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本編

-335- キャンベル商会 アレックス視点

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搾精機の入った赤い箱を受け取り、空間へしまい込むと、扉のノック音が聞こえてくる。
アサヒにしちゃまだ早い。
そう思ったが、オリバーは立ち上がって扉へ向かい、コナーの返事と共に内側から開いた。

「おかえりなさい。待ちくたびれてしまいました」

驚いたのは、オリバー以外全員だろう。
相手も確かめず抱きついていたからだ。
まあ……その相手が本当にアサヒだったから良かったが。

「ちょ、オリバー、ここ家じゃねえんだけど!」
「ああ、そうでしたね」
「やりそうだと思ったけど、お前もう少しでエマさん抱きしめてたぞ?ちゃんと相手確かめてからにしてくれよ。
それに、もし万が一強盗とかだったらどうすんだ」

そうか、やりそうだと思ったのか。
アサヒは感が良いらしい。

「すみません…」

ようやく状況を理解したのか、萎れた菜っぱのようになったオリバーがアサヒへと謝っている。
そんなオリバーを目にし、今度はアサヒが言葉に詰まっている。
ほんとにこの二人は見ていて飽きない。

オリバーは穏やかな分、感情の起伏も緩やかなんだが、アサヒといる時のオリバーは急上昇急降下だ。
それだけ必死で、更に心を許しているからだろう。
そういう人が、オリバーの傍に居てくれて良かったと本気で思う。

「あー…待たせてごめん、言いすぎたよ。えーと、オリバーにこの子の薔薇見てもらいたくて」

謝ることはないだろうと思ってるのは、今度はアサヒ以外の全員だろうな。

この子、とアサヒに言われて、アサヒの斜め後ろから薔薇の鉢を抱えた子供が顔を出した。
とたん、オリバーが息を飲んで驚く。
なんだ?
そんなに凄い薔薇なのか?

「え……、これは?っ凄いですね、君が育てたのですか!素晴らしい良い手をしてますね!」
「中に入って、アレックス様も一緒に見てもらわねえ?この商会で取引できなかったんだ」

「え?嘘でしょう!?こんな素晴らしいものを?」
「だから俺が引き留めたんだって」
「ですが、この薔薇が量産出来たらぼろ儲けですよ?本当に?」
「マジだって言ってんじゃん。俺も肉厚ですげーいい香りがするってことくらいしかわかんねえけど、お前ならもっと詳しくわかるかもって思って」

「ならば、見てもらいましょう。こんなに良いものを取引しないなんて、阿呆ですね、この商会は。
アレックスに直接取引してもらいましょうね。…ああ、エリソン侯爵領出身ならばその方が良いかもしれません」

入ってきたのは、小さな少年と、爺さんだ。
なぜオリバーがすぐにエリソン侯爵領出身だと分かったかが理解出来た。
二人の服装からだ。
二人とも胸元にエリソン侯爵領の刺繍が入った服を着ている。

阿呆だ、とオリバーが言ったのは、キャンベル商会ともあろうものが、見た目で差別をしたからだろう。
最上級の商会や店は、見た目における差別などせず、丁寧に扱うもんだ。
それが、幸運に繋がることがあると知っているからだ。
出身や身なりで判断し待遇を変えるのは、二流三流と言われている。

「エマ、新しいお茶とお菓子をお願いね。商会長のコナーです。うちの商会で嫌な思いをさせてしまってごめんなさい」
「いやあ、これが初めてじゃない。どこも一緒だあ」
「それでも、よ。…でも、そうね、アレックスがいるんだから、直接取引してもらうのが良いと思うわ。オリバーもいるんだし」

どんな相手でも、悪いと思ったら誠意を持って謝ることができるのは、コナーの美徳とする所だ。
そして、時には直接の自分の利益を優先しないで、相手を優先できるのも、またコナーの良いところだと思っている。

「アレックス、この薔薇は本当に素晴らしいですよ!目測ですがこの花びら1枚で取れる精油が、現在の薔薇約3000本に匹敵します」

は?

