、お出迎えしましょう! 秘書官様を!」
「いや、いいから。拍手なんて」
秘書官は、そう言ったものの、群衆は、いっせいに拍手を始めた。
一人の少年が、叫んだ。
「州知事閣下、万歳!」
新聞売りのポールだ。仕込み通りだ。
次々に、少年たちが叫んだ。「州知事閣下、万歳!」と。
もちろん、あらかじめカネを渡して仕込んでいる。
少年たちにつられて、若者たちも、「州知事閣下、万歳!」と叫び始めた。
順調だ。今のところは。
ルビー・クールは、心の中で、ほくそ笑んだ。
五月最初の水曜日。
朝の八時半過ぎに、新聞が届いた。グランドパレスホテルに。
地元大手紙の朝刊だ。
一面の下段に、小見出しが出ていた。
「フロスハーフェン市で本日、市長選挙の予定」
記事は、短かった。無制限選挙のことは、記されていなかった。
もっとも、改めて考えてみると、厳密には、無制限選挙とは言えないかも知れない。
なぜなら、この町で生まれ育った住民でも、低所得層は、住民税を払えないため、住民登録をしていないケースが、けっこうあるらしい。
したがって、厳密には、中所得層以上の制限選挙ということになる。
帝国史上初めての無制限選挙になると思ったのだが。残念だ。
とはいえ、女性参政権については、帝国史上初めてだ。
いや、外国でも、女性参政権は、まだ実現していない。
投票所には、朝九時前の段階で、数千人の市民が集まった。
投票所の周囲には規制線を張り、七個分隊八十数名の警官が、厳重な警備にあたっている。
投票所エリアは、入り口が南側に一カ所だけで、出口は西側に一カ所だけだ。
入り口には、選挙管理委員会の女性スタッフを、三名一組で十二組、配置している。
彼女たちは、拉致監禁被害者たちだ。
彼女たちは皆、紺色や灰色の地味な服を着ている。昨日の段階からだ。全員、露出度の低い服で、スカートは足首まであるロングスカートだ。
彼女たちの服は、この町の古着屋で調達した。資金は、市長公邸の金庫から得たカネだ。
選挙管理委員会のスタッフであることを示すために、彼女たちは、左腕に赤いリボンを結んでいる。
本当は腕章を作りたかったのだが、時間的に間に合わなかった。
彼女たちのうち、一人目は、文字の読み書きができる者だ。彼女が、住民登録証の文章などをチェックする。住民登録証の期限が切れていないか否かと、フロスハーフェン市の住民登録証か否かだ。
すでに何件も、住民税の未納で期限切れのケースや、この町の出身だが、現在は別の町に居住し、別の町の住民登録証を持参してきたケースなどが、発生している。
そうしたケースでは、投票できないことを伝えた。
三名一組の二人目は、住民登録証の白黒の顔写真と、本人の顔を確認する係だ。
三人目は、投票用紙を渡す係だ。
二人目と三人目は、文字の読み書きができない者が担当している。
午前十一時の少し前。今のところ、大きなトラブルは発生していない。
投票所の指揮権をサファイア・レインに委譲し、ルビー・クールは、鉄道の駅に向かった。
今日の地元大手紙の朝刊を見て、州知事は、秘書官を派遣してくるはずだからだ。
フロスハーフェン市の市長選挙について、情報を収集するために。
* * * * * *
駅のホームで待っていると、蒸気機関車が到着した。
十数名の客が、ホームに降り立った。
背の高い金髪の紳士を見つけた。
州知事の秘書官だ。
手を振った。
彼が、近寄って来た。
「ルビー、今日も市議会議長の指示で待っていたのかね?」
「ええ、その通りです。市長選挙の投票所をご案内いたしましょうか?」
「ああ、頼む」
駅を出て馬車に乗り込んだ。
すぐに馬車が、中央円形広場に着いた。
中央円形広場の周囲の馬車道は、グランドパレスホテルの正面付近だけ、通行止めにしてある。投票所に裏から侵入するのを、防ぐためだ。
馬車が停まったのは、投票所の出口の近くだ。
投票を終えた有権者たちは、出口付近に滞留し、熱心に語り合っていた。
誰が当選するかについてだろう。
秘書官と、ルビー・クールが馬車から降りた。
「すごい人混みだな」
「ええ。この広場は、この町の繁華街ですから。それに、もうすぐ正午ですから。この広場には、多くの屋台や出店が出ています。ホットドッグやサンドウィッチの屋台とか」
すかさず、秘書官のななめ前に立った。
群衆が、ルビー・クールに気づいた。
大きな声を、張りあげた。
「みなさん! 州知事閣下の秘書官様が、来てくださいました! 市長選挙の視察に!」
どよめいた。中央円形広場の群衆が。
「みなさん! 拍手で、お出迎えしましょう! 秘書官様を!」
「いや、いいから。拍手なんて」
秘書官は、そう言ったものの、群衆は、いっせいに拍手を始めた。
一人の少年が、叫んだ。
「州知事閣下、万歳!」
新聞売りのポールだ。仕込み通りだ。
次々に、少年たちが叫んだ。「州知事閣下、万歳!」と。
もちろん、あらかじめカネを渡して仕込んでいる。
少年たちにつられて、若者たちも、「州知事閣下、万歳!」と叫び始めた。
順調だ。今のところは。
ルビー・クールは、心の中で、ほくそ笑んだ。
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