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<第一章 第7話>

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  <第一章 第7話>
 ウォードが、左ジャブを突いてきた。
 普通のボクシングのようだ。
 左に一歩移動し、左ジャブを、よけた。
 二発目、三発目と、次々に左ジャブを繰り出してきた。
 左に回りながら、よけ続けた。
 おそらくウォードは、強い右ストレートで、仕留めるつもりだ。
 左手で、手招きをした。ウォードに、さっさと右ストレートを打たせるために。
 表情が、厳しくなった。
 来るな、と思った。
 ウォードの右こぶしが、動いた。右ひじが、上がった。
 来る。オーバーハンドの右ストレートが。
 その瞬間、左回し蹴りを蹴り込んだ。ウォードの右脇腹に。
 まともに、入った。左回し蹴りが。
 前方に出した左足で蹴る中段左回し蹴りは、日本にいたときから得意だ。上半身をまったくぶれさせず、ノーモーションで蹴る。それが、この蹴り技を、うまく決めるポイントだ。
 ウォードの上半身が、前傾し始めた。右脇腹を抱えるように。顔を、そむけ始めた。表情が、ゆがんでいる。脇腹の激痛のせいだ。
 一歩、踏み込んだ。
 たたき込んだ。強烈な右ストレートを。ウォードの左こめかみに。
 失神した。その一撃で。ウォードが。
 振り返った。
 すでにパーカーが、意識を取り戻していた。
 ものすご形相ぎょうそうで、にらんでいた。
 だが、まだ立ち上がってはいない。片膝を床についている。
 呼びかけた。
 「立てよ。まだ、闘えるだろ」
 パーカーは、クマートをにらみながらも、立たない。
 どう闘おうかと、考えているのだろう。
 突然だった。
 パーカーが低い体勢のまま、タックルしてきた。
 まずい。
 このタックルをらうと、倒される。
 次の瞬間、かわした。パーカーの低いタックルを。
 左足を軸に、時計回りに、百八十度回転した。
 だが左足は、動かさずに、その場に残した。
 パーカーが、クマートの左足に、つまずいた。
 突っ込んだ。つまづいたパーカーが。床に向かって。
 押し倒した。グレースを。パーカーが。
 グレースは、自分の長剣を取り戻そうと、クマートの背後に、静かに接近していたのだ。
 叫んだ。グレースが。
 「無礼者! なにをするのじゃ!」
 パーカーは、グレースが背中や後頭部を床に打たないように、倒れ込む直前に、両腕を彼女の背中と後頭部に回していた。
 そのため、グレースを抱きしめる状態になっていた。
 「失礼しました!」
 そう叫びながら、パーカーが立ち上がった。
 「死んで、おびします!」
 グレースの長剣を、床から引き抜いた。パーカーが。
 薄刃の長剣をあてた。自分の首の頸動脈けいどうみゃくに。
 その瞬間だった。
 クマートが、パーカーの右手首をつかんだ。右手で。
 「離せ! わしは死んで姫様にお詫びを……」
 左手の親指と人差し指で、薄刃の長剣の腹の部分を、つかんだ。
 次の瞬間、長剣のグリップが、パーカーの右手から離れた。
 パーカーの右手の甲の側に、長剣を引き寄せた。強い力で。
 梃子てこの原理が働き、彼は剣を離してしまったのだ。
 「剣を返せ! わしは死んでお詫びを……」
 「ダメだ。自害してはならない」
 「だがわしは……」
 その言葉を、さえぎった。クマートが。
 「戦士の死に場所は、戦場だけだ。それ以外の場所では、死んではならない。戦場での敵との戦い以外では、死んではならぬ」
 「わしは、敵であるおぬしとの戦いに負けた……」
 「敵じゃない。我々は。級友だ」
 パーカーの動きが止まった。
 涙が一筋、こぼれた。パーカーの右目から。
 感涙かんるいしたのだ。
 ウォードが、立ち上がった。彼は、天井を見上げた。涙が零れないように。
 彼の失神時間は、数秒だった。そのため、パーカーとクマートのやりとりを見ていた。
 エルシーとアイラも涙をぬぐった。上半身を起こして。
 彼女たちも、しばらく前から意識を取り戻していた。
 グレースが、命じた。
 「パーカー! ウォード! その黒髪男を殺せ! エルシーとアイラもじゃ! 四名で一斉攻撃じゃ!」
 だが四名とも、動かなかった。
 クマートが、グレースに呼びかけた。
 「グレース・リッチランド伯爵令嬢様」
 「なんじゃ!」
 「クラスメイト同士は、仲良くするものです。わたしを含めて、すべてのクラスメイトたちと、仲良くしていただけませんか」
 「そのとおりだ! きみ!」
 男の声だった。
 声の方角を見た。教室の入り口付近に、初老の紳士が立っていた。女性教師と共に。
 学園長だ。
 
  第二章に続く
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