「3000本?1枚で?」
「ええ、花びらの大きさによりますが、一番大きい花びら一枚で、ティースプーン一杯程度の精油が取れます」
「マジか…そりゃすげえな」

なんだそりゃ、アリなのか?
や、存在してるんだからアリだろう。
見た目は無骨な薔薇だ。
薔薇なのに美しくないのは、花弁の厚みによるものだろう。
だか、精油特化の薔薇だ。
花弁1枚で通常の薔薇の3000本だぞ?
オリバーが興奮するのも仕方ないことだ。

「量産出来れば本当に凄いことになります。…特許は?育成の過程はまとめていますか?」

「特許ったあ、必要ですか?」
「エリソン侯爵領で特許をとることも出来るが、お孫さんのためにも自分たちで取ったほうが良い」

こんな薔薇の特許なんか、量産に繋がれば、持ってるだけでなんもせず暮らしていけるだろう。
食もしかりだが、しっかり特許を申請して、個々で豊かさを底上げする手段を取らないと損をするのは自分たちだ。

「しかしですなあ、研究結果といっても、子供が描いた落書きみたいなもんしかないです。それに、私はあ、お恥ずかしながら字が読めん」
「今お持ちですか?見せてもらっても?」
「うん、いいよ」

少年が背負っていた鞄の中から取り出したのは、質の悪い紙を紐で束ねたものだったが、捨て紙の裏を使っているようだ。

オリバーが楽しそうにページを捲る。

「凄いですね、しっかりまとめられていますよ。薔薇そのものがありますからこのままでもいけそうですが、念のため私が補足いたしましょう」
「未成年だから君の名前で特許を取ると、代理人の他に保証人が必要になるけど…」
「私は先長くない。けんど、この子の母親は、病気の弟にかかりきりだあ。
父親は帝都の薬師をしとりましたが、労働環境が良くねえで、倒れてから解雇されたばかりです。
特許の申請には金がかかります」

確かに、特許の申請には金がかかるが、それでも取るべきだ。
十中八九、後から元が取れる。
元が取れるどころか、大儲けだろう。
だが、特許の申請金は、平民には最初に負担になるのも理解している。
この爺さんのように、確信が持てないものに大金を払うことを躊躇する者を何人も見てきた。

「ならば、保証人は私がなりましょうか。申請金もお出しします」

オリバーがまた凄いことを言い出した。
だが、それだけ見込みがあるってことだ。

「これだけ素晴らしいのですから、すぐに元は取れますよ。
利益が出たら、そこから申請金を返していただければ。勿論無利子無担保で結構ですよ。いかがですか?」

「あり得ないわ…」

コナーが呆れたように口にするのは、オリバーには一銭の得にもなっていない上に、保証人という、ある種の責を背負ったからだ。

「しかしなあ……」
「代理人にはひとまずエリソン侯爵領になってもらうといいでしょう。
下手に色々と詐欺まがいの話を持ち込まれても困るでしょうし、問題が起こりそうなら『エリソン侯爵領と取引をしている』で断ると良いですよ。
これは早く世に出して広めるべき植物です」

確かに早いところ繁殖に持ち込み、生産出来れば、それだけ潤うのが目に見えてる。

「なら、取引する代わりに申請金はうちで出すぞ?
保証人はオリバーの方が植物に詳しいだろうし、補足を加えるならそっちの方がいいのかもしれんが」

オリバー個人が出すことに気が引けるなら、領主として俺が出せば、受け入れ安いかもしれないな。
うちの刺繍の服を着るくらいだ。
エリソン侯爵領が好きじゃなきゃ、着ないはずだ。

「君はどうしたい?」

ふいに、アサヒが少年に問う。
本人そっちのけで話を進めちまったが、最初に聞くべきだったな。
俺もオリバーも先しか見えていなかった。

「ん……。特許を取ったら、父ちゃん元気になる?」
「特許を取って、エリソン侯爵領と取引をしたら、お金が入るよ。
多分、君のお父さんが稼ぐよりずっとたくさんのお金が入る」

「なら、お願いします。父ちゃん熱出して寝ながらずっと泣いてるの」

可愛らしい見た目だが、中身は随分しっかりしてるようだ。
領主として、できる限りのことはしてやりたい。


「ちょっと、アレックス!ありえないわ」

コナーが俺を止めにかかる。
今回限りだ、今回限り。
サインと印章を入れてその金を預けるなんてのは、まあ、常識外れもいい所だ。

「普段は絶対しないぞ?今回は特別だ、急ぐんだろ?けど、俺もマジで時間がとれない。なにより信用してるからやってんだ、アサヒ、頼んだぞ」
「はい、お任せください」

俺からの言葉は、重荷になるか?と一瞬思うも、アサヒは直ぐに快い返事を返してきた。
流石だな。

「申請受理後の書類は魔法省へお送りしますか?」
「や、手元に保管していてくれ。近いうち、またレンとそっちに遊びに行くからそのときで構わない」
「わかりました。楽しみにしています」
「ああ」

このまま、あとは二人に任せれば良いようになるだろう。
この子の家には、既にこの薔薇が他にも咲いているらしく、オリバーとアサヒでそれを見に行くようだ。

コナーは、馬車だけでなく、医者も呼んでいた。
俺らの事を、ありえないだとか人がよすぎるだとか言うが、俺に言わせりゃ、コナーも十分同類だな。
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